ビッグブックのスタディ (58) 霊的体験 2

霊的変化の二つのタイプ

前回は、霊的体験には、

    • 霊的体験――急激な変化
    • 霊的目覚め――ゆるやかな変化

という二つのタイプがあるという説明でした。

ビル・Wが急激な霊的体験をしたことや、ビッグブックの本文には彼とフィッツ・Mの霊的体験しか実例が挙げられていなかったために、ビッグブックの初版を読んだ人の多くが、回復するためには、ビルのような急激な体験をしなければならないと考えてしまいました。

そうした誤解を解くために、1955年に出版された第二版には付録Ⅱが追加され、急激な変化はごく少数であり、ほとんどの場合は霊的目覚めと呼ばれる緩やかな変化であることや、この二つのタイプは本質的には同じ体験であり、人はそれによって神を見つけるのだということを説明しています。

実のところ、二つのタイプがあることや、たいていの場合に変化は徐々に起こることは、初版でも示されていました。第一章のビルの霊的体験の記述には、こう書かれています:

神の訪れは、ふつう、ゆっくりしたものであることが多いのだろう。ただぼくの場合、それはぼくの深いところに突然訪れたのだった。1)

また、第四章のフィッツの体験の記述にも、

彼の場合、その救いは突然現れた。もっとゆっくりと時間をかけて救いが現れる人たちもいる。2)

とあります。この部分も付録Ⅱと合わせて目を通しておくと良いと思います。

霊的体験とは何か?

ビル・Wの霊的体験については、第45回第46回で説明しました。ビルは1934年12月11日にタウンズ病院に最後の入院をし、その3日後にビルの hot flashホットフラッシュ と呼ばれる体験をしましたBB, p.20)。神の臨在を感じたことで、ビルは自分は気が狂ってしまったのではないかと心配になり、主治医のシルクワース医師に相談しました。実際のところ、それはタウンズ病院で解毒治療に使われていたベラドンナ という生薬が引き起こした幻覚だったのかも知れません。

シルクワース医師はビルに幾つか質問した後で、医師である彼には理解できないが、ビルにある種の霊的な出来事が起きたこと、そのような回心の体験によってアルコホリズムから解放されることがあると、本で読んだことがあることを説明しました。そして、医師の目から見てもビルは今までとは違った人間になっており、何を得たにせよ、それを手放さないほうが良いと助言しました。3)

翌日、ビルは『宗教的経験の諸相』という本を手にしました。この本は、アメリカ心理学の父と呼ばれるウィリアム・ジェームズ の講義の内容を書籍にしたものです。ビルはジェームズの本から、宗教的体験は客観的実在性を持ちうるものであり、人間に変化をもたらし、ときにそれはアルコホリズムからの回復という形を取ることを知りました。

『諸相』には、サミュエル・ハドレー(Samuel Hopkins Hadley, 1842-1906)の霊的体験が取り上げられています。4) ハドレーはその経験の後、ジェリー・マクオーリーJerry McAuley, 1839-1884)の作ったウォーターストリート伝道所という救貧伝道所を受け継いで運営しました。救貧伝道所は、アル中やヤク中や犯罪者や売春婦などそれまで「手を差しのべるべきではない」とされた人たちに対して援助を提供しました(第43回)。その息子のハリー(Henry Harrison Hadley II)が作ったのがカルバリー伝道所で、エビー・Tはそこに滞在していました。ここにも不思議な連鎖がありました。

ビルは自分がアルコホリズムから解放されたことを知り、自分に与えられた霊的体験を、同じように手にしたいと願っているアルコホーリクは何万人もいるにちがいない、と思いついて活動を始めたのが、後のAAにつながるわけです(BB, p.21)

AAでは、これを霊的体験(spiritual experience)と呼んでいますが、より一般的には宗教的経験・宗教体験religious experienceと呼ばれます。それについて調べていくと、transformation(転回)や conversion回心 という言葉も同じことを指して使われていることがわかります。ビル・Wもしばしば回心という言葉を使い、それが回復の基本的なプロセスであると明言しています5)

回心

回心(かいしん)は、しばしば改心(悪い心を改めること)と勘違いされますが、違うものです。

回心はキリスト教などで使われる用語 conversion の訳語です。明治時代のキリスト教徒が conversion の訳語として、仏教の回心えしんという言葉を流用したのだろうと言われています。なので回心を、仏教では「えしん」、キリスト教などでは「かいしん」と読みます。6)

