雑感(7) 政治について

まずは御礼から

最初に御礼を申し上げます。何のお礼かというと、Amazonのアフィリエイト の売り上げが入金されました。このブログにはあちこちにAmazonへのリンクが張ってありますが、リンクにはアフィリエイトコードが含まれていて、皆さんがそのリンクを通じて本を買うと報酬が発生する仕組みになっています。

政治とは

このブログで時折、12ステップとも、AAとも無縁なトピックが取り上げられるのは、「◯◯について書いてくれ」というリクエストを頂戴するからです。今回は政治について書いてくれと言われ、確かにコロナウイルスのせいで政治への関心が高くなっていますから、タイムリーなネタと思って書くことにしました。

僕は宋文洲 の文章をよく読みました(テレビ出演は見なかった)。彼によれば「政治」の治は「治水」の治なのだそうです。

決断の故事

滔滔黄河
滔滔黄河Surging Stream of the Yellow River by
rheins, from Wikimedia Commons, CC BY 3.0

中国北部に黄河 という大河が流れています。チベットに源を発し、渤海に注ぐまで全長5,400Km。下流域は中原 と呼ばれ、黄河文明の発祥の地であり、多くの王朝の都が置かれました。上流の黄土高原 から大量の土砂が流入するせいで、黄河は常にコーヒー牛乳のように濁っており、百年河清を俟つという言葉は起こりえないことを待つという意味です。

大量の土砂が運ばれてくるので、下流域では天井川 になり、増水すれば氾濫しました。1) 中国四千年の歴史は黄河の氾濫との戦いだったと言ってもいいぐらいです。そこで農民たちをまとめて治水を行うのがリーダーの役割でありました。

中国最古の王朝はとされています。本当に夏朝が存在したのか、単なる伝説なのかは分かりません。いちおう遺跡が発掘されていますが、それが本当に夏朝のものなのかは確認できておらず、日本の邪馬台国的な存在と言ってもいいかもしれません(年代はぜんぜん違うけど)。

その夏の創始者は(そ)という人徳のある帝でした。禹の父は、堤を作る土木工事で治水を試みましたが失敗しました。いくら堤を高く作ろうとも、土砂が溜まればいずれ越水して氾濫します。父の後を継いだ禹は、人家や農地の少ないところの堤をあえて決壊させて洪水を導くことで、他の被害を防ごうとしました。

農民たちはこれに賛成しましたが、いざ自分の住んでいる土地が決壊予定地にされると、その人たちは反対に回りました。総論賛成・各論反対というやつです。彼らを説得し、全体をまとめ上げたことが禹のリーダーシップであり、それが夏王朝の成立につながるわけです。

禹のリーダーシップはともかく、この史実(いや伝説か)は、政治の本質を物語っています。つまり、政治とは「全体の利益のために誰を犠牲にするかを決めるゲーム」と言えます。ここでゲームという言葉は、遊びの意味ではなく、生活のかかった真剣勝負という意味で使っています。

決断の決という漢字は、堤の一部を敢えて低く作って水が溢れるようにしたこと(央という字の一部を欠き、さんずいを付けた)であり、決断には何かを犠牲にするという意味が含まれています。

民主制と憲法

近世まで、誰を犠牲にするか決めるのは支配者の役目でした。近代になって民主制 が広がると、それを国民が決めなければならなくなりました。とはいえ、例えば日本で総人口1億2千万人が一堂に会して大討論会を開くわけにもいかないので、選挙で選んだ議員が代行する仕組みとなりました。

(日本ではdemocracyデモクラシーを民主主義と訳すことが多いのですが、ここでは制度を取り上げているので民主制の言葉を使います)。

民主制は十分に討論を行った上で、最後は投票で多数決 を取るという仕組みです。多数決は功利主義 的に最大多数の最大幸福を確保するには都合の良い仕組みですが、多数派というのは少数派に対して時に横暴を働きます(多数派の専制)

たとえば、一部の人たちを奴隷にして強制労働させると、その他大勢の人たちは楽ができます。少数派は数が少ないので投票では必ず負けてしまい奴隷にされるのを避けられません。これではまずいので、「多数決が通用しない領域」を設けて、それを憲法に記したわけです(これを基本的人権という)。憲法には政府の行動に制限を加えて、人権を保護する機能があります。

