ビッグブックのスタディ (80) 私たち不可知論者は 7

プラグマティズム

プラグマティズムについてはすでに一度記事を書いていますが「プラグマティズムと12ステップ」、もう一度取り上げます。

pragmatism
by Michalsuszycki, licenced from Dreamstime.com

プラグマティズム はアメリカ生まれの哲学の一つです。その最盛期は20世紀前半だったのでしょうが、その思想は現在のアメリカの文化に深く浸透しています。

19世紀後半のアメリカは、社会の分断と対立に悩まされていました。南北戦争 (1861-​1865)という大きな内戦の後も、南部と北部のあいだには政治的対立が続きました。また、チャールズ・ダーウィン (1809-1890)の発表した進化論 は、神がこの世界を創造したという聖書の教え創造論 を否定しました。これによって、科学的な価値観と宗教的信条の間にも対立が深まりました。

こうした対立を調停し、アメリカ社会を多様な価値観を持った人たちがお互いを尊重し共存できる社会にしていくためには、新しい考え方が必要でした。そこで生れてきたのが、プラグマティズムです。

プラグマティズムは、人間の持つ有限性を大前提にしています。人間の持つ能力は常に有限なので、人間は究極の真実は知り得ません。だからこそ、多様な信念や価値観がこの世の中に存在しているのです。そのどれもが正しく多元主義 、そのどれもが間違っている可能性があります可謬主義 (ただし、絶対的真理は存在しないとする相対主義 はとらない点に注意が必要)。

とはいうものの、現実には何が正しいのか(何が真理であるか)を判断しなければなりません。そこでプラグマティズムの提唱者の一人ウィリアム・ジェームズは、信念や知識を実践した結果として有用な結果がもたらされたのであれば、その信念や知識を真理として認めよう、という主張を行ないました。

ざっくり要約するならば、プラグマティズムとは、その人の人間生活に有用な結果をもたらす限りにおいて、事実とは異なる信念を持つ権利を万人に与える考え方です。哲学というのは、真理を追究するあまりしばしば人間生活とはかけ離れたところで議論を展開します。しかしプラグマティズムは哲学を問題を解決するための道具として人間社会に引き戻しました。

究極の真理は見つけようがない以上、聖書の記述と科学の発見が矛盾したときに、どちらが正しいのか延々議論をしたところで実生活の役には立ちません。だから、ただ信じるだけでなく、それを実生活で実践してみて、人間生活上の課題が解決されるなら、それを真理として認めようじゃないか、というわけです。それが聖書の内容と矛盾していようが、はたまた科学的には誤りであろうが、気にする必要はありません。(逆に、どんなに聖書の内容に沿っていようが、あるいは科学的に正しかろうが、人間生活に有用性をもたらさないのなら、それは真理とは呼べないというのがプラグマティズムの考えです)。

そして、実践を続けるうちに、その信念が間違いだったことが明らかになるかもしれません。その場合には、その信念を修正するか、あるいはまったく捨ててしまって別のものを探していく必要があります。そうやって常に改善を続けていく姿勢なしにプラグマティズムは機能しません

例えばライフステージが変わる、環境が変わる、人付き合いの範囲が変わるなど、さまざまな要因で、それまで真理として信じてきたことが通用しなくなる(有用な結果をもたらさなくなる)ことがあります。その場合に、いつまでもその真理でなくなった信念にしがみついていないで、それを捨てて別の道具を探す必要があります。つまり、プラグマティズムにおいては、役に立たなくなった信念を捨てる覚悟が求められているのです。

プラグマティズムを、「神の存在を信じることによって、アルコホーリクの酒が止まる」という主張に当てはめれば、ソブラエティという有用性によって、神の存在が真理となるわけです。経験的事実に基づいて判断するという点では実証主義 的ですし、効用を重視する点では功利主義 的でもあります。

