ビッグブックのスタディ (93) どうやればうまくいくのか 5

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意志と意思

なぜ12ステップでは意思ではなく意志を使うのか?(意志と意思はどう違うのか)という質問をたまにいただきます。

意志意思に意味の違いはありません。どちらも、英語のwill、ドイツ語のWille(語源はラテン語のvelle)の訳語です。どちらも古くから日本語にあった表記ですが、哲学では意志 、法学では意思 と表記します。心理学は哲学から派生した学問ですので、意志と表記します。

12ステップは精神の問題を扱っているので、法律よりも哲学・心理学に近いと言えるでしょうから、最初に訳した人1)が意志という表記を選んだのは適切でした。

何もかも取り仕切りたがる役者

さて、ステップ3の説明は、自分の意志を押し通そうとする自己中心的な生き方は苦悩ばかりをもたらす、という話から始まりました。ビルは、それをより具体的で分かりやすくするために、舞台の役者を題材にして説明しています。

誰もが、何もかも取り仕切りたがる役者のようで、照明を、踊りを、舞台装置を考え、全部の出演者を、自分のやり方で動かそうとする。2)


Each person is like an actor who wants to run the whole show; is forever trying to arrange the lights, the ballet, the scenery and the rest of the players in his own way.3)

誰もが「ショー全体を取り仕切りたがる役者」のようである、とビルは言っています。このショーはどうやら演劇 のようですが、バレエ(ballet)もあるのでオペラ なのかもしれません。ともあれ、この役者さんは――役者にすぎないのに――他の役者や照明やバレエや舞台装置を、ひたすら「自分のやり方で」動かそうとしています。つまり、他の俳優たちにはこのように演じなさいと言い、照明係にはこのように光を当てて欲しいと注文を付け、踊りはこう踊るともっと良くなると言い、舞台装置はこのように動かして欲しいと指示を飛ばすのです。

ショー全体を取り仕切りたがる役者これのどこがいけないのでしょうか? 演劇において、作品を解釈し表現方法を決めていくのは演出家 (director)の役目です。稽古でそれぞれの俳優がどのように演じるべきか、照明や舞台装置や音楽はどのように運用するのか、具体的な指示(direction)を出していきます(図で水色の矢印で示された指示系統)。その舞台が商業的に成功すれば賞讃されるのは演出家であり、失敗して批判されるのもやはり演出家です。そのように、作品全体を統括し責任を持つのが演出家です。direction(指示)を出す人だからdirector(ディレクター)と呼ばれます。俳優は指示を出す側ではなく、指示を受け取る側なのです。

ところがこの役者さんは、俳優に過ぎないのに演出家気取りで、他の人たちに指示を出すのです(図の赤い矢印)

その人の演出どおりに、その人の望みどおりに配役が動いたときにだけ、芝居は上出来となる。その人は喜び、人生は申し分ないと満足する。4)


If his arrangements would only stay put, if only people would do as he wished, the show would be great. Everybody, including himself, would be pleased. Life would be wonderful.5)

その人の望みどおりに人々が動いてくれさえすれば、ショーは素晴らしい出来になるのであり、その人だけでなく周りの人も全員ハッピーになるはず――それがその人の信条なのです。

いかにも自己中心的な人というこの描写を読んで、なるほど自己中心的な人というのは、威張りん坊で、命令屋で、困ったものだと思われたことでしょう。そして、自分にも多少自己中心的なところはあると思うけれど、自分はむしろこの役者さんのような自己中心的な人によって、いつも嫌な思いをさせられ、迷惑を被っている側なのである、と考えたのではないでしょうか。でも、そう考えているあなたも、実はこの威張りん坊と同じぐらい自己中心的なワガママ人間なのです。

なぜでしょうか?

