心の家路

否認の病気
Denaial is not river of Egypt

ホーム|アルコール依存症という病気|自助グループのススメ|このサイトの紹介|体験記|個人的見解|ブログ
日々雑記&NEWS|掲示板|道具90|書庫・資料置き場|リンク集|ご意見・お問い合わせ

ホーム > アルコール依存症という病気 > 否認の病気

2004/05/11 

<断酒ができないという精神の病気>

<否認の病気>

私たちのほとんどは、自分が本物のアルコホーリクだとは認めたがらなかった。自分の肉体や精神が、まわりにいる人たちと違うなどということを、喜んで認める人間がいるわけがない。だから私たちが、ふつうの人のように飲めるかもしれないと、役にも立たない実験をしてきたからといって、驚くことはない。

(『アルコホーリクス・アノニマス』 第三章・もうすこしアルコホリズムについて p45・文庫版 p77)

AAワールド・サービス社の許可のもとに再録。

この病気の最もやっかいなところは、本人が病気であることを認めたがらないことです。他の病気や怪我であれば、自分が病気であることを否定することはまずないでしょう。しかし、この病気は違うのです。

「自分にアルコールの問題なんかない。ちょっと飲みすぎただけだ」
(たまの機会に羽目を外すぐらいならともかく、しょっちゅうとなるとやはり異常です)。
「自分はアル中ではない、○○病だ」
(肝臓などの内蔵の病気に転嫁することで、アルコールの問題から目をそらそうとしているだけです。身体の具合が悪いのだったら、お酒を止めるのが普通の感覚です)。
「酒なんかいつでも止められる」
(そう言いながら、実際にはいつまでも止めません。「止めるのは今日ではなく、明日からにしよう」というのは、依存症特有の考えです)。
「あなたの言うことは、他の人には当てはまっても、私には当てはまらない。自分は特別だ」
(本当は自分にも問題があることは分かっていても、他の依存症の人との違いを見つけて自分を安心させるための言い訳です。また、アル中=浮浪者という偏見を持っている場合もあります)
「病気だから飲んでいるのではない、○○が悪いから飲んでいるのだ」
(妻の態度が悪いから、親が大事にしてくれないから、仕事が大変なのに評価されないから、借金があるから・・・病気で痛めつけられた自分の惨めさを素直に認められない強がりです。この「突っ張り」は、しばしば暴言や暴力となって現れます)
「俺は病気なんかじゃない」
(アルコール依存症だと認めてしまうと、断酒しか道がなくなってしまいます。しかしそれだけは避けたいので、意思の力による「節酒」や機会的飲酒への道に希望をつなぎたいのです)
「私はこんな連中ほどひどくはない。まだ大丈夫」
(この病気が進行性の病気だということに気がついていないのです。そして本人が思っているより重症である場合がほとんどです)

アルコール依存症の人は、飲み始めのころのように、酒を楽しんで飲めるように戻れると信じています。しかし、「大根はたくあんになれるけれど、たくあんは大根には戻れない」のです。

いずれ「酒を止めるしかない」という結論に至ります。それは、その場を切り抜けるための方便かもしれませんし、心の底から「酒を止めてやりなおしたい」と願っているからかもしれません。そして、多くの人が、ここで過ちを犯します。

酒を止めるのはなんといっても自分だ。自分の意思さえしっかりしていれば大丈夫だ。

それは、この病気の「意思の力では断酒が続けられない」という側面に気がついていないだけです。誰もが、「自分の意思の力が病気になった」とは信じたくないものです。ですが、依存症者の肉体も精神も、もう普通の人とは違ってしまっているのです。

<解決はある>