12ステップのスタディ (26) NAのステップ1 (2) ライフがアンマネージャブル
生きていくことがどうにもならなくなった
NAのステップ1の続きです。NAのステップ1は:
私たちは、アディクションに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。1)
We admitted that we were powerless over our addiction, that our lives had become unmanageable.2)
となっていて、今回は後半の「生きていくことがどうにもならなくなった」の部分です。原文の our lives had become unmanageable はAAのステップ1とまったく同一で、意味もAAのステップ1と同じです。第24回では、これを「ライフがアンマネージャブル」と訳して説明しました。今回もその説明をシンプルに繰り返すことにします。
AAのテキストには「ライフがアンマネージャブル」の意味の説明はありませんでしたが、NAのテキストにも「ライフがアンマネージャブル」の意味の説明をしていません。唯一、ベーシックテキストの34ページに、雇用や家族を失ってしまうことが挙げられているのみです。
もちろんNAにおけるアンマネージャビリティが仕事と家族のことに限定されているわけではありません。それはテキストに掲載されたNAメンバーのストーリーを読めばわかります。
個人のストーリーによってアンマネージャビリティを示す
NAのベーシック・テキスト(第6版)には、55人のNAメンバーのストーリーが掲載されています。しかし日本語訳では第二部「個人の物語」は省略されており、唯一実質的なNAの創始者であるジミー・K(Jimmy Kinnon, 1911-1985)のストーリーである「私たちは必ず回復する」だけが第一部の第八章に収録されています。
一方でNAミーティングでよく使われるホワイトブックレットという小冊子もNAの重要なテキストです。こちらは、NA日本の「デジタル形式のNA文献」というページからPDFをダウンロードして読むことができます。
このホワイトブックレットの後半には、ジミーを含む8人のストーリーが収録されています:3)
タイトル | 著者 | 著作年 |
---|---|---|
私たちは必ず回復する(We do recover) | Jimmy K. | 1961 |
人生の3分の1(One third of my life) | Phil P. | 1962 |
二度とこんなことをするわけにはいかない (I can’t do any more time) | Penny K. | |
悪循環(The vicious cycle) | Gene H. | |
何か有意義なこと(Something meaningful) | Bob B. | |
私の場合、みんなとは違う(I was different) | Greg P. | 1976 |
私は不安いっぱいの母親でした(Fearful mother) | Betty K. | |
食べることがやめられなかったアディクト(Fat addict) | Bill B. |
このうち最初の5編は1965年にホワイトブックレットが出版されたときに収録されたもので、残りの3編は1976年に改版されたときに追加されたものです。いずれも一度はベーシック・テキストの「個人の物語」に収録されましたが、AAのビッグブックと同じようにNAのベーシック・テキストも改版ごとにストーリーの入れ替えが行われており、次第に外されて第6版でも残されているのは3篇だけになってしまいました。それでも、これら8編のストーリーがNAを代表する回復のストーリーであることは間違いありません。
ジミーのストーリーは彼がNAを作った理由を述べているのみで、彼自身のことはほとんど触れていませんが、他の7人のストーリーは、それぞれに彼らの「ライフがアンマネージャブル」になった様子を描きだしています。それは、刑務所や精神病院に入ったこと、薬を買うために盗みをしたこと、いつも腹を下していたり鼻水をたらしていたこと。自殺未遂。仕事や家族の喪失や関係悪化。生きる意味の喪失。学校の中退などなどです。
NAのメンバーの書く個人のストーリーは総じて短く、起きた出来事の詳細は省かれています。また、もちろん人によって境遇も違えば、トラブルの中身も違っています。しかし、どれを読んでも驚くほど共通の印象を持つことになります。それは、薬物を使い始める前にどんな事情があろうとも、あるいは特別な事情がなかろうとも、薬物を使った結果として、皆が同じように「生きていくことがどうにもならなくなった」、すなわちライフがアンマネージャブルになったということを表しているストーリーだからです。
つまり、AAのステップ1と同じように、NAのステップ1も「ライフがアンマネージャブルになった」とは、人生・生活の様々な領域に薬物使用の悪影響が及んだことだ、と解釈できるのです。
必要なのは共感ではなくアイデンティフケーション
ところで、ジミー・Kの「私たちは必ず回復する」は、NAができた事情を説明しています。ジミーは1950年に薬物に対して完全に敗北したものの、当時はまだNAはありませんでした。やむなく彼はAAに参加し、そこで他のアディクトと出会いました。彼らはAAのプログラムがアルコールだけでなく薬物の問題に対しても同じように効果があることに気がつきましたが、自分たちにはAAがあれば十分だとは思いませんでした。彼はその理由をこう説明しています:
