ビル・Wに問う (2) 精神の強迫観念

Let’s Ask Bill Wilsonの第2回です。


Q2:精神の強迫観念の意味するものは? またアルコホリズムの強迫的な特徴とは?

A2:まず、私の理解では、私たち全員は生まれながらにして選択の自由がある。もちろんその程度は人によって、また住む場所によっても違っているが。ところが神経症の人の場合、私たちの本能は一定のパターンと傾向を帯びてしまい、それが時には意志による通常の努力では打ち破れないほど強迫的になることがある。アルコホーリクの飲酒への強迫観念もこれと似たものだ。

例えば、喫煙者として、私には深く染みついた習慣がある。ほとんどアディクトと言っていいぐらいだ。だが私は、この習慣が真の強迫観念だとは考えていない。疑いなく、それは私の意志の働きによって打ち破ることができるからだ。もし十分ひどい損害を受けたなら、まず間違いなく私はタバコをやめるだろう。喫煙のせいでベルビュー病院に繰り返し入院することになるかもしれないが、やめるまでにあまり多い回数の入院はしなくて済むだろう。だが、私のアルコホリズムは、それとは違うものだ。どれほどやめたいと強く願っても、どんな罰を与えられようとも、やめることはできない。かつての飲酒は習慣だったが、それが飲酒への強迫観念になってしまうと、それは本物の狂気なのだ。

おそらく、アルコホリズムの強迫的な特徴について、もう少し言えることがある。私たちの共同体ができておよそ3年経ったころ、私たちのメンバーが合衆国軍医総監補だったドクター・ローレンス・コルブ(Dr. Lawrence Kolb)を訪問した。彼は、私たちの経過報告書が、アルコホリズム全般に対する希望を初めて与えてくれた、と語った。それからしばらくして、連邦公衆衛生局はアルコホーリクが置かれた状況に対して行動を起こすことに決めた。だが、私たちの病気の強迫的な特徴について慎重な調査が行われ、結局それは断念されてしまった。ドクター・コルブは薬物依存症者のほうにはるかに見込みがあると感じた。結果として、政府はケンタッキー州レキシントンに薬物依存症の治療施設を作った。1) だがアルコホーリクについては、そう、単に何をしても無益だと彼は考えたのだ。

といった次第で、今もなおアルコホーリクは病人ではない、と多くの人たちが主張し続けている。単に弱い、自分勝手な、邪悪な人間であると。こんにちでさえ、「飲んだくれは良くなりたいと思いさえすれば、良くなれるのだ」という意見が聞かれる。

おそらく、飲酒が社会的に容認された慣習であるという事実が、アルコホーリクの飲酒の極めて強迫的な特徴を覆い隠してしまうのだろう。それに対して、窃盗や万引きはそうではない。おそらくほとんどの人が、クレプトマニア(窃盗症)という種類の狂気について聞いたことがあるだろう。クレプトマニアたちは、しばしば他のすべての点で優れた人たちである。だが、盗みへの絶対的な強迫衝動に駆られている時は――ただその効果を得るために盗むのだ。クレプトマニアが店に入り、商品を一つポケットに入れる。彼は逮捕され、警察署に勾留される。裁判官が彼に刑期を言い渡す。彼には汚名と恥辱が与えられる。アルコホーリクとまったく同じように、彼はもうしないと誓う。もう二度とこんなことはしないと。

やがて彼は刑務所から釈放され、通りを歩いていているとデパートの前を通りかかる。不可解なことに、彼はその中に入ってしまう。彼は、例えば、赤いブリキの消防車を眺める。子どものおもちゃだ。彼は瞬時に刑務所での惨めな日々を完全に忘れてしまう。そして自己正当化を始める。「この小さな消防車の原価はまったく安いはずだ。だからこれが無くなっても店は惜しいとも思わないだろう」 彼はそのおもちゃをポケットに入れ、万引き監視員が彼をつかまえる。彼はまた刑務所に戻ることになる。誰もが、この種の窃盗が完全な狂気だと評価するだろう。

では、この行動を、アルコホーリクの行動と比べてみよう。アルコホーリクも刑務所に入る。すでに家族も友人も失っている。ひどい汚名と罪の意識に苦しんでいる。二日酔いの身体的な拷問に苦しんでいる。クレプトマニアと同じように、もう二度とこんな苦境には陥らないようにすると誓う。おそらく彼は自分がアルコホーリクであることを本当は分っているのだろう。彼はそれが意味することもおそらく分っているし、最初の一杯がもたらす恐ろしい危険についても十分意識しているのだろう。

刑務所から釈放されると、アルコホーリクはクレプトマニアとまったく同じ行動を取る。彼がバーの前を通りかかって誘惑を感じると、最初は「だめだ、入ってはいけない。酒を飲んではいけないのだ」と自分に言い聞かせるだろう。だが、次の酒場に着いたとき、彼は自己正当化に捕まってしまう。おそらくこう考えるだろう。「ビール一杯だけなら大丈夫。どのみち、ビールは酒のうちに入らないから」 つい近頃味わった苦痛を完全に忘れて、彼は中に入る。そして致命的な最初の一杯を飲む。明くる日、警察官が再び彼を逮捕する。彼の同胞は相変わらず彼のことを弱い、自分勝手な人間だと言い続ける。実際のところは、クレプトマニアが狂っているのと同じように、彼も狂っているのだ。この段階に至ると、アルコホリズムについては彼の自由意志はすでに消えてなくなっている。彼は自分の行動に十分責任を取ることができないのだ。(Blue Book, Vol.12, N.C.C.A.2), 1960)

わきみちビル・Wは文中で、意思の働きで彼自身の喫煙を打ち破ることができると述べていますが、実際には彼はタバコを止められず、それが原因の肺気腫によって亡くなっています。

  1. Public Health Service Hospital in Lexington, Kentucky. []
  2. National Clergy Conference on Alcoholism — 1960年代に聖職者がアルコホリズムに焦点を当てて開いていた協議会。 []

2020-07-07ビル・Wに問う,日々雑記

Posted by ragi