心の家路
空と君のあいだに

ソブラエティ1年目。ミーティング場に若い女性がやってきた。

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2006-05-20 

一生忘れないと誓ったはずなのに、完全に忘れていました。
顔も忘れ、名前も忘れてしまいました。
憶えているのは、彼女が若い女性だったことぐらい。
確か27か28才だったはずです。

彼女がミーティングで姓を使っていたのか、名を使っていたのか、それともニックネームを使っていたのか、それすらも思い出せません。姓は確か静岡の地名で、それで呼んでいたような気がします。
なにせ彼女と一緒にミーティングをしたのは、両手の指で余る回数しかありません。あまりプライベートなことはその当時も知りませんでした。

僕がAAで酒をやめ始めて半年ぐらい経った秋でした。
いつもいつも同じメンバーで、うんざりするぐらい同じ話の繰り返しだったミーティング会場に、彼女は突然やってきました。

今でも長野県内のAAミーティング会場は多いわけじゃないですが、当時は毎日ミーティングに出たければ、それこそ車で飛び回る必要がありました。

「遠くの会場へ行けば、遠ければ遠いほど、大きな力がもらえるよ」

その言葉は、なるべくミーティングに数多く出てもらうために、新しい人に渡す「あめ玉」でした。そのあめ玉にはいささかの真実が含まれてもいます。回復は理屈じゃない、足で稼ぐほかはない部分があります。

地元のAAグループのメンバーにその言葉を贈られて、彼女はほかのグループのミーティング会場にも通うようになりました。最初は川に沿って下流にあるグループへ、またその下へ・・。
やがてそれだけに飽きたらず、峠を二つ越えて、僕の通っているミーティング会場にもやってきました。峠を越えてやってくるメンバーは珍しくなかったですが、今まではみんな男性でした。若い女性が、夜の峠道を何十キロも走ってやってくるのは初めてでした。

当時の長野のAAといえば、男ばかりでした。年齢も僕が一番若く、おじさん(失礼)ばかりでありました。断酒会に比べればAAは年齢層が若く、独身者が多く、女性が多いことになっています。ときおり県外からやってくるAAメンバーの中には、女性もいれば、僕より若い青年もいました。当時も全国的に見れば「若い・独身・女性」という傾向はあったのかもしれませんが、ともかく長野のAAは男ばかりでした。
僕のスポンサーは、奥さんもアルコホーリクという、AAメンバー同士の夫妻でした。その奥さんが毎回ミーティングに出ていたのが「紅一点」と言えました。ときどき子供もいる主婦のアルコホーリクが、その女性の話を聞くために訪れましたが、独身女性のアルコホーリクには会ったことがなかったのです。

そんなところへ彼女はやってきました。

一緒にミーティングをやって、

(素敵な人だな)

と思いました。まあ、独身女性に免疫がなかったのだから仕方ないです。

彼女はアルコールだけじゃなくて、若い女性が抱えがちな問題も抱えていました。それに精神科医に通っていて薬も飲んでいました。その薬を飲んでいることにも、僕は親近感を持ちました。当時のAAには、「向精神薬を飲みながらのソーバーなんて、そんなのソブラエティじゃない」という風潮が強く、僕は少数派の悲哀を味わっていたのであります。

彼女は小柄で、髪が長く、痩せていました。顔が美人だったのかどうかは思い出せません。
家庭の事情が複雑であるようでした。


僕は彼女がやってくる会場に行くのが楽しくなりました。彼女がやってくればその晩はとても楽しいのでありました。やってこなくて空振りに終った晩は、次はきっと来るよと自分を元気づけていました。