けれども、AAにいるアルコホーリクたちと共感(identify with)できず、幻滅し、堕落し、命を落とすアディクトがたくさんいたのも事実だった。もちろん共感(identification)できる部分はあった。症状が明らかに同じだった。けれども、感情や気持ちがからむ深いレベルになると無理だった。4)
ここで、共感と日本語に訳されている言葉は、英語では identification です。アイデンティフケーションとは「同じであるという認識」です。共感とアイデンティフケーションは似ているところもありますが、本質的に違うものです。
日本語の「共感」に最も近い英語は sympathy(シンパシー)です。これはギリシャ語の συμπάθεια (sumpátheia)が語源です。これはsym-(一緒)とpathos(不幸)を組み合わせて作られた言葉で、自分と同じ辛い体験をした人に対して同情や心配の気持ちを持つという意味で、さらに同感や共鳴という意味も持つようになりました。5)
人間は徹底して社会的な動物なので、社会集団の中でしか生きていけません。だから私たちには集団から排除されたくないという根源的な欲求が備わっており、それが承認の欲求となって現れます。前の連載ではそれを「共存の本能」という名称で説明しました[BBS#98]。この本能があるがゆえに、私たちは自分が他の人たち受容されると安心を得ます。それは自分が社会集団から排除される危険がなくなるからです。
私たちのなかで共感(シンパシー)が起きるときに、承認の欲求が満たされていることに気がつかなければなりません。私たちは、他者に共感するときもそうですが、特に他の人に共感してもらったときには、心が癒された体験をします。しかしそれは、一つの欲求が満たされたということであり、金銭を得たときの満足感や、セックスしたときの充足感と本質的に同じものなのです。
これは人間の基本的な本能の一部ですから、私たちは誰もがそれを満たしたいと思っています。けれど現代社会においては、共感してもらうチャンスは多くは得られず、誰もが共感不足の欲求不満状態に置かれています。そして、AAやNAのミーティングはこのような社会の中ではわりと希少な「共感が生じやすい場所」であり、それがAAやNAの魅力の一部になっています。
しかし、共感がAAやNAの回復の原理だと言われると、「そんなわきゃねーだろ」と否定せざるを得ません。もしそうだとするならば、AAやNAは欲望の充足によって人に満足を与える場所だということになってしまいますし、AAやNAが金を稼ぐ場所だったり、セックスの相手を探す場所だというのと同じだということになってしまいます。当然、ジミーもそんなことを言いたかったのではありません。
共感できなくて当たり前
ところで、先ほど「ライフがアンマネージャブル」の中身は人によって違っていると述べました。アルコールや薬物の影響によって「ライフがアンマネージャブル」になったのは皆同じでも、酒や薬のせいで離婚した人もいれば、離婚しなかった人もいます。そもそも結婚したことがないという人もいます。仕事を失った人もいれば、失わなかった人もいます。刑務所に入った人もあれば、入らなかった人もいます。全く同じ人生を歩む人などいません。
そのように人によって経験や立場が違っている以上、共感しようがないことはたくさんあります。ですから、ステップ1は共感にもとづいて伝達されるのではありません。この人たちと自分はあまりにも違っている・・・けれど「ライフがアンマネージャブル」というところは同じである、というアイデンティフケーションが生じることで、ステップ1が伝わるのです。
始めてAAやNAに行ったとき、ミーティングにいる人たちから「仲間だ」と言われたのがすごく嫌だった、という話はよく聞きます。人間は自分と共通点が多い相手を仲間だと考えますが、ミーティングにいる人たちは自分とは違う人生を歩んできた人たちですから、共通点もなければ、共感もできなくて当然なのです。[BBS#048]
共感できないことを非難して、無理に共感させようとしてもうまくいきません。だから「違っているところではなく、同じところを探しなさい(Don’t compare, identify)」とアドバイスするのが良策です。その人が「この人たちのどこが自分と同じなのだろう」と考え出したときに、その人のアイデンティフケーションのプロセスが始まるのです。
「共感依存症」状態から脱するべき
AAのなかでアイデンティフケーションという言葉が使われるようになったのはビッグブックより後です。6) ですから、ビッグブックにはアイデンティフケーションという言葉は使われていません。その代わりに使われている言葉が understanding です(BB, pp. 28, 31)。しかし、現在のビッグブックの翻訳ではそれらの understanding がなぜか「共感」と翻訳されています。1979年に出版された日本語版の初版では「理解」と訳されていたのが、1990年代末に翻訳が改められたときに「共感」へと変えられてしまいました。また、NAのベーシック・テキストが翻訳出版されたのは2006年のことでした。
1990年代から2000年代にかけての日本の自助グループ界隈では「共感」というキーワードが大流行していました。それはポストモダニズムの影響であることは明らかですが、その共感の大流行に迎合したのか、多少似たような意味を持つ単語は「共感」と訳してしまう、という大雑把なことが行われていました。そして、いったんテキストに「共感」という言葉が載ってしまえば、それはある程度の権威を帯びます。その結果、自助グループは共感を原理として回復するところなのだ、という誤解が広がってしまいました。
