雑感(2) iPhone続き・情報源の記載・ガラケー

表示が遅い件、解決しました

昨年末に「iPhoneで表示が遅い」という話を書きまして、情報を求めましたところ、コメントやFacebookやTwitterで情報をお知らせいただきました。おかげをもちまして、なんとか解決できましたので、まずはその御礼を申し上げます。大変助かりました。ありがとうございました。

iPhone使いの人たちから表示が遅いと言われたときには、「iPhoneのSafari のバグなんじゃないの?」ぐらいに思ってたんですが、「Google Chrome でも遅い」という情報で自分のミスに気がついた次第です。iPhoneに限らず、条件次第でAndroidでもPCでも起きる現象でした(大恥)。

対策ついでにトラフィックを減らす工夫も施したので、だいたいのページは2~4秒で表示されるようになったのじゃないかと思います。

他にも変なところがあったら教えていただけると助かります。(昨日は誤字の指摘をいただきましたが、そういうのも助かります)。

脚注

話は変わって、リニューアル後の『心の家路』にはあちこちに脚注が入っていることにお気づきでしょうか。1) 脚注のほとんどは情報源の文献情報です。

最近欧米では(学術書だけでなく一般書でも)情報源を示さない主張は議論に値しないという風潮になっているようで、一般向けの解説書でもたくさんの脚注と巻末の参考文献リストがつきものになってきています。

何を主張しようが個人の自由ではありますが、その人自身の経験を根拠しているのか、それとも何らかの情報源を根拠にしているのか。ではその情報源はどれぐらい信用できるのか。それを評価するのに出典を示すことは大事なのでしょう。

それに、読み手が「もっと詳しく知りたい」と思ったときに、どんな本を手に入れて読めば良いのか、どんなサイトを見れば良いのか情報が提供されていれば、それを頼りに探すこともできます。

何より、僕自身が調べ物をするためにネットを検索すると、自分の昔の文章がヒットすることも多いのです(汗)。それを読んで、自分は何を根拠にこれを書いたんだっけ・・・とすっかり忘れていることも珍しくなく、だから、脚注に情報源を書くのは、将来の自分のためでもあります。

ガラケー対応諦めました

DINGO2での表示
DIGNO ケータイ2での表示

さらに話は変わって、『心の家路』のリニューアルをする時に悩んだのが、携帯電話(いわゆるガラケー のサポートをどうするかでした。現在でもガラケーは販売されていますが、2016年頃からその中身はAndroidになっていてガラホ と呼ばれています。そのブラウザを使えば『家路』を見ることもできます(右図)ので、これは悩みの対象ではありません。

問題は2015年以前に発売された、Symbian OS とかKCPをOSに使っているガラケーです。これはブラウザに表示できる容量も少ないので、以前の『家路』では携帯電話(いわゆるiモード)用のページを別に作ってありました。それを見に来る方もかなり大勢いました。

だから、リニューアルにあたって、スマホでもガラホでもない、旧いガラケーでの表示をどうサポートするかが悩みどころでした。

結論としては、旧ガラケーのサポートは諦めました。ほとんどニーズはないだろう、という判断です。以前にガラケーを使っていた人たちも、多くはスマホやガラホに移行したでしょう。もちろん5年以上前のガラケーを使い続けている人たちもいるでしょうが、そういう人たちは通話とメールの利用が主で、携帯電話でウェブを見ることは少ない(見てもキャリアのサイトぐらい)のじゃないでしょうか。すでに大手のニュースサイトや通販サイトで旧ガラケーへの対応をやめてしまっていることも考え合わせると、サポートを諦めるのが現実的な選択だと考えたのです。

逆に携帯電話での表示を「切って捨てる」ことで、リニューアルへの踏ん切りがついたとも言えます。それまでは、ガラケーでの表示をどうするかを解決できずに、リニューアルの意欲が削がれていたのも確かです。

実のところWordpressで旧ガラケーのサポートも「やればできる」のですが、僕の手元に動作する端末がないので動作確認ができないのです。どなたか、WiFiが動作する旧ガラケーの要らない端末を譲って下さればサポートができるかも・・・。

シンビアンの教訓

エンジニア以外の方は興味がない話題でしょうが、携帯電話で大きなシェアを握っていたSymbian OSというOSが廃れていったのは、対抗馬として登場したAndroid への対応に焦り、過剰反応してビジネスモデルを変えてしまった結果「自ら転んでしまった」という記事がありました。

ライセンスを買った人しか使えないというビジネスモデルだったものを、オープンソース化することで、誰でも自由に利用でき、誰でも開発に参加できるようにして普及させることを狙ったわけですが、逆に品質の低いコードが混じることで有用性が失われ、廃れてしまったというわけです。

例えばLinux は広く普及しているオープンソースのOSで、多くの人が自発的に開発に参加していますが、そのカーネルのコードは、いまでも最初の開発者のリーナス・トーバルズ(Linus Benedict Torvalds, 1969-)が管理し、品質に責任を持っています。それによって有用性を維持しているからこそ、広く普及し、Androidのような派生を生んだわけでしょう。

品質を保とうと思えば普及しないし、普及させようとすれば品質が落ちる。このジレンマはソフト技術に限らず、様々な分野に共通する悩みのように思います。当然12ステップの世界でも・・・。

次回は「医師の意見」です。


  1. 脚注とは、つまりこれです。[]

2020-03-05その他,日々雑記

Posted by ragi