雑感(3) ひいらぎ、仕事やめたってよ
誰かが飛び出していくのは良くあること
今月末で施設の仕事を辞めます。わざわざブログに書く必要のないことかもしれませんが、書かないでおくと隠し事めいてしまいますからね。
6年前から夫婦で某◯ックで働いてきたのですが、二人そろって辞めることになりました。
AAのグループは当事者の集まりですが、人間の集まりである以上、そこには必ず人間関係の軋轢が生じます。その軋轢が解消できずに、誰かがグループから飛び出していく、ということがしばしば起きています。
6年前に関東に来て、東京近辺のAAミーティングに出席して印象深かったのは、
● ホームグループを持たない人の多さ(「フリー」と呼ばれる)
● 別のホームグループへ移る人の多さ
いずれも絶対数が多いと言うよりは、地方のAAにくらべて相対的に多いという意味です。
ホームグループを持たない人たちは、グループの維持に労力を提供しないでサービスの恩恵を受け取るだけのフリーライダー 的存在であると同時に、自己犠牲による恩恵にあずかれないという機会損失に甘んじる人たちでもあります。「フリー」という選択が許されるのはAAメンバーの多い都会だからであって、メンバー数の少ない地方のAAでは、どこのグループにも属さないでいるのは難しいものです(限界集落には自治会に入らない自由がないのと同じ)。
別のグループに移るというのは、選ぶ余地があるだけAAのグループ数が多い都会ならではの現象です。積極的にグループを移る人もいれば、ゴタゴタの結果グループを出て一時的にフリーになり、やがて他のグループに腰を落ち着ける人もいます。
僕はグループを移るのは悪いことではない、と捉えています。地方都市ではAAグループが一つしかないところも多く、そこでゴタゴタがあって誰かが出ていくということは、すなわちAAをやめることを意味するからです(その人が新しいグループを作るなら別ですが)。
ところで、僕が仕事を辞めた理由ですが、当事者主体で運営されている施設では、AAグループと同じようなことが起こる、と申し上げれば察して頂けるでしょう。ただ、別の施設に移ってこれまでと似たような仕事をするのではなく、依存症の回復支援とは違う分野の仕事になりそうです。
それでメシを食ってるのがプロさ
施設とAAが似ていると言えど、大きな違いもあります。それは金銭に関することです。AAグループの運営に必要な費用はそれほど多くはなく、メンバーの献金によって賄えます。一方で施設の運営にはもっと大きな費用がかかります。施設の家賃や光熱費、従業員の給料を払っていくだけの売り上げが必要です。
障害福祉サービスは、疑似市場メカニズムが導入されていて、利用者が多いほど収入が増える仕組みになっています。だから、一般のお店や企業が一人でも多くの顧客を獲得しようと努力するように、施設も利用者を増やそうと努力します。赤字だと倒産しちゃいますからね。
ところが依存症回復施設の利用者は全国的に減少傾向にあります。1990年代以降のアルコール消費量の減少1) と生産年齢人口の減少2) を踏まえれば、アルコール依存症者の減少が起きていると考えるのが自然です。依存症回復施設は衰退産業であり、縮小するパイを奪い合う競争の時代に入っています。
僕は転職するタイプの人間ですが、それまで勤めた会社には、顧客獲得を職務とする営業職が置かれていました。「この法人にも営業職を置いたらどうか?」という提案をしてみたものの理事会の反応は薄く、では代わりにと広告を出してみても効果ゼロ。現場の仕事が忙しいので自分で飛び込み営業を展開する余裕もなく・・・。やはり新参施設が実績ある施設と真っ正面から競合しても勝ち目はなさそうでした。
ブルー・オーシャン戦略の成功
そこで、レッドオーシャンを勝ち抜くのを諦めて、新市場を開拓するブルー・オーシャン戦略 を取ることにしました。よくあるのは、アルコール以外の依存症にシフトしていくというパターンです。近年、ギャンブル関係の施設が増えてきたり、性依存症を診るクリニックが登場したのは、このブルー・オーシャン戦略によるものでしょう。市場原理による需給の調整が働けば、そういう業態が登場して当然です。
しかし僕は、ターゲットをアルコール以外にシフトしていく戦略は採りたくありませんでした。というのも、6年前に、それまで順調だった仕事を辞めて施設の仕事に移った理由の一つは、職業的にもAAに寄与したいという動機があったからです。アルコール以外の人を受け入れるにしても、あくまでアルコールをメインのターゲットにしたいという希望がありました。
では、どうしたか。アルコールの分野にあるブルー・オーシャンを狙うことにしました。
