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どうしてAAでは奇妙なニックネームを使っているのですか ?

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2004/05/11 

この話は口伝で伝えられたものです。歴史的な事実かどうかは、僕は確かめていませんし、たぶん確かめる方法もないでしょう。

今の日本AAは1975年3月に、東京の蒲田にてステップミーティングが行われたのを起源としています。しかし、それ以前にも日本にAAは存在していました。アメリカ人たちが集団生活を送っているところ・・・それは米軍基地です。基地で働く様々な人のために、英語のミーティングが開かれていました。日本人のメンバーがそうしたミーティングに参加することから、日本AAが始まったのです。そして、アメリカ人たちも蒲田でのミーティングへ「まだ苦しんでいるアルコホーリクにメッセージを運ぶ」ために、通ってきてくれたのです。

さて、英語を話す人たちは、親密な場ではお互いをファーストネーム(日本人の姓名で言えば名の部分)で呼び合います。 AAミーティングでも、ミスター・○○、ミセスとかミズとかではなく、「ジョン」とか「ジョージ」とか「アン」とか呼び合っているわけです。 その光景に親しんだ日本人のメンバーの中には、「AAとはそういうものである」と考えた人もいたようですし、ファーストネームで呼び合うことを「カッコいい」と感じた人もいたようです。

そこで、彼らは(純然たる日本人にもかかわらず)自分達にも、英語流の「ファーストネーム」を付ける事にし、自らを「トム」とか「デイブ」と名乗ることにしたのだそうです。 それは彼らなりに、英語を話す仲間に溶け込もうという努力だったのかもしれません。

(この話を英語圏の人にすると、Crazy! という感想をもつようですが)。

ビッグブックの個人の物語に「ピーター神父の物語」が収録されています。 彼が日本AAの創立に多大な寄与をしたことは今でも語り継がれています。しかし、彼の「物語」を読めばわかるとおり、彼は純然たる日本人であり、ピーターという名前ではありません。洗礼名

日本人たちが、日本人のミーティングを始めた後も、彼らは「ファーストネーム」を使いつづけました。 その結果、「AAというところは英語流のファーストネームを使うところ」と考えたメンバーもいたようです。また、「無名の集まり」であることから、無名性の確保のために「ニックネームを使う」と解釈した人たちもいたようです。

結果として、日本のAAの成長と同時に「ニックネーム」という風習も広がっていきました。
ある人は「本名」の一部を名乗り(姓だったり名だったり)、ある人は英語流の「ファーストネーム」を名乗り、ある人は日本風の「あだ名」を名乗り、またある人は「ニックネーム」を名乗ります。大変奇抜な名前を採用する人もいます。

この風習について「アノニマスネーム」という呼称がつけられた時期もありましたが、「無名の名前」というのも変なので、現在では「ニックネーム」もしくは「AAネーム」と呼ぶように、呼びかけが行われています。しかし、相変わらず「アノニマスネーム」という呼称を使う人もまだたくさんいます。

世界の各国のAAの中で、「ニックネーム」を使う風習があるのは日本だけだそうです。 他の国では実名が使われているそうです。
(ここまでが、僕が口伝で聞いた話です)。


このニックネームが好まれたのは、いろいろな理由があるように僕は解釈しています。

ひとつは無名性に含まれる謙虚さの実践です。例えばピーター神父の功績は、将来に渡って記憶されていくでしょうが、彼の氏名や素性は(AAの中では)知られずに消えていくでしょう。なぜなら(もう確認しようがないけれど)本人がそう望んだからでしょうし、僕達がそのことに深い感銘を受けるからです。

またひとつは、平等と親密に寄与するからです。最初の頃の日本人メンバー達が英語ミーティングに参加したときに感じた「親密さ」を、ニックネームが実現してくれる部分があるからです。AA以外の世界では、(日本という文化の中で)縦社会や年功序列などで縛られている僕達が、ニックネームで呼び合うことで年齢の差や、社会的な立場・階層を越えることを可能にしてくれます。また同時に、立場にかかわりなく、AAのなかで「平等である」ことを比較的容易に感じさせてくれます。
実のところ僕は、年上の仲間やソーバーの長い仲間からばかりでなく、十数年も年下だったりする仲間から「ひいらぎ」と呼び捨てにされ、「さん」を付けずに呼ばれることが大好きなのです。それは、この共同体のある側面をとても良く表しているように感じられるからです。

