ビル・Wに問う (10) 12の伝統の起源

『ビル・Wに問う』の第10回です。


Q10:12の伝統ができるにはどんな事情があったか?

A10:ジャック・アレキサンダーが1941年に記事を書いてから1)というもの、そのおかげで私たちのニューヨークのオフィスにはアルコホーリクやその家族や、あるいは雇い主たちからの半狂乱の問い合せの手紙が、洪水のように何千通と押し寄せました。その時こそ、私たちの幼年期が終わり、次の段階——青年期が始まったのでした。

青年期というのは、いろいろと問題を起こす若い時期のことを指すわけですが、それは全国各地で形を成しつつあったAAグループにとっても例外ではなく、グループはすぐに問題に巻き込まれました。私たちは、飲んだくれをしらふにしたところで、その人がたちまち聖人になるわけではない、という悲しい発見をしました。時にはひどく怒りっぽくなり、飲んでいた方がまだ良いのではと思えたこともありました。私たちの多くは、激しく怒りながらしらふを続けていました。気がつくと私たちはリーダーシップと名声を巡るあらゆる争いに巻き込まれていました。実に多くの仲間が、ウィルソンという奴は出版社を運営して、金持ちのロックフェラー氏と裏取引をしているに違いないと、疑いの目を向けていました。そういった類のトラブルがどこでも起き始めていました。

そこに——必然的に——金銭が関わってきました。金がなくても会場を借りなければならず、本にもコストがかかり、たまには夕食も食べないとなりません。そう、金が絡んでくるのです。

それからグループが様々な雑用をこなさないとならないことも徐々に明らかになりました。誰がチェアマンになるのか、それは任命制なのか、それとも選挙で選ぶのか。皆さんはそれがどんなトラブルをもたらすか、この計器飛行の時期に私たちがどれほど怯えていたか、お分かりでしょう。計器飛行の最初の時期には、個人が一つに統合されるかどうか、その人の中にある破壊の力を食い止め、制圧できるかどうかが大事でした。青年期の入り口に立った私たちは、今度はグループの中にある破壊的な力がこの共同体をバラバラに破壊してしまうことを恐れていました。実に恐ろしい日々でした。

私たちがニューヨークに作った小さなオフィスには、こうしたグループからの手紙が洪水のように押し寄せてきました。遠く距離が離れ、私たちの古い中心的な仲間たちとの接触を持たない彼らは、こんなトラブルを抱えていました。精神病院を出てきた者がいます。おお神よ、この狂人たちは私たちに何をするでしょうか? 刑務所から出てきた者もいます。私たちはどうやって彼から身を守ればいいでしょうか? 同性愛者もいます。信じられないほど道徳的に退廃した人たちもいます。当時の上品なアルコホーリクたちは、首を横に振ってこう言ったものです。「こうした不道徳な人たちのせいで、私たちはバラバラにされてしまうぞ!」 赤ずきんちゃんと悪いオオカミもあふれ出しました。いったい、私たちの共同体はやっていけるのでしょうか?

だが成長は続き、グループもメンバーも増えていきました。時にはグループのリーダーたちがお互いに腹を立ててグループを分割し、時には単に大きくなりすぎたせいで分割されていきました。だがそうした核分裂と再分裂によって、この運動は成長に成長を続けたのです。10年後には30カ国に広がっていました。

私たちの青年期における膨大な経験の寄せ集めから、私たちは多くのことに対して、普通のアメリカ人とは違った態度を取らねばならないことが明らかになってきました。私たちはいろいろなことを深く確信しました。例えば、どんな個人が生き残ること、グループが存続することより、全体が存続することがはるかに重要であること。これは私たちの誰よりもはるかに大切なことです。アルコホーリクの集団が12ステップの半分にだけでも忠実であろうとすれば、神はそのグループの良心の中に語りかけ、そのグループの良心の中からは、どんな素晴らしいリーダーシップよりも優れた知恵がもたらされることも分ってきました。

