ビッグブックのスタディ (81) 私たち不可知論者は 8

前回の続きです。ビッグブックのp.72です。

半信半疑のまま進んでいく

 半信半疑で心もとなく歩いてきた私たちからのお願いである。1)


We, who have traveled this dubious path, …2)

信じることとわかることの違いthis dubious path は「この半信半疑の道」という意味です。

第78回第79回で「信じる→行動→わかる」というプロセスを説明しました。最初に信じるときには、疑念や不安を取り除くことはできません。つまり半信半疑のまま行動していくしかありません。そして、行動の結果が出たときに、ようやく疑念が払拭され、確信(分かっている)という状態へと移行するのです。

つまり、右の図の「結果」の手前までが半信半疑の道です。彼らも、この図のプロセスを辿ったということがわかります。

第四章は、かつては不可知論者・無神論者だったものの、このプロセスを経た結果として何らかの信仰(faith)を持つようになった人たちが、過去の経験を分かち合うという形式で書かれています。それは「昔の私たちはこうでしたが、今のあなたも同じではありませんか?」という問いかけでもあるのです。

さて、ここからが本題です。

宗教に対する偏見も捨てる

 どうか偏見を取り払ってほしい。いまある宗教に対してもそうしてほしい。1)

スピリチュアルと宗教ビッグブックは不可知論者のアルコホーリクは偏見を持っていると決めつけています。悔しいかな、そのとおりです。どんな偏見なのかは、このあとに説明がありますが、その前に「宗教に対する偏見も捨てて欲しい」と言っていることに注目しましょう。12ステップは霊的(スピリチュアル)なプログラムであって、宗教のプログラムではないはずです。なのになぜAAは、宗教に対する偏見も捨てろ、とお節介を焼くのでしょうか?

第76回で、この図を使い、スピリチュアルは宗教を含んでいる、と説明しました。実のところ、スピリチュアルの代表格が宗教だと言えます。宗教に対して偏見を持ったまま、スピリチュアルなものを受け取ろうとしても無理なのです。

信仰を持っている人たちがそこから何を得ているのか

信仰を持っている人たち――すなわち熱心に宗教に取り組んでいる人たち――も人間的な欠点を抱えています。それは当然で、信仰を持ったからといって完璧な人間になれるわけではありません。12ステップに取り組んでも同じで、私たちの欠点はなくなりはしません。人間とはどこまでも不完全なものなのです。

けれど信仰が何百万の人生に目的と方向性を与えてきたことを、私たちは知っている。信仰を持っている人たちは、人生がどういうものであるかということについて論理的な考え(a logical idea)を持っているのだ。3)

若い頃の僕には、宗教の教えは非論理的なものに違いない、という偏見がありました――そして、論理的な思考が得意な自分には宗教は似合わないと思っていました。今となっては恥ずかしい黒歴史 です(12ステップに取り組めば、自分の思考がどれほど非論理的であるか気がつかざるを得なくなります)

Hebrew bibile
by rcascoherrera, from Pixabay, Pixabay Licence

実際には、例えば聖書 には、人間について、あるいは社会や宇宙について理路整然とした教えが書かれています。キリスト教は「学びの宗教」であり、教会では聖職者が説教によって人々に教え、人々はそれぞれに聖書から学ぶことで理解を深めていきます。人々の納得を得るためには、教えは論理的に構成されていなければなりません。ですから、感情や直感に頼る人より、論理的に考える人のほうが宗教に向いていると言えます。4) そして、キリスト教に限らず多くの宗教が、その教えの中に、私たちの人生とは何かということについての説明を含んでいます。

一方、若い頃の僕は、「人生とは何か」「自分は何のために生きているのか」という自分の疑問についての答えをずっと見つけられずにいました。生老病死の苦悩を抱えながら、人はなぜ生きなければならないのか。そもそも、自分に限らず、人間はなぜこの世に存在しているのか・・・どう考えても、それには合理的な答えがないようにしか思えませんでした。それが不可知論者であることの限界だということは後になって分かるのですが。

安定と幸福と人の手助けができる

偏見についての説明がさらに続きます。

人種、肌の色、信条の違いはあっても、信仰を持って霊的に生きている人たちが、安定と、幸福と、人の手助けができるという私たちが求めるべき性格を持っていることに気づいても、その人たちの霊的な行いや信仰に対して、あざわらうような態度をとってきた。

 それだけではない。そうした人たちの欠点を突っついて、片っ端から十把ひとからげに非難する根拠にしたりもした。自分の心が狭いのを棚に上げて、その人たちの心の狭さを攻撃した。・・・私たちは人生の霊的な面を決して見つめようとはしなかった。5)

