12ステップは自由に解釈して良いのか?

さて、僕が12ステップのことを知りたいと思ったときに、最初に思いついたのが、「12ステップ経験者の話を聞くこと」でした。実際に、12ステップで良くなった、という人はAAの中にそれなりの人数が存在します。彼らの話を聞けば、なるほどと納得できる中身もたくさんあります。しかしそれは「その人の個人的な解釈」です。

12ステップはメンバーがそれぞれに自由に解釈して良いことになっています。ビル・Wはこう書いています:

12のステップには、どうしてもこのように解釈しなければならないというものはほとんどありません。たいていのステップは、各人の経験や見解によって自由に解釈していいのです。ですから、それぞれの人ができるところから、あるいはやろうと思うどこからでもステップを始められます。
『ビルはこう思う』1)
There are few absolute inherent in the Twelve Steps. Most Steps are open to interpretation, based on the experience and outlook of the individual. Consequently, the individual is free to start the Steps at whatever point he can, or will.
As Bill Sees It 2)

ビル・Wは、AAのなかではやっぱり特別な存在であり、その言葉は権威を帯びます。その彼が(ほとんどの部分は)「自由に解釈して良い」と言っているおかげで、AAの中には実に多様な12ステップの解釈が存在しています。

12ステップには「このように解釈しなければならない」という縛りもないし、「こう解釈すれば良い」という正解もありません。杓子定規な解釈を押しつけないところがAAの長所であり、ステップミーティングでは参加者それぞれが自由な解釈を語るのがふつうです。

しかしビルは「あなたの自由な解釈で回復できます」とは言っていません。自由な解釈を許すのは、間口を広げ、ステップに取り組みやすくするための手段なのです。

芸術鑑賞を例に使って説明しましょう。

「芸術作品は見る側が自由に解釈して良い」とか、「芸術解釈に正解はない」という言い方があり、芸術の市民講座などでは自由に感想を語り合うことを勧めてきます。シロウト丸出しのことを言っても誉めてくれたりします。ですがこれは、美術鑑賞という敷居が高く感じられる行動への抵抗を取り除く効果を狙ったものです。実際にはどんな解釈でも許されるわけではありません。例えば、下の絵はスペインの画家パブロ・ピカソの『ゲルニカ』です。

Pablo Picasso: Guernica
Pablo Picasso: Guernica (C) Papamanila 2009, CC BY-SA 3.0

これを見てどんな感想を持っても個人の自由ですが、例えば「これって獣姦の絵じゃありませんか、ピカソって変態だったんですね」と言ったら、ピカソに失礼だとお叱りをうけるでしょう。多様な解釈がありうるとしても、これがナチスドイツによるゲルニカの無差別爆撃を描いたものだと知れば、おのずと解釈の幅は限られてきます3)

12ステップも芸術も、自由な解釈が許されており、正解はありませんが、実は「不正解はある」のです。そのことに気づかず、12ステップの自分なりの解釈にこだわったまま、壁にぶち当たって前に進めなくなる人は多いのです。

ここで不正解とは、回復をもたらさない=効果の無い解釈ということです。ではそれは誰にとっての効果なのか。

一つは、自分自身です。どんな解釈であれ、それで自分が良くなったのなら良いじゃないか! 他人にとやかく言われる筋合いはないのだ・・・というわけです。僕が話を聞いた人たちも「その人の12ステップの解釈」を語ってくれました。ときには、それは他の人にはついていけない風変わりな解釈であったりしました。

前回は、プラグマティズムを取り上げました。AAが、その人自身しか回復できなさそうな風変わりな12ステップの解釈を許容しているのは、それが有用な結果を生み出しているからにほかなりません。

さて、もう一つは、自分以外の多くの人にとって、その解釈が効果を生むかです。これはスポンサーをやる側になると気がつかされます。スポンサーとして12ステップをスポンシーに伝えていくとき、自分の解釈で相手も良くなってくれればいいのだけれど、そうならないないときにどう考えるかです。

相手が回復しないのは、相手の努力不足なのか(相手の問題)。それとも自分の12ステップの解釈が違うのではないか(自分の問題)。AAメンバーとしてはどちらの態度を取るべきでしょうか。・・・誠実であろうとするならば、自分の解釈を変更し、より多くの人が回復できる解釈へと変わっていくでしょう。そうやって、より普遍的なプログラムを身に付けていくのも、AAにおける学びの一つだと思います(ちなみに、普遍性を大事にするのも科学の特色の一つだ)。

こうしてみると、効果には、自分自身が自由な解釈で回復できれば、それで良いじゃないかとするもの。もう一つは、最大限多くの人が最大限回復するためには、どんな解釈が良いか。この二つがあります。

『AA成年に達する』という本を読むと、12ステップやビッグブックを作った人たちが、後者の目標を達成するためにたいへん腐心した様子が書かれています。4)

僕の求めていたのは後者の解釈でした。そしてそれはビッグブックの中に見つかりました。僕はエンジニアとして長く仕事をしてきました。エンジニアリングでは、事例的な成功は認めて貰えません。今回たまたまうまくいきました、ではダメで、限界はあるにしても様々な条件の下で繰り返しきちんと動作しなければオーケーを出してもらえません。再現性を大事にする思考が染みついていたからこそ、「その人の個人的な解釈」には十分納得できなかったのだと思います。

今回の話をまとめると:

  • まずAAのプログラム(12ステップ)は自由に解釈してかまわないとされている。
  • ただしそれは、どんな解釈でも回復できることを意味しているわけではない。
  • 効果がある解釈でなければならないから、おのずと解釈の幅は限られる。
  • その上で、自分に効果があったというのなら(それが他の人には効果がなさそうな珍奇な解釈であったとしても)AAはそれを許容してくれる。
  • しかし、他の人に回復のメッセージを運ぼうとするとき、自分の解釈が他の人にも効果があるかというテストにさらされる。
  • その結果が思わしくなかったとき、誠実であろうとすれば、それまでの自分の解釈(の一部)を否定し、より普遍的で再現性のある解釈へと徐々に変わっていかざるをえない。

これが、ビルが「12ステップは自由に解釈して良い」と言った真意ではないでしょうか。

人は急には変われません。プログラムの解釈だって急には変えられません。だから自分なりの解釈でよいから、ともかくプログラムに取り組んでみろ、というわけです。そして段取りを踏んでいけば、やがて自分の解釈が変わってきていることにあなたは気づくだろう・・・といったところでしょうか。5)

さて、次回からビッグブックの中身の話を始めたいと思います。ビッグブックをお持ちでない方は、手に入れておいていただけると話が分かりやすいと思います。
(参考:AAの出版物の入手法)。


  1. AA, 『ビルはこう思う』, AA日本ゼネラルサービス, 2003, 191 []
  2. AA, As Bill Sees It, AAWS, 1967, 191 []
  3. 芸術解釈の自由については、森功次氏が書かれているので、興味をお持ちの方はご一読を。12ステップに対する批判についても当てはまることが多いと思います――森功次, 「あいトリ」騒動は「芸術は自由に見ていい」教育の末路かもしれない ― 現代ビジネス, 講談社, 2019-10-17  []
  4. AACA, pp.233-258 []
  5. 日本のAAの最初期のメンバーが、これを「いいから、やれ!」という言葉に要約してくれています。 []

日々雑記12ステップ

Posted by ragi