12ステップのスタディ (36) AAのステップ2
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さて、今回はAAのステップ2です。AAのステップ2の現在の翻訳は「自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった」となっています。1) かつては「われわれは自分より偉大な力が、われわれを正気に戻してくれると信じるようになった」でした。
ステップ2については前回説明しましたが、今回もその説明を繰り返すことになります。
狂気(健康でない心)
まず「正気(健康な心)に戻してくれると信じる」の部分です。ビッグブックの第一章の前半では、ビルが酒をやめられずに苦しんでいる様子が描写されています。特に8ページの「もう二度とアルコールには手を出さないと決心した」以後は、彼は真剣に断酒しようと試みています。それまで本気で守るつもりのない断酒の空約束を繰り返してきたビルでしたが、この時は「今度こそは本気」でやめる決心をしました。
ところが、その後も彼は何度も再飲酒を繰り返します。彼は「本気度が足りなかったから飲んでしまったのだ」と考えて、決意を新たにもう一度断酒を始めるのですが、そのたびにまた飲んでしまいます。
この、断酒に真剣さが足りないから飲んでしまうのだ、という考えはアルコホーリクにありふれた考えであるらしく、AAミーティングでもしばしば聞かれる言葉です。実際にはアルコホーリクは「酒を飲む・飲まない」の選択能力を失っています。第二章にこうあります:
ほとんどのアルコホーリクは飲酒についての選択能力を失ってしまっている。いわゆる意志の力というものも、事実上、存在しなくなる。・・・私たちは最初の一杯に対してまったく無防備になる。2)
酒をやめたアルコホーリクは、普段は意志の力を使って酒を退けています。けれどある日、意志の力が働かなくなってしまう瞬間がやってきて、そうなるとアルコホーリクは酒に対してまったく無防備になり、あっさりと再飲酒してしまいます。それがこのアルコホリズムという病気の最も恐ろしい点です。
なまじ普段は意志の力で酒をやめ続けていられるからこそ、アルコホーリクは自分の意志の力でやめ続けられると信じてしまいます。その誤認を説くために、順調に酒をやめ続けていた人があっさり飲んでしまったという逸話が、第三章に複数載っています。その一つはフレッドという人物のケースです。彼はAAメンバーたちからの警告を思い出しながら、自分の再飲酒を次のように振り返っています:
私にアルコホリズムの傾向があるなら、その時と機会は必ずくるし、だから必ずまた飲むだろうと。防御を固めていても、それはある日、酒を一杯飲むための取るに足らない言い訳の前に崩れ去るだろうと言われましたね。まったくそのとおりになってしまって……3)
アルコホーリクの意志の力による防御は、ある瞬間にあっさりと崩れ去ってしまいます。この現象を12ステップでは強迫観念と呼んでいます。そしてそれがアルコホリズムの狂気(心の不健康さ)そのものです。
正気(健康な心)に戻してくれる
この強迫観念という現象が起こらなくなれば、アルコホーリクが再飲酒することはなくなります。それが、アルコホーリクが正気(健康な心)に戻るということです。
意志の力による防御は、ある瞬間に崩れ去ってしまうのですから、アルコホーリクがそれを乗り越えて断酒を続けるためには、他の何かがアルコホーリクを防御してくれなくてはなりません。第三章の終わりにこうあります:
繰り返そう。アルコホーリクはあるとき、最初の一杯に対する防御の気持ちをなくしてしまう。ごくまれな例を除いて、自分自身であれ、ほかの人であれ、その一杯をやめさせられる人間はいない。その力(defense=防御)はハイヤー・パワーだけが与えてくれるのである。4)
アルコホーリクが意志の力で自分を酒から守ることができなくなったときに、その人自身に代わってハイヤーパワー(=神)が酒から守ってくれるのだ、と言っています。
言い換えるならば、アルコホーリクは自分の力では酒をやめることができません。それはある瞬間に無防備になって再飲酒してしまうからです。けれど、霊的な生き方をしていれば、その瞬間でも神が酒から守ってくれるので、アルコホーリクでも酒をやめ続けることができるわけです。
これを、ビル・Wのスポンサーであるエビー・Tは、ビルにこう伝えました:
自分では酒がやめられなかったけれど、神様がやめさせてくれたのだ、という意味です。ここにはAAの(あるいは12ステップの)回復のメッセージが凝縮されています。
スポンサーが言わなければならないこと
基本的にスポンサーは、エビーと同じメッセージをスポンシーに伝えなければなりません。AAメンバーならば、それは「神様が私の酒をやめさせてくれたのだ」というものになるでしょう。スポンサーをするAAメンバーはその言葉を言えなければなりませんし、NAメンバーならば「神様が私のクスリをやめさせてくれたのだ」、GAメンバーならば「神様が私のギャンブルをやめさせてくれたのだ」と言えなければなりません。
けれど、この言葉はなかなか言えませんし、将来自分がこの言葉を言えるようになりたいとも思わないものです。それはなぜでしょうか?
