ビッグブックのスタディ (57) 霊的体験 1

付録Ⅱ 霊的体験

ビッグブックには霊的体験(spiritual experience)という言葉が繰り返し使われています。

「再版にあたって」のp.xxには「彼ビル・Wは突然訪れた霊的な体験によって飲酒への強迫観念から解放された」とあります。本文中にも「霊的体験」という言葉が十数回登場しますが、その最初が前回紹介した、第二章のp.38の「深い魂の奥底にひびく体験」と訳されている部分です(原文は deep and effective spiritual experiences)

ビッグブックを書いた人たちは、12ステップに取り組むことで霊的体験をしたと述べています(pp.37-38)。それを信じるならば、私たちも12ステップに取り組み、霊的体験をすることで回復できることになります。

では、この「霊的体験」とはどのようなものなのでしょうか? ビッグブックの本文には、霊的体験について詳しい解説はありません。第一章にビル・Wの(p.20)、そして第四章の最後にフィッツ・Mの霊的体験が実例として紹介されているのみです(pp.82-83)。おそらく、ビル・Wたちがビッグブックの初版を出版したときには、それで十分だと考えていたのでしょう。

初版の16年後(1955年)に出版された第二版では、巻末に付録ⅠからⅥが付け加えられました。この16年間にAAに起きた最も重要な変化は、12の伝統が作られたことです。ですからそれが付録Ⅰに収録されました。そしてその次に「霊的体験」が付録Ⅱとして収録されています。つまりこの付録Ⅱは、12の伝統と同じようにビッグブックに加えるだけの価値を持った文章であると言えます。

p.38の左端には「詳しくは巻末の付録Ⅱを参照」という側注がついています。同じような側注がp.41とp.69にもあります。繰り返し三回も「参照しろ」と言っているからには、付録Ⅱは重要なことに違いありません。そこで、第二章の説明を一時中断して、付録Ⅱを読んでみることにしましょう。

ビルたちの経験した急激な変化

付録Ⅱは、ビッグブック日本語版のハードカバーではp.570から、ソフトカバーや文庫版ではp.266からにあります。

 本書には随所に「霊的体験」、「霊的目覚め」といった言葉が出てくる。注意深い読者にはそれが、アルコホリズムからの回復をもたらすに十分なほどの人格(personality)の変化が、私たちのなかにさまざまなかたちで現れるのを意味していることがおわかりかと思う。
 それでも、本書が最初に出た時、こうした人格の変化、あるいは宗教体験は、何かしら急激で劇的な大変動に違いない、といった印象を持たれた読者が多数おられたのは事実である。1)

 ビッグブックの初版を読んだ読者の多くは、霊的体験が「急激な大変動」であるという印象を持ちました。それは無理のないことです。ビルの経験も、フィッツの経験も、どちらも「突然の、天地がひっくり返るような変化」であり、本文にはこの二人の実例しか示されていないのですから、急激な変化だと解釈するのが当たり前です。ビルは「そういった印象を与えるのは私たちの意図ではなかった」と言い訳をしていますが、結果としては第二版に追加の説明を加えざるを得なくなりました。

ビル、フィッツ、どちらの経験も、宗教体験・宗教的経験(religious experience)と呼んで差し支えないものです。ビルはその体験を「神の訪れ」(p.20)、「これが伝道者たちの言う神なのだろう!」AACA, p.94)と表現していますし、フィッツも突然「神がいまここにいるという確信」に圧倒されています。

宗教の多くは、その創始者が何らかの宗教体験を得て、それを元に説いた教えが広がっていくという成り立ちをします。AAは宗教ではありませんし、ビル・Wやドクター・ボブが新しい宗教を作ろうとしたわけでもありませんが、その始まり方は宗教と同じであったことが分かります。もし、ビルが急激な霊的体験をしなかったならば、おそらくAAは存在しなかったことでしょう。(cf. 第45回

急激な変化は最初から少数派だった

しかしながら、AAが始まってすぐに、急激な霊的体験は一般的でないことが明らかになりました。共同創始者のドクター・ボブですら、ビルと違ってすぐに霊的体験を得ることはありませんでした。ビル・Wによれば、AAの最初の100人のメンバーのうち、突然の霊的な体験をしたのは10%のみで、残り90%の人々は、ゆっくりと時間をかけて変化しました。2) (ドクター・ボブは生涯にわたって霊的体験を求め続け、最晩年になってようやくそれを得ました3)

時代が下ると、急激な霊的体験をする人の比率はさらに下がりました。

 急速に増加している数万人のメンバーのなかには、こうした急激な変化が起こることも決して珍しくはないが、それはむしろふつうではない。ほとんどの場合は、心理学者ウィリアム・ジェイムスがいう「いろいろな教育的なかたち」であり、これは時間をかけてゆっくりと起こるものだ。4)

ジョー・マキューは、彼が27年間で接した12ステップによって回復を得た数千人の人たちの中で、ビル・Wのような急激な霊的体験をしたのは、わずか5人だけだったと述べています。5) 僕が施設で仕事をしていた期間に、そこで12ステップ・プログラムに取り組んだクライアントは300人以上いましたが、そのなかに急激な霊的体験を得た人は一人もいませんでした。

12ステップに加えられた唯一の変更

霊的体験をする人がなぜ減ってしまったのか、という謎については、後で取り上げることにして、ここでは「急激な変化」と「ゆっくりと起こる変化」の二つを取り上げましょう。

実はビッグブックの初版では、ステップ12は、

Having had a spiritual experience as the result of these steps,6)


これらのステップを経た結果、私たちは霊的体験を得て、・・・(拙訳)