この記述は、まさにビル・Wの取ってきた態度そのものでした。彼は第一章「ビルの物語」のなかで、彼自身が持っていた宗教への偏見について述べています(pp.16-17)。また、第四章の冒頭でも、より一般化した形で偏見を表現しています:

人と人との争い、神学上の争い、説明のつかない悲惨さでいっぱいのこの世界を見て、宗教に対する疑いの心を深めずにはいられなかった。私たちは信心深いと自分で言っている多くの人を、不信感いっぱいの目で見てきた。6)

信仰を持とうが持つまいが人間は欠点を持っているものだ、という当たり前の事実を踏まえれば、こうした考えが偏見だということが分かるでしょう。この偏見を自分の前からどかしてみれば、人生の霊的な側面(つまり神との関係)が私たちに何をもたらしてくれるかを公正に評価できるようになります。ビル・Wは、霊的に生きている多くの人が「安定と、幸福と、人の手助けができるという私たちが求めるべきもの」をそこから得ていると述べています。

多様なアプローチ、多様な神の概念

しかしながら、AAは宗教ではありませんから、特定の教義や神の概念を提供してはくれません。そのことは、その次の段落で説明があります:

 この本の個人の経験の部では、それぞれの語り手が、自分より偉大な力にどう取り組み、どう理解していったかさまざまに書いている。5)


In our personal stories you will find a wide variation in the way each teller approaches and conceives of the Power which is greater than himself.7)

『アルコホーリクス・アノニマス 回復の物語』

ビッグブックの巻末には、「個人の物語パーソナル・ストーリー」と呼ばれる経験談が掲載されています。英語版のビッグブックには42人のストーリーが載っています。しかし、日本語版のビッグブックに掲載されているのはたったひとつ「ドクター・ボブの悪夢」だけです(pp.241-254)8) 残りの41人のストーリーは、『アルコホーリクス・アノニマス 回復の物語』というタイトルで分冊で発行されました。各巻には5~6編が収録され、現在ビッグブックの英語版第四版に掲載された個人のストーリーはすべて日本語で読めるようになりました。

これらのストーリーには、それぞれの語り手が自分より偉大な力にどう取り組み、どう理解していったかを書いています。

第二章の43ページには「経験の話のところでは、それぞれが自分の言葉、自分の見方で、いかに神との関係を打ち立てたかを述べている」とありますが、これも同じことを説明しています。

それぞれのストーリーには酒を飲んでいた頃の描写やAAにつながったきっかけが書かれています。その続きには、その人がどのようにハイヤー・パワーにアプローチし、どのような神の概念を抱くようになったのかを述べる部分があります。それについての記述はわりとあっさりとしていて、気をつけていないと読み過ごしてしまいがちです。まるでさらりと書くべきという作法があるかのようですが、どのストーリーにも必ずそのことに触れています(おそらくそれがないと、ビッグブックに載せるストーリーとして相応しくないからでしょう)。

大事なことは、神へのアプローチの方法や、神の概念は、実に多様だということです。42人ものストーリーを掲載しているのは、その一つひとつを伝えたいというよりも、その幅広いバリエーション(a wide variation)を伝えたいからでしょう。それもあって、42編すべてを日本語に訳して提供する努力が払われたのでしょう。ぜひ『回復の物語』も読んでいただいて、その多様性に触れていただきたいと思います。(cf.「AAの出版物の入手法」)。

目的を達成することが重要

その取り組み方や理解の仕方に私たちが同感するかどうかは、実はどうでもいいことなのである。5)

そして、そのアプローチのしかたや神の概念に対して、ビル・Wたちが同意できるかどうかは大した違いをもたらさない、と言っています。このように書かれているということは、おそらく彼らが同意したくないような、ヘンなアプローチのしかたやヘンな神の概念をつかむAAメンバーもいたのでしょう。目的を考えれば、そのことを心配する必要は無い、というのが彼らの経験でした。その力が自分に由来するものでない限り、何をハイヤー・パワーとして選ぼうが他の人がとやかく言うべきことではないのです。

これが「12ステップは自由に解釈して良い」とされる根拠の一つでしょう(cf.「12ステップは自由に解釈して良いのか?」)

彼らは手段にこだわるよりも、目的を達成することのほうが重要であることを経験から知りました。

第3回でビッグブックはhow(どうやって)を教えてくれる本であると説明したのを憶えてらっしゃるでしょうか。12ステップは理念ではなく、手段だということを強調していました。ところが、私たち人間は手段に関心が集中すると、しばしば手段の目的化という過ちを犯します(cf. 第46回。つまり、自分がきちんとステップが実行できているかが気になってしまい、それによって「きちんとステップをやること」が目標になってしまったりするのです。挙げ句には、今日もきちんとステップができたから良かった・・と安心してしまうようにもなるのです。これが手段の目的化という落し穴です。

