ジョーとチャーリーについて (2) リカバリー・ダイナミクス

前回ジョー・マキュー(Joe McQ)チャーリー・P(Charlie P.)ビッグブック・スタディBig Book Comes Alive!を取り上げました。これは、彼ら二人のAAメンバーとしてのAA内部での活動でした。今回は、ジョーが作った施設と、施設向け12ステップ・プログラムについてです。

リカバリー・ダイナミクスの誕生と普及

ジョーは1962年に州立の精神科病院に入院し、それをきっかけにAAにつながりました。当時は人種差別がはっきりとしていた時代で、白人男性のための回復施設は存在したものの、黒人であるジョーが利用できる施設は州立病院しかありませんでした。しかも、州立病院でのアルコホーリクの治療はコントミン を投与しているだけでした。退院後の彼はAAに受け入れてもらえたものの、彼に12ステップを教えてくれる人はおらず、彼自身でビッグブックから12ステップを学ぶほかありませんでした。

そんなこともあって、彼が1972年にアーカンソー州リトルロックに施設を設立したとき、それは人種に関わりなく誰でも利用できるものでした。その時の資金はわずか330ドルで、建物すらなかったのだそうです。1) 最初はYWCA の古い建物を借りていましたが、やがて市内(2500 South Broadway)に家を得て移転し、セレニティ・ハウス(Serenity House)と名付けられました。始めたときに治療プログラムはなく、その時からビッグブックを基盤としたプログラムの作成が始まりました。チャーリーとの出会いはその翌年ですから、施設用プログラムの開発とスタディ・グループの進展は同時進行だったことがわかります。

セレニティ・ハウス
セレニティ・ハウス, 筆者撮影, 2013年6月。1990年以降はプログラムを終えた人たちの延長滞在用に使われていた。

1977年には、最初の The Big Book Study のテープ録音が行われましたが、その同じ年に、ジョーたちは施設用に作ってきたプログラムを文書化する作業を行いました。この文書化は、地方政府の要請によって行われたと聞いています。2) このプログラムはリカバリー・ダイナミクス(Recovery Dynamics, RDと名付けられ、カウンセラーズ・マニュアルの第1版が出版されました。

セレニティ・ハウスの回復率は目立って高く、最初にプログラムを終えた20人のうち、9人は継続したソブラエティを維持し、他の8人もその後のソブラエティを14年以上続けたと記録されています。3) RDへの引き合いが多かったために、翌1978年には他の施設へのプログラム供給を行うケリー財団Kelly Foundationが設立されました。ケリーという名称はジョーの父親の名前から取ったのだそうです。

それを契機に、RDは多くの施設に広がっていきました。その背景としては、各地で行われたビッグブック・スタディの影響があったと思われますが、施設を取り巻く社会環境も影響を与えていました。

社会福祉を学んだことのある人は「ケースマネジメント」という言葉をご存じだと思います。(日本ではケアマネジメント と呼ばれることが多い)。ケースマネジメントは1980年代のアメリカが発祥で、ケースマネージャが在宅生活をサポートするケアプランを作り、様々な業者から福祉サービスを提供させることで、障害者や高齢者が入院せずに在宅で過ごせるようにし、これによって入院をできるだけ避けて医療費を削減することを目的として始まりました。また、複数の業者から重複して提供されている福祉サービスを一つに絞ったり、不要になったサービスを打ち切るなどの効率化によって、福祉予算の削減を図りました。

なぜ、そのようなことが1980年代のアメリカで始まったのでしょうか。それは、1981年から89年までのロナルド・レーガン 政権のレーガノミクス という経済政策の影響によるものです。この政策は軍事支出の増大ばかりが注目されましたが、地方への財源移譲と規制緩和が特徴の政策でした。これによって保健福祉関係の補助金も連邦政府から州政府へと権限が委譲されたわけですが、連邦補助金の削減が州の福祉予算の不足を招き、減少した予算を効率的に使うためにケースマネジメントが始められたのです。補助金の統合も行われたために、アディクションの施設も同じ予算枠から分配を受けることになり、アディクションの施設同士だけでなく、福祉や医療の分野とも補助金の獲得競争をせねばならなくなりました。