二つの戦略

こうした演出にかけて、わがアルコホーリクの役者はかなりの大家だといえるだろう。4)


In trying to make these arrangements our actor may sometimes be quite virtuous.6)

これはひどい誤訳です。まず何より our actor をアルコホーリクと訳していますが、前回述べたようにこの段落はアルコホーリクだけではなく、すべての人を対象にしています。次に、「かなりの大家だ」というのは意味不明な翻訳です。virtuous は高潔という意味ですが、その次の文からは、それが自己犠牲的であるという意味である事がわかります。

つまり、この役者さんは(周りの人を自分の思いどおりに動かすためならば)時にはたいへん自己犠牲的になるのです。

親切で、思慮深く、忍耐強く、寛大で、節度があり、献身的でさえあるかもしれない。4)

ここに並べられた言葉は、どれも人間として望ましい徳目です。しかし、そのような一見高潔に見える自己犠牲の背後には、相手を自分の思いどおりに動かしたいという隠れた意図が潜んでいるのです(つまり純粋なる親切ではないということ)。

例えば、この役者さんは、稽古の日には一番朝早く稽古場に現れ、様々な準備を整えて他の皆が来るのを待っているかもしれません。また、後片付けや掃除もサボらずに稽古場で最後まで残っているかもしれません。その献身が皆に評価されて、自分の発言力が増すことを狙っているのですが、自分の狙い通りにならず、周りの人たちが自分の言葉に耳を傾けてくれないと、彼は傷ついて、やる気を無くしてしまうのです。

我慢に我慢を重ねて、ある日忍耐できなくなって、ブチ切れるというタイプの人もいます。

つまりこれは、自己犠牲を通じて他者をコントロールしようとする戦略であり、自己中心性の表われなのです。これを仮に戦略①と呼ぶことにします。戦略①は次に示す戦略②と比べると、分かりづらい自己中心性です。本人も自分の自己中心性を意識できておらず、むしろ自分のことを犠牲者であると認識していることが多いものです。本当の意図を自己犠牲の中に隠してしまっている、という意味で、これを maneuverマニューバー(策略)と表現した人がいました。

次に進みます:

あるいは意地悪で、利己主義的で、わがままで、不正直かもしれない。4)

こちらは、たいへん分かりやすい自己中心性です。こちらは戦略②と呼ぶことにしましょう。

だがそのようなさまざまな特性を持ち合わせているのは、わが役者も多くの人たちも同じだろう。4)


But, as with most humans, he is more likely to have varied traits.6)

これもイマイチな翻訳です。他のほとんどの人々と同じように、彼も様々な特徴を持っている可能性が高い、という意味です。人は自分の意志を押し通すために、戦略①と戦略②を使い分けて生きています。どちらか片方の戦略に偏っている場合はありますが、完全に一方だけの戦略に頼って生きている人はいません。必ず両方を使っているのです。

自己中心性上に述べたように、戦略①は分かりづらい自己中心性です。ですから、単に自分の短所や欠点を探そうとした場合には、見過ごされてしまうことが多いのです(表面上はむしろ長所に見えるから)。12ステップに取り組んでいけば、戦略①の自己中心性についての理解も深まっていくでしょう。

アルコホーリクはなぜとりわけ自己中心的なのか?

ここまでの説明では、アルコホーリクだけが自己中心的なのではなく、人間は誰しも自己中心的なのである、としてきました。しかしながら、ビッグブックでもアルコホーリクは「自己意志が暴走する極端な実例である」(p.90)7)と表現されているように、アルコホーリクはやはり人間の平均よりも自己中心的だと言えましょう。

ではなぜアルコホーリクは人間的平均よりも自己中心的なのでしょうか? ビッグブックやAAの他の文献には、その理由について何も述べられていません――あまりにも自明なことなので説明の必要はないと言わんばかりです。

そこで、僕自身のアルコホーリクとしての経験と、他の多くのアルコホーリクとその家族の話を聞いてきた立場から、一つの説明を試みようと思います。

結論から言うと、アルコホーリクはアルコホリズムという病気の影響を受けて自己中心的になると考えられます。この病気はアルコホーリクに過剰な飲酒を強います。すると当然のことながら、生活の様々な面に悪影響が出てきます(i.e. 思い通りに生きていけない。なのにアルコホーリクは飲酒量を減らして問題を解決することができません。そこで(心理学で言うところの)合理化が必要になります。

例として、夫が稼いで一家の家計を支えているとします。ところがアルコホーリクである彼は稼いだ金を飲酒に費やしてしまいます。家族がそのことを心配すると、彼は仕事上のつきあいで、あるいは同僚に誘われて飲んだなどと、酒を飲まねばならない事情があったのだと言い訳をするようになります。実は一人で飲んでいたのに、そのような架空の事情を作り出して自己弁護をしているわけですから、これは嘘をつくようになったということです。嘘をつくことに対して最初のうちは罪悪感を感じているのですが、次第にそれが薄れていきます。さらに飲酒量が増え、家族の生活費を圧迫するようになり、そのことで非難を受けるようになると、彼は酒を飲んだ量をごまかしたり、飲酒した事実そのものを否定するようになるでしょう。

