ビル・Wに問う (40) AAの三つのレガシー

『ビル・Wに問う』の第40回です。


Q40:AAの三つのレガシーは何を表しているのか?

A40:AAの三つのレガシー――回復・一体性・サービス――はある意味では三つの不可能でした。今や私たちはそれらの不可能が可能になったことを知っています。可能になったことで、信じられないほど素晴らしい果実をもたらしました。AAが始まって3年目に、初期からのAAメンバーであるフィッツ・マヨと私は合衆国公衆衛生局長官を訪ね、私たちの始まりについて話しました。その紳士はドクター・ローレンス・コルブ(Dr. Lawrence Kolb)といい、その後AAの偉大な友人になってくれました。彼はこう言いました。「君たちの幸運を祈っている。何人かがソブラエティを得ただけでも十分に奇跡だ。政府はこれが大きな健康問題であることは理解していたのだが、これまで我々はアルコホーリクの回復は不可能だと見なしていた。だから、それについては諦めて、その代わりに麻薬中毒のリハビリテーションのほうが困難が少ないだろうだろうから、そちらに取り組む決定をしていた」

私たちが置かれていたのはそれほどまでに徹底的に破滅的な状況でした。今やこの不可能は可能になりましたが、それをもたらしたのは何だったのでしょうか? 一つは、神の恩寵が私たちを統括してくれたことです。次に、ジョン・バーリコーンが「これに取り組むか、死ぬかだ」と言って無慈悲に私たちを鞭打ったことです。さらには、最初は僅かの、今や数多くの友人たちを通じて神が介入して下さったことです。友人たちが私たちに提供してくれたものの中から――最初の頃からあらゆる組織、倫理的にも宗教的にも、人間の知識のあらゆる領域の人たちがおり、私たちはその中から選ぶことができました。

こうしたものが、エネルギーやアイデアや感情や考え方の源になり、それらが融合してまず回復の12のステップになりました。私たちはうまくやっていましたが、やがてある程度の数の人びとがしらふになると、私たちのなかの誘惑に負けやすい人たちのなかで古い力が働き始めました。その恐ろしい古い力とは、金銭への、評価への、地位への欲動です。

そうした力によって私たちは引き裂かれてしまうのでしょうか? おまけに、私たちにはあらゆる職業の人がいました。ありとあらゆる男女の寄せ集めでした。置かれた状況もそれぞれ違っていました。幸いなことに私たちには共通の苦しみがありましたが、あらゆる面で違っていました。そんな私たちが結束していけるのでしょうか? 初期の頃から残っている数少ない者たちにとって、多くの鉄床かなとこにおける辛い経験を通じて「伝統」が鋳造されていったあの時期は、とても辛いものでした。

回復があることは分かっていました。ですが、多くの人が回復するにはどうすればいいのか? または、もし私たちが論争の挙げ句に分裂し衰退するようになったとしても、どうすれば回復はそれに耐えることができるのか?

そうです。12の伝統の精神が、私たちにそうした最も恐ろしい強迫観念からの解放をもたらしてくれましたのは明らかです。その精神と(神の)恵みを保持する原理を、私たちの一体性の基礎に据えねばなりませんでした。しかしそれが基礎として据えられるためには、それらの原理が、私たちの最も目立つ問題、最もひどい問題に適用できるように文字に書かれねばなりませんでした。

このように、私たちの12ステップの精神を、私たちが一緒に活動して生きることに適用する必要があることが、経験から示されました。それらに強制されて、アルコホーリクス・アノニマスの伝統が生まれました。

しかし、私たちは団結すればよいだけではありませんでした。生き残るためだけであっても、私たちはメッセージを運び、機能していかなければなりませんでした。なによりも、12のステップの最後の一つがメッセージを運ぶように私たちに命じているのは明らかでした。しかし、いったいどのようにこのメッセージを運んだら良いのでしょうか? 少数だった私たちが、これをまだ知らない無数の人たちに伝えるには、どうやればいいのか? そうしたメッセージの伝達をどう制御して、どう実現していったらいいのか? かつて私たちの生活を破壊したエゴの力が、この新しいホットな努力の焦点を、再び打ち砕かいてしまわないようにするには、どうやってそれに承認を与えていけば良いのか。

これが第三のレガシーの問題でした。私たちの共同体が生き残るのに欠かせない12番目のステップの訪問活動が、こんにちの全盛をもたらしました。そしてまた、私たちの多くがこう言いました。「これは私たちにはできないことだ。だからこれは、ビルと、ボブと、理事会を構成する新しい友人たちにまかせておけばいい。出版活動や広報活動という、私たちにはできない面倒な雑用を、彼らは引き受けてくれるじゃないか。それでいいし、私たちにはこれ以上のことはできない。それが年長者の役割、親の役割というものだ。この方向性でしか、シンプルさと安心は手に入らないのだ」

そして、両親はいつか死ぬものであり、いつまでも生きてはいないことが分かる日がやってきました。ドクター・ボブのその時が突然やってきて、私たちに不可欠なこの神経節――つまりワールド・サービスの神経中枢がその知覚を失いかねないこと、ますます存在を知られなくなっていく常任理事会と皆さんをつなぐコミュニケーションが途切れてしまう日が来るのだと分かりました。新しいリンクを構築しなくてはなりませんでした。ところがその時でも、私たちの多くがこう言いました。「そんなことは無理だ、難しすぎる。それぞれの地元で生き残ろうと躍起になっている私たちのグループでは、ごく単純な仕事をすることでも、ごく単純なサービスを提供することでも、最小限の資金を集めることでさえも、私たちに過剰な興奮をもたらしました。クラブでの口論を見てください。おお神さま。もしそんな私たちが全国で選挙を行い、評議員がここに集まって、この複雑さを見たとしたら——何千というグループの代議員、何百人もの委員、何十人もの評議員、おお神さま、その人たちが私たちの両親である常任理事会に襲いかかったら、どんなことが起こるでしょう? そんなやり方は単純とは言えません。私たちのこれまでの経験がそう示しています」と。

しかし、そこには緊急性がありました。必要性がありました。なぜ緊急性があったのでしょうか? それはこのセンターを完全に崩壊させるよりも、多少の混乱や政治があるようがまだ良かったからです。

それが代替案であり、その不確実で不安定な地盤の上に、ゼネラル・サービス評議会が招集されたのでした。

敢えて言うならば、多くの人にとって、時に私の心の中でも、この評議会は大きな祈りとかすかな希望の象徴でした。これが1945年から1950年までの状況でした。やがてその日がやってきて、私たちの何人かはボストンに行き、集会が三分の二の投票あるいは抽選で評議員を選出するのを見守りました。この集会に先立って、私は地元の政治家たちに相談しました。彼ら懸命なボストンのアイルランド人たちは、こう言いました。「ビル、未来を予測してみよう。君は私たちの気質をよく分かっている。だから、これはきっとうまくいくよ」 これは最大のニュースであり、これらのサービス活動が存続することを、かつてそこまで強く断言されたことはありませんでした。

それが功を奏して、私たちはもう一つ不可能を乗り越えました。不可能を乗り越えただけでなく、それを遙かに超越し、将来どのような危機が迫ろうとも、もう昔の不確実性に戻ることはないでしょう。

さて、この短い振り返りで見てきたように、まず12のステップの精神が、私たちが生き、ともに働くことの特定の問題に適用されました。これが12の伝統を作りました。さらに12の伝統が、世界的なレベルで調和と一体性を保って機能していくという課題に適用されたのです。(1960年、第10回ゼネラル・サービス評議会)

ビル・Wに問う,日々雑記

Posted by ragi