このときに、施設が治療プログラムを整備していることが、州政府の評価の対象となったのだそうです。(逆に一日3回ミーティングをやっているだけの施設は淘汰を受けることになった)。しかしながら、きちんと効果のあるプログラムを自前で作るのは大変です。RDのような既成のプログラムを導入するほうが効率的でした。そんな事情もあって、RDの採用施設が増え、一時期は300を越えていたそうです。

AAメンバー数の推移
AAメンバー数の推移, 筆者作成, 原資料は各年のBox 4-5-9夏号。

アメリカでは、1970年以降、連邦政府がアルコール・薬物の治療施設(回復施設)に資金を提供するようになったおかげで、多くの施設が誕生しました。(そうした施設がアフターケアとしてAAを勧めたおかげで、この時期に北米のAAはメンバー数を急激に増やしました。上図参照)。しかし述べてきたように、1980年代以降は施設は生き残りをかけた競争を強いられることになりました。アメリカの施設においてプログラムの開発が促進されたのは、そのような背景がありました。(この話の一部は当時アメリカに赴任していた日本人AAメンバーからの伝聞を下敷きにしています)。進歩のためには競争は欠かせない、という一つの実例でありましょう。

リカバリー・ダイナミクスとビッグブック・スタディ

ビッグブック・スタディとリカバリー・ダイナミクス(RD)の内容は本質的に同じです。前者は「AAメンバー向け」のセミナーとして作られたものであり、後者は「施設用」のプログラムという違いはあるものの、12ステップの内容については違いはありません。同じ時期(1970年代)に、同じ目的(12ステップを伝える)で、同じ人物(ジョー・マキュー)を中心として作られたものに、違いが生じるはずがないのです。

Recovery Dynamics Counselors Manual
カウンセラーズ・マニュアル(原著第2版)

RDにはレターサイズ で約400ページの分厚いカウンセラーズ・マニュアルがあります。現在このマニュアルは、RDの資格(RD認定プロバイダー)を取得した人にしか供給されません。そのボリュームと限定性が神秘性を帯びさせるのでしょうか、このマニュアルの中に12ステップの秘儀が収められていて、それを読めば「12ステップが分かる」んじゃないかという期待をする人もいるのですが、それは幻想です。

第一に、12ステップを説明してくれる最も基本的なテキストはビッグブックです。AAメンバーが書いた12ステップの解説書は数多くありますが、概ねどの本にも「この本はビッグブックの代替にはならない」という趣旨のことが書かれており、基本テキストとしてのビッグブックの立場を尊重しています。AA自身の出版している『12のステップと12の伝統』12&12も例外ではなく、ビッグブックが基本テキストであり、12&12はサブテキストであることを明確にしています。4) だから、ビッグブックの代わりにRDのマニュアルを読めば12ステップが分かるということではありません。

RDのマニュアルにも、「リカバリー・ダイナミクスはあくまでもビッグブックのステップをカウンセラーがガイドするためのツールに過ぎない」とあり、5) カウンセラーがビッグブックを理解していることが前提になっています。

第二に、ビッグブック・スタディあるいはRDの内容の大半は、前回紹介した三冊の本、『回復の「ステップ」』(通称赤本)『ビッグブックのスポンサーシップ』(同緑本)『プログラム フォー ユー』(同フォーユー)にも書かれています。三冊の本に情報が分散して統合されていないという難点はあるものの、学ぶための材料は十分に公開されています

しかしながら、AAメンバー向けの2日間ないし3日間のセミナーとして作られたビッグブック・スタディと、基本的に30日間の施設向けプログラムとして作られたRDの間には。そこから、RDの特徴を探ってみましょう。