病気が進行を続け、飲酒が彼の職業生活や家庭生活の継続を脅かすようになると、より強力な合理化が必要になってきます。そこで、彼は「上司が無能でバカな指示ばかり出してくるからストレスが溜まる」とか、「妻が無理解で口うるさいから家庭でも気が休まらない」といった飲酒の口実を作り出して飲むようになり、しまいには自分でもそれを本当だと信じ込むようになります。時にはそれを口に出して他者を非難することもあるでしょう(つまり他責的になる)。

こうした合理化は、飲酒のコントロールを失っているという恐ろしい事実から目を逸らし、自分の飲酒行動は(決して病気の症状などではなく)自らの選択の結果であって、その選択にも道徳的な問題はないと見なすために必要なのです(合理化)。

アルコホーリクの飲酒生活は何年も続きます。その間、嘘やごまかしや他責化も日常的に繰り返されます。するとそういった考え方や行動が習慣化されてしまい、酒をやめてそうした合理化が必要なくなっても、不正直さや他責性といった性格特性が消えずに残ってしまうのだと考えられます。

自己中心的だったからアルコホーリクになったという考え方をAAでは採用していません(少なくともAAのテキストはそのような説明をしていない)。アルコホーリクになる以前から自己中心的だった人もいるでしょうし、そうでなかった人もいるでしょう。しかし、アルコホリズムに罹ると、その結果として誰もが人間平均よりも自己中心的になってしまうのです。望まない飲酒を強いられ、それを合理化せざるを得なかったことを踏まえれば、自己中心的にならざるを得なかった、と言えるのです。

このことは、アルコール以外のアディクションにも当てはまると思われます。

パラアルコホリズムとAC・共依存

さて、アルコホリズム(alcoholism)という病気を患っている人がアルコホーリク(alcoholic)です。ですが、アルコホリズムに罹っていないのに、まるでアルコホーリクのようになった人たちがいます。それについて説明しておきます。

1970年代のアメリカで、パラアルコホリズム(para-alcoholism)コアルコホリズム(co-alcoholism)という用語が作り出されました。この二つの言葉はどちらも同じものを指しています。ここでpara-という接頭辞は「疑似」という意味で、co-は「共同」や「同程度」という意味で使われています。ですから、日本語に訳すならば疑似アルコホリズムとなります。

疑似アルコホリズムとは、アルコホーリクと同居している家族の病理のことです。正確に言うと、この概念の病理化が起こるのは少し後のことで、この二つの言葉ができた当時は、アルコホーリクの飲酒や自己中心性の暴虐に曝されることになった同居家族(配偶者や子どもたち)の苦しみに焦点を当てたものでした。8) だがこの二つの言葉とその後継には、その後さまざまな病理性が付加されていくのです。

20世紀後半の心理臨床の進歩の一つは、それまで症状を持った個人を対象としてきた(e.g. 精神分析学 ものを、その個人が属している家族や職場も治療や介入の対象とするようになったことです。例えば、家族は一緒に暮らす中でお互いに影響を与え合うシステムを構成しており、個人の症状はこの家族システムの中で何らかの意味を持っているという考え方が登場しました。つまり個人の症状は、他の家族メンバーからの影響を受けて良くなったり悪くなったりするということです。だから病人だけを治療するのではなく、家族全体を治療しなくてはならないとする家族システム論(family systems theory)が1970年代から盛んになってきました。ですから、疑似アルコホリズム概念の病理化には、家族システム論の影響があると考えられます。9)

ではアルコホーリクと同居する家族は、どんな影響を受けるのでしょうか。一つは上に述べたように、苦しみを受けること――すなわち被害者の立場です。だがそれだけではなく、疑似アルコホリズムという言葉が示すとおり、家族の側もアルコホーリクと同じように自己中心的になるのです。考えてみて下さい。アルコホーリクが自己中心性を発揮して暴虐を振るうとき、同居家族がそれに対して公平フェアに接していたらどうなるでしょうか。アルコホーリクの言い分だけが押し通されることになり、家族の被害や苦しみは増すばかりです。そこで、家族の側は自分の身を守るために(つまりサバイバル として)、アルコホーリクと同じ性格特性を身に付けて対抗することになります。つまり、家族はアルコホーリクと一緒に暮らしていることで、その被害を被り、身を守るために自らを疑似アルコホーリクにするのです。

