ジョーとチャーリーについて (1) Big Book Comes Alive!

今回は、このブログでときどき名前が登場するジョー・マキュー(Joe McQ)について、また彼とチャーリー・P(Charlie P.)が行った Big Book Comes Alive!ビッグブック・カムズ・アライブ の解説です。

ジョー・マキューの回復

Joe McQ
Joe McQ — from Carry This Message

ジョー・マクアニー(Joseph Daniel McQuany, Joe McQ., 1928-2007)は、1928年にケンタッキー州 で生まれました。父も、兄もアルコホーリクでした。1) ジョーはやがてアーカンソー州 の州都リトルロック に移り住みますが、彼自身も絶望的なアルコホーリクになりました。酒を止めるあらゆる努力は失敗に終わり、1962年3月10日にベントンBentonの州立精神病院に自ら入院しました。2) 当時は白人の男性のための施設はありましたが、黒人(アフリカ系アメリカ人)の男性のアルコホーリクが利用できるのは州立の精神病院だけだったからです。3) 州立病院では本格的なアルコール治療はまったく行われておらず、アルコホーリクを入院させてソラジンクロルプロマジン 、コントミンのこと)を投与するだけだったそうです。彼にとって幸運だったのは、入院4日後に院内で行われたAAのミーティングに参加したことでした。4)

Tobacco and hand rolled cigarettes
Tobacco and hand rolled cigarettes on table, ID 35515774 (C) Aleksandrs Samuilovs | Dreamstime.com

当時の彼は紙巻きタバコ(cigarette)を吸っていました(かなり晩年まで喫煙している写真が残っている)。しかし、病棟内で手に入ったのは「自分で巻く」タイプのタバコだけでした。これは刻みタバコを薄い紙の上に置き、紙の一辺を舐めて濡らして、円筒状に巻いて完成させるものです。ところがジョーは重度のアルコホーリクだったので、離脱で手が震えて、自分でタバコを巻くことができませんでした。どうしてもタバコが吸いたい彼は、入院仲間に頼んでタバコを巻いてもらいましたが、他人の唾が付いたタバコを吸うのは不快でした。

ある日、ジョーが何もすることがなく座っていたとき、入院仲間から院内のAAミーティングに誘われました。彼はどうせ酒の害を説く説教を聞かされるだけだろうと思って断ったのですが、AAメンバーが淹れたてのコーヒーと巻いてあるキャメルのタバコを振る舞ってくれると聞いて出席する気になりました。人の唾の付いたタバコを吸うのにうんざりしていたからでした。

しかしAAメンバーの話は、アルコホーリクは病気の犠牲者であるということと、AAが見つけた解決方法についてでした。ジョーにとっては、AAの名前を聞くのも、その話も初めてでした。ミーティングの後で、ジョーはそのメンバーに話しかけました。「私はあなたと全く同じだ。私はどうすればいいだろう?」 するとその人はジョーにこう答えました。「さっきは俺のしたことを話しただけだ。お前がこれからどうしようと、俺には関係ない。だが、お前がこれをやりたいと言うのなら、手助けしてやるよ」

このAAメンバーが、アーカンソー州ベーツビルBatesvilleチャールズ・C(Charles C.)であり、ジョーは彼をスポンサーと呼んでいました。彼はチャーリー・Pとは別人で、1992年ごろ亡くなっています。5) 実際のところ、チャールズがジョーにどれだけのことをしてくれたのかは分かりませんが、ジョーの部屋にはチャールズの写真が掲げてありました。

退院したジョーはAAミーティングを探しあてましたが、当時ははっきりとした人種差別が残っていた時代で、黒人である彼は歓迎されませんでした。(ジョンソン大統領のもとで公民権法 が制定されるのは1964年)。AAグループは彼の参加を認めたものの、ミーティングが始まるより早く来てはいけないし、終わったら残っていてもいけない、そしてコーヒーには手を出さないように、とジョーに言い渡しました。後にジョーは「リトルロックは1962年に黒人が助けを求める場所ではなかった(Little Rock was no place for a black man to be looking for help in 1962.)」と語っています。5) 6)

