ビッグブックのスタディ (31) ビルの物語 2

「ビルの物語」は21才のビル・W第一次世界大戦 に招集され、戦地ヨーロッパに赴くところから始まっています。

ビル・Wの子供時代については、『アルコホーリクス・アノニマス成年に達する』に彼自身による記述がありますが、2ページあまりのごく短いものです。しかしながら、AAから Pass It On というビルの伝記本が出版されています(これは先ごろ重版になったドクター・ボブの伝記本『ドクター・ボブと古き良き仲間たち』と対をなす本です)。また、アメリカにはAAの歴史を研究するAAヒストリアンと呼ばれる人たちがおり、AAの古い記録を調べ、録音を聞き、初期のメンバーが生き残っていた頃にはその人たちにインタビューを行って、AAの歴史を記録に残し続けています。彼らによるビルの伝記本がいくつも出版されており、そこからもビルの子供時代についての情報が得られます。

今回の内容は、12ステップを学ぶうえで必須の情報ではありませんが、「ビルの物語」を学ぶ助けになるかもしれません。

田舎の少年

Wilson House, Dorset, VT
Wilson House, East Dorset, Vermont, by Magicpiano, from Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0

ビル・Wは、1895年にバーモント州 のドーセットDorsetという小さな町で生まれました。町の真ん中にイーオラス山Mount Aeolusという山がそびえていて、町を東西に分断しています。この山の東側の狭い谷に数十軒の家があり、イーストドーセットと呼ばれています。そこでビルの父方の祖母が小さなホテルを営んでいました。このホテルは現在はウィルソンハウスWilson Houseという地元の財団によって維持されており、宿泊可能で、AAや回復施設のセミナーなどに使われています。ビルの両親はこのホテルの裏の部屋に住んでいました。そして2年後には妹ドロシー(Dorothy Strong, 1898-1994)が誕生しました。

Interior of quarry at Dorset Vt, by NYPL Photo Archives, from Wikimedia Commons, CC0 1.0

当時のドーセットでは大理石の採掘が盛んに行われており、ビルの父方の家系は採掘場を営んでいました。父方の祖父はアルコホーリクでしたが、教会で宗教的体験をした後は一切飲まなくなりました。父親も採掘場で技師として働いており、(アルコホーリクにはならなかったものの)坑夫たちと大酒を飲み、しばしば喧嘩を起こしていました。

1903年に父親が別の採掘場の経営権を手に入れたため、一家4人は25マイルほど北のラトランドに引っ越しました。ビルは田舎者であることに劣等感を持っていたため、イーストドーセットよりもずっと大きな町であるラトランドでは、すっかり内気で臆病な少年になってしまい、自分より背の低い子たちにいじめられる経験をしました。

両親の離婚

やがて両親は別居し、1906年には離婚が成立しました。離婚の原因ははっきりしていませんが、Pass It On では父親の飲酒によるトラブルが母親を悩ませていたとあり1)、一方で母親の家系は飲酒に対して厳格だったとあるので、アルコールの問題が原因の一つだったのでしょう。しかし、100年以上前の保守的な価値観の強いニューイングランド で離婚はまれであり、飲酒問題だけで離婚は考えにくいものがあります。父親は女癖の悪い人だった2)ので、それも原因だと考えられます。ビル自身は(飲んでいるときも)「不貞はしなかった」と述べていますがBB, p.5)、実際の彼は女癖が悪かったことが知られており、その点は父親譲りであると言えます。母親の家系には教師や弁護士や判事が多かったことも離婚を後押ししたのかもしれません。彼女自身も教師であり、親からの経済的援助も期待できるなど、経済的に夫を頼らなくてもやっていけたこともあったのでしょう。離婚後、ビルの父親はカナダに仕事を見つけて去って行きました。

父親が去ったとき、ビルとドロシーは「見捨てられた」と感じました。3) これがビルの第一の喪失体験であると言えます。また同時に、当時は珍しかった離婚が、ビルに大きな不名誉と恥の感覚をもたらし、両親と一緒に暮らしている子どもたちへの劣等感を持つようになりました。

それだけでなく、母親は子ども二人を自分の両親に任せ、医師Doctor of Osteopathic Medicineになる勉強をするためにボストン へと去ってしまいました。これがビルの第二の喪失体験と言えるでしょう。

