心の家路
『魂の家族を求めて』に対する私見

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2004/05/11 

『魂の家族を求めて』に対する私見

この文章は、こちらの書籍を読んだ感想として書かれたものです。


本書の最後に、「AAの12のステップを知的所有権によって保護すること」 に対する疑念が述べられてますが、各国のAAの中には分裂による悲劇を味わったものものもあり、法的な処置によって 「一体性」 を確保することはAAの理念にかなう、というのが全体サービスでの了解事項でしょうし、僕もこれを支持しています。

また、著者とJSOとの間で問題になった 「改変された12のステップ」 は(当然ながら)本書には収録されていないので、その様相は (本書の中に記述を元にした僕の) 想像に過ぎないのですが、おそらくは AAの 「12のステップ」 とは微妙に異なったもの」であったのでしょう。

従来からAAの 「12のステップ」 をベースに、各アディクションごとに依存の対象の言葉を置き換えた 「12のステップ」 が存在しており、それらが元の AA のステップと同様の spirituality を含むというのが、通念となっています。
ではあるものの、言葉の置き換えではなく 「12のステップ」 の文言を改変した場合に、それが 元の 「12のステップ」 と同様の spirituality を維持できる という保証を与えられる人間など、いるはずもありません。 唯一それをなせる存在があるとすれば、その 「12のステップ」 を使う共同体が維持・成長したことによって明らかになる、「12のステップ」 の中の Higher Power の存在そのものでしょう。

斎藤学創案の「10ステップ」 が、AAの12のステップよりも、日本の風土に馴染んでいることは、誰の目から見ても明らかです。 僕は、高名な先生が 「12のステップのローカライゼーション」 に泥濘なさるよりも、経験深い臨床医として、またひとりの日本人のワーカホリックとしてご自身で創案なされた 「10ステップ」 を提唱なさっていることを、歓迎すべきだと思います。

ではなぜ、日本のAAがセルフヘルプグループとしての効率化(?)のために積極的にローカライゼーションを行わないのか? その質問は、「AAで助かったアルコホーリクの中に、なぜ一生AAのミーティングに出席を続けようとするメンバーが存在するのか」 という質問と、同一の主題だとみなすことができます。 横断するものが 「地理的距離」 や 「文化」 であるのか、それとも 「時間」 や 「ライフステージ」 であるかの違いに過ぎません。

AAがオーストラリアのアボリジニーに 「スピリチュアルなもの」 の概念を伝えようと苦労したり、中国大陸へ 「上帝」 という概念を持ち込もうとしていることを、僕はそれほど滑稽な行動だとは思いません。 AAの12のステップが、たとえそれが 「ビルが1930年代末から40年代でのアメリカで生きた、そこそこ教養のある白人のキリスト教徒のアルコホリックとして、英語で考えたもの」 (本書から引用)にすぎないとしても、時代や地理や文化を越えた普遍性があるという意識を、ステップスタディをするAAメンバーは共有しているのです。

たしかに、AAの 「12のステップ」 は、平均的日本人にとって 「飲み込みにくい薬」 であることは疑いありません。 例えるなら、 正露丸の匂い でしょうか。 胃腸の不調に効能があると判っていても、「その匂い」 が飲むのをためらわせます。 同じように 「12のステップ」 にも 「その匂い」 があって、それによる心理的抵抗は 「人の薦め」 や 「理性」 による判断を覆すこともしばしばです。 もし、正露丸の糖衣錠のように、12のステップにも、本質を変えずに 「飲みやすく」 する方法があるならば、日本のAAも間違いなくそれを採用するでしょう。 しかし、今のところ (メンバーの努力にもかかわらず) 理想的な方法は見つかっていません。

ローカライゼーションそのものが 「悪」 であるとは、僕も考えていません。 たとえば、断酒会の 「断酒の誓い」 と 「12のステップ」 の類似性に気がつかない人はいないでしょう。 そして、 「断酒の誓い」 が spirituality を含んでいることに疑いの余地はありません (彼らの実績を見ましょう)。 断酒会の人たちは、おそらく 「霊性」 なんてものを価値判断の基準にしてはいないでしょうし、「誓い」 の価値の源泉をAAの 「12のステップ」 に求めたりはしないでしょう。

本書全体を見渡すと、著者が自助グループへの理解として、AA を出発点に論を進め、最終的に 「現代人に必要なのはこの事実Webマスター注:敗北)の認知なのであって、その不器用な伝達手段としての12のステップそのものではない」 と断ずるに至る過程が見えてきます。 JSOとのやりとりは、その中で発生した、ひとつのエピソードに過ぎません。 結果として筆者は、AAからの霊性の継承を放棄し、「10ステップ」 の提唱へと進んでいくわけです。 7番目と8番目のステップを削除し、「自分より偉大な存在」 の概念を丁寧に拭い去ったこの 「10ステップ」 は、AAメンバーの目には奇異にしか映りませんが、治療グループではないという 「ナバ文化」 と、「役に立つ人間を作る」 という 「12ステップの文化」 を、比較すること自体がナンセンスなのです。

してみると、「10ステップ」 は、決して 「12のステップ」 のローカライゼーションなのではなく、本書の副題にあるように 「私のセルフヘルプ・グループ論」 に基づいた、霊性の解釈の 「ひとつのインスタンス」 なのです。 日本におけるアルコール依存症の治療手法に大きな足跡を残した筆者の 「魂の家族」 という本に対して抱いていた、spirituality への多面的な洞察、という僕の期待は、あっさりと裏切られることとなりました。 それだけ、筆者の取り組んでおられる分野が、アルコール依存症と、性質が異なっている、ということなのかもしれません。 僕にとっては、spirituality を論ずることの無意味を再確認する読書となりました(そう、それは見たり感じたりするもので、論ずるものではないのです)。

僕は、生涯で初めて出合った精神科医に浴びせた質問を、よく覚えています。 「なぜ、内科医は、僕の胃の痛みの強さをわかってくれなかったのでしょう?」 という質問に対し、その医師は 「医者は機械を使って調べたり、患者の言葉に耳を傾けることはできますが、痛みを計測する機械がない以上、あなたの感じる痛みの量を知ることはできません。 それについては、私(精神科医)も同じで、あなたの話から診断を下すことは出来ます。 プロですからそれは当然です。 しかし、あなたがどれほど痛みを味わっているか、あなたがどれほど苦しんでいるか、想像することができるだけで、それ以上の能力は与えられていないのです」 との答えをくれました。
また、AAのメンバーの言葉も思い起こします。 「AAは心のお風呂なんですよ。 暖かくて、気持ち良い。 みんな裸でね。 服を着たままお風呂に入る人はいないでしょう。 AAのお風呂も同じです。 心によろいを着たまま入っても、気持ちよくなりません」。 お風呂の気持ちよさを、言葉にして伝えるのは、無理な話です。 この気持ちよさが、この本の筆者に十分に伝わっていない気がして、そこが残念です。
自らワーカーホリックを名乗る先生が、ワーカーホリックズ・グループ(GA)のミーティングの中で、素っ裸になって、心のお風呂の心地よさを存分に楽しんでいらっしゃる姿が、あればいいなと願っています。

最後に、AAも常に 「その時代のアルコホーリクの共感を呼ぶように」 意識的に行動していることも、申し沿えておきたいと思います。 昨年出版された Big Book の第4版では、21世紀に生きる人たちの共感を得るようにと、新しい個人の物語への入れ替えと追加が行われていますし、それを日本語に訳そうという行動も始まっています。 また日本のビッグブックも、新訳改定版に新しい 「個人の物語」 が追加されたものが、今年中には出版されることになっています。