宗教心理学は、回心を科学的に研究する学問です。その始祖はウィリアム・ジェームズとエドウィン・スターバックEdwin Diller Starbuck, 1866-1947)です。ジェームズが『諸相』で質的研究を行ったのに対し、スターバックは量的研究を行いました。

では、この宗教心理学が、回心をどのように定義しているのでしょうか? ここでは、『日本大百科全書 :ニッポニカ』という辞典の回心の項目を引くことにします。この項目を書いたのは、松本晧一(1927-2019)という駒澤大学 の仏教学部長だった方です。7) ニッポニカはコトバンク に収録されて、ネットで閲覧することができます。

回心(かいしん) conversion
「えしん」ともいう。既往の価値観が崩れ、まったく新しい価値の誕生により人格(パーソナリティー)の構造が変化すること。その意味で自己の新生ともいう。宗教上の価値では、無宗教から信仰へ、ある宗教から別の宗教へ、信仰から無宗教へと心の体制が完全な転回を遂げることである。したがって宗派の改宗も回心を前提とした行為である。回心は一般に、既往の宗教価値への懐疑―新旧両価値の葛藤―新価値による危機克服という過程をとる。発現には漸(ぜん)と急とがあり、一般に苦痛や罪悪感によるものは急激に他力の救済を求めて受動的に発動し、能動的意志の努力による漸進型(たとえば修行による段階的証悟)と対比される。8)

何らかの啓示 を受けたり、修行を積むことによって、人格が変化し、新しい宗教的価値を身に付けることが回心であり、特にその経験が急激なものであった場合に、その経験も回心と呼ばれます(e.g. パウロ の回心)。

ここでも、その経験にはの二つのタイプがあるとしています。急は苦痛のなかで、他力での救済を求めて受動的に発動するとあります。ビル・Wの霊的体験がまさにこれで、彼は絶望の中で「もし神が存在するというのなら、頼むから姿を見せてくれ! 何でもする。何でもするから!」と懇願した次の瞬間に白い光に包まれました。9)

一方で、漸のほうは、自発的な努力の継続によって徐々に古い宗教的価値を捨て、新しい宗教的価値を身に付けていくことによって実現します。12ステップではこれを霊的目覚めと呼んでいます。付録Ⅱでは、これをウィリアム・ジェームズが「教育的なかたち(educational varieties)」と呼んだとしています。BB, p.571/267 ― 僕は『諸相』を隅から隅まで読んだわけではありませんが、「教育的なかたち」という言葉は見当たりませんでした)

キリスト教の回心かいしんあるいは仏教の回心えしんに相当する概念は、その他の宗教にも見られます。回心は宗教の核心(少なくともその一つ)なのでありましょう。

霊的目覚めを求めるか否か

付録Ⅱは、霊的体験あるいは霊的目覚めと呼ばれるものが、宗教における回心と本質的に同じものであることを示唆しています。アルコホーリクは宗教に抵抗感を持っている場合が多いので(僕もそうでした)、霊的な目覚めや回心と聞いただけで、逃げ腰になってしまう人も多いでしょう。

私たちは、霊的な目覚め(あるいは回心)を求めなければならないのでしょうか?

まず、そもそもAAへの参加はあくまで自発的なものです。AAはメンバーを拘束せず、やめたい人はいつでもAAをやめることができます。メンバーは自発的にAAに加わっているのです。

そして、AAメンバーになっても、12ステップに取り組むことを強制されることはありません。やることが望ましいという価値観はあり、なんとなく圧力を感じることもあるかもしれませんが、やる・やらないはそれぞれの自発性にまかされています。つまり「AAはメンバーがステップをやる気になるのを待っていてくれる」のです。

また、AAは特定の神概念を押しつけることもありません。ハイヤー・パワーとは何なのか? という疑問に悩む人もいますが、それは一人ひとりが見つけ、深めていくものです。前回ジョーの言葉を紹介しましたが、霊的な目覚めが起きればその人は神を知るようになるのですから、あらかじめ「これを信じなさい」と提示する必要はないのです。

つまり霊的な原理をどこまで深く身に付けるかは、その人の選択です。それが不十分であれば、スリップ(再発)という結果につながるかもしれませんが、それもまた本人の選択の結果だと見なされるわけです。アルコホリズムという病気を相手にしている以上、「ここまでやれば十分だ」という判断は他の誰にもできません。本人の判断に任せるほかないのです。