となっていました。これはビッグブック初版のレプリカの該当部分です。

from Alcoholics Anonymous Facsimile First Printing of the First Edition

ビル・Wは、12ステップに取り組むことで、皆が自分と同じ霊的体験を得られるだろうと考えていたのでしょう。しかし、急激な変化が少数派であることが明らかになったために、初刷りの5千部を売り切って2年後に増刷を行ったときに、ステップ12の文言を、

Having had a spiritual awakening as the result of these steps,7)


これらのステップを経た結果、私たちは霊的に目覚め、・・・8)

と変更しました。9) その部分が現在「霊的に目覚めた」と訳されているわけです。(これが12ステップの文言に加えられた唯一の変更です)。しかし、ビッグブックのそれ以外のページにある霊的体験という言葉は、変更されませんでした。

結果として、急激な変化を「霊的体験」、ゆっくりとした変化を「霊的な目覚め」と呼ぶようになりました。両者を含む総称が必要な場合には、(広義の)霊的体験(あるいは霊的目覚め)と呼びます。図にすると、こんな感じです。

霊的体験と霊的目覚め

変化

さて、付録Ⅱ「霊的体験」の先頭の2ページでは、「変化」や「変わる」や「大変動」といった変化を示す言葉が何度も使われています(原文は、ビル・Wらしく change・upheaval・transformation・alteration という言葉が使い分けられている)

これは何を意味するのでしょうか? 12ステップは「あなたは、そのままで良い」とは言ってくれません。そうではなく、「あなたは、変わらなければならない」と言っているのです。回復も、成長も、変化を伴うものです。

そして、その変化が急激に起ころうが、ゆっくり起ころうが、どちらも本質的には同じ体験であり、結果は同じことです。

では、その変化はどのようなものなのでしょうか? それは、付録Ⅱで説明されています。しかしこのわずか3ページの文章は、実は意味をくみ取るのが難しい文章です。ここでは、ジョー・マキューによる付録Ⅱの解説を引いておきます。

「スピリチュアル(霊的)な目覚め」は、スピリチュアルな体験よりもゆるやかであり、ふつうは数か月かけて起きる。スピリチュアルな目覚めによる人格の変化は、本人が気づくより先に、まわりの人たちが気づくことが多い。けれど、しまいにはこのプログラムを行っている本人も、自分の人生への態度が根本から変えられていることに気づく。その人はついに目覚めたのだ。そして、それは自分一人でやり遂げたのではないことに気づく。そのときになって初めて、神という概念を得る。自分を変え、目覚めさせた力は神だったと見なすのである。その時点までは、まだ信じてみようという気持ちしかなかった。だが、ステップを実践した後、とうとうその人は「わかる(know)」のである。10)

シルクワース医師は「医師の意見」のなかで、霊的な変化を起こすには「人間の知恵を超えた何か」が必要だと述べました。この変化は自分で起こすことはできず、ハイヤー・パワー(神)に起こしてもらわなければなりません。多くの人は、12ステップに取り組み始める時には、神の概念を持っていないか、持っていたとしてもあやふやなものでしかありません。しかし、ステップに取り組んだ結果として、霊的な目覚めが起きたとき、その人は神(の概念)を得て、神が自分を回復させてくれたことを知るのです。

自分ではできなかったことを、神がやってくださっていることを、私たちは突如として気づくようになるのだ。(p.121)

このような説明を読めば、ゆっくりとした変化である霊的目覚めも、ビル・Wやフィッツ・Mが経験した霊的体験と本質的に同じものであることが理解していただけるでしょう。

ステップに取り組んだ結果として、霊的体験と霊的目覚めのどちらが得られるかは、あらかじめ知ることはできません。しかし、確率から考えればほとんどの人は「霊的目覚め」のコースを辿ることになるでしょう。ジョー・マキューも、チャーリー・Pも徐々に霊的に目覚めたと言っていますし、僕自身もそうです。ビル・Wのような突然の経験をしなかったとしても、心配することはありません。神が自分を回復させてくれたことが分かる瞬間がやってくれば、それが霊的目覚め(少なくともその始まり)なのです。

次回も霊的体験の話を続けます。

今回のまとめ
  • ビッグブックの初版を読んだ読者の多くは、霊的体験は「急激な大変動」しかないと解釈した。
  • しかし回復した人のほとんどは、霊的目覚めと呼ばれるゆっくりとした変化を経験した。
  • 霊的体験も霊的変化も、質的には同じであり、その本質は「変化」である。
  • その変化とは、神の概念を得て、自分を目覚めさせてくれたのは神であることが分かるようになること。

  1. BB, p.570/266 []
  2. 無名(A Program for You翻訳チーム訳)『プログラム フォー ユー』, 萌文社(ジャパンマック), 2011, pp.63-64 ― 「ビッグブックによれば」という訳は誤りで、原文は Bill W. said that である。ジョーは、ビルがハリー・ティーボー博士との対話の中でこう述べたとしているが、その出典は明らかにしていない。― The Kelly Foundation, Recovery Dynamics Counselor’s Manual 2nd edition, 1989, p.113 []
  3. DBGO, 第26章 []
  4. BB, pp. 570-571/266-267 []
  5. ジョー・マキュー(依存症からの回復研究会訳)『回復の「ステップ」』, 依存症からの回復研究会, 2008, p.192. ― 『プログラム フォーユー』では、18年間としている(p.64) []
  6. AA, Alcoholics Anonymous Facsimile First Printing of the First Edition, AAWS, 2014, p.72 []
  7. AA, p.60 []
  8. BB, p.86 []
  9. ワリー・P(ジャパンマック訳)『バック・トゥ・ベーシックス』, ジャパンマック, 2016, p.175 []
  10. ジョー・マキュー, p.60 []