ビッグブックのスタディ(22) 医師の意見 13

嗜癖と依存

このブログで扱っているアルコホリズム という病気は、時にはアディクションと呼ばれ、また依存症と呼ばれることもあります。そこで今回は「医師の意見」からは脇にれますが、この両者の関係について、歴史を追って説明します。

アディクションの誕生

addictionアディクションは日本語では嗜癖しへきという訳語が当てられています。元はラテン語ですが、20世紀になって麻薬 の乱用を指して使われるようになりました。麻薬は、ケシ の実から採れるアヘン やその派生物です。アヘンには中枢神経を麻痺させる作用があるため、煙管キセルなどを使って吸引すると陶酔感が得られます。

19世紀前半のイギリスと清国 の貿易は、イギリスの輸入超過が続いていました。その結果、銀本位制 を敷く清国にイギリスから銀が大量に流出してしまいした。困ったイギリスは、植民地のインドで生産したアヘンを清に売りつけて(もちろん密輸)銀を回収しました。これによって中国の南部にアヘンを吸引する習慣が広がり、アヘン窟 がたくさんできました。

このアヘン禍に怒った清がイギリス人の密輸業者を追い出し、それにイギリスが武力で応じたことで清とイギリスの間に阿片戦争 (1840-1842)が起きました。結果は清の大敗で、香港がイギリスに割譲されました。さらにその後のアロー戦争 (1856-1860)にも負けた清は、苦力 (クーリー)の輸出という事実上の人身売買を受け入れる条約を結ばされました。

この頃、アメリカで黒人奴隷が解放され、低賃金の労働者が不足しましたが、それを補ったのが中国人苦力でした。彼らはアメリカだけでなく世界各国に「輸出」され、多くの都市で最下層を成しました。彼らは本国からアヘン吸引の習慣とアヘン窟を各国の都市に持ち込み、中国系以外の人にもアヘン吸引は広がっていきました。

An Opium Den in China
1942: An opium den in China, by Keystone from Getty Images

これは中国のアヘン窟の写真です(1942年)。アメリカの国立第二次大戦博物館には同じ頃の沖縄のアヘン窟の写真が収録されています

19世紀には、アヘンからモルヒネ が、さらにヘロイン が精製できるようになり、もちろんこうした薬物は各国で禁止されたわけですが、乱用は広がっていきました。さらに20世紀にはコカイン も登場しました。このような薬物を乱用し、やめられなくなった状態を addictionアディクション、その人たちを addictアディクトと呼ぶようになりました。

嗜癖か習慣か

addiction(嗜癖)とほぼ同じ意味で habitハビット あるいは habituationハビチュエーション という言葉も使われていました。こちらは習慣という訳語があてられています。1)

嗜癖や習慣という概念が生まれたことで、難しい問題も生じました。乱用され、やめられなくなるのは、ヘロインやコカインだけでなく、タバコやカフェインやビンロウ も乱用され、やめられなくなる人がいます。ヘロインやコカインを禁止し、タバコやカフェインを禁止しないのはなぜか。覚醒剤をやめられない人が道徳的に非難され、タバコをやめられない人が非難されないのはどうしてか。

つまり、アディクションとは何か、そしてどの範囲の薬物を規制すれば良いのか、という問題です。

そこでWHO世界保健機関 では専門家による委員会を作り、この問題を議論しました。この委員会は1950年代に議論を重ね、嗜癖と習慣を分けて定義するという結論を出しました。それは、

  • 嗜癖とは、アヘン類やコカインのような嗜癖形成薬物(addiction-producing drug)によって起こり、その原因は薬物の薬理作用によるもので、連用すれば誰でも嗜癖になりうる。嗜癖形成薬物は社会に対する悪影響が大きく、厳格な規制が必要になる。
  • 習慣とは、ニコチンやカフェインのような習慣形成薬物(habituation-forming drug)によって起こり、乱用が一部に限られるのは、それが本人の心理学的な性格に原因するものであるため。習慣形成薬物は社会に対する影響は小さく、厳格な規制は必要ない。

