ビル・Wに問う (24) ダウリング神父の影響力

『ビル・Wに問う』の第24回です。


Q24:エド・ダウリング神父とはどのように知り合ったのですか?

A24:忘れもしない、私のエド神父との最初の出会いはこのようなものだった。1940年の初め、冬の終わりごろ。その日のクラブにはロックランド病院から救い出された元消防士のトム老人と私だけだった(ニューヨーク市24番街にあったクラブハウスにはクリントン通りの家を退去させられたビルとロイスが住んでいた)。妻のロイスはどこか外へ出かけていた。一日中大忙しだったのに期待外れのことばかりの日だった。私は二階の自室で横になり、自己憐憫に襲われていた。それは私に特有の、想像上の潰瘍がもたらす発作のようなものだった。寒く、恐ろしい風が吹く夜で、私の上のブリキ板の屋根を、ひょうとみぞれが叩いていた。

やがて玄関の呼び鈴が鳴り、トム老人が応対に出たのが聞こえた。数分後、彼は私の部屋の入り口に顔を出したが、いかにも困った様子だった。彼は言った。「ビル、汚い浮浪者の老人が、セントルイスから来たので、あなたに会いたいと言うのです」 「ああ、なんて一日だ。まだもう一つあるのか」 私は、疲れて怒った声で、トムに言った。「わかった、いいから、この部屋に連れてきてくれ」 やがて私の部屋の扉口に、不思議な人影が現われた。彼はかたちの崩れた黒い帽子をかぶっており、それがまるでキャベツの葉に見えた。コートの襟が首のまわりに張り付いていて、彼は自分のステッキに寄りかかって立っていた。みぞれ雨に濡れて髪がべったり張り付いていた。また飲んだくれがやってきたと思って、私はベッドから出もしなかった。彼がコートのボタンを外したので、それでようやく彼が聖職者だと分ったのだ。

しばらくして、この人がAAとクィーンズ・ワーク1)とのすばらしい接点を作ってくれた聖職者だと分かり、私はたいへん喜んだ。私の疲労とイライラはすぐに消し飛んだ。私たちはたくさんのことを話した。真面目な話題ばかりではなかった。彼の二つの目が、私がそれまで見たこともないような、並外れたものであることに気づいた。彼が話していると、この新しい友人を通じて神の存在が流れ込んでこの部屋を満たしているように私には感じられた。それまで経験したことがない、いちばん特別な体験だった。それが、神の恩寵を他の人に伝達するという彼の類い希な能力だった。私だけがそうした経験をしたわけでなく、何百人ものAAメンバーが彼の存在からまったく同じ経験をしたと言う。これが、私がそれまで知らなかった、最も深い、最も感動的な友情の始まりだった。それが、私とカトリック の信仰を持った聖職者の最初の意義深い出会いだった(Blue Book, Vol.12, N.C.C.A.2), 1960)。3)

Father Edward Dowling
エド・ダウリング神父, from AACA

A: イエズス会 の私たちの偉大なる友人、エド・ダウリング神父は、かつて私にこう言いました。「ビル、とても良かったのは、皆さんがアルコホーリクス・アノニマスに何を取り入れたか、ではなく、何を取り入れなかったかです」(1955年、マンハッタン・グループでのテープ録音より)4)


  1. イエスズ会の出版部 — The Queen’s Work was founded by Jesuits of the Missouri Province to provide “a journal of national character” which would “[publish] articles of interest to all Catholics.” — Jesuit Archives, Queen’s Work Collection (jesuitarchives.org)  []
  2. National Clergy Conference on Alcoholism – 1960年代に聖職者がアルコホリズムに焦点を当てて開いていた協議会。 []
  3. cf. AACA, pp.57-58 []
  4. cf. AACA, p.112 []

2021-02-05ビル・Wに問う,日々雑記

Posted by ragi