ビッグブックのスタディ (14) 医師の意見 5
アレルギーふたたび
p.xxxv (35)では、アレルギーというキーワードが再び登場します。前々回の説明では、アレルギーとは、
でした。では、どんな反応が起こるのでしょうか? 「医師の意見」では、それをcravingという言葉を使って説明しています。この言葉をどんな日本語に訳しているのでしょうか。
ビッグブックの使いにくさ
実はビッグブックの現在の翻訳は「訳語の揺らぎ」が激しいという欠点があり、それが読者を混乱させています。
cravingという言葉が、p.xxxv (35)の1行目では「どうしても飲まずにはいられない肉体的欲求」と訳されています。3行目から4行目にかけては「アルコールを渇望する」と訳されています。この訳文だけ読んで、欲求と渇望が同一だと気づくのは難しいでしょう。さらに、desireという別のものを指す言葉も「欲求」と訳されていることも、読者を混乱させます。
他にもbodyという言葉が肉体と訳されたり、身体と訳されたりしています。(なので「肉体と身体はどう違うのですか?」という質問が頻出します――当然のことながら同じ意味です)。
なぜ訳語の揺らぎが起きたのでしょうか? ビッグブックの翻訳改訂には複数の訳者・編集者が関わったことが分かっています。複数の人が関わるときには、単語の一覧表を作って訳語を統一するのですが、当時はそれが行われていなかったのでしょう。
もう一つの理由として考えられるのは、難しい言葉を減らそうとしたことです。ビッグブックの以前の翻訳は「難解で分かりづらい」と言われ、AAメンバーから敬遠されていました。翻訳を新しくするときに平易な文章で書き換えて読みやすくすることを優先させたために、訳語の揺らぎが起きてしまい、かえって分かりづらくなってしまった、という事情ではないかと思います。(参考「ビッグブック翻訳改定に至るまで」)。
ビッグブックは教科書1)ですから、読みやすさより意味が正確に伝わることを優先して訳すべきでした。
アレルギーの症状としての渇望
ビッグブックの他のところでは craving は渇望と訳されていることが多いので、ここでは渇望で統一します。これは重要なキーワードです。
アレルギーの症状の話に戻して、様々なアレルギーとその症状を表にしてみました:
アレルギーの 種類 |
花粉症 | 食物 アレルギー |
アルコホリズム |
---|---|---|---|
原因物質 | 花粉 | 小麦(例) | アルコール |
症状 | 鼻水 |
アナフィラキシー |
渇望 |
鼻水にしてもアナフィラキシー にしても、本人の意志とは無関係に起きてくる身体的反応です。これらを意志の力で押さえ込むことは出来ません。同じように、アルコールへの渇望も身体的反応であり、意志の力で押さえ込むことは難しいのです。
正常な反応 vs. 異常な反応
p.xxv (35)の3行目から:
アルコールがアルコホーリクの身体に引き起こすのは、アレルギーの一種であること、アルコールを渇望する現象はかぎられた人にしか起こらず、ふつうのアルコール好きには見られないことを、数年前に私たちは指摘した。2)
第11回で異常というキーワードを取り上げました。私たちアルコホーリクの身体がアルコールに対して異常な反応をするというのなら、普通の人たちの正常な反応はどんなものでしょうか。
普通の人たちは酒を一杯か二杯しか飲みません。「もっと飲んだらいかがですか?」と勧めてみても、「もう十分飲んだよ。これ以上飲むと悪酔いするから要らない」と断られます。悪酔いとは頭痛や吐き気や目まいがすることです。
ノン・アルコホーリクはまったく酒を我慢していません。彼らは一杯か二杯の酒に十分満足し、それ以上要らないから飲み過ぎないだけです。二杯目で終わりにするのに意識的な努力は必要ありません。私たちアルコホーリクが(酒のかわりに)ウーロン茶を飲んでいるときに、三杯目のウーロン茶を飲もうと思わないのと同じです。ウーロン茶はせいぜい二杯飲めば十分で、さすがに三杯目は要らないからです。それが正常な反応です。
しかしアルコホーリクが酒を飲んだときには、違った反応が起きます。「もっと飲みたい」という強い欲求が身体の中から湧き上がってきます。それが渇望(craving)と呼ばれるアレルギー反応です。この欲求はとても強いので、意志の力で抗うのはとても難しいのです。たとえアルコホーリクが「今日は二杯だけにしておこう」と思って飲み始めても、アルコールが身体に入ると渇望が生じ、それに突き動かされて三杯目、四杯目・・・と過剰に飲んでしまいます。三杯目、四杯目は飲みたくて飲むのではなく、むしろ渇望によって飲むことを強制されていると言えるでしょう。