不安定だった彼女のソーバーも、ミーティングを重ねるごとに安定していきました。それが自分のことのようにうれしかったです。

「毎晩ミーティングに通う日が続いていて、昔の自分にはこんな生活考えられないことだし、友達にも打ち明けられないんです。でも何か新しい自分が始まっている気がして」

そんな彼女の話に「うんうん、よかったよかった」とうなずいたりしていました。
実のところ彼女のAAの関わりには少々ムラがあって、毎日ミーティングに熱心に通う日々が続いたかと思うと、みんなが心配になるぐらい顔を見せないときもありました。

やがて冬がやってきました。雪が降るようになると、峠を越えてミーティングに通う人は減ってしまいます。今より確かに道は悪かったのです。「酒を飲んで(スリップして)死ぬヤツはいても、ミーティングの行き帰りでスリップ事故を起こして死ぬヤツはいない。神様が守ってくれる」。そんなことを言いましたが、現実には冬場には交流が減り、暖かい時期に増えたメンバーも減るのでした。そういう僕も、AAのビジネスミーティングでしか峠を越えませんでした。
最後に彼女の顔を見たのはいつだったっけ、はたして元気でいるだろうか、そんなことを思うぐらい顔を合わせませんでした。

僕の妻が第一子を出産し、なにかとあわただしくお正月が過ぎていきました。

どういう理由で始まったのか忘れたのですが、AAメンバーで集まってスキーをやろうという話になっていました。僕はといえば、妻と交際を始めてスキー場に初めて連れて行ってもらい、ゲレンデの上からどんと背中を押されてスキーを覚えて2シーズン目でした。初心者だけれども、どんどんスキーがやりたくてしかたない時期でした。菅平高原で一泊二日と決まり、チラシを作って仲間が広報しました。
スキーのできる、スキーのやりたいAAメンバーは限られているし、新潟でも金沢でもスキーの企画はやっていましたから、それほど大きなイベントにはなりませんでしたが、二十数人集まったでしょうか。

初めての子供が生まれたばかりだったし、低体重児だったし、心配事はつきなかったですが、そんな事情はみんな振り切って僕は出かけていきました。お金はもう払っちゃってあるんだから、行かなければ損だという理屈であります。実のところ、久しぶりに彼女の顔を見られるのが楽しみで楽しみで、参加を取りやめるなんて考えもしませんでした。


お昼に集まってホテルに荷物を預け、夕方まで各自スキーを楽しむという段取りでした。
ところが彼女は「私は行かない」と言うのであります。ほとんどスキーはやったことがないし、板もウェアも持っていないからできないと言うのです。
そんな物は借りれば済むことだし、第一やらなくては上達しないよと誰かが説得して、みんなでゲレンデに向かいました。上から下まで全部レンタルの手はずがついて、初心者用のゲレンデの上から下まで一回滑り降りるまでは、みんなが付き添って面倒を見ていました。
が、スキーのうまい人ばかりで、しばらくすると皆は上級者用のゲレンデに移っていってしまい、いつの間にか僕と彼女の二人だけ取り残されました。

仕方ないので二人で半日滑りました。
だんだん彼女もスキーがうまくなって楽しめるようになりました。
ペアリフトにも乗りました。
滑る周期がずれて、リフトに乗った彼女が、僕が滑っている頭上で手を振って呼んでくれたりしました。転んでいる彼女を、僕が滑って行って助け起こしたりなんかして、彼女はどう思っていたか知りませんが、僕としては気分は恋人同士です。全身黄色のレンタルウェアの彼女は、ゲレンデのどこにいてもよく目立ちました。
時々上級者用ゲレンデから誰かが様子を見に来ても、「大丈夫、大丈夫」と言って追っ払いました。
何より楽しかったのは、彼女が楽しんでいる様子だったからです。

「ひいらぎぃ、こんなに楽しいのは生まれて初めてだよ。生きていて良かったなぁ」

そう言って笑った笑顔を一生忘れないと誓ったはずでした。
また来年も一緒に滑ろう。
君には幸せになって欲しい。それが僕の役目じゃなさそうなのは、ちょっと残念だが。
そんなことを思った記憶があります。

