12ステップのスタディ (11) SAAの始まり
前回のSLAAに続いて、今回もSAAという日本ではあまりお馴染みではない共同体の話になります。
SAA ― より厳重なアノニミティを必要として
特に明記してあるものを除き、以下は Sex Addicts Anonymous1)に拠っています。
セックス・アディクツ・アノニマス(Sex Addicts Anonymous, SAA)はミネアポリス で1977年に始まりました。創始者の名前は明らかにされていません。
SAAの基本テキスト Sex Addicts Anonymous もご多分に漏れずに後半はメンバーの回復のストーリーを収録しています。その先頭の “HE DID NOT WANT TO BE ALONE”(彼は一人になりたくなかった)が創始の中心メンバーのストーリーですが、そこでも名前は伏せられています。男性ですので、ここでは「彼」と呼ぶことにしましょう。
彼の父親はアルコホーリクであり、父親が母親や他の人たちを殴るのを見て育ちました。しかし父親は彼が8才の時にAAに通って酒をやめ、暴力もとまりました。しかし彼は父親の怒りが水面下に隠れただけなのを見て取りました。さらに彼が中学2年生の時には父親がカトリック に改宗しました。それはもともとカトリックだった母親にとっては大きな喜びでしたが、彼にとっては毎週末教会に通わねばならないことを意味しました。教会からの帰りに父親は自制することの大切さを息子に説きました。それを彼はマスターベーション を控えることだと受け取りました。しかし、ティーンエイジャーの男の子にとってそれは不可能なことであり、彼は自分はきっと神に罰せられると恐れました。
彼はカトリックの高校へと進学し、学業で優秀な結果を残しますが、そこで三人の神父から別々に性的な虐待を受けました。そのことはもちろん彼の心に傷を与えましたが、同時に彼は神のしもべたちの不完全性を知り、罪深いのは自分だけではないと分って安心したのでした。
その後、カトリック系のリベラルアーツ の大学に進み、そこで女性との恋愛やセックスを経験しました。さらにアイビーリーグ の大学の大学院に合格し、結婚もしました。彼の目標は歴史学の教授になることでしたが、大学院での競争は激しく、中部の小さな大学出身の彼は、東部の有名大学出身の学生たち相手に常に自分の優位性を証明しなければなりませんでした。そのプレッシャーのなかで彼の生活は崩れ始めました。
夜遅い授業が終わり、自分の自動車のシートに座っていた彼は、寮へ帰る女子学生たちが車の外を通り過ぎる時に、自分がマスターベーションをしているのに気がつきました。その行為は、車を運転しながらのマスターベーションや、その姿を通りがかりの女性に見せつける行為へと発展しました。
彼がその行為から得た快感と興奮はすさまじく、通常のセックスやオナニーとは比べものになりませんでした。それはまさに薬物嗜癖者たちが言うところのラッシュ(rush, 恍惚感)でした。間もなく彼は夜だけでなく、昼間もそれを行うようになりました。
やがて彼の行為は生活を侵食するようになりました。車に乗ったときに条件が整うと、彼はトランス状態に陥り、何時間も露出行為(exhibiting)に費やしてしまうので、他のことが成し遂げられなくなってしまうのです。ある時の彼は、夕食前に妻から牛乳を買ってきてくれと頼まれ、買いに出たまま3時間半も露出に費やしてしまい、しかも手ぶらで帰ってきたので、どこで何をしていたのか作り話をしなければなりませんでした。1968年には警察からの出頭命令を受け、精神科医による精神分析 を受けたものの効果はありませんでした(その後も違った治療を受けましたが、効果がないという描写が続きます)。
彼は大きなオートマチック車を小さなマニュアル車に買い換えることでなんとか「路上活動」を控えることに成功し、勉強に打ち込むことができました。しかし、1970年春の卒業試験の口頭試問で落ちてしまい、再試験を受けることすらできませんでした。彼はそれを自分の性的行為が神の裁きを受けたと感じました。
1970年春は、ベトナム戦争 が泥沼化するなかでニクソン政権がカンボジアへの侵攻を決断したときでした(カンボジア作戦 )。アメリカのほとんどすべての大学で反戦運動の暴動が起こり、4人の学生が州兵に殺される事件がありました(ケント州立大学銃撃事件 )。彼の試験で起きたことはそれとは全く無関係だったにもかかわらず、体制の抑圧の象徴的行為と見なされ、学生たちが抗議の座りこみ活動を始めました。それによって彼は意図せず反体制のシンボルに祭り上げられてしまいました。そのような(反体制的な)学生を受け入れようという大学はなく、彼の歴史学のキャリアはそこで断たれてしまいました。失意の彼は路上活動を再開させました。
産業カウンセラーに相談すると、心理カウンセラーの道に進むことを勧められました。それはもう一度大学に戻ることを意味し、受け入れてくれる大学院を探すのには苦労しましたが、なんとか心理カウンセラーの博士号を得て、薬物嗜癖の外来プログラムのディレクターとして働き出しました。
