ビル・Wに問う (18) 急激な成長の弊害はなかったか

『ビル・Wに問う』の第18回です。


Q18:あまりに早い成長は、新しいアルコホーリクにも、アルコホーリクス・アノニマス自身にとっても、良くないのでは?

A18:私たちの中にはそう考えた人たちもいた。だが、いくつかの急拡大の経験によって、恐れのほとんどを消散した。私たちにはオハイオ州クリーブランドでの著しい例があった。1939年の秋のクリーブランドのメンバー数はおそらく30人ほどだった。そのほとんどは1935年の夏に始まった私たちの最初のグループがある近くの都市アクロンまで出かけていってアルコホーリクス・アノニマスのメンバーになっていた。その時、クリーブランド・プレイン・ディーラー紙がAAについて印象的で力強い連載記事を掲載した。社説面で、クリーブランドの人たちに対して、アルコホーリクス・アノニマスには効果があり、金がいっさいかからず、この町で本当に良くなりたいと思っているアルコホーリクなら誰でも助ける用意がある、と伝えてくれた。クリーブランド市民はアルコホーリクス・アノニマスに関心を持った。電話や手紙で何百もの問い合わせがプレイン・ディーラー紙へ、また待ちわびながらも緊張していたAAメンバーのもとへと押し寄せた。それがあまりにも多かったので、新しいメンバーは自分で酒を切ったが、一週間、二週間すると、彼らはもっと後からやってきた人たちの面倒を見なければならなくなった。この非常事態に協力するために、いくつかの私立病院が門戸を開いてくれ、その結果が大変よかったので、以後ずっと私たちに協力してくれている。誰もがとても驚いたが、この急速な成長は、慌ただしいものだったが、大変な成功に結びついた。元は30人のグループだったが、90日後には300人に拡大した。6ヵ月後には500人に、そして2年もしないうちにメンバー数は1,200人に脹れあがり、クリーブランド地域に20のグループができあがった。正確な数字があるわけではないが、その時期にやってきてグループに残った人の4人に3人はアルコホリズムから回復した、と言って差し支えないだろう。(1945年9月、Quart. 3. Stud. Alc., Vol.6(2))