民主制によって、国民が決定プロセスに間接的に参加できるようになり、憲法によって最低限の権利は守られるという変化はあったものの、「全体の利益のために誰を犠牲にするかを決めるゲーム」という政治の性質は現在も変わっていません

代議制度の限界

ところで、選挙で議員を選んで代行させるという仕組みは、実はあまりうまく機能しません。なぜなら、国会議員は数百人しかいないので、議員一人当たり10万人以上の選挙民を担当することになります。その一人ひとりの意見に耳を傾けることはできませんし、選挙民の間に意見の対立があればどちらに従うべきかという問題も生じます。そこで民主制においては、選挙によって代表を選ぶ以外にも、個別の案件について国民の意思を示す手段が必要になってきます。

多くの人にとっては、経済活動が主要な関心事になるので、同業の会社が集まって業界団体を作ったり、職域団体や職能団体を作って、議員や行政府に対して陳情を行い(時には圧力をかけて)自分たちが不利益を被らないよう、国の政策に影響を与えようとします。経済活動に限らず、環境問題、動物愛護、人権問題、学術振興、国際交流など様々な分野で特定の主張を持って政策に影響を及ぼそうとしている団体はたくさんあります。

そのような団体の活動は、自分たちへの利益誘導に熱心だという批判の対象となることもありますが、夏の時代に水没予定地の農民たちが反対の声を上げたように、自分たちが不利益を被らないように政策決定に影響を及ぼそうという活動は、政治に不可欠なものです。とくに民主制においては、選挙による代議制度の不備を補ってくれる重要な要素です。

社会の常態は人権と人権の衝突である2)

さて、憲法が人権を保障してくれているのだから、政治に参加しなくても自分の権利が守られるという期待は裏切られる運命にあります。

憲法は様々な権利が書かれていますが、その権利のすべてを常に実現するのは不可能です。なぜなら、ある人の権利と他の人の権利が衝突するという事態が常に起きるからです。憲法は複数ある権利の優先順位を定めていませんから、どれを優先するかをケースバイケースで決めていかなければなりません。つまり、何かの権利が犠牲にされることは避けられないのです。

どの権利を優先させるかは人によって違いますし、同じ人が状況に応じて優先順位を変えることもあります。例えば、2019年のあいちトリエンナーレ の企画展「表現の不自由展・その後」は展示内容が問題とされて、途中で中止されました。中止に対しては、憲法21条にある表現の自由 を根拠に批判する人も多く、後に展示が再開されました。ところが今度は、トリエンナーレの展示内容に対して反対していた人たちがあいちトリカエナハーレ2019「表現の自由展」 という政治的に正反対の主張を含んだ芸術祭を開催しました。すると、以前は表現の自由を根拠にトリエンナーレの開催を支持していた人たちが、トリカエナハーレの開催には反対するという現象が見られました。このように状況に応じて表現の自由を出したり引っ込めたりするのは(一貫性を欠いてはいますが)個人の選択として許されることでしょう。これは、場合によって表現の自由より優先される権利が存在するということであり、より一般化すれば、基本的人権のなかに含まれる権利も他の権利が優先されることで犠牲になりうる、ということを示しています。この社会は、人権と人権が衝突しているのが常態です。憲法による人権の保障は、人権の最終的な拠り所であって、最初からそれを当てにするのは良い戦略ではありません。

政策決定のプロセス

さて、民主制が多数決による意思決定を行うにしても、そこに至るには法案の作成から議会での討論まで、さまざまな議論をして少数派に対する配慮と調整がなされるわけですが、姿を現わさない少数派はどうしても無視される傾向があります。日本では議員立法 が少なく、ほとんどの法案は行政府が作りますが、官僚は業界団体や職能団体の代表を呼んでヒアリングを行った上で法案を作ります。それを癒着と呼ぶ人もいますが、これも民主制の一部と考えるほかありません。