第四章の二番目のパートを読むにあたって、このプラグマティズムを念頭に置いておくと、理解しやすくなります。大まかに言えば、不可知論者・無神論者であるというのは、神に頼るのではなく、自分の判断力(つまり自分の知性)に頼るしかないという信念を持っているということです。その人たちに対して、その信念はあなたの役に立ってますか? と問いかけているのです。役に立っているのなら、とやかく言えたことではないけれど、役に立ってないのじゃありませんか? 実際にあなたは酒がやめられてなかったり、人生の意味が分からずに生きることに虚しさを感じてるんじゃないですか? と問いかけているのです。

信じるべき理由をいくつか説明してくれる

では、ビッグブックのp.71から続けましょう。

 どうして自分より偉大な力を信じなければならないのかとまだ疑っているあなたのために、幾つかのことを書く。1)


The reader may still ask why he should believe in a Power greater than himself. We think there are good reasons. Let us have a look at some of them.2)

第四章をここまで呼んできても、なぜ信仰を持つ必要があるのか疑問に思っている不可知論者もいるでしょう。ビッグブックを書いたAAメンバーたちは「十分な理由がある」と考えていました(この文は訳し落とされています)。そして、その理由のいくつかを説明してくれます。ですからここからは、神を信じるべき理由についての追加説明が始まります。

第四章のp.71からp.72にかけての翻訳の質は、はっきりいってイマイチです。ここでは、その論旨をまとめてみることにします。


(以下はp.71の5行目から、p.72の8行目までの要約)

多くの人々は、事実と結果にばかり目を向けていて、理論には関心をもちません。しかし現代では、しっかりとした根拠にもとづいたものであれば、どんな理論でもすんなり受け入れられています。例えば、電気については数多くの理論が作られましたが、多くの人が何の疑いもなくそれらの理論を受け入れています。

なぜそんなにすんなり信じてしまうのでしょうか? それは出発点として合理的な仮定がなければ、私たちが見たり、感じたり、使ったりしているもの(例えば電気)のことを説明できないからです。

鉄桁
(steel girder) by kotist, licensed from pixta, (electron) by geralt, from pixabay

さて、科学が物質世界を探求するにつれて、ものごとの外見は、その内面の真実とはまったく異なっていることがたびたび明らかにされてきました。たとえば、どこにでもある鉄骨は、実は極小の素粒子 の塊です。しかも素粒子の動きは、ある法則に支配されていて、その法則は宇宙全体に共通している、と科学は教えています。

(要約終わり)


ここまでは、ものごとを見かけだけで判断せず、十分な根拠があればどんな理論でも受け入れる、というのがあなたの姿勢でありましょう、と不可知論者に対して確認しています。これはすなわち「あなたは論理的に考える人ですよね」という念押しにもなっています。

その上で、「私たちが見ているこの物質界と生命の根底に、全能の、私たちを導いてくれる創造的知性(つまり神)が存在する」というまったくの論理上の仮定(the perfectly logical assumption)が提示されただけでも、とたんにあなたのあまのじゃくな性格があらわれて、「そんなことはあり得ない」と自分に言い聞かせようとし始めるんじゃありませんか、と指摘しています(p.72)

第四章の二番目のパートは「私たち」という主語で語られています。この「私たち」はもちろんビッグブックの著者らビル・Wたち)のことです。彼らはすでに霊的に目覚めているので、もはや不可知論者ではありません。ここでは彼らがかつて不可知論者だった頃の経験を、まだ不可知論者である読者に向けて語っています。
これは、酒をやめたAAメンバーが、自分が過去に飲んでいた頃の経験を、まだ酒をやめ切れていないアルコホーリクに向けて語るのと同じスタイルです。「私はこうでしたが、今のあなたも同じじゃありませんか?」という含意があるのです。

常に論理的に考えているつもりなのに、神のことになるととたんに論理的に考えられなくなってしまうのは、神や信仰に対してあなたが持っている先入観があなたの論理的思考を邪魔してしまうからでは、とツッコミを入れているわけです。

神が宇宙を創造し天地創造 、それを支配しているという考えは、ユダヤ教の聖典創世記 の教えです。創世記はキリスト教やイスラム教でも教典として使われています。世界の宗教人口の統計をみると、人類の半分以上がこの三つの宗教のどれかの信者です。3) そのような、非常に大きな勢力なのです。

