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Das Dilemma der Stachelschweine - 「心の家路」のブログ

ハマってしまう自分をどうすればいいのでしょう

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臨床心理士・信田さよ子「あなたの悩みにおこたえしましょう」
ハマってしまう自分をどうすればいいのでしょう
https://aspara.asahi.com/column/nayami-okotae/entry/BMHl6vDJQy

Q ハマってしまう自分をどうすればいいのでしょう ミエ、35歳

 思春期のころから摂食障害になり、約8年間過食と嘔吐を繰り返す生活を送りました。親には知られたくないと思い隠れて吐いていましたし、それほどひどく体重が減ったわけでもなかったので、幸い今でも家族はそのことを知らないままです。

 就職して実家を離れ、食事の習慣を規則正しくするよう努力したことが功を奏したのか、25歳ごろには症状はなくなりました。ところがそのころから別の悩みが生まれました。ヨガを始めると休みの日までヨガ教室に通いつめ最後には腰を痛めてしまい、手芸の刺繍を始めると睡眠時間を削ってまで根を詰め、最後には部屋中に作品が溢れるほどになりました。やり始めると自分でも止められないほど夢中になってしまい最後は行き詰まってやめるということの連続なのです。35歳になった今そんな自分に気づき、つくづくいやになりました。新しいことを始めようと思うのですが、ついつい躊躇してしまいます。

 最近の私は仕事から帰ってからの時間をひとりでワインを飲んで過ごすようになりました。実は、父親はアルコール依存症といっていいほどの酒飲みです。しょっちゅう酔って母に暴力をふるい、私も何度かひどく殴られた記憶があります。父は70歳を目前にしながら、今でも実家で毎晩のように酒を飲み母を困らせています。そんな家族だったので、幼いころから父のような男性とは結婚しないと誓い、成人してからは飲酒するにもかなり用心深くしてきました。きっとのめり込んでしまうと思うので、ゲームやギャンブルにも近寄らないようにしてきました。

 そんな努力をしてきたにもかかわらず、いつのまにかワインを飲む時間が増えた私が不安なのです。いつか父のようになってしまうのではないでしょうか。何事にものめり込む性格は世代間連鎖するのでしょうか。

 振り返ってみれば、人間関係も熱中しては離れることを繰り返してきたような気がします。お付き合いする男性との関係も長続きしません。早く結婚して、両親とは違う幸せな家庭を築きたいのです。こんな私をなんとか変える方法はあるのでしょうか。アドバイスをお願いします。

A 心理学用語が用いられるとき

 ご質問の内容ですが、読む人が読めばどこが問題なのだろうと訝しんでしまうでしょう。かつて摂食障害だったが今では症状はなくなっている、仕事はちゃんと続けている、趣味もやり始めれば一定程度の道は極める......。これらはほめられこそすれ、何か問題があるわけではないでしょう。なのにミエさんはそこに大きな問題を感じていらっしゃる。

 その根底にあるのはアルコール依存症である父への嫌悪と、その娘であるがゆえにいつか自分も父に似てしまうのではないかという恐怖なのではないでしょうか。自分が親のようになってしまうという世代間連鎖をミエさんは何より怖れていらっしゃるのです。では、果たして世代間連鎖は起きるのでしょうか。まずこの言葉について簡単に説明しておきましょう。

 心理学用語が人々に取り入れられるのは相応の理由があります。そのいい例が性格という言葉です。今や日常用語になったこの言葉は戦後社会において急速に広がったものです。民主主義社会においては、人々は生まれつきの家柄や性別によって決定されるのではなく、平等な人権に基づいて生きることができるようになりました。たとえ建前であったとしてもそのことが憲法に謳われてから、性格という言葉が流通し始めたのです。もともとの性質(たち)や性根、人品とも異なる性格という心理学的な言葉は、個人を尊重し、その結果として個人の責任に帰せられる言葉でした。親がしつけや育児に際して「あの子の性格は~」と語るとき、子どもには性格という目に見えない実体が備わっており、そこに問題があるのだと主張しているのです。子どもの性格は子どものものなのですから、親に責任はなくなります。また対人関係において、「あの人はヘンだ」という代わりに「あの人は性格がヘンだ」と批判されれば、ヘンな性格を修正する責任が強調され、却って傷ついてしまうでしょう。