というものでした。つまり、薬物の種類によって区別することを狙ったのです。

1964年 嗜癖・習慣 → 依存

ところが10年以上費やしても、この区別はWHOの参加各国に受け入れられず、採択に至りませんでした。合意に至らなかった理由は資料が見つからないので分かりません。

この時期に作られた疾病分類を見ると、嗜癖と習慣を区別するよりも、むしろ統合しようとする動きが見えます。WHOが1955年に採択した疾病及び関連保健問題の国際統計分類 第7版ICD-7では、Addictionという大項目の下にAlcoholismとDrug Addictionがあり、アルコールも含めてすべての薬物を嗜癖に含めています。アメリカ精神医学会の精神障害の診断と統計マニュアル DSM-Iでも事情は同じです。

そこで、WHOの委員会では1964年に、嗜癖(addiction)と習慣(habit)という二つの用語を放棄し、どちらについても依存(dependence)という用語を使うと決めました。さらに、依存の前に薬物の種類を入れることにしました。つまり、ヘロインとニコチンは薬物依存という一つのカテゴリに入るけれど、病態は違うので、ヘロイン依存・ニコチン依存と表現して区別すべきだ、というわけです。

これを受けて、1968年に出版されたDSM-IIで、それまで薬物嗜癖と呼ばれていた病気が薬物依存という名称に変わりました。これを境に、アディクション(嗜癖)は正式な医学用語として使われなくなりましたが、それ以降もヘロイン・コカイン・バルビツレートといった強力な薬物の依存を指して広く使われ続けました。

ただしアルコールだけは例外で、それ以降もアルコホリズムという用語が使われ続けました。しかし、アルコホリズムという言葉が指す範囲が拡大しすぎて曖昧さが増したという理由で、1977年にアルコール依存症候群(alcohol-dependence syndrome)と呼ぶことが決まり、ICD-9に反映されました。

このWHOの一連の流れは出典も含めてWikiにまとめてあるので、関心のある方はご覧ください→嗜癖と依存

依存とは何か?

このようにして、嗜癖(addiction)と習慣(habituation)を区別せずに依存(症)と呼ぶようになったわけですが、では依存とは何でしょうか? その概念は嗜癖と習慣のどちらにも当てはまるものでなければなりません。言い換えれば、何度刑務所に入っても覚醒剤がやめられない元芸能人にも、禁煙失敗を繰り返している普通のオジさんにも共通している現象を依存と呼んだわけです。

具体的には、耐性(tolerance)と離脱(withdrawal)の二つです。

耐性は、同じ量の薬物では効果が小さくなることで、そのために望んだだけの効果を得るために摂取量が増えていくことです。ヘロイン依存症者は、未経験者にとっては致死量になるほどの量を毎回注射するようになります。吸い始めの頃はタバコを日に3本吸えば十分だった高校生が、20歳になる頃には毎日一箱(20本)以上を必要とするようになります。

「酒が強くなる」というのは、飲み始めの頃は少ししか飲めなかった酒がたくさん飲めるようになることですが、これも耐性の現れですから、依存に向かって進んでいる(すでに依存症になっているなら進行している)ことを示しています。

離脱は、薬物の摂取量を減らしたり、やめてしまったりすると、その血中濃度の低下とともに、不快な症状が出現することです。この症状のことを離脱症候群(withdrawal syndrome)と言います。以前は禁断症状(abstinence syndrome)と呼ばれていました。

離脱の症状は薬物の種類によって様々ですが、アルコールの場合には、不安感や不快感、不眠という軽めの症状から、振戦 せん妄 という派手な症状まで様々です。一般に downerダウナー と呼ばれる鎮静剤系の薬物(アヘン系やアルコール)の離脱症状は派手であり、例えば重症のアルコホーリクの場合には離脱症状を周囲にばれないようにごまかすことは無理です。これに比べると upperアッパー と呼ばれる興奮剤系(覚醒剤やタバコやカフェイン)の離脱症状はやや不明瞭で、周囲からはなんとなくイライラしていたり無気力になっているようにしか見えないこともしばしばあります。

