心の家路
やりたかったわけじゃないけれど

〜 会場を借りて、グループを始めた話 〜

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スポンサーから 「自分の住んでいる街に、ミーティング会場を作れ」 というサゼッション(提案)をもらったのは、僕がホームグループに舞い戻ったときでした。

スリップ(再飲酒)する前から、同じ提案を貰っていたのですが、当時は内心 「酒が止まったら、早く AA とはオサラバしよう」 と思っていたので、あいまいな返事でごまかしていました。 でも今回は 「(人生を再建するために)真剣に AA に取り組んでみる」 と公言した後でしたから、提案を受け入れるほかはありませんでした。

彼はこうも言いました。 「ミーティング場を開き、それを維持していくのは確かに大変だよ。 けれど(飲まないために)大きな力が貰えるんだ」。 それはスポンサー自らが実践してきた行動そのものでしたから、かなり説得力がある言葉でした。

さて、ミーティング会場の作り方なんてものを、具体的に教えてくれるパンフレットは AA にもありません。 知らないことだらけで怖気づいていた僕に、スポンサーがくれた提案は 「来月の地区集会に出席して、皆に相談してみなさい」 でした。

地区集会とは、当時県内に4つあった AA グループのメンバーが、月に一回集まり、いろんな問題を話し合い、経験を分かち合う会合です (現在は地区委員会)。 そこで、自分の住んでいる街にグループを作り、ミーティングをやりたい、と話してみました。

ほとんどのメンバーは賛成してくれました。 会場が増えれば、助かるアル中の数も増えるからです。
一人だけ 「反対(というか慎重論)」 を言ったメンバーがいました。 せめて今のホームグループで1年のソブラエティを経てからのほうが良いという理由でした。 もし、新グループの唯一のメンバーである僕が、またスリップしてしまったら、どうするのか? 自分の経験を踏まえた彼の話には説得力がありました。

さて、 AA は組織化されず、誰も他のメンバーに命令はできない原則があります。 集会での賛成・反対の数とは、まったくかかわりなく判断は僕自身がしなくちゃなりません。

それはともかく、会場を開くのに必要な物資の一覧を書いてくれたメンバーがいました。

最後のやつが一番やっかいです。 AA の全国ミーティング場一覧を見ると、半分ぐらいはキリスト教系の教会でやっています。 残りの半分は、公民館・福祉センターなどの公的施設です。

教会でやることの利点は、お盆やお正月の期間にも休みにならないことです。 お酒に触れる機会が増える時期に、ミーティングがお休みになるのは、あまり良いことではありません(そのかわりクリスマスに使えませんが)。 また、申請や会場予約などの面倒な手続きが要らないのも魅力です。 欠点は、AA が宗教活動と混同される可能性が高いことです。 そして、そうでないことを明確にするために、会場使用料を支払う必要があります(実際には教会側の好意で無料で借りてるところもあるでしょうが)。
公的施設の利点・欠点は、教会の裏返しです。 盆正月は休みになるし、会場で何か公的な催し(文化祭とか展示会とか)が行われると、そちらが優先されてしまいます。 予約や申請が毎回必要だったりします。

ぐずぐずしているうちに、一ヶ月が過ぎました。 ある日、妻が激しい腹痛を訴えたので、近くの医院で診てもらったところ、「おそらく盲腸炎だろう。 しかし妊娠している可能性が高い」 と診断されました。 そのまま大病院の救急へ転送され、入院してしまいました。 彼女のことは、義父母にお願いするにしても、自分の身が不安でたまりません。 はたして、アパートに一人で暮らしていて、飲まずにいられるでしょうか? いまここでスリップしてしまったら大変です。

ビッグブックに書いてある 「ほかのことがみんなうまくいかなくても、これには効果がある」 という言葉を思い出しました。 第7章 「仲間と共に」 の先頭の部分です。

 「やるしかない」 嫌々ながら、そう決心しました。

まずは主治医の先生に相談してみました。 保健所の保健婦さんの名前と、近くのプロテスタントの教会の牧師さんの名前を教えてくれました。

話は横にそれますが、会場選びにあたって、僕の希望は 「駐車場がたくさんあること」 「車がない・乗れない人のために、なるべく駅の近く」 「場所の説明が簡単なこと」です。 教えてもらった教会のほうは、どの条件からも外れていましたから、後回しにすることにしました。

会社から一日休みをもらって、保健所にでかけました。保健婦さんは不在で、かわりに課長さんが面談してくれました。 僕の説明を一通り聞き終わったあと、課長さんが最初に言った言葉は 「助成金は出せませんよ」 でした。 どうやら、それが目的だと勘違いされたようです。 AA はメンバーの献金によって運営されていて、他のどこからも金銭的援助を受けないことを説明し、望みは 「どこかの施設の一室を、毎週一夜貸して欲しい」 ことだと伝えると、課長さんは 「残念ながら、この近くには県の施設で夜間開いている場所がないので、ご希望には添えない」 と冷たく言い放ちました。 が、僕の落胆の表情があまりに酷かったのでしょうか、「かわりに、市のほうに紹介するので、そちらをあたってみたらどうか」 と提案してくれ、市役所に電話もかけてくれました。

さて、市役所で市民健康課の課長さんを相手に、同じことを繰り返しました。 ここでも「助成金は出せない」 と最初に言われました。 どうやら、AA の説明から始めるよりは、何を望んでいるかから始めたほうが良さそうです。 僕の望んでいる3条件を満たす公民館が、幸いひとつだけありました。