実は自分が神だと思っている

ここでは、創造論の真偽を論じるのではなく、その次の段落を扱います。

 私たち不可知論者、無神論者は、自分たちが、絶えず進歩を続ける神の創造物の先鋒せんぽうを務める、神の知恵のしもべだとは考えなかった。私たちは人間の英知こそが完ぺきであり、永遠だと信じた。どうもそれはうぬぼれだったようである。4)


Instead of regarding ourselves as intelligent agents, spearheads of God’s ever advancing Creation, we agnostics and atheists chose to believe that our human intelligence was the last word, the alpha and the omega, the beginning and end of all. Rather vain of us, wasn’t it?5)

先ほど挙げた一神教の教えでは、神がこの宇宙を作ったとしています。神は6日間かけて様々なものを作り上げ、最後に人間を作りました。神はこの宇宙についての計画を持っていますが、その一部を人間に代行させることにしました。

この考えに従えば、私たち人間は、知性を持った代行者(intelligent agents)であり、私たちがこの世に生れたのは神の意志を受け取って、それを実行するという大事な仕事のためであり、それが私たちの生命の意味ということになります。

こうした考えに対して、アルコホーリクは「クソ食らえ」という反発をします。自分がこの世で何をするかは、全部自分で決めるのだ。神様だろうが他の誰だろうが、口を挟むことは許さない。封建時代 じゃあるまいし、これだけ科学や教育が発達した時代なのだから、人間の知性、人間の意志こそが、最終決定者(last word)であるべきなんだ、と主張します。

現在の訳文では「人間の英知こそが完ぺきであり、永遠だと信じた」とありますが、原文の「わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである」6)、というのは、ヨハネの黙示録 に登場する表現です(ΑΩ )。宇宙の始まりから終わりまで(つまり永遠)を意味します。そして、自分(の知性)がアルファにしてオメガだと言うのは、

自分が神である

という主張と等しいわけです。

何もかも自分で決める生き方

もちろん、アルコホーリクが意識的に「自分が神だ」と信じているわけではありません。もし「あなたは神ですか?」と尋ねてもイエスとは答えないでしょう。そうではなく、自分のことは自分で決めて良いのであって、自分こそが最終決定権を握っているのだ、という考えは自らを神として捉えていると言いたいのです。

AAの常任理事を長く務めた精神科医のハリー・ティーボーHarry Tiebout, 1896-1966)は、AA20周年の大会の講演でこう述べました:

内面ではアルコホーリクは、人からであれ神からであれどんなコントロールも我慢できない。彼はみずからの運命の主人であり、そうでなければならない。彼はこの位置を守るために最後まで戦うのである。7)

AAのなかでしばらく活動していれば、アルコホーリクが「自分のやっていることに口を挟まれるのが大嫌い」な人たちであることはすぐに分かるでしょう。妥当な意見や穏当な「提案」を聞かされただけでも、すぐに不機嫌になってしまいます。よくまあ世の中からこんな人たちばかり選んで集めたたものだと感心します。

自分の運命は自分で支配するのだ、というパワー幻想――それは自分がハイヤー・パワーだという幻想でもある――に取り憑かれたまま、酒で死んでいった人も少なくありません。ビル・Wもその幻想を追い続けたことを第一章で述べています(p.11)

さらに、p.16には、

彼らが、神は愛であり、神には超人的強さと方向性があるなどという話を、ぼく個人に結び付けて話すと、ぼくはいらいらしてきて、そういう理論はピシャリとはねつけたのだった。8)


When they talked of a God personal to me, who was love, superhuman strength and direction, I became irritated and my mind snapped shut against such a theory.9)