薬理学 など生物学の分野では、現在でも耐性と離脱の組み合わせを依存と呼んでいます。

この耐性と離脱によって、依存症の人の行動を説明できます。多くの量を摂取するのは耐性によって効果が小さくなるからで、やめられないのは離脱の苦しみから逃れるためであると。

耐性と離脱は、現在でも依存症の診断基準に含められている重要な要素です。しかし、依存=依存症ではないことは明らかでした。

薬理学的依存と依存症のギャップ

外科手術をした後などに、鎮痛剤としてモルヒネを使うことがあります。モルヒネは耐性が生じるため、鎮痛効果を維持するためには用量を増やしていかねばなりません。また、モルヒネの使用を中止すると離脱が生じ、その症状はかなり苦しいものであることもしばしばです。一定期間連用すれば、誰でもこの状態(依存)になりますが、離脱の時期を過ぎれば、二度とモルヒネを欲しがらなくなる人がほとんどです。誰もが依存症になるわけではないのです。

使い方によって耐性が生じる薬はたくさんあります(ステロイド外用薬とか)。また、使用の中止によって使用前より症状が増悪する反跳現象 が起こる薬も珍しくありません。一部の薬品だけが依存を引き起こすのではなく、むしろ普遍的な現象なのではないかとも考えられます。

連日酒を飲んでいるアルコホーリクが「今日からやめよう」と決心したのに、夕方になる頃にはどうしても飲みたくなって、結局今日も飲んじゃいました、という話はいくらでもあります。前日に飲んだアルコールの血中濃度が下がってきたために離脱が始まり、アルコールを摂取してその症状を緩和させたと考えれば、「やめられないのは離脱のせい」という考え方は成り立ちます。

しかしながら、酒をやめてから何ヶ月も、何年も経ってから起きる再飲酒を、離脱で説明することはできません(すでに離脱の症状は消失しているから)。「酒を飲みたい」「薬を使いたい」という欲求が生じる別の仕組みがあるはずです。

このように考えてみると、薬理学的な依存で依存症を説明するのは無理があります。

身体依存+精神依存

そうしたことを踏まえて、依存症という病気を身体的要素(身体依存)と精神的要素(精神依存)の二つに分ける考え方がでてきました。

身体依存は、耐性と離脱のことであり、アルコールや薬物を使用中の依存症者の行動を説明するものです。

精神依存は、依存症者に再発をもたらす欲求を指します。これは前回説明した渇望(キュー渇望のほう)に相当します。

この二つは、依存症の教科書には必ず(と言って良いほど)登場します。

では、この身体依存+精神依存の考え方と、これまで学んできた「アレルギー強迫観念」と比べてみましょう。

  身体依存・・・身体のアレルギー
  精神依存・・・精神の強迫観念

という単純な対応関係になっていたら分かりやすいのですが、決してそうではないところが面倒くさいのです。

まず身体依存から。耐性の形成によって以前と同じ効果を得るのにより多くの量が必要になる、という説明は、アルコホーリクの体験となんら矛盾しません。しかし、「もっともっと酒が欲しい」というあらがいがたい圧倒的な欲求は、「以前と同じ効果を得るため」なんていう言葉で説明できるものではありません。アルコールが体内に入ることで引き起こされる身体的渇望は、耐性や離脱では説明しきれません(それに比べて、アレルギーという説明の、なんと分かりやすく、体験にフィットすることか)

また、酒や薬をやめていても、「どうしてもまた飲みたくなってしまう」という渇望(キュー渇望)が起きてくるのが再発の原因である、という考えも理解できます。しかし、では「再発が常にそのような渇望に支配された結果であるか」と問えば、決してそんなことはなく、特に強い欲求もないのに、するりとスリップしてしまった話はいくらでも存在します。むしろ強い欲求のあるときの方が意識的な防御を保てるので比較的安全であり、欲求がなくなったときのほうが虚を突かれた再発が起こりがちだ、とも言えるのです。だから、再発を引き起こす精神の強迫観念というものは、精神依存とも(キュー)渇望とも同じではありません