リカバリー・ダイナミクスの特徴

RDの特徴を述べる前に、まずこれをご覧ください:

アスペルガー症候群との接し方
『ササッとわかる アスペルガー症候群との接し方』より

これは12ステップとは関係ない発達障害 の書籍6)のページです。今はアスペルガー症候群 とは呼ばずにASD自閉症スペクトラム障害 という名称になっていますが、内容については変わりありません。これを見ると、達成すべきゴールが明確です(発達障害の子供たちに事前の予告をすることで課題をうまく達成してもらう)。さらに、なぜそうしなければならないか問題、何を達成すれば良いか解決、そのための具体的な方法行動も明確になっています。右のページに文章で説明がありますが、左側のページには同じことが図で示されています。多くの人は、文章を読むより、左の図を見た方が理解が早いでしょう。

つまり図版を使うこと(視覚化)と、プログラムを小さな単位に分解しそれぞれに達成すべき目標と手段を明確にする(構造化)ことによって、理解を促進することができます。

RDの特徴は視覚化構造化である

ビッグブックには、図版はまったく使われていません(せいぜい棚卸し表ぐらい)し、構造化も行われていません(ビッグブックの任意のページを開いて、それが何番目のステップの説明なのかすぐに言える人は少ないでしょう)。初版が出版されたのは活版印刷 の時代で、図版を入れるのは手間も費用もかかったでしょうから、ビッグブックをビジュアライズするということは考えもしなかったことでしょう。

RDは、12のステップを28個(第3版からは29個)グループ・セッションに分解し、それぞれのセッションごとに到達すべきゴールが明確化されています。さらに、必要となるビッグブックの用語や考え方の説明が用意されています。セッションだけでなく、各ステップにも到達すべきゴールと、そのための手段が示されています。このように、全体に構造を持たせると同時に、一つひとつのパーツも構造を持っているのが特徴です。

日本のAAは、12ステップを「認めて・信じて・お任せ」のような曖昧な説明に頼って伝えてきました。なぜ認めなければならないのか、何をすれば認めたことになるのか――そうした説明が省かれていたせいで、12ステップは分かりづらい「難しいもの」という印象が広がっていたと言えます。しかし、ビッグブックは(読みづらい本であるものの)一つひとつのステップに私たちがなぜ取り組まなければならないのか、具体的に何をすれば良いのか、何を達成すればそのステップを「やった」ことになるのか、ということ私たちに伝えてくれます。しかしながら、上に載せたような最近の分かりやすい教科書に慣れた身には、とっつきにくさがあります。

RDは、12ステップが本来持っている構造を明確にし、それをさらに細かな単位に分解し、少しずつ着実に理解していけるように作られています。

視覚化という点では二十数枚の図版が使われています。最近の基準からすれば図が20枚余りというのは少ないですが、これが40年以上前に作られたものであることを考えれば、当時としては図版を豊富に使ったプログラムであったことが分かっていただけると思います。(40年前の小学校の教科書と現在のものとを比較してみて下さい)。

しばしば起きる勘違いは、ビッグブック・スタディの2日間ないし3日間、あるいはRDの28個のセッションが進んでいくと同時に、プログラムの受け手がステップに取り組んで行くと考えてしまうことです。実際にスタディやセッションで提供されるのは、ビッグブックやステップへの理解にすぎません。その理解に従って、スタディの場合には別の機会にスポンサーとステップに取り組み、施設の場合には担当スタッフやスポンサー相手にやはり別の機会に行うことになります。

Big Book Study Handouts
ビッグブック・スタディの配付資料の小冊子。

図版について付け加えておくと、実はビッグブック・スタディの会場で配布された資料にはRDの図が10枚ほど使われていました。1980年代に使われていたと思われる資料にはケリー財団の名は入っていません。そのせいでしょうか、スタディの資料から書き起こしたと思われる(RDと同じ)図がネットにはいくつか見つかります。その後、小冊子として作られた配付資料(上図)はRDと全く同じ図が11枚収録されており、図の版権はケリー財団にあると明記されていました。