夕方になってナイターへの切り替えのアナウンスがあり、みんな大松の麓に集まってきていました。
ところが彼女の姿が見あたりません。どこへ行ったのか。トイレなんじゃない? そんな話をしながら待っていました。
彼女が2〜3人の男たちに囲まれて滑り降りてきました。遠目にも顔色の悪いのがわかりました。

「あっちに仲間がいるから」

そう言った彼女に、「すかしてんじゃねよ、ブス」と男たちが罵声を浴びせて去っていきました。

「どうしたの?」
「ひとりでいたら、絡まれちゃって、無理矢理誘われちゃって」

泣きそうでした。いや泣いていたのかも知れません。

守ってあげられなくて、ごめんなさい。そう言って謝らなければいけないはずでした。一日一緒に遊んでもらって、最後にドジを踏んでしまったのは僕でした。
でも、僕は心の中で彼女を守れなかった言い訳を必死で探しました。(ひとりでふらふら、どっかへ行っちゃった君が悪いんだよ)・・これは責めてるみたいでまずいな。
そういえば妻と一緒にスキーに行ったとき、彼女は同じような状況を「あっちに旦那がいるから」と言って追い払っていたっけ。

「そう言うときはさぁ、下に彼氏とか、旦那が待っているって言えばいいんだよ」

僕が言ったのはそんな言葉でした。結局彼女が悪いみたいな言いぐさです。もちろん何の慰めにもなりませんでした。
みんなで大丈夫だからと安心させて、宿へ帰りました。


夕食・お風呂・男女に分かれてAAミーティング・コーヒーを飲みながら雑談です。
イベントだと必ず夜更かしをする僕も、この日はスキーの疲れで早々と寝てしまいました。

翌日は午前中滑ってお昼に解散の手はずです。ホテルはチェックアウトしてしまうので、荷物は自分の車に積んでしまいます。ゲレンデに散ってしまったら、あとは集合しないので、はぐれたらおしまいです。

僕は彼女と二人で滑る気満々でしたが、さすがに昨日の夕方の事件でみんな心配になったのか、朝からみんなで集まって滑っていました。ゲレンデじゃなくて林間コースを滑ったりして結構楽しかった。でも、やっぱり少しうまい人は初心者用コースはつまらないのでしょう、だんだん人数が減っていきました。結局、人のいいおじさん(失礼)のNさんと3人になりました。

白金から、表太郎を抜けて、日の出ゲレンデへ。彼女とNさんの後をついて行ったつもりだったのですが、途中ではぐれました。僕は表太郎の上級者コースへ紛れ込んでしまったのです。最大斜度30度。道を間違えたと気がついたときには、もう上へは戻れません。文字通り転がるようにして麓まで降りました。スキー板を吹っ飛ばしながら転がっていくと、哀れに思うのか上級者の人が板を僕のところまで持ってきてくれるのでした。それでまたスキーを履いて転がって・・・。
リフトでまた尾根まで上って二人を捜すのですが、なにせ周囲は中・上級者コースばかりです。また紛れ込んでは先ほどの二の舞をしてしまうのでした。

麓でどうしたものか途方に暮れていました。僕のPHSは圏外で使い物になりません。そうこうするうちに、スキーは手練れとして知られているSさんが、脇腹を押さえながらスキーを車に積んでいるのに出会いました。話を聞くと、転んで止まらず、支柱にぶつかったので医者に行くんだそうです。

「いやー、死ぬかと思った」

それを聞いて僕は、もう一度中・上級者コースに入る危険は犯せないなという気持ちになりました。肋骨にひびが入っていたそうです。

集合する予定はなかったものの、ホテルの前でタバコを吸っていると、三々五々みんなが集まってきました。彼女はNさんとコーヒーを飲んでいたそうで、「ひいらぎも、私たちを見捨ててどっかへ行っちゃったでしょ」と言われました。おやおや。