この概念が現在まで最も良く保存されているのが、ACoAというアダルトチルドレン (AC)のグループのプログラムです。このグループは当初は1977年にアルコホーリクの親を持つ人たちのグループとして始まり、現在は機能不全家庭で育った人も含むようになっています。ACoAの使っている「ランドリーリスト」には、ACの特徴としてパラアルコホーリクになったことが挙げられています。10) また、そのテキストには「どんなにそれを否定したくても、私たちは親と同じ人間になってしまった」という記述もあります。11) 親の態度を内在化させることで、ACは他者をコントロールし操作するという強迫観念にとらわれているという考え方は、ACoAだけでなく他のACグループにも共通しています。12) 自分に暴虐を振るった相手として親を恨んでいても、実は自分は親と同じタイプの人間になっているという、認めたくない事実を認めるところからACの回復プログラムは始まります。

現在のACoAのテキストにはトラウマ PTSD という言葉が使われ、それらに対するセルフケアプログラムであるという認識が広がっています。その認識が間違いであるとは言えませんが(詳しくは後述)、ACoAの創始者トニー・A(Tony A.)の著書にはトラウマやPTSDという用語は登場せず13)、もっぱら親から受け継いだ性格特性に焦点が当てられています。そして、現在のACoAにおいても(あるいは他のACグループにおいても)その点は変わりがないと言ってかまわないでしょう。

さて、1960年代から70年代にかけて、WHO は addiction(嗜癖)や alcoholism(アルコール中毒)という言葉を廃し、dependency(依存症)という言葉に置き換えていきました。14) これによって、アルコール依存症と他の依存症(といっても当時は薬物依存症だけ)を区別する必要は薄れました。この変更の影響を受けて、誕生して間もない para-alcoholism/co-alcoholism という用語は co-dependency(共依存症)という用語に変化しました。そして、共依存症という病理を抱えている人が co-dependent(共依存症者)と呼ばれるようになりました。

共依存症者とは疑似アルコホーリクのことです。アディクションを持った人と一緒に暮らすことで、その影響を受け、アディクトと同じ性格特性を身に付けてしまった人たちです。つまり、ACと共依存症者は同じ概念なのです。ショー全体を取り仕切りたがるアルコホーリクと、他者をコントロールし操作しようとしてしまうACや共依存者の抱えている問題は共通しており、だからこそ共通の12ステップが効果を持つのです。

だが、12ステップ以外のところでは、共依存 の概念はさらに病理性が加えられていきました。それ以前からあったイネーブリング という概念と混用され、やがて一つのものとして扱われるようになりました。また、個人の病理を超えて、この社会が嗜癖的特性を備えており、その社会の中で暮らしている人の大半が無自覚のうちに共依存になっているという主張まで現れました。15) つまり、共依存という概念が拡大されることによって、12ステップの共同体が持っていた共依存の概念とはかけ離れたものへと変わっていってしまったのです。特に依存症の家族支援の現場では、共依存症とイネーブリング、共依存症者とイネーブラーが同じ意味で使われるようになっています。

心理師やソーシャルワーカーとして働いている人が、そのような拡大し変化した共依存の概念を使うのは是非もないことです。だが拡大した共依存の概念を12ステップのなかに持ち込むと混乱が起きます。家族やACの人たちが12ステップに取り組もうとしたときに、その人がすでに拡大された共依存の概念を身に付けていると、その概念が、12ステップの持つシンプルな共依存の概念を理解するのを邪魔してしまうからです(12ステップはイネーブリングをやめるためのプログラムだ、というのが典型的な誤解です)16)

混乱を避けるために、ここでは共依存という用語を、ACや家族グループの使っている概念(つまり自己中心性や操作性・パラアルコホリズム)に限定して使うことにします。

当時の家族システム論には、病んだメンバーのいる家族の関係は硬直化し、現状維持の傾向が強くなるという考えがあり、その安定性を壊すことが介入の目的であるとされていました。その考えに従って、家族を分離させたり、同居の場合には関わりを絶つことを促す支援が行なわれていました。現在の家族システム論では、病んだ家族関係にも自己治癒力があることを認めるようになっており、無理に変化を促すのではなく、治癒力を引き出すのが支援者の役割であるという理解に変わってきています。17) そうしたことを踏まえると、イネーブリングと一体化した共依存概念は今後はあまり使われなくなるのではないかと予想します。

