12ステップのスタディ (37) NAのステップ2
5月31日~6月1日に新大阪で開催された Big Book スタディ in 大阪 は、55名の方に参加いただいて、無事開催できました。参加された方および実行委員会の皆様にお礼申し上げます。
さて今回はNAのステップ2です。
NAのステップ2は「私たちは、自分より偉大な力が、私たちを正気に戻してくれると信じるようになった」となっています。1)
狂気
自分を正気に戻してくれると信じるためには、まず自分が狂気を抱えていることを認めなければなりません。
ただし気をつけなければならないのは、薬物の影響下にある状態(クスリでラリっている状態)のことを狂気と呼んでいるわけではないことです。
多くの人は、薬物の影響を受けた状態の自分を「あの時は狂っていた」とみなします。それはアル中が、酔っ払ってトラブルを起こしていたときの自分を「狂っていた」と思い返すのと同じです。けれど、(アルコールを含む)薬物がそれを使った人に酩酊や興奮をもたらすのは当然のことで、それは依存症でない人も同様です。したがって、そのことを狂気と言っているわけではありません。
NAのベーシック・テキストはアディクトの狂気をこう説明しています:
たとえ自分の命をすり減らしていることが分かっていても、私たちは何度も何度も薬物を使っていた(have gone back to using=薬物使用に戻っていった)。2)
薬物を使うことやその結果が狂気なのではなく、せっかくクリーンを続けているのにスリップ(再使用)してしまうことが狂気だと強調しています。さらに:
この病気でいちばん分かりやすい(obvious=明白な)狂気の部分は、使わずにいられないというとらわれ(obsession to use drugs=薬物使用への強迫観念)だろう。2)
NAの12ステップはAAのステップのデッドコピー ですから、このとらわれ(オブセッション・強迫観念)は、ヤク中が再使用するときの精神状態を示します(cf. 第23回)。それについては前の段落の終わりに、こうあります:
狂気とは、同じ過ちを何度も繰り返しておきながら、違う結果を期待することだ。2)
アディクトは、クスリを再使用したらどういう結果になるかを重々承知しています。普段は意志の力でクスリを退けています。けれどこの強迫観念が生じてきた瞬間には、違う結果(e.g. 無難な薬物使用ができる)を期待してしまい、自分の意志で再使用に踏み切ってしまうのです。
この文を読んで、「そうか、違う結果を期待するからスリップしてしまうのか、だったらそんな期待をしないように気をつけないといけないな」と解釈してしまうのは間違いです。もちろん気をつけるに越したことはありませんが、気をつけていればスリップを防げると考えるのは、ステップ1の無力を認めていない証拠です。
ベーシック・テキストのこの文章は、「違う結果を期待しないように気をつけろ」という警告のために書かれているのではありません。アディクトであるあなたには、将来必ず「違う結果を期待する」瞬間がやってきてしまいます。それを、あなたは自分では防げません。それがあなたのアディクションという病気なのです――と言っているのです。
正気に戻してくれる
さて、このオブセッション(強迫観念)という現象が起こらなくなれば、アディクトが再使用することはなくなります。それが、アディクトが正気に戻るということです。けれど、このオブセッションを、アディクトは自分では防ぎようがありません(起きてくる確率を下げることはできるものの、抜本的な対策はできない)。
先ほどの続きです:
このプログラムでまずなすべきことは薬物を使うのをやめることだ。ただそうすると、薬物やそれに代わるものを使わずに生活することがだんだんつらくなる。けれども、そのつらさがあるからこそ、使いたいというとらわれ(オブセッション)を取り除いて(relieve=救済して)くれる自分よりも偉大な力を求める気持ちが働くのだ。3)
ヤク中をオブセッションから救ってくれるのは自分よりも偉大な力(ハイヤーパワー、神)なのだ、と明言しています。それは言い換えれば、ハイヤーパワーがヤク中にクスリをやめさせてくれるのです。
だからNAで12ステップをやった人が運ぶメッセージは、「自分ではクスリがやめられなかったけれど、神様がやめさせてくれたのだ」というものになります。この言葉にはNAの回復のメッセージが凝縮されています。
自分よりも偉大な力(ハイヤーパワー、神)
となると、では自分よりも偉大な力(ハイヤーパワー、神)と表現されているものは何者なのか? という疑問が生じてきます。これについてもAAの12ステップと同じです。