アルコール健康障害対策基本法 関係者会議を傍聴していたとき、そのプロセスを目の当たりにしました。会議に酒造メーカーの代表が参加していなかったのは何らかの政治的思惑があってのことでしょうが、酒販業界の代表は加わっていました。代表者がきちんと自分たちの主張をして、政策に反映させていくところに「場慣れしている」という印象を持ちました。一方で、最終的に酒を顧客に提供する飲食店の業界代表は来ていませんでした。そのことを不思議に思い、理由を聞いてみたところ、飲食店の業界団体が存在しない(少なくとも全国レベルでは)ということでした。その法律は特に飲食店に規制をもたらす法律ではなかったものの、業界団体が存在しないということは(そしてその声が届かないということは)いずれ大きな不利益を彼らにもたらすのではないか、と人ごとながらちょっと心配になったものでした。

コロナ禍の犠牲者

今回の新型コロナウイルスの流行ほど、政治が「全体の利益のために誰を犠牲にするかを決めるゲーム」であることを明らかにしたものはなかったと思います。そこには、「全体の利益とは生命なのか経済活動なのか」という議論があったはずですし、「生命を守るならば誰のどんな経済活動を犠牲にすべきか」という議論もあったはずです。結果としては、緊急事態宣言が発令され、幅広い業種に休業要請がなされました。(将来このエントリを読んでも分かるように記録しておくと、遊興施設や生活必需品以外を扱う商業施設が休業要請の対象となった)。飲食店に対しては休業要請はされなかったものの、営業は午後8時まで、酒類の提供は7時までで、「3つの密 」を避けるために、店内での飲食はやめにしてテイクアウトだけにせざるを得ないところも多く、補償がまったくないまま休業に追い込まれ苦境に陥った店も多いと聞いています。飲食店に限らず、他の多くのサービス業も似たような状態でした。

業界団体がない(またはあっても力が弱い)ために政策決定のプロセスには口を挟めず、自粛要請が出てしまえばそれに抗えないのを見て、政治というのは政治家に任せるものではなく、民主制においては国民一人ひとりが政策決定に影響を及ぼす努力をすることが前提なのだという思いが強まりました。

2月に武漢からチャーター機で帰ってきた人たちや、ダイアモンド・プリンセス号に乗っていた人たちは、日本への入国のために2週間の隔離を受けました。しかし、その他の国から空港や港に到着した人たちは、特段の制限は受けず、3月下旬になって入国後の自宅待機を要請されるようになっただけでした。もし、こうした入国者に対しても3月初めから2週間の隔離を実施できていたら、3月後半からの感染拡大は起こらず、4月以降の緊急事態宣言も自粛要請も不要だった可能性が高いわけです。もちろん、それによって外国との通商を行う産業や、インバウンド消費は大きな影響を受けたでしょうが、それ以外の国内産業は通常通りの営業を続けていられたはずです。SARS MARS の経験があった台湾やベトナムは、早めに入境を規制したおかげで、通常の市民生活への影響を最小限にとどめられました。台北では早々と人びとが普通に夜市 で食事をする生活になっています。もちろん、台湾も観光と輸出に頼る経済構造なので、景気に対する影響は大きいものの、市井の生活は保たれています。

わきみちところで、新規感染者数の移動平均は4月14日頃にピークアウトしています。感染から判明まで1~2週間要することを考えると、4月7日の緊急事態宣言より前に、感染者数は減りだしていた可能性が高いのです。だとすれば、休業要請は感染拡大防止にあまり寄与しておらず、3月下旬からの施策(観光などの自粛と海外渡航制限)が効果があったということになります。

国境を開けておけば、ある産業がダメージを受け、国境を閉じれば別の産業がダメージを受ける。ではどちらを選ぶのか、というのは、禹の決断の故事の再現そのものであり、「全体の利益のために誰を犠牲にするか決めるゲーム」という政治の本質が剥き出しになった事案です。同じような構図は、例えば原子力発電をどうするかという問題にも、辺野古の埋め立て問題についても当てはまるでしょう。

経営が傾いているのは中小だけでなく、自動車や航空などの大手も苦境に陥っていますが、おそらくは政府の支援が行われるでしょう。それを癒着の構図と批判することもできるし、基幹産業の維持は全体のためという理屈も成り立ちますが、民主制度の中で彼らは彼らの活動によって自らを守っているとも言えるのです。