その公民館に移動して、館長さんに、この日3度目の説明を繰り返しました。 「○○公民館でやってる断酒会と同じようなもんかい? だったら、利用料の減免申請をだせば、通ると思うよ」 と言われ、書類を渡されました。 1ヶ月半ほど先からの会場の予約を済ませ、外へ出ると、すでに夕方になっていました。 1回あたり千円近くする利用料が無料になるというのは、預金通帳の残高がゼロ付近をさ迷っていた僕には、とてもよい知らせでした。

セントラルオフィスにハンドブックとメダルを注文しました。 コーヒーやらポットやらをスーパーで買い揃え、コップなどは100円ショップで安くあげたつもりでも、結局総額を計算すると1万円近くになったでしょうか。

 「そのお金はいったい誰が負担するの?」 と退院してきた妻に聞かれ、
 「新グループの献金から出す。そしてグループのメンバーは今のところ僕一人だ」
と答えると、彼女の機嫌はだいぶ悪くなってしまいました(^^)。

その頃は、スポンサーがちょくちょく電話をかけてきてくれました。 彼は、僕と話すよりも、僕の妻と話している時間のほうがずっと長かったでしょう。 その中で、僕がどんなに AA を必要としているか、会場を開くための経費がどれほど今後の人生の役に立つか、巧みに話をしてくれたようです。 何の実績もない僕よりも、長いソブラエティを得た彼の言葉のほうが、どれほど説得力があったでしょうか。 そして、受話器が僕に手渡されると、「あなたとは、ミーティング場でゆっくり話そうや」といって、すぐに切ってしまうのです。

手書きで地図を作り、知っている限りの場所に郵送しました。

忘れもしない7月15日。 公民館の部屋に、県内のほとんどの AA メンバーが集まってくれました。 ミーティングハンドブックを数十部くれた人。 メダルをプレゼントしてくれた人。 近くの病院のケースワーカーも熱心な人で、数人の患者さんを連れてきてくれました。 にぎやかなミーティングでした。

都合でこれなかったメンバーは、翌週に顔をだしてくれました。
しかし、その次の週から、ぐっと減りました。

いろんな人の話を聞くと、それでも僕はだいぶ幸運だったようです。 始めてから半年間ひとりだけのミーティングが続き、施設側から「一人のために会場を貸すことはできない」 と苦情を言われた人の話も聞きました。 AA の月刊誌の巻末には、新しくできたグループの紹介の次に、閉鎖された会場のお知らせが載っています。 それが現実なのです。

僕の場合には、その数年前からいろんな AA メンバーたちが、この街へやってきては、12番目のステップの活動を続けてくれていました。 そういう意味では、すでに耕され、種も蒔かれた地面に、僕はただ水をやっただけなのです。

峠を二つ越えた場所にあるグループのメンバーは 「1年間、月に一回はかならず来てあげるから」 と約束してくれ、実際に実行してくれました。 高速道路を1XXキロで飛ばして、しょっちゅう来てくれる仲間もいました。

病院からは患者さんが訪れ (彼らは退院すると来なくなるのが常でしたが・・)、僕と同じクリニックに通っていたメンバーも、退院のその日に、大きな荷物を沢山抱えたまま、病院から直行して来てくれました。

メンバーが順調に増えた時期もありました。 90分のミーティングで、全員が話せないことも多くなり、「まるで都会の AA だね」 なんて言ったこともあります。 最初に紹介されたプロテスタントの教会に、別会場を用意した時期もありました。 チェアマンの役割から開放された時は、ほっとしたものです。

しかし、良いときがあれば悪いときもあります。 メンバー数ががぐっと減り、会場の維持だけで精一杯という時期もありました。沸かしたお湯をすべて捨てて帰るのは寂しいものです。 一人だけのミーティングでは、仲間の言葉を思い出します。

「俺たちは仲間だ。 友達でもなければ、知り合いでもない。 仲間だ。 同じ12のステップを踏む仲間だ。 どんなに距離が離れていても、見ず知らずでも、仲間は沢山いる。 だからもう孤独じゃないんだ」。

今日も一人だろうなぁ、と思って、時間つぶしのために本を用意していくと、ポツリホツリと、戻ってくる仲間あり、新しく来る人あり、にぎやかさを取り戻していきます。

「僕が行かないとミーティング場が開かない」 と思うと、自分が強く必要とされていることに誇りを感じたりします。 そんな気持ちには、こんな言葉があります。「AA はあなたを必要としていない。 あなたが AA を必要としているのだ」。
仕事場からミーティング場に直行し、会場を閉めて仕事に戻るときもあります。 もう少し楽をしたいなぁ、と思うこともあります。 そんな気持ちには、こんな言葉。 「AA からの要請は断ることができない。 なぜなら今あなたが持っている時間は、AA から与えられたものだから」。 そうだね、あのままだったら、僕はとうに死んでいたよ。 それが今は、いろんなものに恵まれている。 第6章の12の約束は果たされつつあります。

それでも、この気持ちだけは変わりません。 「もっと沢山の仲間がほしいよぅ」。

付記

(この項終わり)


注釈

原則:

全体サービスという共同作業の分野では、この原則は違った意味を生ずるのですがね。


月刊誌:

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