僕は若い頃になんとか飲酒量を減らそうと、缶ビールを2本だけ買って帰るようにしたことがあります。350mlの缶ビール2本だけなら「飲みすぎ」にはなりませんし、家にそれ以上の酒がないから大丈夫だと考えたのです。しかし、そのビールを飲むと渇望が生じてきて、どうしてももっと飲みたくなってきました。それを我慢していたのですが、夜中にこらえきれなくなり、酒を買いに行くことにしました。酒の自動販売機は23時で販売停止になりますし、30年近く前の長野の田舎では深夜に酒を売っている店は近くにありませんでした。そこで、隣町の24時間酒を売っているコンビニまで徒歩で買いに行きました(飲酒運転は避けたかったので徒歩にしたのです)。コンビニまで8Kmあり、往復で4時間半ほどかかりました。帰りは歩きながら飲むので泥酔してしまい、朝になっても仕事に行けませんでした。外が氷点下の寒さだろうが、翌日仕事に行けなかろうが、次の酒を手に入れる方が大事になってしまうのが渇望の恐ろしいところです。こうして酒をコントロールしようという努力は、渇望によってもろくも潰え去ったのでした。
このことを知らないアルコホーリクは意外と多いように思います。普通の人は飲みたい酒を我慢しているのだと勘違いし、自分は我慢が出来ない意志の弱い人だと思っています。花粉症の人は鼻水が出るのは意志が弱いからだと自分を責めたりしないでしょうに、アルコホーリクはなんと自責的なんでしょう(笑)。
もう安全には飲めない
続きです:
このアレルギーを持つ人間は、どんなかたちでもアルコールを二度と安全には体に入れられない。2)
アルコホーリクになるということは、このアレルギー反応としての渇望が起こる体質になったということです。飲めば必ずコントロールを失い、飲み過ぎによるトラブルが起こるので、もう安全に酒を飲むことができなくなったわけです。
これは以前ネット上に存在した断酒掲示板の投稿の一つです。赤い字にしてある部分が、最初の一杯を飲んだ(つまりスリップした)場面です。青い字にしてある部分が渇望に突き動かされて過剰に飲酒している場面です。この文章からはとても強い渇望が起きていることが読み取れます。
人によっては、再飲酒のあとしばらくは渇望が起きず、飲酒がコントロールできる状態が続く場合もあります。酔った声で電話をかけてきて「ひいらぎ、俺やっぱりアル中じゃなかったよ。酒がコントロールできるよ」と喜びの報告をしてくれた人もいます。それに対して僕は「良かったね」と言うしかありません。もしその人がアルコホーリクなら、やがて渇望が起きるようになり、飲酒のコントロールが破綻するからです。(おそらくは病院経由で)AAに戻ってくるでしょう。
二度と安全に飲めないことを納得すれば、アルコホーリクは酒を飲み続けるための努力を、酒をやめる方向へと転換することができます。これがアレルギーという概念の持つ有用性なのです。
スリップはアレルギーでは説明できない
さて、察しの良い方はお気づきだと思いますが、このアレルギー反応は、物質(アルコール)が身体の中に入った後で起こるものです。ですから、アルコホーリクがアルコールを渇望するためには、まず一杯飲まねばなりません。渇望が起きてくるのはその後です。・・・となると、最初の一杯を飲むこと――スリップが起こる原因は、アレルギーでは説明できません。
これまで説明してきたのは、私たちアルコホーリクの抱える問題の半分だけ、身体の問題だけです。第11回で取り上げたように、私たちアルコホーリクは、身体が普通の人と違うだけでなく、精神にも問題があります。それについては、次のp.xxxvi (36)に書かれています。では次回。
- 渇望という重要なキーワードが登場。
- アルコールに対するアレルギーの症状として渇望が起こる。
- 渇望はアルコホーリクにもっと飲むことを強制する。
- アルコールへの渇望は、アルコホーリクにしか起きない。
- アルコホーリクは、もう安全に酒を飲むことはできない。
- 再飲酒(スリップ)が起こる原因は、アレルギーでは説明できない。
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