こうしてビルとドロシーは、母方の祖父母に育てられることになりました。祖父は息子を亡くしていたため、孫息子が手元にきたことを喜び、ビルを溺愛しましたが、それがむしろビルに心理的プレッシャーを与えた可能性があります。祖父は小さなイーストドーセットの町では最も経済的に成功した人物でしたが、その家系にはより大きな社会的成功をした人物も多く、祖父の従兄弟はバーモント州で最初のミリオネア になっていました。常に「ナンバーワンを目指す」という彼の性格は、祖父からの期待に応えるために、また劣等感を跳ね返すために形づくられたのでしょう。また、幼くして父親にも母親にも見捨てられたという体験も、彼の性格形成に影響を与えたと考えられます。

バー・アンド・バートンでの成功と喪失

Burr and Burton Academy
Burr and Burton Academy, from Ebby in Exile (AA Muncie)

ビルは全寮制の学校に進学すると、生徒会長を目指し、オーケストラの指揮者になり、野球チームのキャプテンかつピッチャーになり、学業もトップクラスの成績を収めました。常に一番でなければならない彼は、大変な努力家でもありました。そして彼は自分が大事だと思った分野ではたいてい成功し、自分の意志の力を信じるようになっていきました。両親ともアルコホーリクではないので、彼は狭義のアダルト・チャイルド(AC)という概念にはあてはまりませんが、不遇な環境に育ち、「良い子」であるために、苦しいまでの努力を自分に課すあたり(つまり自分しか信じていないあたり)は、広義のACという概念には当てはまりそうです。

ところで、この全寮制学校はバー・アンド・バートン校Burr and Burton Academyといい、ドーセットの南のマンチェスターという町にありました。マンチェスターは有名な保養地で、「サマーピープル」と呼ばれる裕福な人たちが別荘を構え、夏の間を過ごすリゾート・タウンになっています。その人たちがゴルフを楽しんだコースもあり、後に経済的に成功したビルがここでゴルフをして故郷に錦を飾っている様子が「ビルの物語」のp.5に描かれています。

サマーピープルのなかには、後にビルのAAスポンサーとなるエビー・Tの一家もいました。この一家はニューヨーク州の州都オールバニで会社を経営し、エビーの祖父の代から市長を出している名家でした。エビーの兄たちはみな優秀で、プリンストン大学 に進んだ4)のに対し、末弟のエビーは落ちこぼれであったため、両親はエビーをバー・アンド・バートン校に1年間留学させていました(山村留学?)。ビルとエビーが学友になったのはこの1年間でした。

ビルは同じくバー・アンド・バートン校に通っていた牧師の娘バーサ・バンフォード(Bertha Bamford)という美人と恋仲になりました。ところが、彼女はニューヨークで受けた手術が失敗し、突然亡くなってしまいます。このニュースを校長から聞かされたビルは深く絶望して抑うつ状態に陥り、学校を中退することになりました。恋人バーサの死は、若いビルにとって第三の(そして最も深い)喪失体験となりました。

ビルはその鬱が3年続いたと言っていますが、ビルは生涯うつ病に悩まされ続けました。ビルの母親が自分の親や子と一緒に暮らすことができなかったのは、彼女が感情の問題を抱えていたことも一因であり、またビルの妹ドロシーも中年になってからハリー・M・ティーボー医師にかかっています。5) どうやらビルのうつ病は遺伝的な要因が大きそうですが、ともあれ、ビル・Wはアルコホリズム以外にも精神疾患を抱えた重複障害者(Dual Diagnosis)であったわけです。

無気力に陥ったビルはバー・アンド・バートン校を卒業する単位を取得することができないまま卒業年度を過ぎてしまいました。彼はこの時期に後に妻になるロイス(Lois Burnham, 1891-1988)と出会っています。彼女の父親はニューヨークで人気の医師であり、一家は毎年夏になるとマンチェスターの別荘にやって来る「サマーピープル」でした。ビルにとってロイスは、洗練された都会の上流階級の人であり、そんな彼女に恋人として選ばれたことは、ビルにとって大きな自信になりました。

大学へ、そして第一次世界大戦

Bill W. as young officer
from PIO

ビルはマサチューセッツ州にいた母親の元で高校に通って卒業に必要な単位を揃え、マサチューセッツ工科大学 への入学を目指しました。しかし、合格できず、代わりにバーモント州のノーウィッチ大学Norwich Universityという陸軍の士官学校に入学しました。ところが大学に進学してみると彼は高校時代のようには輝けませんでした。田舎の高校ではナンバーワンでも都会の大学に進学したらはそんなヤツがごろごろいた、というのは良くある話ですが、ビルの場合もそうであり、すっかり自信を喪失したビルはうつ病をぶり返して休学しました。