他の国ではどうしているかは、常に僕の関心の対象でした。 ニックネームを使っているところは日本だけであるにしても、他の国でも「どう名乗るか」は様々なようです。そして、ひとつの国でも場所が違えば、AAのあり方も微妙に違っているのも日本と同じようです。
アメリカのある場所では、フルネーム(姓名とも)名乗るのが当然のように行われているといいます。別の場所では、ファーストネーム+ラストネームの頭文字一文字だそうです。 また、別のある場所ではファーストネームしか使わないそうです。 その場合、同じ名の人(たとえばジョン)を区別する必要がでてきます。その時には、車を燃やした explosion John (爆発ジョン)と、南から飛行機でやってきた southern fly John (飛行機ジョン)などと呼んだりすると聞きました。ちょっと日本のニックネームに似ているかもしれません。ただ、これを理解するには「AAだからそうやっている」のではなく、英語圏の文化に対する知識が必要なようです。つまりフルネームを名乗っている場所でも、名前の衝突は起こるのです。
また、「どこまでプライバシーを明かすか、本人の自由」という原則が尊重され、名前のイニシャル(頭文字)一文字しか名乗らない人もいるそうです。
縦にモノを書く国々(つまり東アジア)では、姓名を両方名乗っているようであります。

少し話題はそれますが、日本人というのは、自分の名前が正確に読まれる(発音される)ことにこだわる民族のようです。 くらべて中国語では方言も多く、同じ国の中でも自分の名前が正確に発音されることは期待できないそうで、ましてや外国の人間に、複雑な中国語の発音を強いることは、端から諦めているようです。そこで、彼らの名刺(の裏の英語名)には、「ポール」とか「アイリーン」という名前が付けられています。 外国の人間に、覚えにくい中国名を覚えてもらうよりは、(自分の名の読みに似た)親しみやすいファーストネームを使うことにしたのだそうです(僕の理解がどこまで正しいか自信ありませんが)。どうみたって東アジア系漢民族の人々が、自らをポールとか名乗っているのには、ちょっと違和感を感じなくもないですが、日本のAAのニックネームに似た話であります。

話がそれました。
アノニミティ(無名性)という原則に目を向けてみることにしましょう。

もともと、アノニミティ(無名性)には、個人ひとりひとりが依存症であることが(AA外部に)明かにされないように、プライバシーを守る意味があります。AAが始まった1935年には、アメリカでもアルコホリズム(アルコール中毒)に対する偏見は非常に強く、もし「秘密が固く守られる」という約束が無かったならば、誰もAAに参加しようとはしなかったでしょう。

しかし、AAが秘密結社であってよいはずはありませんでした。「ひとりのアルコホーリクが、もうひとりのアルコホーリクと経験を分かち合う」ときに、そこに不思議な力が発生する、というのがAAの原理です。「まだ苦しんでいるアルコホーリクにメッセージを運ぶ」ためには、口伝えの方法には限界があることは確かでした。 そこでAAは「広報」という活動に取り組んだのです。そのメディアとなった新聞に対して、記者たちに「名前を伏せるように」お願いしたのもプライバシーの保護のためでした。

伝統11に「AAメンバーとして名前や写真を、電波、映像、活字にのせるべきではない」とあります。これの意味するところは明確で、僕たちは常にメディアの人たちに「個人の実名は伏せ、顔写真は出さない」ようお願いしてきました。伝統12にあるように、(有名にならずに)無名にとどまることは計り知れない価値があるのです。AAがこの原則を捨てることは将来もないでしょう。

「アノニミティ・レター」というものがあり、これは各メディアにアノニミティ(無名性)の原則を説明し、配慮をお願いするものです。これにはAAメンバーを紹介する場合には、ファーストネームだけを使うように、と書かれているのですが、これを日本にそのまま適用するには、ちょっと無理があるような気がします。

AAが発行する印刷物ではどうでしょうか。AAの内部文書ではなく、外部に公開された印刷物(例えば活字によるミーティングである Grapevine や BOX-916、各地のオフィスや委員会が発行する刊行物など)では、メディアと同じような原則が使われています。横文字の世界では「ファーストネーム+ラストネームの頭文字一文字」が使われています。ミーティングでフルネームを名乗っている人も、活字になるときはこの原則が使われます。日本では「ニックネーム」が使われています。

さて、一方で、この無名性の原則と、「どこまでプライバシーを明かすか、本人の自由」という原則を逆手にとって、匿名性の陰に隠れていて良し、という誤解が広まっているのは残念なことです。
日本においては、アルコホリズム(依存症)は恥ずかしい不名誉な病気であるという誤解が根強くあります。そもそも、病気だという認識すら薄いのが実情です。そのなかで、「無名」という看板をかかげ、プライバシーの保護を約束するのは大切なことです。そして、それがAAの魅力のひとつであるのは間違いがありません。
だから、あくまでも無名(匿名)でありたいという希望がある人には、その意向を尊重してあげる必要があることは言うまでもありません。