そんなわけですから、ジョーが12ステップを学ぶのには、ビッグブックが頼りでした。彼は南部アーカンソー州で初めてAAで回復した黒人となりました。このとき彼は34歳でした。

チャーリー・Pの回復

Dust storm approaching Stratford, Texas.
農業崩壊を引き起こしたダストボウルの様子 Dust storm approaching Stratford, Texas, from Wikimedia Commons
The Iceman Making Deliveries From His Truck 1942
当時の氷配達人 — The Iceman Making Deliveries From His Truck 1942, from Model T Ford Forum

チャーリー・P(Charles A. Parmley, 1929-2011)は1929年にオクラホマ州 タルサで生まれ、そこで育ちました。父親は農夫をしていましたが、大恐慌 に耐えられずにカルフォルニアに移り住みました。ジョン・スタインベック が『怒りの葡萄 』で描いたダストボウル による農業崩壊によるものと思われる)。カルフォルニアでも食い詰めた父親は、タルサに戻り、氷配達という力仕事に就きましたが、アルコホーリクになり、週給を受け取るとそれを密売のウィスキーに費やしてしまいました。貧困と繰り返される父親の暴力に耐えかねた家族は、父親を州立の精神病院に入院させるほかはなく、チャーリーと兄弟は70マイルの道のりをヒッチハイクして、入院中の父親にタバコを2カートン届けに行った、と語っています。7)

こうしてみると、ジョーも、チャーリーも、疑いなくアダルト・チルドレン(AC)であり、彼らの残した12ステップの解釈やリカバリー・ダイナミクスがACの人たちから支持されているのも、アルコホーリクであると同時にACでもあった二人による12ステップが、そのままACの回復に役立つからでしょう。

高校を出たチャーリーは軍に入隊し、第二次世界大戦をドイツで戦いました。結婚した彼は、アーカンソー州メイズビルMaysvilleに移り住み、牧場を営みました。アルコホーリクになりましたが、1970年にはAAでソブラエティを得て、自らビッグブックを学び始めました。6) (ジョーはチャーリーのことを「私のヒーロー」と呼んでいるのに、チャーリーのほうが8年ソブラエティが短いことにちょっと驚きました)。

ジョーの作った施設の話は次回にするとして、チャーリーも1977年にオクラホマ州グローブGroveにある House of Hope Recovery Center という男性用の宿泊型回復施設の共同創始者になっています(牧場は売ったらしい)。他にもアクロンの Dr. Bob’s Home ドクター・ボブの家)や、バーモントの The Wilson House ビル・Wの生家)の維持基金集めのオーガナイザーを務めたり、1981~82年にはArea 4(アーカンソー州)の評議員も務めています。8)

ジョーとチャーリーの出会い

二人の出会いは、1973年にリトルロックで開かれたアラノンのコンベンションで、チャーリーがAAのスピーカーを頼まれ、ジョーがチャーリーを紹介する役になったのがきっかけでした。ジョーはチャーリー・Pが(なぜだかよく分かりませんが)カントリー・ウェスタン の歌手であるチャーリー・プライドCharley Pride, 1934-)であることを期待していました。チャーリー・プライドは1960年代から80年代にかけてウェスタンのヒット曲を次々とチャートに送り込んだ黒人歌手でした。(黒人ながらカントリー・ウェスタンを歌ったチャーリー・プライドの話も興味深いのですが、それはまた別の機会に)。

カントリー歌手のチャーリ^-・プライド — Charley-Pride 1981 by Greg Mathison, fromWikimedia Commons

チャーリー・Pを一目見て間違いに気づいたジョーは、そのがっかり感を「奴は肌の色からして間違っている(He wasn’t even the right color.)」と表現しています。9) なぜならチャーリー・Pは白人だったからです。

