ビル・Wに問う (1) 病気と道義的責任

Q1: アルコホリズムを病気と見なし、道徳的責任とは見なさないことがなぜ正当なのか(疾病概念について)

A1: 初期のAAの歴史の中で、極めて自然な疑問が神学者たちから提起された。その一人は、The Return to Religion(Macmillan Co., 1937)を書いたヘンリー・リンク(Henry Link)だった。ある日、私は彼からの電話を受けた。彼はアルコホリズムが病気だというAAの見解に対して強い異議を唱えた。そのような概念は、アルコホーリクから道徳的責任を取り除いてしまう、と彼は感じていた。彼はそれまで精神科医たちに対するこの不満をAmerican Mercury誌で発表していたが、こんどはAAに対する批判を始める、というのだった。私は手短に、AAは病気という概念をメンバーの道義的責任を免責するために使っているわけではないことを説明した。それどころか、致命的な疾病だという事実を、病人に最も重い道徳的責任を課すために使っているのである。それ以外にも、飲酒の早い段階においてアルコホーリクがしばしば行った無責任な行為や暴飲について有罪であることは疑いない。だが、強迫的な飲酒の時期になると、真の狂気が訪れ、自分の行動に責任を持つことが難しくなっていくのだ。狂気が彼に飲酒を強要するようになると、何をしてもあらがうことができなくなり、アルコールに対する身体の過敏性が増大してきて、それが最終的な狂気あるいは死をその人に運命づける。このような事態を指摘される段階に至っているのであれば、たちまちその人はAAの「12ステップ」と名付けられた道徳的かつ霊的な再生のプログラムを受け入れるように最大限のプレッシャーをかけられる状況に置かれる。幸いなことに、リンク氏はAAがアルコホーリクの病気に使っているこうした見解に満足してくれた。このことについて考えたほとんどすべての神学者が、こうした初期の考えに同意してくれたと言えるのは嬉しいことである。ほとんどのケースにおいてアルコールに関する自由意志が実質的に失われていることは明らかであるが、他の領域についての自由意志はたっぷりと残されていることに私たちAAメンバーは注目する。AAプログラム(12ステップ)を受け入れ、実践するためには、たくさんの意欲と、意志による多くの努力が必要になる。アルコホーリクの意志による多くの努力と、神の恵みが調和したとき、飲酒への強迫観念 が除去されうるのである。(Blue Book, Vol.12, N.C.C.A.1), 1960)


  1. National Clergy Conference on Alcoholism — 1960年代に聖職者がアルコホリズムに焦点を当てて開いていた協議会。[]

2024-03-19

Posted by ragi