というビルの言葉がありますが、意味がくみ取りにくい翻訳になっています。personal to は「個人的な関わり」という意味です。だからこれは、神がビルに関わってくるという意味です。ビルはもともと無神論者ではなかったので神の存在は許容できたわけですが、神が自分に関わってくるという考えは拒絶しました。自分のことは自分で決めるのであって、たとえ神様からでも――それがどんなに愛情深い神だとしても――干渉されたくない、というビルの強い意志をこの文章は表現しているのです。(もちろんこれは、ビルが不可知論者だったころのエピソードです)。

p.18の「ぼくにとっての、ぼくだけの神があるかもしれないと言われた時、抵抗はもっと強くなった」という訳文に違和感が残るのも同じくpersonal to の訳の問題です。こちらも「ぼくにとっての、ぼくだけの神」という訳を「ぼく個人に関わってくる神」に変えると、神からの干渉を嫌うビルの考えが理解できるでしょう。

私たちが神という概念に対して反発を感じるのは、自分の他に神は要らないという理由によるものだったりするのです。

ビッグブックは読者に「あなたは神ではない」と語りかけます(p.90)。また、ビル・Wは「自分は神ではない」と認めることの大切さを説いています

幸せになる vs. 自分のやりたいようにやる

もちろん、12ステップは人間の持っている自己決定権 を否定しているわけではありません。12のステップと12の伝統にはこのような文章があります:

ところが、精神的または感情的自立のことになると、私たちはまったく違った反応をする。自分が何を考え、どう行動するかは、すべて自分で決める権利があると、あくまでも主張する。なるほどすべての問題について賛否両論に耳を傾けはする。助言してくれる人たちの言うことを、失礼のないように聞きもする。しかし、決定段階になるとすべて自分一人で行うのだ。この問題については誰も私たちの個人としての自主性に干渉すべきでないと。それに私たちの考えでは、心から頼りにできる人間など一人もいない。意志の力に支えられた私たちの知性こそが、自分の内的生活を正しくコントロールし、世間での成功を保証してくれるはずなのだ。
それぞれに神の役を演じるこの勇ましい哲学は、聞こえはよいが、なお厳しいテストを受けなければならない。実際にどれだけそれが役立つかというテストだ。10)

良い人生を送るためには、時には自己決定を手放さなくてはならない時もあります。それなのにアルコホーリクは、幸せになることよりも、自分のやりたいようにやることを優先してしまう人たちです(本人たちの意識としては、幸せになるためにはこれしかないと思っているわけですが)

なぜアルコホーリクがそのような誇大性(grandiosity)を身に付けてしまうのか。僕はその答えを持っていません。アルコールの陶酔がもたらす万能感――ビル・Wは初めて飲酒したときに感じた万能感を自分の物語の冒頭に据えています(p.1)――を繰り返し得た結果、それが身に染みてしまい、酒をやめても万能感だけが残っているのでしょうか。あるいは、酒を飲む以前にすでに素地があったのか。AAのテキストはアルコホーリクの持つ誇大性という現象については述べていても、その原因をはっきりとさせていません。

神の座から降りる

12ステップに取り組んだ人たちは「どうもそれはうぬぼれだったようである」と述べているわけですが、確かに自分が神だという信念は大きなうぬぼれに違いありません。何もかも自分で決める生き方を手放すということは、神の座から降りるということでもあるわけです。

今回のまとめ
  • プラグマティズムはAAや12ステップに大きな影響を与えている。
  • 第四章の二番目のパートは、神を信じるべき理由をさらに説明してくれる。
  • 神を嫌うのは、実は自分が神だと思っているから。
  • 自分が神であるとは、何もかも自分で決める生き方のこと。

  1. BB, p.71 []
  2. AA, Alcoholics Anonymous: The Story of How Many Thousands of Men and Women Have Recovered from Alcoholism, AAWS, 2001, p.48 []
  3. Pew Research Center, Religious Composition by Country, 2010-2050, 2015, Pew Research Center (pewresearch.org).  []
  4. BB, p.72 []
  5. AA, p.49 []
  6. 共同訳聖書実行委員会『聖書 新共同訳』ヨハネの黙示録, 日本聖書協会, 1987, 聖書本文検索 []
  7. AACA, p.470 []
  8. BB, p.16 []
  9. AA, p.10 []
  10. 12&12, p.52 []