ビル・Wに問う (4) AAを確実に存続させるために

Q4:AAを確実に存続させるためにはどうすればよいか?

A4:有史以来、数多くの集団や国が論評の対象となってきました。偉大な集団が歴史に善なる足跡を残したこともあれば、対照的に邪悪な足跡を残したこともありました。そうした集団は歴史観を常に備えていましたし、真正で至高で不変な目的も備えていましたし、また運命観というものも常に備えていました。

この世界の歴史に輝く功績を残すことに失敗した集団は、誤ったあるいは自画自賛の歴史観を常に備えており、間違ったあるいは不適切な目的を常に備えており、また無限の、輝かしい、独占的な運命があるという推定を常に備えていました。

歴史に有益な功績を残せた集団が備えていたのは、プライドや栄光という歴史観ではなく、過去の経験から学ぶという誠実さでした。またそうした集団は真実で不変の目的を備えていましたが、自分たちがすべて――あるいは究極の真実をつかみうるとは想定していませんでした。また運命観については、うぬぼれることなく、その社会・国家・文化が永続し、より高い栄光へ進んでいくという推定はしませんでした。であるものの、この世界を改善するために神意によって示されたその集団の運命が何であれ、果たすべき義務感を常に備えていました。

これこそAAが立たされている岐路です。私たちがAAの歴史をどう見てきたか、どれだけそこから良いものを得てきたか、歴史からどんな誤った洞察や誤った誇りを引き出してきたせいで私たちの未来に損失を与えたか、いまこそ再評価すべき時ではないでしょうか。これは私たちの集りの目的を考察する良い機会です。そう、幸い私たちはその目的をたったひと言で言い表すことができます。それはソブラエティです。

ですが私たちは容易に見て取ることができます。アルコールをまったく飲まないというソブラエティは、私たちの飲酒の底に潜んでいる誤った動機を鎮めるソブラエティなしには獲得できないことを。

かつて12ステップが作られたとき――それは何ら実際の経験によるものではなく、ある「導き」によってでしたが――その広い意味の中に、私たちはソブラエティへの鍵を与えられました。私たちは目的が具体的に定義されていることの恩恵を受けてきました。ですが、具体的であるからこそ、私たちはそれを乱用したり誤用する可能性があるのです。

ときに私たちはこう考えるようになるでしょう、聖書に書かれているとおり、先にいる者が後になり、後にいる者が――それは私たちのことですが――先になるのだ、と(訳注:マタイ書20:16)1) しかし、これはたいへん危険な推定であり、決してそれに溺れてはいけません。もしそんなことをしたら、私たちは真実を独占している、あるいは愛と調和で協同しようと考えている他の人たちよりも、自分たちがずっと優れているという、あまりに軽率な仮定に立ってしまった歴史上の様々な集団と同じ道を辿ることになります。

私たちの運命が、今日一日を生きるという私たちの原理から外れないように、気をつけていましょう。それはつまり、それぞれが個人の生活の中で、過去の栄光や、現状や、未来の見通しについて感情的な不平を持たないことです。私たちは今日の課題に関心を向けるべきですが、それだけでなく、歴史の教訓からより多くの真実をつかむよう務めなくてはなりません。私たちの成功からではなく、私たちの欠点から、失敗から、自らに解き放ったあの恐ろしい感情から真実をつかむべきです。それらこそが、アルコホーリクス・アノニマスというささやかな道具を鍛造するために神が使った原材料なのです。ですから私たちは運命について考えるべきでしょうし、自分自身についてそれを問わねばなりませんし、若干の推測もしなければならないでしょう。私たちが神の役を演じるのをやめるべきだとするなら、そうするべきでしょう。(1961年ゼネラル・サービス評議会)


  1. マタイによる福音書20:16「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」についての解説はネット上に多く見つかるが、例えば『サザエのお裾分け』(2015) あたりが参考になるかもしれない。[]

2024-03-19

Posted by ragi