ビル・Wに問う (39) ロックフェラー家との関係

『ビル・Wに問う』の第39回です。


Q39:ロックフェラー家とアルコホーリクス・アノニマスの関係はどのように発展したか?

A39:1937年の秋のドクター・ボブらとの)会合の後で、私は情熱に燃えてニューヨークへ戻ってきました。やがて悲しい発見をすることになりました。私たちが必要とするだけの金を持っている大金持ちたちは、私たち酔っ払いには何の関心を示さず、まったく気にかけてもくれませんでした。私は嘆願をして周ったものの、先行きが不安になりました。ロックフェラー財団 にもアプローチしてみました。ジョン・D(・ロックフェラー)はきっとアルコホリズムにも、社会学にも、医学や宗教にも興味をもっているだろうから、望み通りの人物にちがいない。ですが、私たちはロックフェラー財団のどのカテゴリにも収まらず、しかも財団は当時の不景気もあって少々財政が悪かったので、うまくいきませんでした。ある日、私は医師をしている義弟1)のオフィスにいました。私は、金持ちたちがいかにしみったれているか、私たちに必要な金を見つけるためには、いったいどこへいったらいいのかと愚痴をこぼしていました。彼は「ロックフェラー財団には頼んでみたか?」と聞くので、もうやったと言いました。彼は「そうか。じゃあ、ロックフェラー氏と個人的に会えるように手配してやろうか?」と言いました。「ドクター・ウィン、からかうなよ。まあ、君がイギリスの皇太子に紹介してくれるというのなら喜んで。彼なら僕らを助けられるだろうから」 それを、奇妙な運命の曲がり角とでも、それとも神の摂理とでも、好きに呼んでいただいて構いませんが、細いつながりがありました。医師をしている私の義弟は、座って頭をかきながらこう言いました。「私が学校に通っていた若いころ、ある女性と付き合っていたが、彼女にはウィラード・リチャードソンという叔父がいたはずだ。かなり年配の男だからもう死んでいるかもしれないが、彼はロックフェラーの慈善事業の何かに関わっていたはずだ。私がロックフェラーの事務所に電話して、彼がまだいるか、私のことを憶えているか聞いてみようか」 彼は電話でこの老紳士を呼び出してくれました。その人こそ、これまでAAが持った中でも最も偉大なノン・アルコホーリクの友人の一人になるのですが、彼はすぐに私の義弟のことを思い出してくれ、こう言いました。「レオナード、もう何年も会っていないな。ぜひ会おうじゃないか」

私と違って、義弟は口数がとても少ない男で、かなり緊張しながら、親戚がアルコホーリクを助けようとしていて、ある程度進んでいるのだが、ロックフェラーの事務所に行ってそれについて話したいと説明しました。老紳士は「いいとも」と言ってくれ、すぐに私たちはジョン・Dの非常に近しい友人の一人である素晴らしいクリスチャンのジェントルマンと会えたのでした。会ったときに、私は財源に近づけたと考えていて、老紳士が鋭い質問を幾つかしてきたのに対して、できるだけ長々と作り話をしました。彼はこう言いました。「ミスター・ウィルソン、週明け早々にいらして、私と一緒に昼食をいかがですか?」 素晴らしい。私たちは大いに興奮しました。その昼食の時に彼はこう言いました。「あなたのしていることに本当の興味を持ってくれそうな人を3、4人知っています。これから彼らと会議をする予定ですが、彼らはロックフェラー氏の友人や関係者で、委員会のメンバーになっている人もいます。委員会は先ごろ禁酒法の廃止を勧告したところです」 そのしばらく後に、アクロンからスミッティと二人、ニューヨークから何人かのアルコホーリクが、ロックフェラー氏のプライベートな会議室で、ロックフェラー氏の友人たちと会いました。私の座っている椅子は、つい30分ほど前までロックフェラー氏が座っていたと教えられました。私は本当に興奮していました。

私たちは戸惑い、何を言って良いか分からなくなってしまったので、アルコホーリク一人ひとりが自分のストーリーを話し始めました。新しい友人たちはその話に引き込まれていたのですが、次に私は気が進まないながらも慎み深く金の話題を持ち出しました。すると、すぐに神が多くの人たちを通じて私たちの運命に働きかけることになりました。テーブルの上座に座っていたスコット氏がこう言いました。「私は皆さんのお話に感動し、心を動かされました。だが私が懸念しているのは、もし皆さんが金銭を得れば、職業階級を作り出すのではないでしょうか。設備や、資産や、病院などの管理は、皆さんを純粋な善意という目的に集中するのを難しくする恐れはありませんか」 ええ、その通りです。確かに私たちもそうした困難について考えていました。私たちのメンバーの中にも再考を促してくる人たちもいました。ですが、私たちは何もしないことのリスクの方が、一部でも何かをするリスクより大きいと感じていました。私たちは言いました。「スコットさん、遠く離れたところにいるアルコホーリクに今起きていることを知らせるためには、少なくとも私たちの経験を記録した本が私たちの団体に必要なのです

紳士の一人がアクロンに視察に行くと言うので、私たちはスミスの家に設定された抵当権が私のものより大きいことを伝えました。彼はアクロンに出かけていき、賞賛に満ちた報告書を手に戻ってきました。リチャードソン氏はそれをロックフェラー氏に提出しました。その時がもう一つのターニングポイントになりました。アクロン第一グループについての話を聞き、報告書を読んだロックフェラー氏は、私たちに深い関心を抱き、心を動かされたと語りました。彼は言いました「だが、ディック。もし私たちが彼らに大金を渡せば、その金は彼らをすっかりダメにし、状況は一変してしまうだろう。それでも君たちはこれには金が必要だと考えているのだろうから、話を進めて、彼らには少々の金を渡せば良いだろう。私はこうするのが良いと思う。リバーサイド教会の基金に少額を入れておくから、君たちはそれを引き出して、この男たち二人をしばらく助けてやるといい。だが、彼らの活動は(経済的に)自立するべきだろう。ディック、金はこれをダメにするよ」 なんという深謀遠慮でしょうか。神は私たちを通じては働きかけませんでしたが、ロックフェラー氏を通じて働きかけました。彼とAAとの関係は、このときに実際にはこのようにして得られたのです。生涯を通じて慈善資金を提供してきた彼が、この時は「今回は違う」と言いました。彼が私たちに大金を与えなかったことについて、神を讃えようではありませんか。(1951年2月、イリノイ州シカゴ)。

1938年2月のビル・Wたちとジョン・D・ロックフェラー2世 との接触については、『アルコホーリクス・アノニマス 成年に達する』のpp.223-230に記述がある。また1940年2月のネルソン・ロックフェラー がAAメンバーを招いた晩餐会については、pp.276-284 に記述されている。

  1. ビルの妹ドロシーの夫レオナード・ストロング二世。 []

ビル・Wに問う,日々雑記

Posted by ragi