このように、医学で使われている身体依存と精神依存の概念と、僕らが使っている概念(身体のアレルギーと精神の強迫観念)の間にはズレがあり一致していません。

乱用というカテゴリの登場

1970年代に作られたICD-9DSM-IIIでは、乱用abuseアビュースというカテゴリが追加されました。これは、依存(症)という状態には至っていないけれど、繰り返し酒や薬物を使った結果、健康上の問題(酒の飲み過ぎで肝臓病になるとか)、あるいは社会的な問題(飲酒運転や欠勤など)を引き起こしている状態に、疾病としてカテゴリを設けたということです。2)

これは明らかに、医学が対象とする範囲の拡大をもたらしました。乱用の人たちのなかには、やがて依存症へと進んでいく人たちが含まれるわけですから、その人たちが依存症になる前の乱用の段階で治療を始めるべきではないか、という考え方も生まれてきました。

そこで2013年のDSM-5では、ついに依存と乱用の区別を取り払ってしまいました。

歴史を振り返って

医学がアディクション(嗜癖)やアルコホリズムという用語を使わなくなり、代わりに依存(症)という用語を使うようになった経緯を見てきました。

最初はアヘン系の薬物を対象にアディクション(嗜癖)という言葉が使われていたのが、やがてアルコールやタバコも含めて使われるようになり、嗜癖と習慣を区別しようという試みは合意に至らず、どちらも依存(症)と呼ぶことになりました。

このとき使われたのが、薬理学的な依存の概念(身体依存)でしたが、これで依存症者の行動を十分説明することはできず、精神依存という概念が付け加えられました。しかしそれでも、当事者の経験する精神病理を十分に説明できるものにはなっていません。

さらに依存には至っていない人たちに対して、乱用という病名を与えることが可能になり、対象とする範囲が広がりました。

このように、医学は数十年に渡って、対象とする範囲を広げ続けてきました。その是非はここでは論じません。むしろ考えたいことは、AAが使っている疾病概念や方法論は、医学的拡大が起こる前の狭い範囲の人たちを対象に成立したものだという点です。はたして、AAの方法論を医学が拡大させた範囲全体に適用できるのでしょうか?

例えば「アルコホリズムは進行性の病気である」「アルコホーリクはふつうに飲めるようにはならない」(BB, p.46)、「一度アルコホーリクになったら一生アルコホーリクである」(p.49)、「一人では回復できない」(p.139)という考えは、AAの中では広く共有されていますが、これはアルコール依存症の診断を受けた人全員に当てはまるのでしょうか? 乱用の段階の人はどうでしょう? そうしたことを検討してみる必要はあるでしょう。

AAとNAはほぼ同じ疾病概念を共有していますから、こうした考え方は薬物依存症全体にも当てはまるのでしょうか。アルコールや薬物以外の、例えばギャンブルとか性の問題にはどうなのでしょうか?

そういったことを検討するためには、まずAAにおけるアルコホリズムの疾病概念と、医学におけるアルコール依存症の基準を比べてみることが役に立ちます。それは次回に。

今回のまとめ
  • アヘンの吸引習慣は中国人苦力が各国の都市に広めた。
  • 1900年頃から、アヘンやヘロインの乱用がaddiction(嗜癖)と呼ばれるようになった。
  • 嗜癖習慣(タバコなど)を区別しようというWHO専門委員会の試みは達成されず、どちらの用語も放棄して、区別せずに依存(症)と呼ぶことになった。
  • 身体依存は、耐性離脱という薬理学的なもの。
  • 精神依存は、渇望(キュー渇望)のこと。
  • 身体依存と精神依存では、当事者の経験を十分には説明できない。
  • さらに乱用というカテゴリが加わり、医学の対象は広がり続けてきた。
  • AAは、医学が対象を拡大する前の、限られた範囲の人たちを対象に成立した方法論を使っている。

  1. マーク・ケラー/マイリ・マコーミック(津久江一郎訳)『アルコール辞典 改定第二版』, 診断と治療社, 1987, p.284 []
  2. 1990年に発表されたICD-10では、乱用が有害な使用(harmful use)に変更されている。 []

2020-10-28ビッグブックのスタディ,日々雑記

Posted by ragi