ともかくイベントはそれでおしまいで、「また会いましょう」、「うん、ひいらぎ、またね」、「ミーティングで会いましょう」。そう言って別れました。

また春になれば彼女も峠を越えてくるだろうし、僕も行くことにしよう。また一緒にミーティングができるだろう。そう信じていました。
彼女も回復して、いずれ男ができるのかも知れないし、結婚するのかも知れない。それを考えるとちょっと淋しい気がしました。僕は結婚するのをちょっと早まったかなぁと後悔しました。が、もうしばらくは、また遊んでもらえるかも知れない。AAライフは少し楽しくなりそうな予感がしました。
しかし、彼女と会ったのは、結局それが最後になりました。

2週間後か3週間後。2月になっていました。
夜10時か11時頃でした。突然僕のAAスポンサーから電話がありました。
「みんな死んでいってしまうな。俺は悲しくてやりきれないよ」
スポンサーはなんだか悲しくてやりきれないという声で、彼女の死を伝えてくれました。
僕はなんだか信じられない気持ちで、「早くこの電話を切ってくれないかな」とぼんやり考えていました。悲しいという気持ちは不思議とわいてきませんでした。
スポンサーはそれ以上の情報は持っていませんでした。


眠れなくて、彼女のいたグループのメンバーに電話をしました。彼は少しは詳しいことを知っていました。
原因は処方薬の飲み過ぎ。自殺するような原因は家族に思い当たらないので、事故ではないかということ。死に顔は安らかだったそうで、お母さんが「あの子は十分苦しんできました。もうこれ以上苦しむこともないのでしょう」と言っていたこと。
それぐらいを教えてもらいました。

「僕の責任です」

電話の向こうで、そのメンバーは自分を責めていました。
そんなことはないはずだ。そんなことはあり得ない。でも、僕はその理由を聞くのをためらいました。そうだあんたが悪い。僕が悪いんじゃない。僕のせいじゃない。だから、あんたが悪くないかも知れない理由は聞きたくない。僕は電話を切りました。

10年経ったら、その人がなぜ自分が悪いと思っているか聞いてみよう。そんなことを考えました。

春が来ても、彼女はミーティング場には現れません。
そうしてようやく、彼女がこの世の中からいなくなってしまったことを実感しました。

(なんで死んじゃうんだ。生きていて良かったって言ったばかりじゃないか)

君のくれたものは一生忘れない。君のことも一生忘れない。時々はミーティングでも話す。そう自分に誓いました。僕が君を忘れなければ、君は本当にはいなくならない。だから線香を上げに行く理由はないはずだ。

自分した約束どおり、僕は彼女のことをたまにミーティングで話しました。でも、次第にその間隔が延びていって・・・、いつしか彼女がいたことすら忘れてしまいました。

電話の向こうのメンバーは、事情があって長野を去りました。
10年は経っていませんでしたが、9年後、長野で開かれたオープン・スピーカーズ・ミーティングの壇上で彼が話をしてくれました。その中には、彼女にまつわる話もありました。

思い出しました。
彼女のことを。10年後に聞こうと思ったことも。

逆に言えば、それまですっかり彼女のことは忘れて暮らしていたのです。

彼女がやってくるのが、あと何年か遅かったら、結果は違っていたのかも知れない。考えても仕方ないと思いながらも、そんなことを思います。
生きていて欲しかった。
僕のことは嫌いになってくれても何でも構わないから、生きていて欲しかった。
だって、死んでしまった人間のことは、どうしても忘れて生きていってしまうから、だから生きていて欲しかった。
それだけです。

翌年のスキーの集いには、子供をジジババに預けて、妻と一緒に出かけていきました。
妻は、「こんなに楽しいのは生まれて初めて」とも「生きていて良かった」とも言いませんでした。
それ以来、スキーの集いには行っていません。
なぜ行かないのかすら、忘れていたのですから。

(おわり)