フランク・ブックマン
フランク・ブックマン – Frank Buchman
フランクリン・ナサニエル・ダニエル・ブックマン(Franklin Nathaniel Daniel Buchman, 1878-1961)。ルター派 の牧師で、オックスフォード・グループ(後のMRA、現在のIofC)の創始者。
ブックマンは、人間のすべての問題の根源は、恐れと利己心であり、人びとが人生を神の計画にゆだねることで解決すると信じていた。
1878年にアメリカのペンシルベニア州 に生まれた。母親は敬虔なルター派の信者だった。大学と神学校を出た後、ルター派の牧師に叙任され、フィラデルフィア 郊外のオーバーブルック(Overbrook)に派遣された。ヨーロッパを訪問したしたブックマンは、フリードリヒ・フォン・ボーデルシュヴィング (1831-1910)による精神障害者の共同体をモデルに、オーバーブルックにホステル(寄宿寮)を作ったが、やがてその予算を巡ってホステルの理事会と対立して退職した。1)
失意の抑うつ状態に陥ったブックマンは、医師の勧めで休養のためにヨーロッパに渡り、1908年イギリスのケズウィック での伝道集会2)に参加した。その目的は伝道者フレデリック・ブロザートン・マイヤー (1847-1929)に会うためだった。そこにマイヤーはいなかったが、ジェシー・ペン・ルイス(Jessie Penn-Lewis, 1861-1927)の説教を聞いた彼は、その晩に宗教的な体験を得た。
I thought of those six men back in Philadelphia who I felt had wronged me. They probably had, but I’d got so mixed up in the wrong that I was the seventh wrong man…. I began to see myself as God saw me, which was a very different picture than the one I had of myself. I don’t know how you explain it, I can only tell you I sat there and realized how my sin, my pride, my selfishness and my ill-will, had eclipsed me from God in Christ…. I was the center of my own life. That big ‘I’ had to be crossed out. I saw my resentments against those men standing out like tombstones in my heart. I asked God to change me and He told me to put things right with them. It produced in me a vibrant feeling, as though a strong current of life had suddenly been poured into me and afterwards a dazed sense of a great spiritual shaking-up.3)
私はフィラデルフィアで私に不当なことをした6人のことを思い返していた。おそらく彼らは間違っていたのだろう。だが私もその間違いに巻き込まれ、7人目の間違った男になっていた。・・・私は神の視点から自分を見てみようとした。それは今まで自分で思っていた姿とはまったく違っていた。説明するのは難しいが、ただ言えるのは、私がそこに座っていると、私の罪が、私のプライドが、私の身勝手さが、そして私の敵意が、いかに神と私のあいだを遮ってきたかが見えてきたのだ。・・・自分の生命の中心に私がいた。その「私」を取り除かねばならない。彼らに対する恨みが、まるで墓石のように私の心の中に建っているのが見えた。私は神に「私を変えて下さい」と願った。すると神は、彼らに対して物事を正しなさいと言われた。それは私に強烈な感情をもたらした。まるで力強い生命の流れが突然私の中に注ぎ込まれたかのようで、私は霊的な改革を受けたという感覚にぼうぜんとなった。(拙訳)
ブックマンは理事たちに悪意を抱いたことに謝罪の手紙を書いた。理事たちから返事はなかったが、彼は恨みの気持ちから解放され、自分に変化が起きたことを確信した。
1909年から15年まで、ブックマンはペンシルバニア州立大学のYMCA(キリスト教青年会 )の秘書として働いた。この時期に「静かな時間」(quiet time, 黙想)の取り組み始めた。また大学を訪れたマイヤーとも会うことができた。4)
1916年には中国のYMCAに派遣され、そこで後に弟子になるサム・シューメイカー(Samuel Moor Shoemaker III, 1893-1963)と出会った。
アメリカに戻った彼は神学校で働きながら大学を訪ねてまわり、キリスト教徒の学生のグループを作った。これが後にオックスフォード・グループと呼ばれるようになった。ブックマンの説いた「個人が霊的な生活をすることで人類の問題が解決する」という考えは大衆に支持され、1930年代に欧米の一般社会に大きく広がった。→オックスフォード・グループ
彼はヨーロッパ各国が戦争に備えて再武装していた1938年に、個人の道徳再武装(moral re-armament)が必要だとと説き、オックスフォード・グループをMRA運動へと転換して、世界の改革を目指した。
第二次世界大戦後には、フランス・ドイツ両国の和解に大きな役割を果たし5) 、またアフリカの植民地解放にも貢献した。戦後は反共産主義・反ファシズムを明確にした。
1950年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章 を、1952年にはドイツ連邦共和国功労勲章 を受けた。生涯独身で、1961年に死去した。
アルコホーリクス・アノニマス(AA)との関係
オックスフォード・グループはAAの形成に大きな影響を与えた。ビル・W、エビー・T、ドクター・ボブらAAの初期メンバーはオックスフォード・グループに加わっていた。ビル・Wはサム・シューメイカーをAAの恩人の一人に挙げた。6)
ブックマンとAAの間に直接の交流があったことを示唆する情報はない。ビル夫妻は、オックスフォード・グループの大規模な「ハウス・パーティ」にたびたび参加した。ビルはそこでブックマンとも会ったが、親しい関係にはならなかった。後年、ビルは「ブックマンを知っているか」と尋ねられ、「握手しただけだ」と答えている。7)
参照:
・ビッグブックのスタディ (63) 解決はある 14
・付録B1「オックスフォード・グループからの分離」
・オックスフォード・グループ
外部リンク:
・フランク・ブックマン博士 (国際IC日本協会)
・Frank Buchman (geni.com)
- Garth Lean, Frank Buchman : a life, Constable, 1985, p.28 – Frank Buchman – A Life (frankbuchman.info).[↩]
- ケズウィック・コンベンションは現在でも毎年開かれている ― https://keswickministries.org/。[↩]
- Lean, pp.30-31.[↩]
- Lean, pp.35-36.[↩]
- Edward Luttwak, “Franco-German Reconciliation: The Overlooked Role of the Moral Re-Armament Movement,” in Religion, the Missing Dimension of Statecraft, Douglas Johnston and Cynthia Sampson, editors. Oxford University Press, 1994, p.38 ― Google Books で確認。[↩]
- AACA, p.59.[↩]
- PIO, pp.169-170.[↩]
最近のコメント