恥の意識ゆえに
AAでは、人がアルコホーリクになるのは、その人がアルコールに対するアレルギー体質を持っているからだ、と説明しています。そして、この概念はその後のNAやOAなどにも引き継がれました。そのような体質を持って生れてきたのは、その人自身の責任ではなく、「運が悪かった」としか言いようがありません。だから、アルコホーリクになったことについて自分を責める必要はありません。花粉症になった人が、花粉に対するアレルギーを持っていることで自分を責めたりしないのと同じです。

例え話をするならば、歩道を歩いていたら、穴が開いていて、その穴に落ちてしまったようなものです。普通の人はそんな穴には落ちないのに、自分は落ちてしまったとき、たいていの人はそんな自分を恥ずかしく思います。だから、誰も見ていないうちにその穴から這い出して、落ちたこと自体を「無かったこと」にしたい、と思うでしょう。5)
けれど、このアディクションという穴から出るのはとても難しいので、周りの人に落ちたことがバレてしまいます。するとそんな穴に落ちる自分の不注意さがますます際だってしまうので、その人はなんとか自分で脱出して「確かに私は穴に落ちました。けれど自分でそこから脱出したのです」というストーリーを作り上げたくなってしまうのです。すると、その人は(人からであれ、神からであれ)助けを得ようとはしなくなります。
背景にあるのは恥の意識です。そしてそれは「人は自分で問題を解決できるようになるのが良いことである」という考えから来ています。逆に解決できないことは恥ずかしいことであり、穴から自分で這い出さなければならないと考えてしまうのです。6)
そんな人が12ステップに出会って、ステップで回復すると、ステップに取り組んだという自分の努力によって回復できたというストーリーを作り上げてしまいます。それは「私は穴に落ちたが、自力でその穴から脱出した」というストーリーですから、そういう人は当然「神の力が私の酒をとめてくれている」とは言えません。
ところがそういう人は(ステップもやり、酒もとまっているものの)恥の意識に囚われたままなのです。そして、恥の意識に囚われた人は、恐れにも囚われていますし、恐れがもたらす恨みも沢山抱えたままです。さらに、恐れと恨みに駆動された共依存行動がその人の生き方を特徴づけています。
だからこそAAは(=12ステップは)、あなたが穴に落ちたのは運が悪かったからだから恥に感じる必要は無いし、そもそも人はその穴から自力では脱出できないのだから、助かるために他の人たちを頼り、神の助けにすがっても全然恥ずかしいことではないのだ、と教えることで、恥の意識やこの病気に対する偏見からその人自身を解放します。そのスタンスは、AA以降に成立したNAやOAやACの共同体にも受け継がれています。
だから、「神様が私の酒をやめさせてくれたのだ」という言葉は、恥の意識やこの病気に対する偏見から解放してくれる魔法の呪文でもあるのです。
自分を超えた大きな力
次は「自分を超えた大きな(偉大な)力」の部分です。これについても前回説明しましたが、少し解説を加えておきましょう。
ビッグブックの第一章の12ページ以降で、エビーがビルにメッセージを伝えたとき、エビーが信じている神は明らかにキリスト教の聖書に書かれた神でした。エビーがその時に滞在していたカルバリー伝道所は、カルバリー教会という米国聖公会 の教会の資金によって運営されており、その聖書を使っていました。
「ビルの物語」では、エビーの話を聞いたときのビルはキリスト教の神に対して強い反発を感じており、そんなビルの抵抗に疲れたエビーが「自分で理解できる神の概念を選べばいいんだ」と言い放って、プログラムが特定の宗教の神概念から解放されたというストーリーが描かれています。しかし史実は違っているようです。実際には、ビルはオックスフォード・グループに参加し(つまりキリスト教の神概念をある程度受け入れ)、その後、アルコホーリクたちが数年間かかってオックスフォード・グループから分離する過程で、AAは非宗教化していきました。
