ディレンマ(もしくはジレンマ)というのは、二律背反の事だと思っていたのです。
ところが二律背反の解釈自体が間違っていました。
「こちらを立てれば、あちらが立たず」だと思っていたのです。
命題に矛盾があることが前提
テーゼ(命題):世界には時間における始まりがある。
世界に始まりがないのなら、現在までに無限の時間が過ぎ去ったはず。ところが、今世界があるということは、無限の時間が現在で完結していることを意味する。しかし完結しないから「無限」なのであって、完結してもらっては困るのである。なので「無限の時間が過ぎる」ということはあり得ないから、世界には始まりがある。
アンチテーゼ(反命題):世界には始まりがなく時間は無限に続いてきた。
世界に始まりがあったということは、「始まる前」があったということだ。世界が始まる前には何もなかったことになる。しかし何もない無から有が生まれるはずがなく、始まる前にも何かがあったはずなのだが、何かあっては「始まる前」じゃなくなって困るのである。なので、始まりはなくて無限に続いているのである。
始まりがあったりなかったり、無限だったり有限だったり。矛盾するふたつを二律背反と呼んだのだそうであります。
現実にはトレードオフのことを二律背反と呼ぶことが多いような気がします。
・安い製品はよく売れるが、安く作ると質が悪くなる。
・質の高い製品はよく売れるが、質を良くすると高くなる。
というような例です。
さてジレンマですが「両刀論法」というらしいです。
A) 私につきまとうなら、あなたを嫌いになるだろう。
B) 私に近づかないなら、あなたを好きになるはずがない。
C) どっちにしろ、あなたを好きにはなれない。
Aであったとしても、Aの反対のBであったとしても、どちらでもCという論法。
孤独を選んだヤマアラシは凍えて死んでしまうに違いない。かといって身を寄せ合えば傷つけあう。いずれにせよ、ヤマアラシは傷つかずにいられるわけがないではないか。
人と関わり合うなら、傷つく覚悟はしておきなさい、とショーペンハウアーは言いたかったのではないか、と思う次第です。
次郎有 Reply
確かにショーペンハウアーは「人と関わり合うなら、傷つく覚悟はしておきなさい」といいたかったのかもしれないですね。
ただ、私たちのようなアディクションに関わる人間としは「離れると寒い」対「接近すると痛い」のような白黒だけの価値判断ではなく、「ほどほどに暖かく、あまり痛くない」というグレーゾーンを探す説話として解釈するべきだろう!という想いがむくむくとわきあがってきたので、コメント書いてみました。
ひいらぎさんへの批判というわけではなく、個人的な想いですんでお目汚し失礼しました。
かんた Reply
>今世界があるということは、無限の時間が現在で完結していることを意味する。
なぜですか?よく分かりません。
>何もない無から有が生まれるはずがなく、始まる前にも何かがあったはず
現在の宇宙論では、この宇宙=時空間は、無から生じたというのが通説ではないでしょうか?従って、この宇宙が始まる前は、時間も空間も当然物質もない。
くだらないことが気になりました。
申し訳ありません。