デモを行ったり、SNSで声を上げていくのも必要なことですが、何らかの決定が行われた後で反対を唱えて覆えそうとするのは効率が悪いやり方です。政治不信が高まっているという表現もしばしば目にします、僕は不満の背後には民主制(民主主義)に対する幻想があるのではないかと疑っています。

日本の民主制はどこから来たか

第一次世界大戦 ドイツ帝国 は敗北し、巨額の賠償金を負わされました。休戦が決まったとき、西部戦線はまだフランス国内にあり、連合国軍はドイツ国内に攻め入っていませんでした。だから、戦争が終わってドイツ軍が国内に引き上げてきたとき、ドイツ国民はまだ十分戦闘可能な自軍の姿を見ました。それによってドイツ国民に「戦争には負けていない」という考えが広がり、戦争責任の拒否や戦後のベルサイユ体制 への不満が生じました。それはやがてナチズム の台頭を許し、第二次世界大戦 へとつながっていきました。

連合国側は、ドイツが再び戦争を始めたときに、第一次世界大戦の戦後処理の誤りに気づかされました。敗戦国に賠償金を負わせても戦争の抑止にはならないこと、戦争遂行可能な体制を温存させてはいけないこと、抑止には戦争責任の自覚が必要であることです。

現在の日本人は、日本が平和を愛する国だと思っている人が多いですが、それは戦後に連合国側が植え付けたイメージであって、戦前の日本は戦争を好む国でした。明治維新前の薩英戦争 下関戦争 を皮切りに、日清戦争 日露戦争 、第一次世界大戦、日中戦争 と、日本の近代史は対外戦争の連続と言っても過言ではありません。外国からは日本は戦争を好む民族だと見なされていました。

だから、日本が枢軸国側として第二次世界大戦に参戦したとき、連合国側としては、ドイツや日本を二度と戦争をしない国にすることを目標にせざるを得ませんでした。勝敗はすでに1944年に明らかになっていたにもかかわらず、戦争は続けられ、枢軸国側は爆撃にさらされました。そして戦争終了後は、戦前の政治体制は解体され、より民主的な新しい憲法のもと、戦争責任を意識する教育が行われるようになりました。

だから、日本の民主制というのは、革命などによって国民が勝ち取ったものではなく、敗戦の結果受け入れざるを得なかったものであり、旧体制を否定するために過度に美化されている面があります。民主制というのは、賛美に値する素晴らしい政治制度ではありません。ならば、もっと素晴らしい制度があるのかと言えば、それはまだ見つかっていないというが残念なところです。

イギリスの政治家ウィンストン・チャーチル (1874-1965)の言葉が、そのことをよく表現しています。

民主制が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主制は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主制以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。


No one pretends that democracy is perfect or all-wise. Indeed, it has been said that democracy is the worst form of government except all those other forms that have been tried from time to time…
1947年11月11日イギリス下院での演説

終わりに

民主制は特に素晴らしいものではなく、他よりマシというだけです。ところが世界には民主制が脅かされ、自らを危険にさらしてでもそれを守ろうとしている人たちもいます。その様子を見れば、民主制がいかに貴重で壊れやすいものであるかがわかります。民主制よりマシなものが見つかっていない以上、それを守っていくほかありません。

しかし民主制は、放っておいても機能する自動システムではなく、常に全員の関与が必要な仕組みです。いろいろな家電製品が誕生して生活が便利になっても、家事全般を担ってくれる汎用自動ロボットがなかなかできないように、全自動で善政を敷いてくれる政治制度もまだできません。選挙に行ったり、デモをしたり、SNSで声を上げることも政治参加ではあるのですが、民主制はもう少し面倒なことを国民に要求する仕組みだというのが僕の理解です。

金曜日の居酒屋談義みたいな話に、最後まで付き合っていただいて、ありがとうございます。


  1. 濱川栄, 大河と治水―黄河の場合, 『世界史単元別資料一覧』, 帝国書院, 2010[]
  2. ある弁護士の言葉として紹介していただいた言葉だが、それが誰なのか失念してしまった。[]

2024-10-25その他,日々雑記

Posted by ragi