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依存症
回復
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アルコールと薬を絶つために入院したロングビーチ海軍病院で治療を受けていたとき、どこで道をはずれたかを詳細につづった自分史を書かなければいけませんでした。セラピストが望んでいたのはほんの数頁のものだったのに、でも私にはできませんでした。
おそらく、それまで一般の人びとに見せてきた自分のイメージにあまりにとらわれていたために、自分の人生に誤りがあったなどと認められなかったのでしょう。私は完璧な男性と結婚し、四人の完璧な子どもに恵まれ、建ったばかりの家があり、そして結婚生活三十年目にして初めて新品の家具も持っていたのです。私の見るかぎり、すべてが順調で完璧でした。それなのに、なぜ、セラピストたちが「そうではない」と言っているのか理解できませんでした。
今の私には、閉ざされたドアを開けて、中のものすべてがなだれを打って表に出てくることを望んでいなかったのだと、はっきりわかります。すべてのものがいちどきに向かってきたら、人は対処できません。圧倒されてまたお酒を飲んだりするのではないか、逃げ出したい一心で自分の命さえ奪おうとするのではないか、そう怖れるものです。
何かがおかしいとはわかっているのです。でも「大丈夫」と言うのです。私の友人のミュリエル・ジンクはこれを〈正直な自己欺瞞〉と呼びます。
人は自分でできる範囲のことに直面し、明らかにされたことに対処できるようになるにつれ、より多くのことが明らかにされていきます。ロングビーチで私が対処できたのはまだほんの少しの範囲でしかなく、真実を書くことなど、とてもできない相談でした。 ベティ・フォード(1987/2003) 1), pp.10-11
パーシ先生は、アルコール依存症者を助けることを赤ん坊の誕生にたとえます。「赤ん坊は母親の胎内にとじこめられ、外部から遮断されています。飲酒をやめないアルコール依存症者も、同じような意味で閉じこめられているのです。アパートのなかで明りをうす暗くおとし、受話器は外したまま、テレビはつけていても見ていない、そして片手にたばこ、もう片方の手にお酒。これがその人の全世界なんですよ。出産の手助けにしろ、アルコール依存症者の断酒を助けるにしろ、どちらも新しい人生が生まれる瞬間に立ち会うことになります」 ベティ・フォード(1987/2003) 2), p.19
傲慢さのもたらす危険はメリ・ベルもよく知っています。かつて神父さまに「メリ・ベルには謙虚さがあります。そして彼女はそれを誇りに思っています」と言われたメリ・ベルは、六カ月もの問、褒められたと思っていたのだそうです。 ベティ・フォード(1987/2003) 3), p.20
永くは続かない、酒とバラの日々は
アーネスト・ダウスン 4), p.61
前にも言いましたが、それが医学的に正しいかどうかは別として、私は生まれつきのアルコール依存症者なのだと思ったことがあります。日々のプレッシャーがある日とつぜん私をアルコール依存症者に変えたわけではないからです。ただこの病気がその全体を表すまでに数年の歳月が必要だったのです。ある時点では、二年にわたってお酒を飲まなかったことすらあったのですから。 ベティ・フォード(1987/2003) 5), p.74
けっして言い訳をしようとしているのではありません。ただ遺伝的にアルコール依存症になりやすい素因を持っていて、しかもちょうどそろった状況にとらわれたとき、その人の自己抑制が崩れ落ち、病気が表立って進行していきます。 ベティ・フォード(1987/2003) 6), p.78
アルコール依存症者の間でこんな言葉があります。「依存症の人間から酒びんを千回取り上げても依存症はなおらない。でも、たった一度だけ本人がびんを下ろせばいいことだ」 ベティ・フォード(1987/2003) 7), p.84
回復途上のときによく言われる言葉があります。「まず身体をもってらっしゃい。心は後からついてくるから」 ベティ・フォード(1987/2003) 8), p.97
一人の人間への依存から、グループ、理論、システムへの依存へ移行させたい。 ベティ・フォード(1987/2003) 9), p.99
でも誰でも、自分で思うほどいつも利口ではありません。ラグナビーチの女性グループのミーティングで、「お酒はあまり飲みません、社交のために少し飲むだけです」と私が言ったとき、みんなはまったく表情を変えずに言いました。「その通りよ、私もそう思ってたわ。回復しはじめるまではね……」メンバーはみな親切でしたが、私にだまされはしませんでした。
話は少し前後しますが、ロングビーチでの第二週目、私が大きなショックを受け、自分がアルコール依存症者だ、とついに仲間たちに認めてしまった事件がありました。家族を含めたファミリーセッションでのことです。若い女性が立ち上がり、自分がお酒を飲むことでなぜ家族がそんなに大騒ぎするのかわからない、と言ったのです。たとえば「六人組」のミーティングとは違い、ファミリーセッションはもっとオープンなもので、お医者さまも患者の家族も自由にこのミーティングに出入りできます。私がロングビーチにいる間、ジェリーやスティーブ、スーザンも家族療法を受けました。
「お酒で私が家族に迷惑をかけたことは一度もありません」とその女性は言ったのです。でも私は、彼女がどれだけ家族に面倒をかけているかよく知っていました。次に発言をするのは私でした。私は立ちあがりました。
「私の名前はベティです。そして私はアルコール依存症者です。お酒を飲むことで私が家族を傷つけてきたことを、私は知っています」
もしもあの女性に事実を認めるガッツがないのなら、私が認めてやるわ、そういう気持ちからでした。
自分の言葉を耳にして我ながら驚きました。でもそれは安らぎももたらしたのです。 ベティ・フォード(1987/2003) 10), pp.105-106