『ビッグブックのスポンサーシップ』(緑本)と『回復の「ステップ」』(赤本)には、それぞれ8枚ほどRDの図が使われています。重複が少ないので、両方合わせると14枚の図があり、これはRDの重要な図のほとんどが含まれます。それぞれの図が何を説明しているのかは、この2冊の本で理解することができるはずです。

このブログでもRDの図がそのまま使えれば僕も楽ができるのですが、人様の商売道具を勝手に使うわけにもいかないので、必要に応じて自分で図を作るようにしています。(スタディで使うことについては許可をいただけましたが、ネットはダメなのだ)。

ウォルフ・ストリート・センター

ジョー・マキューの話をするときに、見落とされがちなのが、彼がクラブハウスを作ったことです。クラブハウスは、AAグループがミーティングを行うための建物で、(施設と同様に)AAとは別に法人を作って運営されています。アラノクラブ(Al-ano club)という名称が与えられていることが多く、アメリカには数多く存在しますが、一覧表は見当たらないので、いったいいくつあるのか分かりません。日本にクラブハウスの文化がないことは少し残念です。

ジョーの作ったウォルフ・ストリート・センターWolfe Street Centerは、リトルロックの街中にあり(1015 S. Louisiana St.)、元は葬儀場だった建物が、やがて病院の看護学生の寮となり、さらに3年間使われなかった間に朽ち果てしまって、屋根が落ちていたそうです。ジョーたちは、病院からその建物を安くリースしてもらい、ミーティングに使えるように自分たちの手で修復しました。現在も多くのAAミーティングが開かれているほか、地区委員会や、アラノンやACAやCoDAのミーティングが行われています。僕も2013年に施設の研修でリトルロックへ行かせてもらったときに、ここで200人以上が参加するビッグブックのスタディ・ミーティングに参加しました。建物の中にはブックストアがあり、AAやアラノンなどの書籍やメダルなどのグッズを、ボランティアのAAメンバーが売っていました。

Wolfe Street Center
ウォルフ・ストリート・センターにて, 2013年6月撮影

ジョーが作った施設とRDのその後

Serenity Park 2013
セレニティ・パーク, 筆者撮影, 2013年6月

1989年、セレニティ・ハウスは郊外の広い敷地(2801 W. Roosevelt Road)に移転し、セレニティ・パーク(Serenity Park)と名前を変えました。それまでのセレニティ・ハウスの建物は、30日のプログラムを終えた人たちの延長滞在用の施設として使われることになりました。

2000年代のセレニティ・パークの利用コストは、30日間の滞在型プログラム(30 Day Residential Treatment)3,500ドルでした。1ドル=115円で計算すると約40万円。高いと思われるかも知れませんが、同じ時期のヘイゼルデン(Hazelden)のセンターシティの男性施設における滞在型プログラム(28日間)が22,200ドル、ベティ・フォード・センター(Betty Ford Center)の滞在型プログラム(30日間)が24,000ドルでしたから、それらに比べれば1/6以下です。

たまたま見つけたこちらの Understanding the Cost of Rehab というページにはアメリカのアディクション治療施設のコストについて書かれています。

Some inpatient rehabs may cost around $6,000 for a 30-day program. Well-known centers often cost up to $20,000 for a 30-day program. For those requiring 60- or 90-day programs, the total average of costs could range anywhere from $12,000 to $60,000.7)


滞在型の施設は30日間のプログラムで概ね6,000ドルかかるでしょう。著名な施設では30日間のプログラムで20,000ドルになることもあります。60日間あるいは90日間のプログラムが必要な人たちにとって、総費用は12,000ドルから60,000ドルの範囲に入るでしょう。(拙訳)

