ビル・Wに問う (35) エビー・Tのメッセージ

『ビル・Wに問う』の第35回です。


Q35:エビーのメッセージは、あなたにどんな効果があったのか?

A35:そうですね、私はその時までには自分のアルコホリズムがどれほど絶望的なのか分かっていたのです。それでも実体の無い神に、もしそれが存在したとしても、それに依存するという考えにはまだ反発がありました。それを無条件で受け入れられたら良いのだろうけど、私にはそんなことできないぞ!と。何日も飲み続けながら、私は次第に入院を考えるほど神経過敏になってきました。そんなある日「突然」、こんな考えが浮かびました。「愚か者め! なぜ、どうやったら良くなれるのかを考えないのだ? 物乞いが好き嫌いを言えるか?(訳注:選んでいる余裕はない) もしお前が癌になって、自分でも癌だと納得したのに、医者が『これは極めて悪性の腫瘍で、私たちの能力では手に負えない』と言った挙げ句、『町の大広場で逆立ちして、アーメン!と叫んだら癌が治ったという人がたくさんいるんです』というありそうもない話をしてきて、でも、それをきちんと証拠を挙げて説明してくれたらどうだろうか。そうだ、ビル・ウィルソン。もしお前が癌になったら、お前はどんなに恥ずかしくても町の大広場で逆立ちしてアーメン!と叫ばなくちゃならないぞ。それ以外に腫瘍が増殖するのを防ぐ手立てがないならば。なによりそれを最優先しなくちゃならない。プライドをかなぐり捨ててでも」

それから私は自分に尋ねました。「自分の場合はどうなのだ? 私は身体のアレルギーを持っているのではないのか? 感情の腫瘍を持っているのではないのか? そのとおりだ。加えて、おそらく魂(soul)の腫瘍を持っているせいで、それが強迫観念を引き起こし、それが私に飲めと命令する。そしてますます高まる酒への耐性が、私を狂気か死に追いやるのだ。そうだ。これはやってみるしかない」。でも私にはまだ頑固さがいくぶん残っていて、自分にこう言いました。「でも私は福音的な経験は欲しくないな。知的な宗教みたいな感じだと良いんだが・・・」それで、感情的に興奮しないように気をつけながら、シルクワース先生のところに顔を出しまして、それで彼が私をしらふにしてくれたのです。(1947年9月18~20日テネシー州メンフィスにて)


別の答

A35:あのキッチンテーブルで何が起きたのか? その推論はおそらく医学や宗教にゆだねた方がいいだろう。私には分からないと認めざるを得ない。きっと回心(conversion)というのは完全には理解不能なものだろう。

友人の話は、私に混じり合った感情をもたらした。引き寄せられる気持ちと、反発する気持ちが、代わる代わるやってきた。私は孤独に飲み続けたが、友人の訪問のことが忘れられなかった。私の意識の中には、いくつかの考えが入りこんでいた。まず、彼が明らかに解放された様子には、奇妙な、だが確かな説得力があった。次に、彼は資格を持った医師から絶望的だと宣告されていた。三つ目は、彼から伝えられた古くからの教えは、強い力で私を打った。四つ目は、神に従うということは、この先も私には無理だろう。回心など私には無意味だ。そんなことばかり私は考えていた。考えをそこから逸らそうとしたが、できなかった。 理解と、苦しみと、単純な真理がより合わさって、私はもう一人のアルコホーリクにつながっていた。それが断たれることはなかった。(アメリカ精神医学ジャーナル、106巻、1949年)


別の答え。

A35:彼は最初に自分の飲酒体験を、特につい最近のひどい体験を語った。もちろん、すぐに彼と自分が同じだと分かった。それは、深く、不可欠な同一感だった。アルコホーリクにしか出来ないやり方で、一人のアルコホーリクがもう一人のアルコホーリクに語っていた。次に彼は、素朴で単純な回復の方法を示してくれた。耳新しい言葉はひとつもなかったが、それはどういうわけなのか、私に深い影響を与えた。

そこに回復した彼が座っていた。彼自身が彼の説教の実例だった。あなたは、彼の唯一の教義が神だったことに気づくだろう。彼はそれを、私のために、「自分より偉大な力」という融通の利く言い回しに広げてくれた。それが彼の話だった。私はそれを受け入れることも、拒むこともできた。私は彼に何の義務も負っていなかった。彼によれば、むしろ彼の話を聞くことで、私が彼の役に立っているのだという。ともあれ、彼に「一時的な禁酒」以上の何かが備わっているのは明らかだった。彼は「解放された」人のように見えたし、そう振る舞っていた。抑圧(repression)するというやり方ではなかった。真実を知るアルコホーリクが与えるインパクトはそういうものだ。(ニューヨーク州医学ジャーナル第50巻、1950年7月号)

ビル・Wに問う,日々雑記

Posted by ragi