彼自身の性の問題はかなり改善してはいたものの、依然としてそれは大きな不安をもたらしていました。ある日、仕事を終えて自分の勤める治療センターを出ようとしていた彼は、12ステップミーティングから出てくる自分の患者たちを見ました。彼らは笑い、ハグをしあっていました。「自分は彼らのセラピストだが、彼らの方がうまくやっているように見える」と彼は思いました。彼らがお互いに示す愛と気遣いに羨望を感じた彼は、セックス・アディクトのためのグループを始めることを心に決めました。
すると大学院時代の同級生から電話がありました。その同級生も心理セラピストとして働いていましたが、性行動の問題を抱えていました。他にも性行動の問題を抱えたセラピストが一人加わり、ボートハウス(船小屋)でミーティングを始めました。ボートハウスを選んだのは、そこが彼らの知るなかで最も世間から隔絶した場所だったからです。ミネソタ州 は「一万の湖がある州(Land of 10,000 Lakes)」という愛称があるように非常に湖が多い土地で、そうした湖のほとりにある人目に付かない建物をミーティングの場所に選んだというわけです。4人目のメンバーもセラピストで、人数はどんどん増えていきました。
彼はこれをAAの12ステップを基盤にしたグループにすることを望んでいたのですが、参加者は誰も12ステップグループのミーティングに出たことがありませんでした。幸い知り合いに回復したアルコホーリクの神父がいたので、ミーティングの部屋の提供と、やり方を教えてくれるように頼み、どちらも引受けてもらえました。こうして1977年の夏の早い時期に12ステップグループとしての体裁を整えたグループが教会の聖歌隊室で始まり、秋には木曜日に定期的にミーティングが開かれるようになりました。
SAAの発展
SAAは最初の10人のメンバーのうち9人が精神保健の分野で働く心理セラピストで、もう一人は裁判官でした。彼らはクライアントに何らかの治療グループを紹介するのは慣れていましたが、自分のクライアントをこのグループに参加させるのは難しいと皆が思いました。そこで、水曜日に同じ部屋で別のグループを作ることにしました。どちらのグループも急速に成長し、グループは苦しみながらも分裂して増えてきました。
興味深いのは、彼らがインターグループ(複数のグループ間で協力してサービス活動をする集まり)を組織した時、マーブ(Marv)という名のコーディネーターを雇ったことです。マーブが何者なのかは曖昧にされていますが、素晴らしいコーディネート能力を持ち、ミネアポリス・セントポール地域に50のグループができるまでSAAを育ててくれました。(後述のエピソードからマーブは12ステップグループ(おそらくAA)のメンバーだと思われる)。
その後、創始者はセックス・アディクションについてのワークショップを始めましたが、参加者のなかに自分にもSAAが必要だが自分の地域にはミーティングがないと言う人がいると、ワークショップが終わった後で、どうやってミーティングを作るかをその人に教え、コーディネーターの電話番号を教えました。こうしてSAAは専業のコーディネーターの支援によって効率よく全国に広がっていきました。このあたりの手法はプロならではという気もします。
創始者の彼は心理カウンセラーの博士過程のときに、最初の妻と離婚し、二人の子供を抱えたシングルファーザーになっていました。その後に教え子と再婚したのですが、二度目の結婚もやがて破局しました。それは彼がSAAを始めてから8年後のことで、間の悪いことに30年ソブラエティを続けてきた父親がまた酒を飲み始めていました。そのストレスは耐え難いほどのもので、それまでも時々やってきた鬱が、常に彼につきまとって離れなくなりました。彼は助けを求めてマーブに電話し、初めて棚卸しを行いました。マーブは彼をスポンシーの一人として受け入れてくれ、彼はようやく実際のスポンサーシップを経験したのでした。彼はトレーニングを積んだセラピストとして、またこの共同体の初期メンバーとして、自分が問題を抱える存在であってはならないと思い詰めていたのですが、マーブは、決してそうではないことと、このプログラムはともに歩む相手が必要なのだということを教えてくれました。(その後、彼はさらに3回徹底的な棚卸しをしたとあります)。
SAAは始まって6年後の1983年にはメンバー数が1,000人に達し、GAやOAと同じようにメディアを効果的に使うことで急速に成長していきました。2005年には12のステップ・12の伝統などのプログラムの説明とメンバーの回復のストーリーを集めた基本テキスト Sex Addicts Anonymous を出版しました。SAAの特徴の一つは、文献がすべてオンラインで公開されウェブ上で読めることです。
- We admitted we were powerless over addictive sexual behavior—that our lives had become unmanageable.