アルコール依存から回復する人の中で、施設を利用する人の割合はわずかです。多くの人は施設とは無縁に回復していきます。だから、施設に対して「自助グループだけでは回復できない人が行くところ」という印象を持っている人が多いのです。これは良いイメージではありません。支援者が「施設に行ったらどうか?」と提案しても、「私はそこまでひどくはありません。自分でAAに通って回復して見せます」という反応になることが多いのです。
AAのメンバーで、施設を使ったことがある人が少数派だということは、アルコールの回復施設がニッチ市場 を相手に、特別なニーズを満たすことで生き残ってきたことを意味します。そこで蓄積されてきたノウハウは、マジョリティが要求するものとはズレがあるはずです。マジョリティ層を獲得するには、新しい仕掛けが必要です。
「私には施設の利用は必要ない」と思っている人に、「あそこの施設を使ってみたい」と思わせるにはどうするか。一つは施設にまとわりついた暗い印象を払拭する「イメージ戦略」です。それは初期のSMARPP やその元になったマトリックス・モデルのイメージ戦略を参考に、ちょっと知的でスマートな印象を与えるように工夫を施しました。もう一つは顧客満足度 を上げることです。自然に意欲的になれて、成し遂げたときに達成感が得られるような仕組み作りを心がけました。
結果としては、そこそこの成果は出せたと思っています。6年のうち、1期赤字を出してしまいましたが、他は黒字でした。ラーメン屋に例えれば、長蛇の列が出来るような超人気店にはならなかったけれど、客足が途絶えない店にはできたという感じでしょうか。マジョリティのほんの一部を獲得できただけですが、それでも小さな施設を維持するには十分だったと言えます。
中途半端に導入されている市場原理
さて、少し違う角度からの話になりますが、たいていのものには中身と器があると思います。例えば、みそ汁とお椀、ラーメンとどんぶり・・・。回復のプログラムがAAの中身だとするなら、AAグループはそれを入れる容器です。そして、施設も同様に器です。
本当は中身に集中したいのに、施設という器を維持するためにエネルギーを割いた6年間だったと言えます。それは仕方のないことで、給料を払ってくれるのは器(施設)のほうなのですから。そして、器よりも中身に愛着を感じる自分としては、6年間で次第に消耗したというのが正直なところです。AAが伝統8でプロフェッショナライズを否定している意味を、身をもって体験することになったわけです。そもそも施設の経営をしたかったわけじゃないんだよなぁ。
もともと回復施設は、採算度外視で、赤字を寄付金と補助金で埋め、労働力不足は無償ボランティアの協力で埋めるというやり方で広まってきました。小泉内閣 で成立した障害者自立支援法 で福祉施設にも市場原理が導入され、それによって産業化が進んできました。それは経営の安定をもたらした一方で、金銭的動機の増大を招きました。それも時代の変化でやむを得ないことなのでしょうが、亡くなる前にバーブさんが言った「こんなはずじゃなかったんだよなぁ。みんな金の話ばかりで」という言葉も気にしなければならないと思うのです。
そして市場経済が導入されたと言っても、それはあくまでも官製の疑似市場であって、見えざる手 に支配される市場とは違います。税金を投入する以上、施設がどれぐらい儲けるかは政府がコントロールして、大もうけもできないが、潰れもしない範囲に収める仕組みになっています。このように政府が神の役を演じる最大の弊害は、良いサービスを提供しようが粗悪なサービスを提供しようが利益が一定ならば、人は良いサービスを提供しようという意欲を失う、ということです。そうしたアパシーが蔓延する業界で働いて、自分も抗えずに次第にアパシーに侵食されていくことに危機感を持っていました。
プロフェッショナル特有の限界
プロになるということは、「これ以上のことはしてはいけない」という様々な限界を設定されるということです。その中で最も厳しい限界は、経済的理由によって設定されます。ところがアマチュアであるAAのスポンサーたちは、それでメシを食っているわけではないので、プロが閉じ込められている限界を易々と飛び越えて成果を出すことが出来ます。もちろん、やるかやらないかはその人の選択ではあるものの、このブログの隠れたテーマの一つである「アマチュアにおける専門性」の由来はそんなところです。
仕事を辞めた理由は他にもいろいろありますが、生活の糧は他の仕事で得たほうが良さそうだ、ということになったわけです。
- 「酒を飲まなくなった日本人 : 1人あたり消費量ピークの2割減」 (nippon.com), ニッポンドットコム, 2019-5-22[↩]
- 総務省「人口減少の現状」— 『平成30年度版情報通信白書』 (soumu.go.jp), 総務省, 2019-12-20[↩]
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