それでも二人はビッグブックという共通の関心を持っていることから意気投合し、お互いの家は225マイル(360Km)以上離れていましたが、ひんぱんにお互いを訪問しては、ビッグブックについてのメモを交換したそうです。「自分が学んでいることと同じことに興味を持つ人と話すことの楽しさを知った」とジョーは述べています。10)

他にも、二人はアーカンソーやオクラホマで開かれるAAのコンベンションのたびに、二人だけでホテルの一室でビッグブックのメモを交換し、ビッグブックに内在している回復のプランを見つけ出していきました。そこへチャーリーがスポンシーのトニー(Tony)を加えても良いかと聞いてきました。それをきっかけに次第に参加する人数が増えていきました。二人は人びとの要望に応じて、コンベンションやカンファレンスのたびに、ホテルの一室で(プログラムに載らない)ステップミーティングを開くようになりました。11)

The Big Book Study(ザ・ビッグブック・スタディ)

The First Joe & Charlie Big Book Study
The First Joe & Charlie Big Book Study, eBayに$45で出品された最初のテープのコピー

1977年にあるAAメンバーが、自分のホームグループでステップの話をしてくれ、と二人に頼みました。それを録音した4本組みのカセットテープ The Big Book Study と名付けられてAAの中で広まり、多くの人がこのテープを聴いたことによって、二人で話をしてくれという依頼があちこちから舞い込むようになりました。1980年までには年に5~6回行われたそうです。12) 6)

転機が訪れたのは1980年でした。この年にニューオリンズ で開かれたAAの45周年インターナショナルコンベンションで、フロリダ州ポンパノビーチウェスレー・P(Wesley P.)が、1,500人の昼食会を企画しました。13) そして、そのドアプライズ(会場入り口で配られる抽選券でもらえる賞品)として、The Big Book Study のカセットを100セット配りました。これによってジョーとチャーリーの存在は全米・全世界のAAに知られるようになりました。(日本には届いてこなかったみたいですが)。

結果として1980年代の二人は、年に30回以上の週末を各地で一泊二日のスタディを行って過ごすことになりました。その録音が配布されることで、二人の話を聞いたメンバーはますます増えました。多くのAAグループや地区の委員会が競って二人を招くようになり、アメリカの全州、カナダのほとんどの州、そしてヨーロッパ各国やオーストラリア、ニュージーランドでスタディが行われました。6)

なぜ彼ら二人の話が、そんなにもAAメンバーの心を掴んだのでしょうか? 僕も実際にその中身を詳しく知るまで不思議に思っていました。それは彼らが自分の経験、AAの原理(12ステップ)を伝えようと努めていたからだと思われます。私たちには自己顕示欲がありますから、プログラムのことを伝えようと話をしていても、ついつい自分の体験の余計な部分まで話してしまい、そのせいで聞き手の関心をプログラムではなく個人に向けてしまう、という誤りを犯しがちです。しかし、彼ら二人は、12ステップのある部分を説明するという目的のために、自分の経験の本当に必要な部分だけを取り出して道具として使うことに長けていました。それは1973年に出会って以来、ビッグブックを学び、それを分かち合うことに力を合わせてきた二人の成果だったのでしょう。「個人より原理を」の実践と言えましょう。

また、ビル・Wが小難しい言葉を使い、読み手が考えて理解することを要求する言い回しを多用したのに対して、ジョーとチャーリーは平易な言葉を選び、ときに聖書を引用しながらも、例え話を上手に使って分かりやすく説明してくれました。スタディが繰り返されるうちに、話の内容は次第に(落語のように)定型化し、人びとは二人の話を聞くのを心待ちにしたそうです。それはアメリカの開拓期に、散在している開拓民を巡回して宣教して回ったメソジスト の巡回牧師を彷彿とさせる話です。メソジストの巡回牧師がアメリカの反知性主義 を反映した存在だとするならば、ジョーとチャーリーはAAにおける反知性主義のシンボル的存在と言えるでしょう。(AAと反知性主義の関係については、また別にエントリを設けたいと思います)。14)

