ビル・Wに問う (13) AAと他の機関との関係
Q13:アルコホリズムの分野における他の機関と関係についてのAAの伝統について説明してください。
A13:この委員会1)が始まったとき(1944年1月)のことをよく憶えています。そのおかげで、素晴らしい友人たち、イェール大学の勇気あるドクター・ハガード(Dr. Haggard)、類い希なドクター・ジェリネク(Dr. Jellinek)――私たちは愛情をこめてバンキー(Bunky)と呼びますが――それからセルドン(Seldon)ほかの熱心な人々と知り合うことができました。
AAメンバーは教育や研究などの分野に立ち入って良いのかどうか、という疑問が生じてきました。それはAAの中に騒々しい大議論を巻き起こしました。忘れないでいただきたいのは、この時期の私たちは、まるでリッケンバッカー(Rickenbacker)の救命ボートにいる人々のようだったということです。あえてボートを揺らして、自分たちをアルコールの海に振り落とそうと思う人はいませんでした。2)
率直に言って、私たちは恐れていました。AAメンバーがこうした分野の事業に加わっていいかどうかという件について、いつものように私たちの中には急進派もいましたし、保守派も、穏健派もいました。保守派はこう言いました。「それはダメだ。シンプルにしよう。私たちの仕事に忠実でなければならない」と。一方、急進派はこう言いました。「良いことなら何でも支持しようじゃないか。AAの名前を使って金を集めても良い。あらゆる分野でできることは何でもやろう」と。数を増していた穏健派の立場はこうでした。「関連分野に使命を感じるAAメンバーはそちらに行かせて良いだろう。そうしなければ、私たちはとても閉鎖的〔反社会的〕な態度を取ることになってしまうからだ」 このようにして伝統が定まり、その時から、多くの人たちが使命を感じ、選ばれて、関連分野に入っていきました。その後そうした分野が大きくなったおかげで、私たちアルコホーリクス・アノニマスは正しいサイズにまで小さくなることができ、私たちが大きな全体の小さな一部にすぎないことを悟らせてくれたのです。
私たちは、再び、今さらのように思い知らされました。〔AAの〕友人たちなしには、そもそも私たちは存在し得なかったでしょうし、成長もできなかったでしょう。私たちは、世界との関係、関連分野の機関との関係がどうあるべきかについて、新しい概念を得つつあります。つまり、私たちは成長しつつあるのです。実際のところ、昨年セントルイスで私たちは勇気をもって宣言しました。私たちが成年に達したことを。3) そして、アルコホーリクス・アノニマスが、回復の原理、団結の原理、そしてサービスと役割の原理4)について、それぞれの主要な要素を獲得したことは、すでに明らかであると。
セントルイスで私はこの三つについて話をしましたが、その大部分はこれまで私たちがやってきたことについてでした。だがここに至って私たちは、より広い領域へと進みつつあり、それは限りなく広がっていると思えます。私は率直に申し上げます。この委員会は、これまで私たちの知る数多くの偉大な友人たちの援助によって活動してきましたが、この委員会はアルコホーリクス・アノニマスにさらに多くの友人を獲得し、この病気の深刻さについて全世界を教育する幅広いサービスを提供する責任を負っていると考えます。それは、他のいかなる単一の機関でも成せないことだからです。
私はえこひいきをして、おそらく多少偏っていることでしょう。なぜなら、私たちの女性の代表格(マーティ・M)や、私の近親者や友人たちと一緒に座っているからです。創始者として余計なことを言うとするならば、皆さんがいる前で彼女に伝えたいことは、私の大きな好意と感謝です。5)
セントルイスの閉会に当たって、私はAAを大聖堂のような建造物に例えました。その基礎は地球に置かれています。その大きな床には、アルコホーリクス・アノニマスの12のステップがあり、15万人の病人とその家族がいるのが見える、と私は言いました。そびえる壁は、AAの伝統と、セントルイスにおいて理事会から責任を引き継いだ評議会によって支えられているのが分ります。上にはサービスという尖塔が載り、標識灯が光を放っています。そのAAという光が世界全体を招いて光っているのです。
今日私はここに座りながら、私のあの例えが十分でなかったと悟りました。スピリチュアルな大聖堂の床には、常にアルコホリズムからの解放の源となる方法が書かれているはずなのです。それは何らかの薬品かもしれず、何らかの精神科的技法かもしれず、またこの委員会の役割なのかもしれません。つまり、この問題に関わっている私たち全員は、同じボートに乗り合わせているのです。皆が同じ床に立っているのです。ですから、この床には、この問題に関わるすべての資源を集めましょう。また「一体性」という言葉をAAの伝統の観点から考えないようにして、この分野で働いているすべての人たちが「団結」して、共通の苦難に立ち向かうための兄弟愛や親族愛のように考えて下さい。奉仕の精神のもとに団結しましょう。私たちにそれができたとき、ようやく真に成年に達した〔十分に成長した〕と宣言できるでしょう。その時が来るのは、そう遠くはないと思います。そして、その時こそ、私たちの未来が、この委員会の未来が、AAの未来が、そしてこの分野で善意の人々がやろうとしていることの未来が、確実なものとなったと言えるようになるはずなのです。(1956年3月30日、アルコホリズム教育に関する国の委員会の録音テープから)。
- The National Committee for Education on Alcoholism[↩]
- エディ・リッケンバッカー(Eddie Rickenbacker)は、第一次世界大戦におけるアメリカ軍のエースパイロットで撃墜王。第二次世界大戦における遭難事故でさらに有名になった。1942年10月、大統領からマッカーサー将軍にあてた秘密のメッセージを届ける任務を帯び太平洋戦域へと派遣された。だが、ハワイから南太平洋への移動のために提供された輸送機の計器が故障していたために、中部太平洋に不時着することになった。彼と9人の乗員は救命筏で漂流し、3日目で食料が尽きたため、エディの頭に偶然止まったカモメを餌として魚を釣るなどして生き延びた。捜索は打ち切られ、新聞やラジオで死亡が伝えられたが、24日目に発見した島の原住民が無線を持っており、救出された後にマッカーサーにメッセージを届けたという。戦後は航空会社の社長を務めた。ギターメーカーのリッケンバッカー の創業者は遠縁にあたる。ビル・Wはこの遭難事故について12&12のp.174で言及している。[↩]
- 1955年7月にセントルイスで開かれた20周年コンベンション。[↩]
- それぞれ、12のステップ、12の伝統、12の概念を示す。[↩]
- マーティ・Mは実質的にAA最初の女性メンバーで、National Committee for Education on Alcoholism(全国アルコール症教育委員会、現在のNCADD)を組織してこの病気への偏見を取り除く社会活動を行った。ビルの感謝は彼女のそうした活動に対してのものと思われる。[↩]
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