しかし、AAのプログラムの根本は、「ひとりのアルコホーリクが、もうひとりのアルコホーリクと経験を分かち合う」ことにあります。そのために無名が障害になるのなら、その垣根は低くしていくべきです。
例えば、ミーティング会場を維持していくために、コーヒーセットを担うチェアマンやセクレタリーの役割を分担するときに、必要であれば僕たちは、電話番号や本名を交換します。また、どんな仕事についていて、何時なら連絡がつけられるのか、などなども知らされます。誰かがミーティング会場を開かないと、AAがなくなってしまう以上、そこでは伝統一(全体の福利)が優先されます。もちろん、その情報は、断り無く他に漏らしてよい情報ではありませんが、知り合いになるメンバーの広がりとともに、より沢山の人のことを知っていくでしょう。
ニックネームでミーティング会場を借りることは、まず無理でしょう。そうなると、社会に対して、どこかで本名と住所と電話番号の公開を迫られます。それが社会的責任というものです。

また、ミーティング外でも分かち合いをするために、電話をかけあったり、手紙やメールを交換する仲間も沢山います。また、新しい仲間がいつでも話し相手を求められるように、電話番号を渡す人もいます。

12番目のステップ(サービス)の分野では、AAは実名主義です。ニックネームでは郵便物は届かないですから、これは当然です。しかし、不要に個人情報が流出しないように、どこのオフィスや委員会でも配慮しています。AA内部の事務的な文書に(本人の了解さえあれば)個人情報が書かれても、それが売名行為であるはずもありません。もちろん、ニックネームですむ場合に、わざわざ実名を出せと強要されることはありません。
時には、このニックネームと実名主義の二層構造が、混乱と非効率を招いている場面もありますが、現状の日本AAはそれに甘んじています。

AAの先進国アメリカ・カナダでは、各グループ間の連絡用に「サービス・ダイレクタリィ」という冊子が毎年発行されています。これには、登録されている全グループのGSR(代議員)とその予備役(代理)のフルネームと電話番号が掲載されています。グループ間のコミュニケーションを密にすることが目的です。このダイレクタリィは、AAメンバーであると名乗れば誰でも買うことができます。AAは決して匿名主義ではありません。

もちろんこの例は、依存症に対する社会的な理解が広まった国であること、広報やオフィスや電話サービスが充実していることなど、いろんな条件に恵まれているからこそ実現できることです。今の日本で同じことはできないでしょう。たとえば、女性のGSR(代議員)の実名と電話番号をAA内部でも自由に閲覧可能にすれば、それを悪用する男性メンバーが出てくることは容易に予想できます。

初めてミーティングにやって来る人にとって、アノニミティに含まれる「プライバシーの保護」はとても大切なことです。多くの人たちが、自分が「アル中」であることを世間に知られることを恐れています。だから、「住所も名前も明らかにしなくてよい」「プライバシーが漏洩することはない」という約束は、その人たちに提供できる素晴らしい材料です。
新聞にメンバーの実名が載らないこと、テレビの画面に移ったメンバーの顔には必ずモザイクがかかっていること。それは私たちがどんなに無名性を大事にしているかをアピールするチャンスでもあります。

私たちも人間ですから、時に誤りも犯します。「アノニミティって何だろう!」もご覧ください。

アノニミティ(無名性)の本質は「名声や注目という報酬を受け取らないこと」です。僕達がニックネームを永遠に使い続けなければならない理由はありません。「私たちは、私たちを必要とする人を必要とする」のです。そのために、役に立つのならニックネームは使われつづけていくでしょうし、邪魔になるのならこの風習は廃れていくでしょう。

繰り返します。ニックネームがAAの特長なのではありません。アノニミティ(無名性)がAAの特長なのです。


洗礼名

ピーター神父の受洗名がペドロであり、その英語読みであるピーターを使っていたという可能性をご指摘をいただきました。だとすれば、彼は洗礼名という「本名」を使っていたのであって、ニックネームという意識はなかったかもしれません。残念なことに今となっては確かめるすべもありません。


注)個人がAAの外部でどれほど名声を得ようと、それはまったく問題ではありません。

注)英語によるミーティング(English Speaking AA in Japan)は、基地以外にも大きな都市を中心に日本全国に広がりつつあります。そこではインターグループ活動もサービスも行われています。 日本AAとは交流はありますが、今のところは言語の壁を乗り越えられずに、ひとつにはなれていません。

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