アメリカの施設の利用コストは時には数百万円に及ぶこともあります。(ちなみにHazeldenのSさんに伺ったところ、「うちは安い方です。高いところはもっと高いです」というお話でした)。もちろん保険が使えればその全額を自己負担する必要はありませんが、アメリカには公的な健康保険制度は低所得者向けのメディケイド と高齢者・障害者向けのメディケア しかなく、民間の保険を購入するのが主流ですから、どのレベルの施設を使えるか、どれだけ保険でカバーできるかは、毎月の支払額によって違ってきます。

そうした事情を踏まえれば、ジョーがセレニティ・パークの価格設定を低く抑えたのは、より多くの人にプログラムを提供するためだったのだと思われます。(ちなみに、州政府の費用負担でホームレスなどの低所得者が施設を利用できる制度がある(これもメディケイドかも)ものの、一般の利用者に比べてそうした人びとの回復率が低いことが問題なのだと研修の時に教えてもらいました)。

2005年3月には、ジョーの長年の目標だった女性施設(Serenity Home for Women)の起工式が行われました。さらに建設費用をまかなうために200万ドル目標のファンドレイジングが設定されました・・・が、おそらくそれが十分に集まらず、不足分は銀行からの借入でまかなわれたのだと思われます。

Serenity Home for Women
女性用施設 Serenity Home for Women, 筆者撮影, 2013年6月

2007年にジョーが亡くなると、その施設の運営も、RDプログラムの権利管理をしているケリー財団も、ラリー・G(Larry G.)に引き継がれました。

2008年には女性施設が開設されましたが、同時にセレニティ・パークの滞在型プログラムの値段が7,500ドルへといきなり倍以上に値上げされました。

RDの採用施設が300を越えていたと言っていた時代8)には、RDのライセンス制度は存在していなかったと思われます。2006年頃までは、カウンセラーズ・マニュアルもAmazon.comで普通に購入することができました。だから、RDを使いたい施設はマニュアルを50ドルで買って自由に使うことができました。しかし、そうしたRDの資料を自分たちのものだと偽って販売する業者が現れたり、RDを採用していると称しながら実際には一部しか使っていない施設などについてのトラブルが生じたり、といったことから、ライセンス制度が導入されました。

おそらくは2006年ごろから、ライセンス制度が徐々に強化され、ケリー財団のサイトには認定を受けた数十の施設が掲載されるようになりました。施設が認定を受けるためには、3日間の研修を受けて「認定プロバイダー」の資格を得たスタッフを一定数揃えるなどの条件を満たさなければならず、マニュアルは認定プロバイダーにのみ販売するようになり、さらには図版の管理も厳しくなりました。このように、RDは次第にライセンス・ビジネスの性格を強めていきました。

AAグループと違い、施設は経済行為であり、家賃や人件費などの固定費を支払うためには売り上げを確保しなければなりません。だから冷徹にビジネスを行うのが悪いことだとは思いません。しかしながら、スピリチュアルなプログラムを売るというのは霊性を蝕む部分がある、と僕は思っています。(その費用をクライアント本人が負担しようが、保険会社や公的資金が負担しようが違いはない)。だから、ジョーが施設を運営する一方で、各地でビッグブック・スタディを行い、ウォルフ・ストリート・センターを設立してそこでスタディ・ミーティングを行っていたのは、同じものを無償で提供することでバランスを取っていたのではないか、と僕は考えています。

2010年には、ケリー財団から日本国内でのRDライセンス供給を請け負う法人セレニティ・プログラムが設立され、翌年に日本初のRD採用施設としてセレニティパークジャパンが奈良に開設されました。その後、日本国内でもRDの認定施設は徐々に増えつつあります。(その一覧はセレニティ・プログラムのサイトに掲載されている)。

セレニティ・パークの倒産、新施設

僕が2013年6月に施設の研修でセレニティ・パークを訪問した時には、すでに男性施設は休業しており、女性施設も利用者が数人しかいない状態でした。その後まもなく女性施設も閉鎖されたようです。ジョーが運営していた施設の最後の姿を見ることができたことを幸運と言って良いのかどうか・・・。