- Came to believe that a Power greater than ourselves could restore us to sanity.
- Made a decision to turn our will and our lives over to the care of God as we understood God.
- Made a searching and fearless moral inventory of ourselves.
- Admitted to God, to ourselves, and to another human being the exact nature of our wrongs.
- Were entirely ready to have God remove all these defects of character.
- Humbly asked God to remove our shortcomings.
- Made a list of all persons we had harmed and became willing to make amends to them all.
- Made direct amends to such people wherever possible, except when to do so would injure them or others.
- Continued to take personal inventory and when we were wrong promptly admitted it.
- Sought through prayer and meditation to improve our conscious contact with God as we understood God, praying only for knowledge of God’s will for us and the power to carry that out.
- Having had a spiritual awakening as the result of these steps, we tried to carry this message to other sex addicts and to practice these principles in our lives.2)
- 私たちは嗜癖的な性行動に対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。
- 自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった。
- 私たちの意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした。
- 恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行ない、それを表に作った。
- 神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認めた。
- こうした性格上の欠点全部を、神に取り除いてもらう準備がすべて整った。
- 私たちの短所を取り除いて下さいと、謙虚に神に求めた。
- 私たちが傷つけたすべての人の表を作り、その人たち全員に進んで埋め合わせをしようとする気持ちになった。
- その人たちやほかの人を傷つけない限り、機会あるたびに、その人たちに直接埋め合わせをした。
- 自分自身の棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認めた。
- 祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。
- これらのステップを経た結果、私たちは霊的に目覚め、このメッセージをセックス・アディクトに伝え、そして私たちのすべてのことにこの原理を実行しようと努力した。(拙訳)
アノニミティの厳重さ
SAAがアノニミティ(無名性)の厳重さにこだわっているのには、おそらく二つの理由があると思われます。一つは、初期メンバーの多くが心理セラピストであり、抱えている問題が社会に知れると職業上のダメージが心配されたことです。回復のストーリーをざっと見渡せば、その後もこの共同体がその種の職業の人たちを惹きつけ続けていることがわかります。もう一つは、たまたま創始者の抱えていた性行動が(合意にもとづいた男女のセックスなどではなく)場合によっては犯罪を構成しうる行為だったことです。そのためかSAAは犯罪行為となる性行動も明示的に対象に含めており、受刑中の人たちに対するアプローチも行っています。3) 回復のストーリーのなかにも強姦や覗きの経験が語られています。当然そうした人たちは、より高い秘匿性を求めるでしょう。(ただし、そうした人たちだけが対象なのではなく、一般的な男女の性愛の事案も含まれているは言うまでもありません)。
SAAの疾病概念
SAAは自分たちを性嗜癖者(sex addict)と見なしています。性嗜癖(sex addiction)は精神・身体・スピリットに影響を及ぼす三重の病気であり、抗うことができない強い欲求である compulsion と、性行動や性的なファンタジーに精神を占領されてしまう obsession の二つを経験するとしています。
また、性嗜癖も進行性の病気であり、次第に生活への影響が大きくなっていくため、性嗜癖者は自分の性行動をコントロールしようとしますが失敗します。
また、離脱(習慣的な性行動をやめること)を行うと、怒りや不安などの激しい感情の変動や身体的な不快感といった離脱症状が生じ、しばしばその苦痛を避けるために再発が起きてしまうのも他の嗜癖と同様です。
三つの円:SAAにおける性的ソブラエティ
SAAは、OAやSLAAと同様に「プラン」タイプの回復基準を使っています(第9回・第10回)。つまりある種の性行動を行動化(acting out)するとそれがトリガーとなって性行動のコントロールが失われるという考えです。SAAに特徴的なのは、それを三つの円(Three Circles)として定義したことです。4) 5)