戦略①とランドリーリストの関係

自己中心性改めて二つの戦略を並べてみて、さらには先ほど紹介したランドリーリストと見比べてみると、ランドリーリストと戦略①の共通性に気づかれるのではないでしょうか。

先ほど、人は自分の意志を押し通すために、戦略①と戦略②を使い分けていると説明しました。そして、どちらか一方の戦略に偏っている人もいると述べました。

実は、虐待されて育った人、子どもの頃にいじめ に遭った人、継続的な性被害に遭った人などは、戦略①に偏りやすいことが知られています。特に顕著なのは、アルコホーリクの親に育てられた人たち(アダルトチルドレン・オブ・アルコホーリク)だと言われます。

ACoAのテキストには、ACは people-pleaser(人を喜ばせる者)であるという記述が繰り返し登場します。18) それは当たり前だとACの人たちは言います。例えば、親がアルコホーリクである場合、家の中で幼い自分の安心・安全が確保されるのは、親が機嫌良く酒を飲んでいるときだけなのです。だから、相手の機嫌を取ることで、自分の生存に必要なものを相手から引き出すという策略が幼い頃から身についてしまうのです。そして「三つ子の魂百まで」のことわざではないですが、身に染みついた戦略①は大人になっても消えてなくなりはしないのです。だから自己主張も苦手だし、戦略②もあまり使わないのです。

戦略①を多用するほうが、一見して高潔で性格上の欠点が少ないように見えますが、その本質は戦略②を多用する人と同じく自己中心的なのです。

このようにして、「ショー全体を取り仕切りたがる役者」と「ランドリーリスト」の共通性とは、何らかの戦略を用いて相手をコントロール・操作し、自分の意志を押し通そうとすることです。もちろん、すべての人がそうやって自分の欲求を満たして生きているわけですが、アルコホーリクや共依存症者(AC)は、その極端な実例だというのです。

使われている言葉の違いによって、この共通性に目が行かない人もいます。確かに、ACのテキストには自己中心性という言葉は登場しません。だがそれは、同じ概念を違う言葉を使って表わしているだけのことです。様々な12ステップグループのテキストを読み比べてみれば、同じ概念を説明するために、団体によっては別の用語が採用されていることに気づきます。それは、その対象とする人たちにとって最も受け入れやすい用語が選ばれるからです。

視座と視点により見え方は異なる
視座と視点により見え方は異なる

12ステップの大部分はオックスフォード・グループのプログラムを受け継いだものです。ビル・Wはビッグブックを書くに当たって、オックスフォード・グループで使われていた「罪」という用語を「欠点」に変えました。同じく「償い」は「埋め合わせ」に変えました。そのように変えた理由は、彼自身がアルコホーリクであり、アルコホーリクが罪や償いという言葉を嫌うのをよく知っていたからです。もし、僕が最初に参加したAAミーティングで、罪や償いという言葉が乱れ飛んでいたとしたら、僕は二度とAAには近寄らなかったでしょう。

同じように、もしランドリーリストが「自己中心性のリスト」という名前で、中身のそのタイトルに沿ったものだったとしたら、ACの人たちがこのリストから感じる共感はだいぶ損なわれていたことでしょう。people-pleasing は被害体験によって受けたトラウマの現れであると言ってもらった方が受け入れやすい人たちがたくさんいるわけで、ならばそういう表現を使う利点があるのです。

使われている用語や表現の違いに囚われずに、その本質を理解しようと努めれば、12ステップという同じ構造を持ったプログラムが、団体や問題の垣根を越えて採用され、効果を発揮していることへの洞察が深まるはずです。罪という言葉とトラウマという言葉の間には相当な隔たりがありますが、実は同じ事象を別の視点から見て表現しているに過ぎない、ということに気づいていただければ幸いです。

トラウマ(心的外傷)と性格上の欠点(あるいは道徳上の罪)を同一視することに違和感を覚える人もいらっしゃるでしょう。それはおそらく精神医学や心理学で学んだトラウマやPTSDについての知識が理解を妨げているのです。このスタディを学んでこられた方は、AAが使っているアルコホリズムの概念と医学の依存症の概念が同一でないことを憶えてらっしゃるでしょう。私たちはステップ1で示される大枠の基準を参考に、自分がアルコホーリクであるかどうかを自分で決定するのです。つまり医者の診断とは関係ないのです。同じように、アダルトチャイルド(AC)とはどのようなものかという説明を元に、自分がACであるかどうかを自己決定するのです。つまり、アルコホーリク(アディクト)やACというのは、自ら選び取ったアイデンティティ なのです。

