ゲシュタルトの祈り

Klementine in Gestalt einer Schnecke by Marco Verch, from flickr, CC BY 2.0

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

私は私。あなたはあなた。

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

フレデリック・パールズ


GESTALT GEBET

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen –

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.

ICH BIN ich und DU BIST du –

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,

wenn nicht, dann ist auch das gut so.

Frederick Perls


付記

Fritz Perls in Esalen Institute 1970s
from Istituto di Gestalt

フレデリック・S・パールズ(1893-1970)。ドイツの精神医学者にして、ローラ(Laura)夫人と共にゲシュタルト療法 の創始者。

僕はドイツ語ができません――大学のときも追試+追試+教官定年退官ご祝儀で単位をもらった――ので、英語訳を参考に訳しました。

最初の掲載時には、最後の wenn nicht, dann ist auch das gut so を、補筆・冗長として削除しました。

その理由のひとつは、ドイツ語で検索したときに、最後の一文のないものがいくつかみつかったからです(これで後の補筆ではないかと考えたわけだ)。さらに、英訳はたいてい If not, it can’t be helped となっており、これから日本語に訳したからなのか 「出会えなくても、それは仕方のないことだ」 という訳が一般的でした。これを僕は「出会えなくても(残念だが)仕方ない」という否定的な意味に取ってしまいました。そうなるとそこだけ意味が違ってしまうので、これを「冗長」として削除したわけです。

ところがその後、ゲシュタルト療法に詳しい方からメールを頂戴しました。それによれば、最後の一文こそがもっともパールズらしい言葉であり、これこそ削り落とすことのできない重要な部分だというご指摘でした。メールより引用させて頂きます:

私たちはよりよい状態である事を願い、そうなろうとする事(ポジティヴだとか前向きだとか)を良い事だと考えるように訓練されています。しかしパールズによればこれは「自虐」であり「ポジティヴ教の信者」なのです。

出会える事に価値があり、出会えない事は価値がない、というフィルターを通して見る時、最後の一言は冗談や補筆に見えるかも知れません。けれど、パールズにしてみればこの一言こそを、結びの言葉としたのです。

 (略)

出会えない事、それもまたよし、という言葉には、すべてをあるがままに受け止めるゲシュタルトの精神が集約されています。「出会えない事に出会っている」とも言い換える事が出来ます。

そこで、英文のことは忘れ、慣れないドイツ語と格闘した結果「出会えないことも、出会えることと同じように素晴らしいことなのだ」という意味にやっとたどり着いて、この一文を復活させました。

ご指摘をいただいた葉月心理療法研究所の葉月優理菜さんには、この場にてお礼を申し上げます。また、葉月さんからは、パールズの後継者であったプライス夫妻Dick Price, 1930-1985 and Christine S. Price)の、

「今あるもの、すべてに出会う事。それが壊れているなら、治さない」

という言葉も同時に紹介をいただきました。

タイトルについては、英語では Gestalt Prayer と訳されているので、ここでも「ゲシュタルトの祈り」のままとしています。


書籍


人物

(初掲載:2004-1-21)

2024-07-02

Posted by ragi