ビッグブックのスタディ (53) 解決はある 6

原因ではなく解決に関心を向ける

これまで私たちは、アルコホーリクには身体のアレルギー精神の強迫観念があることを学んできました。アルコホーリクにとって、自分がこの二つを持っていることは事実ファクトであり、現実リアルです。いくら否認してみても、それらが消えて無くなることはありません。だから、その冷酷な現実を認めることがステップ1になります。

しかし、認めることができたとしても、まだ引っかかることが残るでしょう。それは、「なぜ」とか「どのように」という疑問です。それについてのAAの立場はビッグブックのp.34に述べられています:

 なぜこうした行動をとるのか。一杯飲んだら必ず総くずれが始まり、大変な苦しさと恥ずかしさとに苦しむことを本人は百も承知なのに、なぜ最初のその一杯に手を出してしまうのか。なぜ飲まずにはいられないのだろう。他のことについて示すことができている常識と意志の力は、いったいどうなってしまったというのか。1)

これは精神の強迫観念によって、最初の一杯を飲むことについての疑問です。酒を飲めば、その結果がどうなるのか分かっているはずなのに、なぜ飲んでしまうのか。酒以外のことにはきちんと働く意思の力や常識は、なぜスリップの瞬間には吹っ飛んでしまうのか。ビッグブックや他のAAのテキストは、それが精神の強迫観念によるものだと説明してくれます。しかし、強迫観念の機序メカニズムについては説明がありません。

 こうした疑問に対する完全な答えは、ないかもしれない。アルコホーリクがなぜふつうの人と違った反応を示すかについては、意見はずいぶん分かれている。ある一定のところに達したら最後、何の手だてもなくなってしまうのがなぜなのかもわからない。私たちはこのなぞに答えられない1)

また、身体のアレルギーについても、それが体質的なものという説明しかありません。ビッグブックは「私たちは素人であり、科学的なことを議論する立場ではないから」(p.xxxiii (33))という理由で、それ以上のことには答えてくれないのです。

ウィリアム・L・ホワイト(William L. White, 1947-)は、その著書『米国アディクション列伝』のなかで、「AAが何よりも重要視したのは、原因ではなく、解決だった2)と述べています。そして、AAのアディクション哲学について、こう述べています:

 AAの出版物に著されたアルコール症の原因論は、回復を促しそれを強化する真実を比喩的に探ることに由来しており、科学的事実を探ろうとしているものではない。科学的事実によりどのようなレッテルが貼られようとも、AAメンバーたちが、「アレルギー」、「病気(illness)」、「病い(sickness)」、「疾病(disease)」といった表現を使っているのは、それがメンバーたちの経験からみると(そして評価を引き上げるためにも)、比喩的(metaphorically)な真実だからである。3)

ホワイトによると、AA誕生以前の50年間にアルコホリズムについて書かれた書籍は、この病気の原因についての仮説を延々と述べていたものの、ではどうやって治療したらよいかについては、ほとんど何も触れていませんでした。それに対してAAは、「なぜアルコホーリクになったのか?」という疑問には時間を費やさず、もっぱら解決に焦点を当てました

AAは、アレルギーや病気といった用語の科学的正確性には関心を持っていません。それはAAが科学的方法で原因を見つけて解決するというアプローチではないからですし、なによりもそれらの用語が当事者にとって「実にしっくりくる」(p.xxxiii (33))隠喩的メタフォリカルな真実として、回復の役に立っているからです。これもAAのプログマティズムの一面です。

21世紀になって脳科学が進歩し、アレルギーや強迫観念は私たちの脳の中で起きている現象だという説が優勢になってきました。何種類かの神経伝達物質 と、シナプス における受容体 の不可逆的な変化が関係しているのもほぼ確実でしょう。それについて解説してくれる専門書も一般書も増えています。しかし、そうした本には、たいてい、対象が人間の脳であるだけに実験には限界があり、分かっていることはほんのわずかに過ぎない、という注意書きがあります。科学は様々な謎を解きつつあるものの、私たちの「なぜ」とか「どのように」という疑問に答えられるようになるのは、相当先のことでしょう。

ですから、原因論の迷宮に踏み込まず、解決に目を向けたAAのアプローチは正解だったと言えます。

僕はこれを「雨漏り」を例に使って説明しています。雨漏りがする家では快適に暮らせません。雨が降るたびにトラブルが起きます。これを解決するために、屋根に空いた穴を見つけ、それを修理します。これがAAの解決指向です。なぜ穴が開いたのかという原因には関心を向けません。それは経年劣化かもしれませんし、工務店の施工不良かもしれません。誰かが石を投げたからかもしれませんし、隕石が落ちてきたからかも知れません。分からない原因よりも、解決に目を向け、穴を直し、雨水でダメになってしまった家具や家電製品や服を、きれいにしたり新しいのに取り替えたりして、快適に暮らしていこう、というのがAAの方法論なのです。

なぜ私が?