ドーセットに帰って、ロイスと交際しながら療養し、大学に戻るかどうか迷っているうちに、アメリカが第一次世界大戦に参戦し、士官学校に在学していた彼も召集されました。すでにロイスと婚約していたビルは慌てて結婚式を挙げて入営しました。第1章「ビルの物語」が始まるのはそこからになります。

ビル・Wの性格

ビルがその年になるまで酒を飲まなかったのは、母方の家系が酒に厳格だったことと、父親の酒が離婚の原因の一つだと彼が考えたことによります。

ビルが経済的成功と社会的認知を得ることを熱望したのは、三度の喪失の体験と、自分の努力によって成功を勝ち取った体験と、幼い頃にいじめを受けたことや田舎者であることへの劣等感、そして上流階級で生まれ育った妻に相応しい夫にならなければという心理的プレッシャーがあったことによるのでしょう。

またビルは地頭が良いタイプというより、努力家だと言えるでしょう(ただし、努力の対象は自分がやりたいことだけ)。飲酒癖と女癖の悪さは父親譲りであり、うつ病は母親に由来するものと思われます。

2年間の軍務中に彼は士官として見事なリーダーシップを発揮し、それを周囲にも認められました。そのことが彼が「巨大な企業のトップ」BB, p.2)を目指すきっかけになりました。しかしながら、除隊して一般人に戻ったビルは、学歴(大学は中退)も職歴もない、ただの田舎の若者にすぎません。若き夫婦はニューヨークに引っ越し、ビルは経済的成功を夢見てまたも努力を始めますが、すでにその頃にはアルコホリズムの暗い影がかかり始めていました。ビルは生涯望んだ地位を得ることはありませんでしたが、彼の資質は後にAAを世界的な共同体へと発展させることに発揮されることになります。

大事なこと

ビル・Wの子供時代を紹介しましたが、子供時代の経験が、成人したビルの考え方や性格に影響を及ぼしているのが見て取れます。ただし、ぜひ憶えておいていただきたいことは、彼の不遇な子供時代がアルコホリズムの原因、ということです。もしビルがそう考えていたのならその点を強調したストーリーになっていたことでしょうが、「ビルの物語」では彼の子供時代はほぼ省かれており、『成年に達する』でも僅か2ページしか割いていません。

「医師の意見」で学んできたように、アルコホリズムは体質的なものであり、体質はだいたいが生まれつきです。その体質を持たない人は、どんなに大酒を飲んでもアルコホーリクにはなりません。アルコールに対するアレルギー反応を起こすのは、一部の酒飲みに限られます(BB, p.xxxv (35), p.xxxviii (38))

人は気分を変えるためにアルコールや薬物を使います。ひんぱんにアルコールや薬物を使いたくなる人は、ひんぱんに気分を変えたくなっているのでしょう。その理由が子供時代に身に付けた考え方の偏りにある人もいるでしょう。ですから(アルコールを含む)薬物乱用を減らすことを目標にするならば、子供の養育が大事であるという考えは成り立つとは思います。しかし、話がアルコホリズムやアディクションのこととなると別で、アルコールや薬物の摂取だけでなく、体質という要素を無視するわけにはいきません。身体的な病気という側面を強調するのはそのためです。

アルコホーリクになるためには、アルコホーリクになる才能(体質)がその人に備わっていなければなりません。その才能を持たずに生まれた者は、どんなに努力して大酒を飲もうとも、アルコホーリクになることはできないのです。誰もが努力すればメジャーリーグで活躍したイチロー のような一流の野球選手になれるわけではないのと同じです。アルコホーリクは、持って生まれた才能を努力によって開花させた人たちなのです(そこには親の協力もあったかもしれないが、なくてもなる人はなるし、親がどんなに協力しようとも才能のない人には無理という話)。別の人生を考えてみても仕方ありませんが、あなたがアルコホーリク(アディクト)であるならば、幸せな子供時代を過ごし良い人間関係に恵まれていたとしても、やはりアルコホーリク(アディクト)になっていた可能性は十分にあるのです。


  1. PIO, p.24 []
  2. Francis Hartigan, Bill W.: A Biography of Alcoholics Anonymous cofounder Bill Wilson, St. Martin’s Griffin, 2001, p.172 []
  3. PIO, p.27 []
  4. 後に市長になる兄ジャックは地元の法律学校に進んだ。 []
  5. Hartigan, p.169 []