ともあれ、人びとは「ビルとボブがビッグブックを書いたにしても、それを説明してくれたのがジョーとチャーリーなのだ(it took Bill and Bob to write the Big Book but it took Joe and Charlie to explain it.)」と言うようになりました。15)

二人のその後

注目を浴びることで、AAメンバーからやっかみを受けることも多かったようで、二人のことを自称12ステップ導師グールーであるとか、週末に12ステップのセミナーで金を稼いでいると非難するAAメンバーもいたそうです(AAで金を稼ぐのは伝統8に反するということから)。実際には彼ら二人は、旅費などの経費以外は受け取っておらず、経費を受け取ることはGSOが発行しているガイドラインに沿ったもの16) ですから、何ら非難される理由はありませんでした。むしろ、平日は仕事をして、金曜の夜になると飛行機に乗って現地に向かい、日曜の夜に飛行機で戻ってきて、月曜の朝から仕事をするという暮らしは、「自分を捧げる」覚悟がなければ、なかなかできることではないと思います。

1990年代後半になると、ジョーは旅をすることが難しくなりました(晩年の彼はパーキンソン病 で車椅子生活だった)。しかし、スタディ・グループの初期からジョー・マック(Joe McC., Joe McCoy, -2014)という白人のメンバーが参加しており、彼がもう一人のジョー(young Joe)として引き継いで続けられました。12)

ジョーがAAメンバーとして一般的な Joe M. ではなく Joe McQ.ジョー・マキュー という表記を使ったのは、おそらくは Joe McC. との判別のためだったのだと思われます。(ちなみに、Mcというのは父称 です)。

僕がこの二人のことを知ったのは、2002年頃にアメリカ帰りのAAメンバーから話をきかされたときでした。そこでインターネットで検索してみると、スタディを録音したカセットテープやCDが売られているのが見つかりました。当時安いもので数十ドル、高いものは数百ドルしました。(聞くところによれば、そういった音源は、二人を招いたホスト委員会が、セミナー開催の費用をまかなうために販売して赤字を補っていたのだそうです)。

興味は持っていたものの、僕は英語の聞き取りができず、手を出せずにいました。たまたまファイル共有ソフトWinMx で見つけたものをダウンロードして聞いてみました。落ち着いた低いチャーリーの声と、しわがれたジョーの声が続き、時々聴衆の笑い声が混じることからして「これはきっとユーモアとウィットに富んだものに違いない」と思ったものの、当然中身はさっぱり理解できませんでした。だから、僕が彼らの話に最初に触れたのは、本を通じてでした。

ジョーは2007年10月25日にパーキンソン病が原因で亡くなりました。79歳、45年のソブラエティでした。その後はチャーリーとヤング・ジョーの二人でスタディが少し続けられたそうですが、2011年4月11日にはチャーリーも心臓病で亡くなりました。82歳、生涯の半分にあたる42年をソーバーで過ごしました。17)

二人の残したもの

AAの中でミーティングを重視する人たちを meeting makerミーティング・メイカー と呼び、12ステップを重視する人たちを step takerステップ・テイカー と呼ぶのだそうです。ミーティング派と12ステップ派とでも訳しましょうか。二人は典型的な step taker でした。

2007年に埼玉でAOSM(Asia Oceania Service Meeting)が開かれたとき、アメリカから来たAAメンバーと一緒に昼食を摂る機会がありました。その時に「あなたはどんなやり方でステップをやったのか?」と聞いたところ、その人はしばらく考えて「ジョー・アンド・チャーリーだ」と答えてくれました。ジョー・アンド・チャーリーのやり方は広まっているのかと尋ねると、彼は自分の個人的な意見と断った上で、広がったがゆえに、それと気づかずにジョーとチャーリーが説明したやり方で12ステップに取り組んでいる人も多いのだろう、と教えてくれました。

ビッグブック・スタディとは、単に「ビッグブックを学ぶ」という意味です。彼ら以外にも、数多くのビッグブックを学ぶグループやセミナーが存在しました(現在も存在している)。彼ら二人の2日間(あるいは3日間)のセミナーは、ビッグブック・スタディという名前以外に Big Book Comes Alive! という名前が付いていました。その名の通り、二人の功績は、ビッグブックに書かれた12ステップを現代に生き生きとよみがえらせたことにあるのだろうと思うのです。

スタディで二人の話を聞いたメンバーの数は20万人、テープなどのメディアを通じて接した人数を含めれば30万人とも、50万人とも見積もられています。

チャーリーはこんな言葉を残しました:

“Remember, we recover by the steps we take, not the meetings we make!”6)


「忘れないでください。私たちは、ミーティングに出ることで回復するのではありません。ステップに取り組むことで回復するのです」(拙訳)

ジョーが2007年に亡くなったとき、その葬式の様子を伝えたメールが転送されてきました。これだけ人気を博した人ですから、さぞかし大きな式が営まれるのだと思いきや、小さな葬式であることに驚きました。僕は2013年に施設の仕事の研修を受けるためにジョーの作った施設に3日間滞在しましたが、その時に誰もジョーの墓参りに行こうとは言い出さず、現地の施設のスタッフも勧めてきませんでした。ジョーは私たちに原理を伝えてくれましたが、個人的な称賛は拒んでこの世を去りました。それは「個人よりも原理を」の実践でありましょう。

二人の話に触れるには

もしあなたが英語のヒアリングに堪能なら、インターネットで検索すれば、二人の話を録音した音声ファイルが大量に見つかり、無料でダウンロードすることができるでしょう。(有償のものもありますが、どこが違うのかはわかりません)。

日本語で三冊の本が出版されています。ジョーにはAAメンバー向けの著書が二冊あります。

『回復の「ステップ」』
『回復の「ステップ」』

『回復の「ステップ」』の原著 The Steps We Took は1990年の出版で、毎週のようにスタディをスタディを続けていた時期のジョーの口述による12ステップの解説です。ステップ1と2には20ページしか費やしておらず、ステップ3より先に多くのページを割いて「新しい生き方」に焦点をあてています。この本が家族グループやACの人たちに人気があるのは、おそらくそのためでしょう。

『ビッグブックのスポンサーシップ』
『ビッグブックのスポンサーシップ』

もう一冊は『ビッグブックのスポンサーシップ』で、その原著 Carry This Message はジョーが亡くなる5年前の2002年に出版されました。スポンサーとしてスポンシーにステップを伝えていくやり方の本ではありますが、その内容は12ステップの核心にまつわるものです。

『プログラム フォーユー』
『プログラム フォーユー』

『プログラム フォーユー』の原著 A Program For You は1990年の出版で、この本に著者名はありません。しかしながら、二人のAAメンバーによるものであるという記述や、本の内容からして、これがジョーとチャーリーによるビッグブック・スタディの内容を抜粋して一冊の本に詰め込んだものであることは間違いありません。抜粋版ではありますが、この本を読むことが、日本語を使う私たちにとって二人のスタディに触れる最もハードルの低い手段であると言えます。ただし、その内容は、原著がヘイゼルデンから出版されるときに改変されている部分があります。特に原注として加えられた説明には、明らかにジョーらの考えと相反するものもあります。その点に留意は必要ですが、アレルギー強迫観念の解説などが詳しく、アディクション本人の人にはこれが最もお薦めです。

個人的経験

僕は2003年にAAのサービスの役割に就き、毎月東京で行われる会議に当時住んでいた長野から出かけていました。片道3時間かかる高速バスの中で様々な本を読みましたが、その中の一冊がまだ訳されていなかった A Program For You でした。ポケット版の英和辞書を片手に、少しずつ読んでいたのですが、途中まで読んだところでバスの中に置き忘れてしまいました。その時は、それがジョーたちと関係があるとは全く気がついていませんでした。

