ウィリアム・ジェームズ
ウィリアム・ジェームズ — William James
ウィリアム・ジェームズ(William James、1842-1910)。アメリカの哲学者、心理学者。「アメリカ心理学の父」と呼ばれる。その著書『宗教的経験の諸相』および提唱したプラグマティズム を通じて、AAの成立とプログラムに影響を及ぼした。
なお、James は、ジェイムス(ビッグブック)、ジェームス(ビッグブックの旧訳)、ジェームズ(『AA成年に達する』)と、AAの書籍の中でも表記が分かれている。また、岩波文庫ではジェイムズと表示している。ここではジェームズで統一する。
1942年、ニューヨークで生れた。父親は神学者のヘンリー・ジェームズ・シニア (1811-1882)。一家は裕福であり、ヨーロッパとアメリカを往来していたたため、ドイツ語・フランス語も流暢に話せるようになった。成人期の始めに、目、胃、皮膚など、様々な身体的病気にかかり、また数ヶ月のうつ病期間も含む心理学的症状にもさらされた。病気による中断の期間を挟みながらも、1869年にハーバード大学 で医学博士を取得。1873年にハーバードで生理学の講師となり、76年に心理学の助教授、85年に哲学の教授となった。キャリアのほとんどをハーバード大学で過ごした。
機能主義心理学
ジェームズは、適者生存 を唱えるチャールズ・ダーウィン (1809-1882)の進化論(1852)の影響を受け、人間の考え方、感じ方は、環境への適応に役立つものが選択されて残ってきたはずであると捉え、心的活動には目的があると考えた(著書『心理学原理 』)。この考えを基礎として、シカゴ大学のジョン・デューイ (1859-1952)らが機能主義心理学を築き上げた。機能主義学派は、ヨーロッパでヴィルヘルム・ヴント (1832-1920)やエドワード・ティチェナー (1867-1927)が唱えた構成主義(内観 によって心を要素に分解して理解し、要素の組み合わせによって心の現象を説明しようとした学派)に対抗する学派となった。
プラグマティズム
プラグマティズムは、19世紀末から20世紀のアメリカの代表的が哲学的思想である。形而上学 的な観念を重視したヨーロッパの近代哲学に対して、その観念が行為と結びついた結果を重視した。
ジェームズの古くからの友人にチャールズ・サンダース・パース (1839-1914)がいた。パースはハーバード大学の数学教授ベンジャミン・パース (1809-1880)の次男であり、彼自身もハーバードに学び、沿岸測地局(United States Coast Survey、現在のアメリカ海洋大気庁 )に勤めたが、1891年に退職した後は執筆に専念し、極貧のなかで亡くなった。その先進的な業績が評価されたのは、死後に全集が刊行されてからである。
パースは、観念の意味は、その観念の対象に何らかの行為を行なうことで、どのような結果(効果)がもたらされるかにあるとした。そのような実際的な結果を考えることができない観念は、無意味な観念として哲学上の議論から追放されるべきだと論じた。1878年に発表されたこの主張が、プラグマティズムの起点とされる。
観念の意味を論じたパースのプラグマティズムを、ジェームズは真理に関する議論に応用した。ジェームズは、いかなる観念であれ、それが有用な結果をもたらしうる限りにおいて、それは真理であると主張した。またパース同様に可謬主義 (人間が知識と見なしているものは、どれも誤りである可能性があるとする立場)をとった。これらにより、人間生活に役立つという限りにおいて、事実とは異なる限定的な真理を信じる権利を認め、進化論発表以後しだいに深まっていった科学と宗教(特にキリスト教)との対立を調停することを意図した。ジェームズによるプラグマティズムは、様々な価値観を持った人たちの共存を可能とする思想であり、アメリカ社会に広く浸透することになった。
デューイは、ジェームズの考えをさらに発展させ、観念の真偽よりもその有用性が問われなければならないと主張し、観念を問題を解決するための道具と見なす「道具主義 」を唱えた。シカゴ大学の教授であったデューイとその後継者たちは(哲学における)シカゴ学派を構成し、心理学や教育の分野に大きな影響を与えた。
1930年代に成立したAAと12ステップが持つ功利主義 的・実証主義 的側面にはプラグマティズムからの影響がうかがえ、特にジェームズのプラグマティズムから多元論 、可謬主義 を受け継いでいる。
宗教的経験の諸相
ギフォード講義 は、スコットランドの四つの大学で行なわれる自然神学についての通年の講義であり、この講義を担当することは哲学者にとっての最高の栄誉の一つとされている。ジェームズは、エディンバラ大学から招聘を受け、1901年および02年に宗教における回心 (conversion)について一連の講義を行なった。『宗教的経験の諸相(The Varieties of Religious Experience)』は、その講義を出版したものである。2)
ジェームズは、形而上学的な観念を用いて宗教を探求するのではなく、回心の体験をした人々の手記を数多く分析するという実証主義的手法をとった。
1930年代に、AA誕生の母体となったオックスフォード・グループでは、メンバー間でジェームズの『諸相』を読むことが勧められていた。1934年12月にタウンズ病院に入院していたビル・Wは、劇的な霊的体験を得た(BB, p.21)翌日、『諸相』を手にし、入院中に通読した。ビルは、この本の内容についてこう述べている:
ジェームズの考えによると、スピリチュアル(霊的)な体験は客観的な実在性を持ち得る。それは思いがけなくやってきた贈り物のように、人間を変えることができる。突然光り輝く啓示もあり、また非常にゆっくりとしたペースのものもある。宗教的なルートからくる場合もあれば、そうでない場合もある。3)
事前に友人のエビー・Tから、アルコホーリクが宗教的な回心の体験によって回復することがあるというカール・ユングの言葉を聞かされていたビル・Wは、『諸相』を読んだ結果、自分の得た霊的体験がアルコホリズムを解決するものであることを確信し、かつての自分と同じように解決を求めているアルコホーリクに対してそれを伝えていく活動を開始した。この活動が後にAAとして結実することになった。
AAとの関係
AAが始まったのはジェームズが没した25年後であり、直接の交流はなかった。だが、ビル・Wは、AAプログラムの基本的なアイデアの起源として、オックスフォード・グループ、シルクワース医師とともにウィリアム・ジェームズを挙げている。4) 『宗教的経験の諸相』を通じた影響だけでなく、ジェームズの提唱したプラグマティズムがAAに及ぼした影響も大きい。
参照:
・ビッグブックのスタディ (46) ビルの物語 17
外部リンク:
・ウィリアム・ジェームズ
・William James
・The William James Society
・プラグマティズム
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