しかし、ここまでビッグブックを読んでこられた方は、「12ステップをやっても、霊的目覚めを得られなければ、やった意味が無いのではないか」という疑問をお持ちになったことでしょう。そう、12ステップは、霊的目覚めという結果をもたらすための手段(道具)にすぎません。だから、ステップをやったけれど霊的目覚めは得ていない、というのは「自動車教習所には通ったけれど、運転免許は取れなかった」というのと同じ類の話なのです。(それを誇らしげに語られるとどう反応して良いか困ってしまいます)。

僕はこの雑記を書くに当たり、12ステップによる回復の本質が回心であることを明言するかどうか迷いがありました。なぜなら、宗教的な要素が強調されると、アルコホーリクを12ステップから遠ざけてしまう懸念があるからです。より多くの人に12ステップに取り組んで欲しいと考えている人たちは、12ステップから宗教的要素を取り除くのに熱心です。しかし、12ステップの中核に敬虔主義 (個人の内的回心と恩寵による再生)があるのは事実ですから、そこを省くわけにはいかない、というのが僕の判断です。そして、AAというのは、中核に敬虔主義を持ちながらも、上記のように実に人間中心的でリベラルな集団です。そのあたりのことに関心がある方は、アーネスト・カーツの『アルコホーリクス・アノニマスの歴史』の第二部をご参照いただきたい。

開かれた心(オープン・マインド)

霊的な目覚めを求めていくしかない、と納得できたとしても、ハイヤー・パワーを見つけるなんて自分には無理だと思う人もいるでしょう。

 私たちが何よりも強調したいのは、どんなアルコホーリクでも、こうした霊的な概念に対して心を閉ざさずに、自分の問題に正直に直面することができれば、私たちの体験に照らして回復できるということである。障害となるのは、不寛容で、攻撃的な否認の態度だけだ。10)

ビル・Wがこの文章を書いた頃(おそらく1954年)には、AAのメンバー数は10万人を超えていました。その彼らの経験によれば、「自分の問題に正直に直面すること」そして「霊的な概念に対して心を閉ざさないでいること」というシンプルな条件を満たせば、(12ステップに取り組むことで)霊的目覚めは十分可能だというのが、彼らの経験でした。

霊的な概念に対して拒否の態度を貫きながら、霊的目覚めを得ることはできないでしょう。

 このプログラムの霊的な部分でつまずくことはまったくない。意欲と、正直さと、開かれた心とが、回復に必要な核心である。これらなしに、回復はありえない。11)

回復を得るためには、「意欲と、正直さと、開かれた心」が必要だと言っています。

「心を開く – open mindnessオープン・マインドネス」とは、自分の中にある抵抗感や警戒心を自ら乗り越えて、新しい何かを受け入れていくという意味です。あなたがアルコホーリクならば、神とか信仰というものに対して抵抗感や警戒心は持っていることはまったく自然なことです。なぜならアルコホーリクとはそういうものだからです。その抵抗感を乗り越え、警戒心を解いて、霊的なものに近づいていくのは、あなた自身にしかできないことです。

次回は第二章に戻ります。

今回のまとめ
  • AAが霊的体験(霊的目覚め)と呼んでいるものは、一般的には宗教的体験あるいは回心と呼ばれるもの。
  • 開かれた心とは、自分の中にある抵抗感や警戒心を自ら乗り越えて、新しい何かを受け入れていこうとすること。
  • 神とか信仰というものに対して抵抗感や警戒心を持っているのは、アルコホーリクとしては自然なこと。
  • 開かれた心なしに回復はあり得ない以上、霊的なものに対する抵抗感や警戒心を自ら乗り越えていくほかない。

  1. BB, p.20 []
  2. BB, p.83 []
  3. PIO, pp.123-124 []
  4. ウィリアム・ジェイムズ(桝田啓三郎訳)『宗教的経験の諸相』, 岩波書店, 1969/1970, 上巻 pp.305-307 []
  5. AA, Three Talks to Medical Societies by Bill W., Co-Founder of Alcoholics Anonymous, AAWS, p.41 ― 部分訳はこちらに収録。 []
  6. 浄土宗、回心『WEB版新纂浄土宗大辞典』(jodoshuzensho.jp), 2018 []
  7. 郷里埼玉県行田市の曹洞宗寺院の住職をされていた。 []
  8. 松本晧一, 『日本大百科全書(ニッポニカ)』, 小学館, 1984-1994 from コトバンク []
  9. AACA, .94 []
  10. BB, p.571/267 []
  11. BB, p.572/268 []