第5回で説明したように、NA共同体を作ったメンバーたちはたいていがAAメンバーでもあり、そうでなくてもAAメンバーをスポンサーとして12ステップに取り組んでいました。したがって、NAのステップのハイヤーパワーの概念もAAのそれを引き継ぐことになりました:
その偉大な力、ハイヤーパワーをどう理解するかば私たちしだいだ。何をもってハイヤーパワーとするかはだれも決めてくれない。ハイヤーパワーをグループだと言っている人がいれば、プログラムだと言っている人も、あるいは神と呼ぶ人もいる。ただ、唯一提案されていることは、この力を、愛とやさしさにあふれた、自分よりも偉大な何かだと考えることだ。けれども、そのために特定の宗教を持つ必要はない。3)
NAでも神の概念は、ステップに取り組む一人ひとりが自ら選び取るべきものになっています。そして、自分のNAグループを自分のハイヤーパワーとして選んでもかまわないと明言しています。
神の概念は変化していくべき
さて前回、
多くの人は、ステップ2で自分が信じられるハイヤーパワーの概念を選び取ることで、自分は「信じる」ということについてゴールに到達できたのだと勘違いしてしまいます。実際にはその人はまだスタートラインについただけです。
と書きました。そのスタートラインから離れて前進していかなければなりません。それはつまり、その人の持つ神の概念が変化していくということです。NAの『なぜ どのように 効果があるのか』のステップ2でもそのことを明確にしています:
回復の経験が長い仲間は、時間とともにハイヤーパワーについての理解も変わると言っている。信念が変わるにつれて信じる心(faith=信仰)も変わっていく。5)
多くの人は、NA共同体や12ステップの原理(NAでは行動規範と訳されている)そのものを神の概念に選び取るようです。そして、多くの人がそれを選んでいる、という理由で自分もそれを選ぶという人が少なくありません(いかにも日本人的ですね)。けれどNAのテキストはそのことについても警告を忘れていません:
こうして、仲間にスピリチュアルな信念のことを話してもらえるととても参考になるが、忘れてならないのは、自分よりも偉大なカをどう理解するかば自分しだいだということだ。仲間は助けてくれる。最初しばらくの間は、仲間の考えをそのまま自分に取り入れたり、仲間と同じものを信じてみたりするのもよいだろう。だがいずれは、自分で信じたものを信じられるようになる必要がある。スピリチュアルなことについては、自分自身で感覚をつかむことが極めて大事なので、自分にしか達成できないこの過程をおろそかにするわけにはいかないのだ。6)
真面目に12ステップに取り組み、それを続けていくならば、その人の神の概念は一生かけて変化を続けるはずです。それに必要なのは、先に進みたいという意欲。つまり霊的に成長したいという意欲です。
次回はOAのステップ2です。
- アディクトは普段は意志の力でクスリを退けているが、あるとき「以前とは違う結果を期待して」再使用(スリップ)してしまう。
- それがオブセッション(とらわれ・強迫観念)という狂気であり、アディクトは自分の力ではそれを防げない。
- 「正気に戻してくれる」とは、ハイヤーパワーがオブセッションを防いでくれるということであり、それを信じるのがステップ2である。
- 自分より偉大な力(ハイヤーパワー)の概念は、一人ひとりが選び取らなくてはならない。
- ハイヤーパワーの概念は変化していくべきもの。
- NABT, p.36.[↩]
- NABT, p.37.[↩][↩][↩]
- NABT, p.38.[↩][↩]
- なぜ fellowship の代わりに program が使われるようになったのかを明確に説明してくれる資料はないが、伝聞情報によれば、テレビや新聞などで自分が fellowship に属していると明らかにすると、自分がAAやNAのメンバーであることを明かしたのと同義になってしまい、それがアノニミティの原則(伝統11)に照らして好ましくない考えられたために、あえてその点を曖昧にするために(主にAAやNAの外部で)使われるようになったのだという。そしてそれがNAなどに流入して使われるようになった。ただし、AAはこの表現を拒否して使っていない。[↩]
- IWHW, p.28.[↩]
- IWHW, p.29.[↩]
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません