ビル・Wに問う (15) 黎明期のAAの友人たち

『ビル・Wに問う』の第15回です。


Q15:(黎明期のAAの友人たちを思い起こして)ビルはAAの始まりと初期のAAを支えてくれた多くの友人たちについて常に語っていた。これは、1952年のゼネラル・サービス評議会で彼が語った内容である。

A15:この評議会の閉会にあたり、皆さんが分かち合って下さったことが、私に深い喜びに満ちた認識をもたらしました。それは、私たちは未来へとまっすぐ伸びるハイウェイにようやく乗ることができた、という認識です。その未来は、きっと永遠に続く日の出へつながっているのでしょう。私たちは大きな期待と、信頼と、ほとんど畏敬と言って良い気持ちで、その日の出を見ています。心のなかは言葉にできない感謝が溢れています。

その感謝は、私たちを呪縛から解き放ってくれた光の父に対してであり、それがあってこそ父の奇跡が実現できた友人たちの愛に対してであり、また私たちお互いに対してのものです。

その思い出を呼び起こすだけで一時間は過ぎてしまうでしょう。いまの私の記憶の泉は、かつて無いほどに満ちています。私が考えるのは、スイスのチューリッヒの精神科医が、あるアメリカの実業家の患者を一年間治療したことです。

その患者はその高名な精神科医、他ならぬユング医師(Dr. Jung)のことを尊敬していました。その患者は自分が良くなったと思って、医師の元を離れましたが、すぐに飲んだくれてしまいました。そこで彼はユング医師――この医師もAAの創始者であることは未だに知られていませんが――の元に戻りました。すると医師はこの患者にこう言いました。「君は霊的体験をするしかない。君のようにアルコホリズムが進行した状態を救う手段はその他にはない」。

それは患者にとって厳しい宣告でしたが、しかし彼は、その後の私たちの多くと同じように、霊的体験を求め始めました。彼は、オックスフォード・グループという当時の福音伝道活動のなかで霊的な体験をし、そのおかげで酒をやめることができました。彼はそれが神の恩寵によるものだと捉えました。彼の関心は、バーモント州でアルコホリズムによって精神病院に収容されそうになっていた彼の友人に向けられました。オックスフォード・グループの他のメンバーと一緒に、その執行を猶予するように嘆願しました。その結果、我らの愛すべきエビーが、私に回復の本質的要素をもたらしてくれたのです。他にも、イエズス会のエド・ダウリング神父(Ed Dowling)がいました。信徒達に交わって働き、平凡で無名な彼も、AAというろうそくに火を灯してくれた人であります。

そして、アクロンの修道女シスター・イグナチア(Sister Ignatia)、皆さんもご存じの通り「12番目のステップの第一人者」であるドクター・ボブと一緒に働いた人ですが、彼女もAAというろうそくに火を灯してくれた人であります。

さらに、非所有の原理を保ったアッシジのフランシスコ(Francis of Assisi)も、AAというろうそくに火を灯してくれた人であります。また、現代心理学の父であり、『宗教的経験の諸相』の著者であるウィリアム・ジェームズ(William James)も私たちに深い影響を与えました。彼もまた、AAというろうそくに火を灯してくれた人であります。

そして、(AAを)世界に広く運び伝えてくれた人たちがいました。ハリー・エマーソン・フォスディック(Harry Emerson Fosdick)、『リバティ』誌のフルトン・アワズラー(Fulton Oursler )、『サタディ・イブニング・ポスト』紙のジャック・アレキサンダー(Jack Alexander)とオーナー。彼らがクーリエとなりました。ですから、彼らもAAというろうそくに火を灯してくれた人たちであります。

ですが、1934年の夏に戻ってみると、世界中のアルコホーリクはそれまでと同じように絶望を感じていました。ですが、皆さんもご存じのように、私たちの古くからの敵、ジョン・バーリコーンの目の前に、テーブルが用意されました。テーブルの上にはろうそくが灯され、食事と飲み物が用意されましたが、まだゲストは到着していませんでした。

やがてゲストたちがやってきて、後にアルコホーリクス・アノニマスへと発展することになるひらめきを分かち合いました。それに続いて、私たちには盲目的飛行の時代が訪れ、1937年か38年にその時代が終わるころには、私たちは、敵の目の前で、テーブルの準備を整え終えたことを認識しました。いつか、そのテーブルの上のキャンドルが世界中に向かって輝き、どんな遠い橋頭堡にも届くことになるはずでした。

草分けの時期の苦労は何年も続きましたが、それも1941年の『ポスト』の記事の出現で終わりを告げました。それまでの間に、私たちの経験を書き綴った本が登場していました。人から人へと口伝する必要はもう無くなっていました。印刷された本のページを通して、遠く離れて苦しんでいる人たちにもメッセージを伝えることができるようになりました。

私たちの回復のプログラムはすっかり完成しました。次には、増え続ける私たちのグループが生き残り協力し合っていけるかどうか、私たちの回復の原理に、この共同体が抱えるすぐに爆発しやすい気性を扱えるだけの要素が含まれているのか、試されることになりました。徐々に、私たちアルコホーリクス・アノニマスは、結束できなければバラバラになってしまうことを実感するようになっていきました。

そして、時にはゾッとするような経験を得て、「アルコホーリクス・アノニマスの伝統」が少しずつ構築されていき、やがてそれは、1950年クリーブランドにて、私たちの共同体が立脚すべき伝統的プラットフォームとして共同体全体により承認されました。

この「伝統」は法規ではありません。私たち一人ひとりの心の中に刻み込まれた回復の12ステップの精魂を注ぎ込まれた一連の原理であり、外の世界からもたらされるいかなる攻撃からも、内にあるいかなる誘惑からも、私たちを守ってくれるものと考えられています。

アルコホーリクス・アノニマスの「伝統」とはそのようなものです。

この幼年期と青年期のあいだに、私たちの集まりがどのように機能すべきかが見いだされました。苦しんでいる人たちにこのメッセージを運ぶには、どのようにするのが最善なのかを学んだ長いプロセスもこの評議会によって完結します。そうです、この評議会の出来しゅつらいは、アルコホーリクス・アノニマスの年代記に偉大な日として記録されるでしょう。

それは私にとって、活動の内容を省察と黙想に、また三文文士して、過ぎ去った奇跡的な日々の経験を記録することに移していくタイミングがやってきたことを意味します。私は単に書き表す者、三文文士に過ぎないことを自覚しています。その仕事が完成すること、役に立つこと、そして皆さんに満足いただけること、また神に満足していただけるものになることを願うばかりです。

心は万感の思いに溢れ、これ以上何も申し上げることはありません。ただひと言「オル・ヴァール」(au revoir――またお目にかかりましょう、という意のフランス語)