おかげで共感が成立するのが良いミーティングで、共感が起きないのはダメなミーティングという評価軸ができあがってしまっています。日本の自助グループ文化全般はアメリカの文化が輸入されて広がりましたが、いくつかの重要な概念の輸入に失敗しています。アイデンティフケーションもその一つです。
その結果、日本の自助グループは共感依存症という状態にあると言っても過言ではありません。誰もが共感を求めていて、ミーティングで共感が得られなければ、不満という離脱症状が噴出するほどです。しかし、その不満は、単に欲求が満たされないことによる不満にすぎません。
アイデンティフケーションとエンパシー
ジミーは先ほどの文章でアイデンティフケーションの必要性を強調したあとで、さらに回復には empathy が必要だと述べています。エンパシーはドイツ語の Einfühlung(アインフュールング)の英語訳として20世紀に入って造語された言葉で、相手の立場に立って、相手の考えや感情を想像することです。5) 私たちはテレビドラマや小説の主人公と同じ体験はしていなくても、主人公の気持ちやなぜそういう価値観を持つようになったかは理解できますし、それができなければフィクション は楽しめません。
ジミーがNAに欠かせないと言ったのは、共感(シンパシー)ではなく、エンパシーです。同じ経験をしたから得られるという薄っぺらな共感などではなく、「俺はお前の話にはまったく共感できない。でも、俺もお前も、同じヤク中(アル中)なんだよな」という奥深いアイデンティフケーションなのです。それを実現するのが、コンパルジョンとオブセッション、そして「ライフがアンマネージャブル」という概念であり、それらはすべてのアディクトに共通している症状なのです。
シンプルにまとめれば、共感(シンパシー)は人間の持つ欲求であり、それが満たされれば心地良いのは当然です。それを求めるのは悪いことではありませんが、AAやNAがその欲望の充足の場だと勘違いしてはいけません。AAやNAを回復の場所たらしめているのは、アイデンティフケーションとエンパシーなのです。
ステップ1の核心はオブセッションである
さて、人生や生活に薬物使用による悪影響が及んでいるのは、アディクトが酒を使い過ぎるからです。そして、飲み過ぎるのはコンパルジョンのせいであり、それを抜本的に治療して使い過ぎないように戻す方法はまだ見つかっていません。従ってアディクトには薬を断つこと、すなわちクリーンになることが唯一の選択肢になります。しかし、アディクトはせっかくクリーンを続けていても、オブセッション(とらわれ)によってスリップし、薬物使用に戻ってしまいます。つまり、オブセッションがアディクションという問題の核心なのです。
ベーシックテキストにこうあります:
この病気でいちばん分かりやすい狂気(insanity)の部分は、使わずにいられないというとらわれ(obsession to use drugs=薬物を使わせる強迫観念)だろう。7)
というわけで、アディクトは自分ではオブセッションを解決できないので、オブセッションから自分を守ってくれるハイヤー・パワーという存在を必要とするのです。このようにしてステップ1を済ませた人はステップ2へと進むことができます。しかし、この連載はこのままNAのステップ2へ進まずに、OAの12ステップへと舞台を移して、次回からOAのステップ1の説明が始まります。
- 「生きていくことがどうにもならなくなった」は、「ライフがアンマネージャブルになった」という原文の翻訳である
- 「ライフがアンマネージャブルになった」とは、人生・生活の様々な領域に薬物使用の悪影響が及んだという意味である
- NAのテキストに掲載されたNAメンバーのストーリーは、彼らの薬物使用が人生や生活にどんな悪影響を与えたかを表現している
- 同じ体験をしていなくても、共感できなくても、私たちはそれを読むことでアイデンティフケーションやエンパシーを成り立たせることができる
- AAやNAは共感が得られやすい場所であるが、共感は回復の原理ではない
- NABT, p.26.; NAWB, p.4.[↩]
- NA, Narcotics Anonymous 6th edition, Narcotics Anonymous World Services, 2008, p.17.[↩]
- Narcotics Anonymous San Fernando Valley Area, HISTORY OF NA LITERATURE (nasfv.com), Narcotics Anonymous San Fernando Valley Area, 2013.[↩]
- NABT, p.140; NAWB, pp. 15-16.[↩]
- Merriam-Webster, Merriam-Webster Dictionary (m-w.com), 2024.[↩][↩]
- アーネスト・カーツ(葛西賢太他訳)『アルコホーリクス・アノニマスの歴史――酒を手ばなした人びとをむすぶ』, 明石書店, 2020, p.113.[↩]
- NABT, p.37.[↩]
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