翌年にはセレニティ・パークがすでに閉鎖されたという情報がもたらされました。しかし直接の連絡手段を持たない僕には確認の方法がありませんでした。セレニティ・プログラムの代表のSさんも、なかなか連絡が取れないとこぼしていました。分かったことは、ラリー・Gがケリー財団の仕事を続けることで、RDのライセンス管理と供給は続けられるということでした。

その後の状況が分かったのは、ローカルな経済新聞Arkansas Businessの記事によってでした。

Group May Grant Serenity Park New Life
from Arkansas Business, Oct 5, 2019

右に載せたのは、2015年10月5日の記事で、セレニティ・パークの土地建物が銀行差し押さえになったこと、かつてのプログラム・ディレクター(ラリーとは別の人物)を中心としたグループが、銀行から土地建物を148万ドルで買い取るべく、130万ドルのファンドレイジングを設立したことを伝えていました。女性用施設だった建物を使って90~120日の「長期型」施設として再生するプランであるものの、男性用施設のほうは1960年代の建築なので老朽化が進み、補修には追加で30万ドルが必要だともあります。

その後は長く動きがなかったのですが、同じく Arkansas Business2019年1月2日の記事で、Serenity Park Partners LLC という法人が銀行から110万ドルで購入したと報じられました(値切ることに成功したらしい)。9)

さらには2019年10月上旬に、新しい施設が開設されたしたことを報じる記事がいくつかのニュースサイトに掲載されました。

一つはローカル新聞Arkansas Democrat-Gazette10月2日の記事で、新しい施設の名前はセレニティ・パーク・リカバリー・センターSerenity Park Recovery Centerで、法人の名前も同じ。CEOはタラ・ティンイン(Tara Tinnin)という若い白人女性です。現場の責任者はジョージ・ウィーバー(George Weaver)という経験の長い人物を登用し、スタッフは全部で22人とあります。2007年築の元女性施設の建物を使うようですが、元男性用施設も160万ドルかけてリノベーションするプランだそうです。リカバリー・センターのサイトに掲載されているスタッフの一覧には、2015年の記事に名前が出てくる人たちの名前はありません。かつての施設とスタッフの継続性はなさそうです。

Serenity Park opens new addiction recovery center in Little Rock
from Talk Business & Politics, Oct 7, 2019

もう一つはアーカンソーの経済新聞Talk Business & Politics10月7日の記事で、内容は上の記事と重複しています。

リカバリー・センターのサイトをざっくり見渡してみましたが、リカバリー・ダイナミクスについては一切が言及ありませんでした。ジョー・マクアニーに対するトリビュート(感謝と尊敬)は表明しているものの、ジョーのプログラムを継承しているかどうかは明らかでありません。むしろジョーとその施設の知名度を、新しいビジネスにうまく活用しているという印象を受けます。

新しい施設は、開設早々にコロナ禍に見舞われることになりました。人ごとながら経営状況が気になるところですが、THV11というアーカンソーのテレビ局が近況を伝えていますので、リンクを掲載しておきます。動画を見るとリノベーションされた施設の様子をうかがい知ることができます。

コロナ前よりも問い合わせが5割増えているそうで、まずは経営の順調さがうかがわれます。

このようにして、リカバリー・ダイナミクスのライセンスはケリー財団(ラリー・G)に、施設はタラ・ティンインに、そして彼の書いた本はそれぞれの出版社にと、ジョーのレガシー は分散して引き継がれていくことになりました。

ジョーの活動についての評価

ジョーが亡くなって10年以上が過ぎ、彼に対する歴史的評価はこれから始まるのでしょうが、このエントリを書きながら得られた一つの洞察を分かち合っておきたいと思います。