 このようにして心理学用語は、その都度日本の社会に必要とされて定着してきました。最近では「トラウマ」「自己評価が高い(低い)」などが挙げられます。世代間連鎖もそのひとつと考えていいでしょう。逆にそれらから日本の社会の変貌を見ることができるかもしれません。

「世代間連鎖」という言葉が隠ぺいしたもの

 この言葉が日本で広範に受け入れられるようになったのは、1990年代に入ってからでしょう。私の記憶によれば、もともとはアルコール依存症の親をもつ人たちが、成人後、親と同じくアルコール依存症になってしまうという多くの事実から生まれた用語です。私も分担して翻訳している『私は親のようにならない―嗜癖問題とその子どもたちへの影響』(クラウディア・ブラック著、斎藤学監訳、誠信書房、1989)は世代間連鎖の問題を描いた最初の本でした。著者によれば、アメリカではアルコール依存症者の子どもは成人後約半数が同じ依存症に、四分の一の配偶者が依存症者になるというのです。あまりに希望がないと思われるかもしれませんが、この本はそうならないための手立ても書かれています。しかしながら、日本において広がったのは、アルコール依存症のもたらす次世代への影響より、「親のようになってしまう」という悲観的な側面だったのです。それがもっとも活用されたのが子どもへの虐待でした。

 90年のバブル崩壊後、日本経済は成長を鈍化させ長期にわたる低迷状態へと突入していきます。同じ時期、日本では子どもの虐待防止が叫ばれ始めました。大阪と東京で、親の虐待から子どもを守るための市民団体が、小児科医や弁護士・精神科医・保健師などを中心として相次いで設立され活動を開始します。マスメディアでも虐待死のニュースが流れ始め、特集も組まれました。それらの論調の多くは虐待する母を克明にルポし、彼女たちも虐待されて育った、つまり世代間連鎖によるものだと結論づけました。言うなれば、「母性」を喪失し虐待に走る母を俎上に上げ、その理由として彼女たちも虐待されて育ったという因果論によって説明づけたのです。多くの読者は虐待という残虐な行為に戸惑うからこそ、このようなわかりやすい説明を受け入れたのです。これが世代間連鎖という言葉が一気に広まるきっかけとなりました。

 虐待を母=女性の問題に矮小化し、さらに世代間連鎖という因果論で説明することで隠ぺいされたものは何だったのでしょう。

 2000年に子どもの虐待防止法が施行されて以来、さまざまな調査によって明らかになってきたことがあります。それは虐待の加害者の多くは実父・義父であることでした。また虐待されて育った女性が必ずしも虐待する母になるわけではないことも明らかになっています。つまり90年代に世間一般に受け入れられたあの世代間連鎖という言葉はそれほど根拠がなかったのです。

 とすれば、当時の社会において虐待を女性=母の問題へと囲い込み、「自己責任」の対極である運命論的な世代間連鎖と結論づけたことは、不況のさなかで子どもを虐待する男性=父の姿を隠ぺいし、さらにすべてを自己責任へと集約する新自由主義(ネオリベラリズム)からの解放を意味したのではないでしょうか。おまけに、母=女性は虐待されて育った被害者性を承認されることで自分を責めずに済み、父=男性の責任も不問に付されたのです。

世代間連鎖は男性の問題

 近年新たに注目されるようになったのは、DV(ドメスティック・バイオレンス)を目撃して育った男児が、長じて父と同じく配偶者に暴力をふるうようになるという世代間連鎖です。DVを目撃することは広義の虐待であり、その影響は男児と女児ではジェンダー差があると言われています。少々雑駁な説明になりますが、父から母への暴力を見た男児は攻撃性を他者に向け、女児は自分に向ける傾向があると言われます。