初期の頃は、どこでもメンバーになるための規則がありました。いまはどこにもありません。もう私たちは恐れてはいません。私たちは腕を大きく広げて、あなたがどんな人かは気にしません、どんな問題を抱えていても大丈夫、と言います。あなたはただ「私はアルコホーリクだ、興味があるんだ」と言えば良い。自分で入りたいと言えばそれで十分です。私たちのメンバーシップに対する考え方は180度変わりました。

以前、私は飲んだくれのためにあらゆる良いことを行うのなら、この集まり(AA)は研究や教育も行うべきだと考えたことがありました。私たちは今ではよく分っています。この集まりには唯一の目的があり、靴屋はその仕事に、つまり私たちはアルコホーリクにメッセージを運ぶことに専念し、他の事柄はより適した人たちに任せておきます。多くのことを下手にやるよりも、一つのことをずっと上手に行っていくのです。

そして私たちの伝統は成長していきました。私たちの伝統は、アメリカの(一般的な)慣習とは違います。例として広報の方針を取り上げましょう。アメリカでは、あらゆることが有名人たちの手によって、また広告業の人たちによって動かされています。この国全体がヒロイズムに捧げられています。そうしたやり方が好まれていますが、この運動体(AA)においてはグループの魂が、それは私たちのやり方ではないと教えてくれました。私たちの広報の方針は、公のレベルにおいては無名であるということです。個人を宣伝せず、個人よりもむしろ原理なのです。無名性(アノニミティ)には深い霊的な意味があります。それはこの運動体の最大の守り手なのです。

私たちの共同体が成長するにつれ、AAとしてのやり方も形づくられていきました。そのやり方とは、私たちがお互いどうやって折り合っていくか、また私たちがこうした財産や金銭や名声や権力という骨の折れる問題と、そして世界全体とどう折り合っていくかでした。AAの伝統は、私が口述したからできあがったのではなく、皆さんが、皆さんの経験によってできあがったのです。私はただそれを紙に書き上げ、四年前(1946年)に皆さんにお返しし始めただけなのです。これが私たちの青年期だったのですが、その話を終わらせる前に、あるジェントルマン(アール・T)が私に教えてくれたことで、12の伝統には強力な推進力が備わったという話をしなくてはなりません。

「伝統」の長文のものがおおよそ書き上がったころ、ある日彼がベッドフォード・ヒルズ(の私の家)にやってきました。グループで起きたトラブルについての質問に対して、私たちはオフィスで延々と返事を書き続けなければならなかったので、元々の「伝統」は、ずっと長く、起こりうる多くのトラブルをカバーするようになっていました。アールは、ちょっとからかうように私の顔を見て、こう言いました。「ビル、君の鈍い頭では、酔っぱらいたちは読むのが嫌いだってことが理解できないようだな。少しの間だったら彼らは耳を傾けてくれるが、彼らは何も読みはしないよ。ほら、君はこの「伝統」を要約して、回復の12ステップと同じぐらいシンプルにしたくなっただろう」

そこで彼と私は要約作業を始めました。一日か二日の作業で、「伝統」は現在の(短い)かたちになりました。その時までに、この原理について私たちは多くの経験を積んでいましたから、これのおかげで私たちは、神が私たちを必要とする限り、一体となって結束していけるだろうと考えるようになりました。そして(1950年)クリーブランドで、私たちは七千人で「私たちは、この伝統という原理によって存続し、これによって私たちの安全な未来を担保する。これで私たちは青年期を終えるのだ」と宣言しました。繰り返します。昨年、私たちは自分たちの運命を手にしたのです。(1951年2月、イリノイ州シカゴでの録音から)。

アール・T(Earl T.)は、アクロンで回復し、シカゴでAAを始めた初期のメンバーで、彼のストーリー「自分を安売りしたセールスマン」He sold himself short は、『アルコホーリクス・アノニマス 回復の物語 Vol.5』に収録されている。

  1. 気鋭の新聞記者ジャック・アレキサンダーがAAを綿密に調査した上で『サタデー・イブニング・ポスト』紙に記事を書いた。これによってAAのメンバー数は短期間に2,000人から8,000人へと増加した — AACA, pp. 53-54, 289-290 []