ビル・W

ビル・W – Bill W.

ビル・W
―from Pass It On

ウィリアム・グリフィス・ウィルソン(William Griffith Wilson, 1895-1971)ビル・ウィルソン(Bill Wilson)とも。

AAの共同創始者であり、自らがアルコホリズムから回復しただけでなく、その回復の原理を12のステップとしてまとめ、ビッグブックという書籍として出版した。AA共同体の発展において中心的な役割を果たした人物である。1934年12月から1971年1月に亡くなるまで36年余りソブラエティを保った。

「彼はあくまでAAの共同創始者であって、AAメンバーだったことは一度もなかった。なぜなら私たちがそうさせなかったからである」1) という言葉は、AAにおける彼の存在の大きさを示している。

以下、出典の明記のない情報は Pass It On2) および『AA成年に達する』3)より。

1895年にアメリカのバーモント州 イースト・ドーセットDorsetに生まれた。父方の祖父はアルコホーリクであったが宗教的体験をした後は一切酒を飲まなかった。4) 父親も大酒家だった。両親が離婚し、母親が勉学のために家を離れたため、ビルは妹ドロシー(Dorothy Strong, 1898-1994)とともに母方の祖父母に育てられた。母方の家系は教師や判事が多く、一家は酒に厳格だった。

高校時代に後にスポンサーになるエビー・Tと一年間同級生となった。また同じく高校時代に牧師の娘と恋愛関係になったが、手術で彼女が急死し、その後抑うつに陥ったために卒業できなかった。

ドーセットの南のマンチェスターは保養地であり、夏に避暑に訪れる「サマーピープル」の中に、後の妻であるロイス・バーナム(Lois Burnham, 1891-1988)やエビーがいた。

アルコホリズム

ビルはノーウィッチ大学Norwich Universityに進んだが、抑うつとパニック障害で休学した。復学したもののアメリカが第一次世界大戦に参戦したため、バーモント州軍に招集された。ヨーロッパへの派遣待機中に招かれた市民の家で酒を飲んだのが初めての飲酒であり、その後すぐに大量飲酒者になった。ヨーロッパに派遣される前にロイスと結婚。復員後、夫婦はニューヨークに移り、ビルは法律学校ロー・スクールに通ったが、飲酒が原因で学位証明書を得られなかった。

ビルはウォール街 で株式調査員の仕事を得た。1920年代の好景気もあり、株式ブローカーとして経済的に大きく成功したが、1929年の大暴落で破産した。飲酒によって再起のチャンスを数度棒に振り、その後さらに飲酒が悪化したために仕事ができなくなり、生活はロイスが働いて支えることになった。

1933年秋、ニューヨークのチャール・B・タウンズ病院に入院。ウィリアム・D・シルクワース医師からアルコホリズムの治療を受け、この病気についての彼の理論を教えられた(この情報が後に12ステップのステップ1に反映された)。だが、それだけでは退院後の彼の断酒は長く続かず、翌34年の夏と9月に入院。この時、妻のロイスはシルクワース医師から、ビルを監禁しなければ、遠からず死ぬか気が狂うかどちらかになるだろうと絶望の宣告を受けた。

ビルの霊的体験とAA

ビルは11月の終わりに、かつての飲み友達エビー・Tの訪問を受けた。エビーもアルコホーリクだったが、オックスフォード・グループのメンバーに助けられて酒をやめており、エビーの訪問はそれを飲酒中のビルに伝えるためであった。ビルはエビーから、宗教的な回心の体験がアルコホーリクを救いうるというカール・ユング医師からの情報(後のステップ2)、およびそれを得るためのオックスフォード・グループの実践(後のステップ3~12)を知らされた。

12月になり、最後の入院をしたビルは、病室の中で white lightホワイト・ライト あるいは hot flashホット・フラッシュ と彼が表現する霊的体験を得た。翌日、ウィリアム・ジェームズ 『宗教的経験の諸相』5)を読んだ彼は、自分の経験したものががユングの言う回心 の体験だと確信し、他のアルコホーリクも霊的体験を得られるように手助けする活動を始めた。だが、半年ほどはまったく成果が得られなかった。

翌35年5月、ビルは仕事で訪れたオハイオ州アクロンで、アルコホーリクであるドクター・ボブと出会った。ボブはすでにオックスフォード・グループに加わっていたが、そのプログラムを実践できずに飲み続けていた。ビルの援助を受けたボブは、オックスフォード・グループのプログラムを実践して断酒に成功した。

その後、ビルはニューヨークにおいて、ボブはアクロンにおいて、オックスフォード・グループの中に酒をやめたアルコホーリクの一団を作っていったが、やがて彼らはオックスフォード・グループから分離してアルコホーリクス・アノニマス(AA)という団体として独立した。

ビルはAAの共同創始者として、GSOのマネージャーとしてAAの発展に尽力したが、しばしば深い抑うつに見舞われた。AAが20周年を迎えた1955年にはその任を降りた。

晩年・著書・評価

晩年(1969年4月)までタバコをやめず、喫煙が原因の肺気腫で1971年1月24日に亡くなった。

主な著書にビッグブック(1939)『12のステップと12の伝統』(1953)『アルコホーリクス・アノニマス 成年に達する』(1957)『ワールドサービスのための12の概念』(1962)がある。また AA Grapevine 誌に多くの記事を書き、後に書籍にまとめられている(The Language of the Heart (1988)、『ベスト・オブ・ビル』(1955))。AAからは伝記 Pass It On (1984) が出版されており、また録音から書き起こされた自伝 Bill W―My First 40 Years(2000)が Hazelden から出版されている。

ビルの飲酒と回復についての体験記は、ビッグブックの第一章と『成年に達する』の第二章の「回復」のセクションに書かれている。

子孫はない。妹ドロシーの夫レオナード・Ⅴ・ストロング二世医師(Dr. Leonard V. Strong, Jr., 1899-1989)は初期のAAの理事を務めた。またビルの父親が再婚後にもうけた異母妹が一人いる。

1999年、TIME誌は、Time 100: The Most Important People of the Century6) の一人にビル・Wを選んだ。

参照:
無名性(アノニミティ)について

外部リンク:
The Wilson House, East Dorset, VT 05253
Stepping Stones – The Historic Home of Bill and Lois Wilson, Katonah, NY 10536
Bill Wilson, Co-Founder of Alcoholics Anonymous (geni.com)


  1. PIO, カバー裏.[]
  2. PIO.[]
  3. AACA.[]
  4. Susan Cheever, My Name is Bill, Bill Wilson – His Life and the Creation of Alcoholics Anonymous, Washington Square Press, 2004, p.17.[]
  5. William James, The Varieties of Religious Experience, 1901-02 ―― ウィリアム・ジェイムズ(桝田啓三郎訳)『宗教的経験の諸相』, 岩波書店, 1969/1970.[]
  6. One Century, 100 Remarkable PeopleTime (time.com), TIME USA. ―― ビルは Heros & Icons の項にある。 日本語訳は、徳岡孝夫訳『Timeが選ぶ20世紀の100人 下』 アルク, 1999.[]
同義語:
ビル・W, ビル・ウィルソン
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2024-08-29

Posted by ragi