ビル・Wに問う (6) エビーはどうなったのか

『ビル・Wに問う』の第6回です。


Q6:あなたのスポンサーであるエビーはどうなったのか?

A6:私の命を、そして他の何万人の命を救うメッセージをもたらしたのはエビーだった。

私がしらふになったすぐ後、妻のロイスと私は、感謝の気持ちと古くからの友情から、エビーを私たちの家に一緒に住むように勧めた。オールバニの裕福な一家の息子だった彼は、それまで一度も専門的な職に就いたことがなく、なのに無一文で、一からやり直さなくてはならなかった。当然ながら、それは困難なことだった。エビーは私たちのところに約一年半滞在した。人生を再建することに没頭していた彼は、他のアルコホーリクを助けることにはほとんど関心を払わなかった。彼は次第に、私たちがしょっちゅう耳にする(自己)正当化を始めた。理想的なロマンスと理想的な仕事があればすべてうまくいく、と言うようになった。しまいに、彼は挫折してしまった。私がこれを話しても彼は気にしないだろう——いまやこれは彼のストーリーの一部なのだから。

それから何年もエビーは酒を飲んだり、やめたりしていた。時には一年以上やめていたこともあった。もう一度ロイスや私と一緒に、かなり長い期間住んでみたが、それは明らかに何の役にも立たなかった。おそらく私たちは彼の邪魔をしてしまったのだろう。AAが拡大するにつれ、彼の立場は難しくなっていった。長い時間をかけて、事態はさらに悪くなっていった。

およそ6年前、テキサス のグループが彼を引き受ける決断をした。エビーは直行便でダラス に送り込まれ、AAの治療施設に入れられた。テキサスという新しい環境の中で、過去の失敗から遠く離れ、彼は優れた回復を成し遂げた。例外は、あちらに移って約1年後に一度スリップが起きているが、その後はまったく飲んでいない。これは、AAが始まって以来最大の満足感を私に与えてくれたことの一つであるし、他のAAメンバーも同じことを言っている。(Blue Book, Vol.12, N.C.C.A.1), 1960)

さらにその後:
テキサスでのソブラエティは7年間続いたが、1961年に再飲酒した。ニューヨークに戻ったエビーは、親族やビル・W夫妻の世話を受けたが、再飲酒が繰り返され、健康状態は次第に悪化していった。最後はビルの手配でマーガレット・マクパイプ(Margaret McPike, -1982)が運営していたマクパイプファームに預けられ、そこで1966年に亡くなった。その時には2年間飲んでいなかったという。
参照: エビー・T

  1. National Clergy Conference on Alcoholism — 1960年代に聖職者がアルコホリズムに焦点を当てて開いていた協議会。 []