1938年から39年にかけてビッグブックが書かれたときには、12ステップの神は、キリスト教の神である必要はなく、そればかりか宗教的な神である必要すらなくなっていました。神の概念は、ステップに取り組む一人ひとりが自ら選び取るべきものになったのです。
ですからビッグブックは、
私たちが神のことを話すときには、だからあなたがあなたなりに理解している神を指している。またこの本のなかに出てくる霊的な表現についても同じである。7)
と、自分なりに理解している神の概念で良いことを明言しています。だから、あなたが信じられるものならば、どんなものをあなたのハイヤーパワーに選んでも良いのです。ただし前回、
-
- それは自分自身ではない(努力や善意のような自分に由来するものではない)
- それは何らかの意味で自分より上の存在である
という自明の条件がありますよ、という説明をしました。
ある人が、「何をハイヤーパワーに選んでも良いのなら、便器の蓋を自分のハイヤーパワーにしても良いのか?」と尋ねてきました。もちろん、全然かまわないのですが、ハイヤーパワーとは自分より上の存在という意味ですから、「自分を便器の蓋より下の存在と見なすのは、自己卑下が過ぎるのではないか?」とアドバイスしたことを憶えています。
多くの人は、ステップ2で自分が信じられるハイヤーパワーの概念を選び取ることで、自分は「信じる」ということについてゴールに到達できたのだと勘違いしてしまいます。実際にはその人はまだスタートラインについただけです。そのスタートラインから離れ、前進していかなければなりません。そして、回復や成長が進んでいけば、その人の持つ神の概念も変化します。だから、同じものを同じように信じ続けることはできません。ビッグブックにもこうあります:
そうして時間がたてば、とうてい手の届かないものにしか思えなかった多くのことが、受け入れられるようになった自分に気づくようになる。それが成長なのだが、成長するには、どこかで始めなければならなかった。だから私たちは、自分なりの神への理解から始めた。たとえそれはせまく、かぎられた理解だったとしても。7)
神の概念が変化していくとは、言い換えれば、神への理解が深まっていくということでもあります。最初は誰でも浅い理解しかできないものですが、ハイヤーパワーとの付き合いを続けることで、理解は深まるものです。それは、親友とか恋人とか夫婦の関係に似ています。付き合いを続けることで、それまで知らなかった相手の一面を発見して驚かされることがあるはずです。神との関係も同じです。
しかし、どれほど理解を深めようとも、私たちが神を完全に理解できることはありません。つまり私たちがゴールに達することは決してないということでもあるのです。12ステップとは一生続く旅であり、ステップ2はその旅のスタートラインに着くということなのです。
ただ、その旅について、ステップ2の段階で思い悩んでも仕方ありません。ステップ2の要求していることは、とてもシンプルです。(自分はまだその力を見つけていないけれど)何らかの力が存在していて、その力が自分を酒から守ってくれて自分は再飲酒しなくなる、ということを信じるだけのことです。当然、その力とは何であるか? という疑問が湧いてくるわけですが、それに対しては現時点での「自分なりに理解した神の概念」で十分だ、というわけです。
そして、酒から守ってもらうためには、自分が霊的な生き方をしなければなりません。8) それはステップ3から12に取り組むということなのです。
次回はNAのステップ2です。
- なまじ普段は意志の力で酒をやめ続けていられるからこそ、アルコホーリクは自分の意志の力でやめ続けられると誤認しがちである。
- アルコホーリクの意志の力による防御は、ある瞬間にあっさりと崩れ去ってしまい、酒に対して無防備になってしまう。
- しかし、霊的な生き方をしていれば、その瞬間でも神が酒から守ってくれる。
- 自分を超えた大きな(偉大な)力としては、その時点で自分が信じられるものを選べば良い。
- ステップ3以降に取り組むことで、神の概念は変化していくはずだが、ステップ2ではそのことを気にする必要は無い。
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