 私はDV加害者プログラムを実施していますが、そこに参加する男性たちの多くは子ども時代に父から母へのDVを目撃しているという事実も、それを裏付けるように思います。したがって世代間連鎖は女性(母から娘へ)の問題ではなく、むしろ男性(父から息子へ)の問題だと言ってもいいでしょう。女性は否が応でも出産を経験することで母親のことを思い出さざるを得ませんが、男性も結婚する前に今一度父親のことを思い出し、母にとって父がどのような夫だったかを振り返ってもらいたいのです。それは決して後ろ向きなことではなく、夫となり父となるために不可欠な作業であるとさえ思います。自分が深く父の影響を受けていることを知るのは、その影響を払拭するための大前提なのです。

コントロールを喪失する=依存症

 さて肝心のアルコール依存症についてですが、アルコールという薬物に対する反応における遺伝的要素は否定できないようです。アルコールの酔いが何らかのメリットをもたらさなければアルコール依存症にはなりません。父親がアルコール依存症であるということは、アルコールを摂取することでミエさんも「酔いの快楽」を経験できる可能性が大きいということを表しています。そのことが直線的にアルコール依存症につながるわけではありませんが、人生においてつらい時期にアルコールの酔いだけが救いになることもあるでしょう。依存症になる危険性はそこに潜んでいます。

 ミエさんはワインを飲む時間が増えているとお書きになっていますが、それが楽しみであれば問題ないのですが、飲むことに罪悪感を感じながらそれでも飲んでしまうのであれば、少々問題だと言わざるをえません。さまざまなことにのめり込みハマってしまうのは、いつのまにかコントロールを喪失していることを表しています。自分でも止められないことをコントロール喪失といいますが、実は過剰なセルフコントロールとそれの喪失とはコインの裏と表の関係にあります。なすがまま、やりたいようにしている人はコントロールを喪失しているわけではありません。むしろ自分を責めて止めようとすればするほど止まらなくなり、コントロールを喪失していくのです。依存症になる人は、裏返せば自分を責めている人なのです。父親のアルコール依存症が飲むことへの罪悪感につながっているとすれば、ミエさんは依存症になる危険性が高いことになります。

予防できる世代間連鎖

 危険性が高いことはやめましょう。ワインを飲むことは今なら簡単にやめることができます。もう少し時間が経つとミエさんのアルコールへの依存度は強くなるでしょう。そうなればやめるのはどんどん困難になります。この段階で相談してみようと思われたのは適切な判断でした。

 さて冒頭でも申し上げましたが、ミエさんはこれまでの人生をもう少し評価してもいいのではないでしょうか。家族に内密にしたままで摂食障害から回復されたことは、何より評価されるべきでしょう。多くの摂食障害者は10年以上も症状に苦しみ、周囲の家族を巻き込んでいきます。それに比べればなんと健気なことでしょう。父のDVとアルコール依存症に苦しんでいる母親に苦労をかけたくないという思いからか、それとも自分の苦しみを親が理解できるはずもないという絶望からか、いずれにしてもその孤高の姿はミエさんのプライドそのものを表しています。そのプライドこそが、ミエさんのこれまでの人生を守り支えてきたということを信じていただきたいのです。用心深くギャンブルやゲームを遠ざけ、人間関係においても決定的に傷つくことを避けてきたこと。これらも同じプライドの表れとして位置づけることができるでしょう。

 そんなミエさんに提案があります。プライドは自分を守りますが、時には他者を遠ざけることもあります。そこから生まれる孤独感と孤立感は、実はアルコールの酔いと親和性が高いのです。ワインをやめたついでに、同じ経験をもつ人たちのグループにつながり、参加してみませんか。アルコール依存症や機能不全家族で育った人たちの自助グループやカウンセリング機関で実施されるグループもあります。ミエさんのように深い孤立を経験した人だからこそ味わえる、他者とつながる喜びがあるでしょう。そうすることで世代間連鎖という言葉に怯える必要はなくなり、幸せな家庭を築く可能性も出てくるのではないでしょうか。


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註1:2004年に改訂版刊行
 2:特定非営利活動法人児童虐待防止協会(APCA)1990設立
 3:社会福祉法人子どもの虐待防止センター(CCAP)1991設立
 4:ACA(Adult Children Anonymous、アダルト・チルドレン・アノニマス)http://aca-japan.org/

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