2007年に『ビッグブックのスポンサーシップ』が日本語で出版されたとき、それを読んで初めて A Program For You がジョーたちのスタディを編集したものだということに初めて思い至りました。改めて手に入れて読み直しました。

Joe & Charlie: The Big Book Comes Alive
Joe & Charlie: The Big Book Comes Alive

そんなことをしているうちに、おそらく2010年の正月でしたが、ネットでジョーたちのスタディをテープ起こししたWordのファイルを見つけました。レターサイズに細かな字で150ページ余りありました。おそらくAAメンバーたちが手分けして入力したのでしょう。その根気強い作業には敬服します。僕は英語のヒアリングは苦手ですが、文書であれば辞書を引きながらゆっくり読むことができます。ジョーたちの話の中身が知りたいとずっと思っていた僕は、暇を見つけては、それを読み込んでいきました。おかげで、英語を読む力がずいぶん鍛えられました。(現在Amazonで入手できる書籍はこのファイルを印刷したもののようです)。

ジョーが亡くなった後は、彼の作った施設などは彼のスポンシーの一人であるラリー・G(Larry G.)に引き継がれました。リカバリー・ダイナミクス(RD)というのは、ジョーが作った施設向けの12ステッププログラムですが、ラリーは2010年以降、そのプログラムの研修を実施するために何度か日本を訪れています。

その研修の合間に、ラリーに「ジョーが亡くなった後は、ジョー・アンド・チャーリーのスタディはどうなったんだ?」と尋ねました。彼が一人でやっているという答えでした。そして、iPhoneに収められた、彼が招かれた様々な土地の写真を見せてくれました。アフリカで行ったときには、同時に四つの言語に通訳が行われたという逸話も披露してくれました。(当時ネットで検索してみると、ラリーを招いて行ったビッグブック・スタディのチラシ類がヒットしました)。

そうか。ジョーたちのスタディを生で聞くチャンスがなかったのは残念だが、代わりにラリーに日本に来てもらって、通訳込みでスタディを開催するというアイデアが浮かびました。彼は承諾してくれたのですが、問題は費用でした。彼は持病があって太平洋を横断する飛行機にはビジネスクラスをリクエストしていましたし、日本での滞在費も含めて、当然ホスト側(僕)が負担しなければなりません。加えて通訳の費用や会場を借りる費用など、100万円は越えそうな気がしました。そんなことに関心を持つ人が当時どれだけいたか分かりませんが、仮に参加者が20人集まったとして、参加費は一人5万円になります。はたして、そんな高額なセミナーが日本のAAで開けるでしょうか? まあ無理だね。

僕が困り顔をしていると、彼がニヤニヤ笑いながら、こう言いました。「ラジ(Ragi)、お前がやれば良いじゃないか」 いや、そんなことを言っても、ジョーやチャーリーの真似なんかできませんよ。「お前は中身は分かっているはずだ。それを分かち合いたいという気持ちがあり、それを聞きたいという人がいるなら、それでスタディは成り立つさ。誰の許可も要らない」 僕の話を聞きたいという人がいれば、やるけれど、たぶんいないだろう・・・。

ひいらぎ版 Big Book Comes Alive!

ところが、いたのです。その年(2011年)のうちに「交通費を出すから来てくれ」と言われて、福岡まで行って2日間話をしました。その後、自分の地元の安曇野でもセミナーを企画して、スポンシーさんと組んで話をしました。そのセミナーに県外から参加した人たちが、その人たちの地元に招いてくれて、翌年から年に数回全国あちこちで、ビッグブックの12ステップの話をしています。先ほど数えてみたら全部で三十数回行っていました。今年は1月に茨城で行ったあとは、新型コロナの影響で年末まですべてキャンセルになってしまいましたが、オンラインで開催してみたりしています。