それでも、多くの人が回復の初期に原因論に関心を持ってしまうのはなぜでしょうか?

それはおそらく「なぜ私が?」という問いなのでしょう。日本では約7割の人々が年に1回は飲酒します。その飲酒人口の中のほんの一握りだけがアルコール依存症になります。その数字は分かるにしても、なぜ自分がその一握りの人数の中に入ってしまったのか? 酒さえ飲まなければアルコール依存症にはなり得ないのですが、酒を飲む人がたくさんいる中で、なぜ自分だけがアルコホーリクになったのか?

この疑問に対してAAは答えを与えてくれないため、AAメンバーはそれぞれが自分なりに納得できる説明を見つけていきます。遺伝的にアルコホーリクが多い家系だったからとか、アルコールへのアレルギー体質を持って生れたからとか、性格的な弱さがあったからとか、乗り越えられないショッキングな出来事が起きたから、などなどです。

ホワイトも前掲書でこのように述べています:

「なぜ私なのか?」という質閤に対するそれぞれの答は、以上のように、AAメンバーの話の中では遠まわしの表現でしか伝えられないし、新しくAAにつながった人が「なぜ私なのか?」と訊いても、そんなことはとうでもいいことで、答なんかないんだ、という返事が返ってくることが多い。4)

自分がアルコホーリクなのだという変えようのない現実を受け入れられるにつれて、この「なぜ私が?」という問いが発せられることが減り、原因論への関心も薄れていきます。回復が進むにつれて「あんな飲み方をしなければアル中にならずに、別の人生もあったはずなのに」という類の後悔も消えていきます。

アルコホーリクは、自分と酒の関係についてミーティングで語るでしょうし、ACの人は自分と親の関係について語るでしょう。しかしそれらは原因論や「なぜ私が?」という問いとは別のものです。ACにとっての「なぜ私が?」の問いとは、例えば「なぜ私があの親の子として生れなくてはならかったのか?」という問いであり、また「同じ親に育てられたなかで、なぜ私だけが?」という問いです5)。もちろん、これらの問いには答えは用意されていませんから、問い続けても時間を無駄にするだけです。回復が進むにつれて、「そうでなければ別の人生もあったはずなのに」という考えが浮かぶこともなくなっていくでしょう。

「なぜ私が?」という問いは、この問題を抱えていなければあったはずの幸せな人生への憧れから来るものです。しかし、過去に戻って別の人生を選びなおすことは、誰にもできません。いまの人生の先にあるであろう幸せを目指して進んでいくしかありません。あり得たはずの別の人生への憧れは、ステップ1を弱めてしまうことを、AAメンバーは良く理解しているのです。

ホワイトによれば、AAメンバーの体験談は「罪と贖罪、死と再生、絶望の後の希望と感謝といったテーマに溢れて」おり、それらを繰り返し語ることで、それが命を救う呪文に変わるのである、としています。3) ここでも、メッセージを運ぶことによって救われるのは、それを受け取る側よりも、伝える側であることがわかります。

今回のまとめ
  • AAは、「なぜアルコホーリクになったのか?」という疑問には時間を費やさず、もっぱら解決に焦点を当てている。
  • AAはアレルギーや病気などの概念の科学的正確性には関心を持っていない。
  • 「なぜ私が?」という疑問に対する答えはない。それを問うことが回復の役に立つわけでもない。

  1. BB, p.34 [] []
  2. ウィリアム・L・ホワイト(鈴木美保子他訳)『米国アディクション列伝 アメリカにおけるアディクション治療と回復の歴史』, ジャパンマック, 2007, p.153 []
  3. loc. cit. [] []
  4. ibid, p.149 []
  5. 同じ親に育てられても、きょうだいが一様にACになるわけではないことは、よく知られている。 []

Posted by ragi