AAにとっていちばん危険なものは「厳格さ」

日本のAAは1975年に始まって以降、順調にメンバー数・グループ数を増やしてきましたが、2005年前後を境に停滞期に入っています。この先に待っているのはAAの衰退なのかもしれません。このような状況をもたらした原因はいくつも考えられますが、AAが時代に合わせて変化していくことを非難し、旧来のやり方を盲目的に維持しようとする硬直した考え方が広まっていることが、AAの成長のエネルギーを奪っているのではないでしょうか。ここで、先人の警告を紹介したいと思います(文中の強調は僕が加えたものです)。

また、ドクター・ボブが二番目に好きだったという言葉「私たちは正直さによってソブラエティを得て、寛容さによってソブラエティを保つ(Honesty gets us sober but tolerance keeps us sober)」も紹介しておきます。1)

AAにとっていちばん危険なものは「厳格さ」

ボブ・P(Bob Pearson, 1917-2008)は、1974年から1984年までGSO2)のゼネラル・マネージャーを、さらに1985年から退職までシニア・アドバイザーを務めた。彼の個人の物語「AAで学んだ飲まない生き方(AA Taught Him to Handle Sobriety)」は、英語版ビッグブックの第三版(1976)の554から561ページに、第四版(2001)の553から559ページに掲載されている(訳注:日本語訳は『アルコホーリクス・アノニマス 回復の物語 Vol.5』の81から90ページに掲載されている)。

1986年のゼネラル・サービス評議会の最終の土曜日、締めくくりの朝食会で、ボブが評議会の参加者に向けて行った閉会の挨拶は、力強く、印象的なものだった。それが特別な意義を持つ状況だったのは、彼は翌年の初めに退職することが決まっており、これが彼にとって最後の評議会への参加だったからだ。下記は、評議会最終報告書に掲載された、この別れの挨拶からの引用である。(AAゼネラル・サービス評議会第36回年次総会最終報告書(1986年4月20~26日、ニューヨーク・ルーズベルトホテル))

Bob Peason, “Our Greatest Danger: Rigidity” — The Thirty-Sixth Annual Meeting of the General Service Conference of Alcoholics Anonymous 1986 Final Report, 1986. 3)

私は今回でゼネラル・サービス評議会への参加が18回目になりました。最初の二回はグレープバイン4)とAAWS5)の法人理事として、続く四年間はゼネラル・サービス常任理事としてでした。1972年に役割はすべて終えましたが、その二年後にはGSOのゼネラル・マネージャーとして呼び戻され、1984年の末までその仕事を続けました。1985年からは国際コンベンションのシニア・アドバイザーのポストに就いています。ですが、私の評議会への参加もこれで最後になりますので、今回は万感の思いを抱く経験となりました。

少々お時間をちょうだいして、私のソブラエティを助けてくれたすべての人に、またこれまで25年近く歓びに満ちた人生を授かったことに、感謝を伝えさせてください。どうやってそうしたら良いかわかりませんが、私はビルが彼の最後のメッセージに引用した「皆さんの命に感謝します」というアラブのことわざを頼りたいと思います。皆さんの生命なしに、私の命というものは間違いなくなかったでしょうし、まして私の過ごした恵まれた人生もあり得なかったでしょう。

AAの未来についての私の考えを述べます。私は、どんな変化に対しても非難し、AA共同体の状態に対して悲観主義と警戒の見方をする「死にかけの執事」6)たちとは付き合わないようにしています。私が25年近く見てきたことからすると、まったくその逆なのです。あの有名なロングビーチでのコンベンション(1960年7月)のちょうど1年後に私がコネチカット州グリーンウィッチで最初のミーティングのドアをくぐったときに比べれば、いまのAAははるかに、大きくなり、より健全になり、より活発になり、成長は早まり、世界に拡がり、奉仕の精神が深まり、基本に忠実になり、よりスピリチュアルになっています。AAは創設メンバーたちの見果てぬ夢を遙かに超えて繁栄しています。とはいうものの、たぶんビル・Wの夢は越えていないのでしょう、彼は真の夢想家でしたから。