ビッグブックスタディ in 岐阜
2019年のビッグブックスタディ in 岐阜のチラシ

ジョーとチャーリーは緻密に構成されたスタディを作り上げましたが、僕にはとてもそんなことはできません。それでも、噛み砕いた説明と、具体的に何をすれば良いのかが分かりやすい説明になるように心がけています。国内ですでにジョー・アンド・チャーリーという名称を使っているグループがあったので、混同を避けるためにビッグブック・スタディという名称と、 Big Book Comes Alive!ビッグ・ブック・カムズ・アライブ という名称を使わせてもらっています。

残念ながら固定した相方を得ることができておらず、いろんな人にお願いしています(スポンシーさんに頼むことが多い)。

ジョーもチャーリーも、高等教育を受けたことはなかったようです。貧しい生まれで、父親もアルコホーリクであればやむを得ないことだったのでしょう。しかし、教育は受けていなくても、二人が教養溢れる人物であったことは、二人の話の内容からして明らかです。おそらく、酒を止めた後に、たくさんの本を読んで学んだのでしょう。

そして、何よりも二人が学び続けたのは、ビッグブックという一冊の本でした。ジョーは、ビッグブックを学び続けて何年経っても新しい洞察(insight)が得られると述べています。18) 僕はビッグブックを学ぶようになってからまだ15年ほどしか経っていませんから、もちろん今でも新しい洞察は得られています。

距離が遠くなると現地のホスト委員会に交通費をすべて負担してもらうのも難しくなり、自己負担が増えてきます。ジョーたちほどの頻度ではないものの、(他のプログラムも合わせれば)毎月のように週末の遠出があり、一週間の仕事を終えた金曜日に出かける準備をしていると、妻が「週末も休んでいられないなんて大変ね」と言うのですが、誰かが呼んでくれるうちは得られた洞察を分かち合いに出かけることを楽しみ、誰も呼んでくれなくなったら週末は家でのんびり過ごせるから、それはそれで楽しみだと思っています。まあ、今年は新型コロナのおかげで全部キャンセルになってしまいましたので、自宅からオンラインでお届けしたりしています。

次回はジョーの作った施設向けのプログラム「リカバリー・ダイナミクス(RD)」とビッグブック・スタディの関係などについて述べたいと思います。


  1. ジョー・マキュー(依存症からの回復研究会訳)『ビッグブックのスポンサーシップ』, 依存症からの回復研究会, 2007, p.164[]
  2. CBBB164@…, Re: Who was Joe McQ’s sponsor? – AAHistoryLovers (health.groups.yahoo.com), 2007-10-31[]
  3. Jodi Sh. Doff, Joe & Charlie: The Other Two Old DrunksThe Fix (thefix.com), 2015-7-15[]
  4. ジョー, op. cit., pp.45-46[]
  5. CBBB164@…[][]
  6. Doff[][][][][]
  7. Joe McQ. and Charlie P., Joe & Charlie: The Big Book Comes Alive, 2014, p.116[]
  8. Anonymous, Charlie P., AA Muncie (aamuncie.org), 2013[]
  9. barefootbill69, History of Joe McQ. & Charlie Big Book Studies – AAHistoryLovers (health.groups.yahoo.com), 2007-10-26[]
  10. ジョー, 『ビッグブックのスポンサーシップ』, p.188[]
  11. ジョー・マキュー(依存症からの回復研究会訳)『回復の「ステップ」』, 依存症からの回復研究会, 2008, p.188[]
  12. barefootbill69[][]
  13. ウェスレーは評議員だったという説もある。[]
  14. 巡回牧師については、森本あんり『反知性主義――アメリカが産んだ「熱病」の招待』, 新潮社, 2015を参考にした。[]
  15. Joe McQ. and Charlie P., 裏表紙[]
  16. AA, AAガイドライン『コンファレンス・コンベンション』, AA日本ゼネラルサービス, 2000[]
  17. ジョー・マコイは2014年11月24日に75歳で亡くなった。[]
  18. ジョー, 『回復の「ステップ」』, p.8[]

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Posted by ragi