ACグループの文化の中ではトラウマという用語が使われますが、それも医学や心理学の基準に従っているわけではありません。自分でこれがトラウマだと思えばトラウマということにして良いのです。当然それは精神医学の(例えばPTSDの)基準を必ずしも満たしません。19) 基準を満たさないからといってそこに苦しみが存在しないわけではありません。解決が望ましい問題があるのに、医学や心理学はそれを解決できないか、あるいはそもそも相手にもしていません。専門家たちが頼りにならない状況下で、当事者が自分たちで霊的な手段を使って解決を求めているのが12ステップグループなのです――すでに存在する専門的治療に対する代替や補完として12ステップグループが存在するわけではありません。

12ステップに関心を持ってくださる心理カウンセラーやソーシャルワーカーの方も多いのですが、そういう人のほうが12ステップや12ステップグループを理解するのに苦労する場合が多いのです。ご自分の専門についての知識が身についているがゆえに、しばしばその知識が12ステップへの理解を妨げてしまうのです。

さて、「ショー全体を取り仕切りたがる役者」の話はまだ続きますが、長くなったので、あとは次回に。

今回のまとめ
  • 人は皆「ショー全体を取り仕切りたがる役者」のようである。
  • つまり人は誰でも自己中心的なのである。
  • 周りの人を自分の思い通りに動かすために、二つの戦略を使い分ける。
    • 戦略①:親切・思慮・忍耐・寛大・節度・献身
    • 戦略②:意地悪・利己主義的・わがまま・不正直

  1. 最初に12ステップを日本語に訳したのは、おそらく日本禁酒同盟の山室武甫 (1902-1982)ではないかと思われる。 []
  2. BB, pp.87-88 []
  3. AA, Alcoholics Anonymous: The Story of How Many Thousands of Men and Women Have Recovered from Alcoholism, AAWS, 2001, p.66 []
  4. BB, p.88 [] [] [] [] []
  5. AA, pp.66-67 []
  6. AA, p.67 [] []
  7. alcoholic is an extreme example of self-will run riot を「頑固な自我による極端な暴走」と訳している。 []
  8. 小西真理子『共依存の倫理―必要とされることを渇望する人びと―』, 晃洋書房, 2017, p.32 []
  9. ACoAの創始者トニー・Aは、ACの概念を発展させるにあたって家族システム論の影響を受けたことを認めている — Tony A. et al., The Laundry List: The ACoA Expereince, HCI, 1990, Chapter 2 []
  10. ACoAの表記では「パラアルコホーリック」。 []
  11. ACA(ACoAジャパン訳)『アダルトチルドレン・オブ・アルコホーリックス/ディスファンクショナル・ファミリーズ アルコール依存症家族/機能不全家族で育った子どもたち』, ACoA WSO, 2022, p.88 []
  12. 別のAC共同体で使われているテキストにも同様の記述が見られる — e.g. フレンズ・イン・リカバリー(ACの会訳)『ACのための12のステップ』, ACの会, 1998, pp.12, 21 []
  13. Tony A., op. cit. []
  14. Cf. 嗜癖と依存, 依存症の診断基準 []
  15. アン・W・シェフ(齋藤学監訳)『嗜癖する社会』, 誠信書房, 1993 []
  16. おそらくはそれが、ACのグループが共依存という用語を使わなくなった理由だと考えられる。 []
  17. 臨床心理学用語事典, 家族システム論 (family systems theory) — 『臨床心理学用語事典』 (rinnsyou.com)  []
  18. ACoAのテキスト(前掲)の前半部だけでも同意の表現が40回ほど登場する。 []
  19. ACoAのテキストは、専門的治療を否定するものではなく、必要であればそれを受けることを推奨している。またACoA概念に理解と経験のある心理カウンセラーによるカウンセリングが役に立つとしつつ、カウンセリングはACoAで受け取るスポンサーシップの代わりにはならないし、多くのACoAメンバーはそのようなカウンセリング無しで回復しているとしている — ACA, 第16章 []

2022-10-19ビッグブックのスタディ,日々雑記

Posted by ragi