フィッツ・M
フィッツ・M — Fitz M.
フィッツヒュー・マヨ(John Henry Fitzhugh Mayo, 1897-1943)。ニューヨークAAの初期メンバーの一人で、ビッグブックはキリスト教 の教義を表現し、聖書の言葉を使ったものであるべきだと主張した。
フィッツの体験記「南部の友」(Our Southern Friend)は、ビッグブックの初版から現在の第四版までのすべてに掲載され続けている数少ない体験記の一つである。(日本語訳は『アルコホーリクス・アノニマス 回復の物語 Vol.4』に収録)。また、シルクワース医師の書いた「医師の意見」のなかで回復の事例として紹介されている。1)
フィッツはメリーランド州 の聖公会 の牧師の息子として生まれ育った。しかし彼は、思春期にプロテスタントの学校で過剰な宗教教育を受けたおかげで反宗教的になった、と述べている。(ジミー・Bと学友になったのはこの学校だと考えられる)。
フィッツはハンサムで、彫りの深い顔をしており、地主階級の落ち着いた性格で、まさに「南部の紳士」そのものだった。しかし、彼自身は劣等感や無能感に苛まされており、体重不足が原因で第一次世界大戦 の兵役に就けなかったことが、さらに彼の自信を奪うことになった。
フィッツは大きな会社の簿記係としてキャリアを築いたが、大恐慌でその職を失い、次に就いた教職も酒で失ってしまった。その後、子供時代からの友人が、ワシントンD.C. 近くのメリーランド州の農場の一部を彼に譲ってくれた。しかし彼のアルコホリズムは悪化し、鬱にも苦しめられ、生活は困窮した。
1935年の9月2)、彼はニューヨークのタウンズ病院がアルコホリズムの治療で成功例を出していると聞き、治療を受けに行った。おそらく彼はビル・Wにとって、ヘンリー・Pの次の成功例のはずだが、体験記から判断すると、その病院にはすでにビルのプログラム(12ステップの原型)を試そうとした他の人が入院していたと思われる。
その人物は9日前にタウンズ病院を退院したものの、プログラムに取り組めずに再入院していた。そしてフィッツに「正直になれれば君の問題は解決する」と教えた。フィッツは「正直になるとはどういうことか」と問いただすと、その人物は、
-
- 自分が絶望的(hopeless)だと認める
- 自分より偉大な力を信じる
- 自分の問題を他人に話す
- たとえ相手に問題があるとしても、かつて自分が傷つけたことを正す
- 自分のことより他人の幸せを考える
- 私をあなたの望みのままにしてくださいと祈る
と教えてくれた。そう聞いて、彼は「神はいるのかも知れないが、ぼくには何一つしてくれなかった」と反論した。しかし部屋に戻って考えると、自分の知る信心深い人たちが皆間違っているとも思えず、また、人より自分がすばらしい人間であるかのように思ってきたのは、自分勝手な思い込みに過ぎなかったことに気がついた。その時、一つの考えが彼の頭の中を占めた。
その考えに圧倒され、彼は信仰を取り戻した。3)
このエピソードはビッグブックの第四章の末尾でも使われている(BB, pp.81-83)。フィッツはメリーランドに戻ったが、たびたびニューヨークにやってきた。ニューヨークのAAグループの初期の活動は、ビル・W、ヘンリー・P、フィッツ・Mの三人によって行われた。4)
AAのプログラムから神を取り除くことを強烈に主張したヘンリーやジミーに対して、フィッツは、ビッグブックはキリスト教の教義を表現し、聖書の言葉を使ったものでなければならない、と主張した。ビル・Wとしてはヘンリーとフィッツの意見の中庸を取ることを迫られた。5) ヘンリーの功績が「自分なりに理解した神」という表現によってステップの入り口を広げたことであるならば、フィッツの功績はステップを世俗的なものにせず、スピリチュアルな要素を維持したことと言える。
フィッツはワシントンでAAグループを始めたが、何年も実を結ばず、彼は長くローンナーとして活動することになった。しかし最終的には、ワシントンを中心とした多くのグループができあがった。
第二次世界大戦 が始まると彼は陸軍に加わったが、そこで癌に罹っていることが判明し、1943年に亡くなった。酒をやめて8年、46歳の時だった。彼はメリーランド州のかつて父親が牧師をしていた教会の墓地に埋葬されたが、すぐ隣には学友のジミーも埋葬されている。4)
参照:
・ビッグブックのスタディ (28) 医師の意見 19
・ビッグブックのスタディ (88) 私たち不可知論者は 15
外部リンク:
・John Henry Fitzhugh Mayo Sr. (findgrave.com)
・Fitzhugh Mayo (Geni.com)
- BB, p.xxxix (39) — こわれた納屋で死ぬのを待っていた男.[↩]
- 「南部の友」によれば10月末。[↩]
- AA, 『アルコホーリクス・アノニマス 回復の物語 Vol.4』, AA日本ゼネラルサービス, 2010, pp.11-28.[↩]
- Nancy O., Fitz Mayo – N.Y.’s AA #3? — Alcoholics Anonymous Central Intergroup Office of the Desert (aainthedesert.org).[↩][↩]
- AACA, pp. 248, 254.[↩]
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