内側の円(Inner Circle)には、スポンサーと相談しながら、中毒性があり、有害で、受け入れられない性行動をリストアップします。そこに挙げた行動は性嗜癖者にとってはコントロールの喪失をもたらす麻薬(のようなもの)であり、性的ソーバー(sexually sober)であるためにはそれらの行動を完全にやめる必要があります。そしてその継続に対してSAAはメダルやチップやキータグを提供します。内側の円に挙げるものの例として、見知らぬ人とのセックス、覗き、ポルノを使ったマスターベーション、売買春、サドマゾ行為、相手を操作するためのセックス、テレフォンセックス、女装してのオナニー、露出行為、子供への性虐待、近親相姦が挙げられています。
逆に外側の円(Outer Circle)には、何ら強迫性・中毒性を持たない健康的な行動を挙げ、それらはむしろ生活や回復を充実させてくれるものだとしています。必ずしも性的なことに限らず、12ステップに取り組むこと、ダンスやスポーツを楽しむこと、清潔や衣服に関心を持つこと、性的ではない友情を育むことなどが挙げられています。また性的なことでは、パートナーとの愛情あるセックス、マスターベーション、デートすることなどが挙げられています。
そして、中間の円(Middle Circle)は、それそのものはスリップと見なされる内側の円の行動ではないものの、放置すれば内側の円の行動へと結びつくもの、あるいはそうなるかどうか不確かな行動を含めます。これを境界行動(boundary behavior)と呼びます。例えば盗撮ができる場所や娼婦を求めてうろついたり、誘惑的な行動を取ったり、昔の相手に連絡を取ったりすることです。それそのものはスリップとは見なされないものの、ソブラエティが危機にさらされていることを意識して、プログラムへの取り組みを強化するべきであり、ほうっておけば遠からず内側の円の行動が復活すると警告されています。
こうした基準は一律のものではなくメンバー各自がスポンサーのガイドのもとで各自が作り上げ、更新していくものです。
強迫的性回避(アノレキシア)
前回のSLAA同様にSAAにも性的アノレキシアの概念があります。SAAではそれを強迫的性回避(compulsive sexual avoidance)と呼んでいます。そして、ウェブでも性回避のために一連のページを用意しています。6)
基本テキストにこのような説明があります:
Some of us have found ourselves ‘shut down’ sexually in recovery, afraid of sex because of its association in our minds with our addiction or with past trauma, or because of a fear of intimacy and vulnerability. Trying to control our sexuality in this way is just another symptom of our disease.7)
私たちの中には、自分のアディクションや過去のトラウマとの関連から、あるいは親密さや自分が傷つくことを恐れて、回復期に自分を性的に「シャットダウン(活動停止)」してしまう人もいる。そのようなやり方で自分のセクシュアリティをコントロールしようとすることも、私たちの病気の症状の一つなのである。(拙訳)
そのような性回避に陥った人は、逆に親密さを求めていかなければならないので、SAAでは性回避(性的アノレキシア)の人のために「親密さに焦点を当てた(intimacy-focused)」ミーティングやステップという取り組みをしています。(SLAAに関してと同じ理由でこの連載では性的アノレキシアのためのステップは扱いません)
創始者のストーリーも、回復の初期には誰とも付き合わず、関わらないことにして、子育てとプログラムワークに集中していたのですが、やがて仲間に見守られながら一人の女性と付き合いだし、結婚しました。彼は、「新たに獲得した自己充足感を危険にさらして、一人の女性の前に無防備にならなければならない」と結んでいます。
SAAの現在
これまで見てきたように、SAAは犯罪を構成する性行動を明確に対象に含めていることや、社会的な立場のある人たちのために、アノニミティを極めて重んじていることを特色としています。
SAAでは Google Maps Platform を使った洗練されたミーティングリストを提供していますが、それをみると Men・Women・Mixed という大分類があり、SLAA同様に男性だけ・女性だけのミーティングの需要に応えていることがわかります。(田舎に行くとMxiedのミーティングにならざるを得ないのもSLAA同様)。また性関係の共同体としては珍しく、SAAはオープンミーティングを行っています。
SAAは英語圏を中心に世界に広がりましたが、日本では残念ながら活動がありません(沖縄で英語グループが活動していますが、これはおそらく米軍の人でしょう)。お隣韓国には英語・韓国語のグループが一つずつあるようです。日本でも強く必要とされているグループでしょうから、将来に期待したいところです。
次回はセックスアホーリクス・アノニマス(SA)についてです。
- SAA, SAA, ISO of SAA, 2005.[↩]
- SAA, ch. 3. — ステップ1は our addictive sex behavior、ステップ12は sex addicts。またステップ3と11の as we understood Him はイタリック体にはなっていない。[↩]
- SAA, Our Diversity (saa-recovery.org), ISO of SAA.[↩]
- SAA, Three Circles: Defining Sexual Sobriety in SAA (saa-recovery.org), ISO of SAA, 2022.[↩]
- SAA, Sobriety (saa-recovery.org), ISO of SAA.[↩]
- SAA, Intimacy and Sexual Avoidance (saa-recovery.org), ISO of SAA.[↩]
- SAA, ch. 4.[↩]
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