私は、もしこの先AA共同体が行き詰まったり、破綻することがあるとしても、それはAAの外部のことが原因ではない、と考える人たちに賛成です。それは、治療施設やこの分野で働く専門家のせいではないでしょうし、評議会承認出版物以外の利用や、若い人たちや、他のアディクションも持った人たちのせいでもないし、ましてやクローズド・ミーティングに入ろうとする「ヤク中」のせいでもないはずです。私たちが12の伝統と、12の概念と、遵守事項7)に忠実であって、かつ偏見のない開かれた心を持っていれば、そうした問題も、この先起こりうるその他の問題も解決することができるのです。もし、この先AAが行き詰まったり、破綻することがあるとするなら、それはあくまで私たちが原因でしょう。それは私たちが自分のエゴをコントロールできないか、お互いにうまくやっていくことができないせいでしょう。それは私たちが恐れすぎ、厳格になり、十分な信頼と常識を持てなくなるからでしょう。

もし皆さんが、こんにちのAAが直面しているいちばんの危険とは何かとお尋ねになったなら、私はこう答えるでしょう。それは厳格さが強まっていることです。些細な懸念に対して絶対に正しい答えを求める要求が強まっています。GSOに対して、12の伝統を「強制執行」しろとか、クローズド・ミーティングはアルコホーリクだけにしろとか、評議会承認出版物以外は禁止しろとか――つまり「禁書 」ですね、グループに対してもメンバーに対してももっともっとルールを、という圧力が高まっています。この厳格化への流れに乗って、私たちは共同創始者たちの思いからは遠くへ遠くへと離れつつあります。特にビルは墓のなかで憤慨していることでしょう。彼は私が会ったなかで最も寛容な人でしたから。彼がよく口にした言葉の一つが、「どのグループにも間違う権利がある」8)というものでした。彼は批判する人たちに対してもたいへん寛容でしたし、AA内での間違いが自己修正されていくことに絶対的な確信を持っていました。

突き詰めて考えてみると、AAは行き詰まってもいないし、破綻しつつもない、と私は信じています。行き詰まったり、破綻したりするはずがないのです。1970年マイアミでの国際コンベンション、あの日曜日の朝、私も聴衆の一人でした。ビルが皆の前に登場したのはあれが最後でした。彼は弱りすぎていて、コンベンションで予定していた他のイベントに出ることができませんでした。でもあの時、予告もなく、日曜日の朝、彼はステージの裏手から車椅子に乗って現れました。酸素ボンベからチューブがつながれていました。明るいオレンジのこっけいな実行委員会のブレザーを着て、彼は痩せこけた身体を持ち上げて立ち上がると、演台につかまりました。会場全体が大騒ぎでした。雷のような拍手と歓声が永遠に続くかと思え、涙が皆の頬を伝っていました。そしてビルは、年老いた彼にふさわしい落ちついた声で、丁寧に手短かに話しました。大勢の人が集まったこと、あふれ出る愛について、海外から多くのメンバーが来たことについて話した後、(私の記憶によれば)最後はこの言葉で締めくくりました。「この大勢の人を見れば私にはわかるのです。アルコホーリクス・アノニマスはこの先の千年も続いていくでしょう――それが神の意志ならば」


  1. 一番目はもちろん「シンプルにしよう(Keep it simple)」である — アーネスト・カーツ(葛西賢太他訳)『アルコホーリクス・アノニマスの歴史――酒を手ばなした人びとをむすぶ』, 明石書店, 2020, p.252およびその註[]
  2. ニューヨークにあるAAのゼネラル・サービス・オフィス[]
  3. 本文はAAのニューズレター MarkingsWinter 2003 号で読むことができる。[]
  4. AA Grapevine はAAの機関誌 — https://www.aagrapevine.org/[]
  5. AA World Service はGSOを経営する法人 — https://www.aa.org/[]
  6. AAのなかに常に自分の影響力を及ぼそうとしている人たち — 12&12, p.181[]
  7. 概念12を六つの項目として列挙したもの。[]
  8. 12&12, p.199[]

その他,日々雑記

Posted by ragi