ジョーの活動は、AAにおいてはビッグブック・スタディを無償で提供し、施設ではリカバリー・ダイナミクスをビジネスとして展開しました。二つの領域に分かれていますが、それらは一つの知的創作物 の表現の違いにすぎません(小説を原作にして映画を作ったようなもの)。

知的創作物を使った活動という観点からジョーのやったことを見ると、ソフトウェアにおけるオープンソース の動きとの類似性に気がつきます。オープンソースというのは、ソフトウェアの元になるソースコードが自由に配布されており、それを使って他者が利益を上げることも自由であり、サポートはそのソフトを使う人たち(コミュニティ)から無償で提供されるものをアテにしています。しかし、コミュニティから提供されるものは品質やサポートの確実性の保証がありませんから、個別のサポートを受けたい場合には、それを提供する企業と有償の契約を結ぶことになります。これによって、人びとは品質の高いソフトウェアを自由に手に入れられますし、企業側はサポートや開発にコミュニティの力を活用できます。オープンソースの最も代表的な例がLinux ですが、それ以外にもたくさんのものがあり、多くの人がオープンソースでメシを食っています。

ジョーはビッグブック・スタディを各地で行っていましたから、回復のプログラムを求める人たちはそれに参加したり、録音テープを手に入れることができました。彼がそこから経済的利益を得ることはありませんでした。リトルロックにいる人たちは彼がウォルフ・ストリート・センターで行うスタディ・ミーティングに参加することもできました。そうやってプログラムを得た人たちは、自らにそれを使い、さらにスポンサーシップとして提供することで、AAコミュニティのなかで自由に活用されていきました。もちろん、スポンサーシップには何の品質保証もないわけですが。

一方で、施設ではリカバリー・ダイナミクスというプログラムが有償で提供されており、お金を出せる人たちは施設を利用することで、経験を積んだスタッフによる一定水準の品質のプログラムを受けることができました。施設にはAAメンバーが入所中の人の棚卸しを聞くために訪れ、プログラムを終えた人を地域でサポートしており、そのようなAAコミュニティの力を活用できることで、施設の運営コストを低く抑えながら、クォリティを保つことを可能にしていました。

リカバリー・ダイナミクスが次第にライセンス・ビジネス化したことで、プロプライエタリ化が起こり、コミュニティと施設との好循環が失われたということはないだろうか・・・そんなことを心配してみたりします。

とはいうものの、無闇に心配してみても始まりません。回復した人は過剰な心配をしないものだとジョーは教えています。彼の口癖は、

It’s gonna be okay.10)


大丈夫、きっとうまくいく。

というものでした。僕も努めて楽観的であらねばと思います。(それにしても今回は調べ物が多くて大変だったな)。


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  1. Jodi Sh. Doff, Joe & Charlie: The Other Two Old DrunksThe Fix (thefix.com), 2015-7-15[]
  2. ラリー・G(Larry G.)からの伝聞。[]
  3. セレニティ・パークのサイトの2000年頃の記述だが、初出については不明。[]
  4. 12&12, AAWS, 2001, pp.23-24.[]
  5. セレニティ・プログラム『リカバリー・ダイナミクス カウンセラー用マニュアル 日本語版第2版』, セレニティ・プログラム, 2011, p.11[]
  6. 榊原洋一『ササッとわかる アスペルガー症候群との接し方』, 2008, 講談社[]
  7. Jeffrey Juergens, Cost of Drug and Alcohol RehabAddiction Center (AddictionCenter.com), 2020-1-18[]
  8. ケリー財団のサイトには2003年頃までこの記述が残っていた。[]
  9. この Serenity Park Partners LLC は Tara Tinnin が2018年11月に設立した法人。[]
  10. Joe McQ, Carry This Message – A guide for Big Book Sponsorship, August House Pub., 2002, “The Word from Joe” ― この章はジョーの死後に加えられたため日本語版には収録されていない。[]

2020-12-14その他,日々雑記

Posted by ragi