では、12ステップの目的とは何でしょうか? それは、先を読み進めれば分かります。

みんなに共通したもの

 しかしみんなに一致した共通のものがある。それは彼らがみな、自分より偉大な力に近づき(gain access)、それを信じる(believe in)ようになったことである。この力が、奇跡を行い、人間には不可能なことをやってのけた。有名なアメリカ人政治家が言ったように、「実績を見てみよう」ではないか。9)

神へのアプローチのしかたや神の概念は多種多様なのですが、その結果は共通していると述べられています。つまりこれが目的だと言えます。

gain accessを「近づく」と訳すのは間違いではありませんが、「接せられるようになる」という意味です(例えば、刑務所の受刑者に面会に行くのも gain access です。12ステップは自分の一番深いところに閉じ込められている神の意志に会うためのプログラムです)。そして、believe in とは、単に信じる(believe)だけでなく、より深く信じること、存在を確信することです。ですからこれは、彼らがみな神に接し、その存在を確信するようになった(=信仰を持った)という意味です。

くどいようですが、その神がたまたま既存の宗教の神様だったという人もいるでしょうが、宗教的な神概念に限ったものではなく、自分独自の神の概念で良いのです。

12ステップは自分で問題を解決するのではなく、ハイヤー・パワー(神)に解決してもらうプログラムだと繰り返し説明してきました。ここでも、ハイヤー・パワーが私たちにできないことをしてくれたと述べています。つまり、強迫観念を取り除いてくれたのです。ただし、それだけではありません。

わきみち「実績を見てみよう(Let’s look at the record)」は、アルフレッド・E・スミスが用いたフレーズです。10) スミスはニューヨーク州知事を4期務め、1928年の大統領選挙では民主党の候補となりましたがハーバート・フーヴァー に敗れました。

実績を評価する

さらに続きを読んでいきましょう:

 ここに何万人もの男女がいる。ごくふつうの人間である。彼らはきっぱりと言う。自分より偉大な力を信じるようになって、その力に対してある態度を取り、幾つかの簡単なことをするようになってから、生き方、考え方が、革命が起こったように変わったと。11)

「何万人もの(thousands of)」と書かれていますが、ビッグブックの初版では「百人(one hundred)の」となっていました。人数を大げさに表現していたわけではありません。この100人とは、ビッグブックが出版されたときのAAメンバー、つまり12ステップに取り組んだ人たちのことです第2回第48回

彼らはこう言っています:

    • 自分より偉大な力を信じるようになった
    • その力に対して特定の態度を取るようになった
    • 特定のシンプルなことをするようになった

つまり、12ステップに取り組んだという意味です。そして、取り組んだ結果として、彼らに新しい力と平和と幸せへの方向感覚が流れ込んできた、と証言しています。

directionを受け取る

力と平和と幸せについて説明は要らないでしょうが、方向感覚(direction)とはなんでしょうか?

directディレクト という動詞には、道を教える、指示する、指導するという意味があります。ですから、その名詞形の directionディレクション は、方向や指導という意味になります。実はビッグブックには di­rec­tion という単語が繰り返し登場します。

page記述
p.16神には超人的強さと方向性がある
p.19神の配慮と指図のもと、条件を付けずに心から自分を差し出した
p.20静かに座って、神の計画のままにぼくの問題の方向づけとそれに立ち向かう強さが得られますように願う
p.68すぐ、新しい力がわき、自分たちが向かおうとしている方角が見えてきた
p.73信仰が何百万の人生に目的と方向性を与えてきた
p.74新しい力と平和と幸せへの方向感覚が流れ込んできたことを
p.90これからの人生では、神が指揮者であり、自分はそれに従うことを決心した
p.114正しいことをする強さと方向を与えてくださいと祈るのである
p.123神から強さ、霊感、導きを受けることについては
p.124神に私たちの考えに導きを与えてくださるように
p.230自分自身を彼の創造主の配慮と導きにゆだねた

それぞれマーカーを引いてある箇所が direction です。12) 訳語がバラバラなのは、それだけこの direction という言葉を訳すのに苦労しているということでしょう。

案内標識
by Hamadi33, from Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0

direction とは、道路の案内標識のようなものだと言った人がいました。私たちは案内標識を見ることで自分が向かうべき方向を知り、そちらへ進んでいきます。あるいはカーナビの音声案内も、私たちが進むべき道を示してくれます。それらと同じように、神の direction は、私たちがどう生きていけば良いのかを指し示し導いてくれるものです。時にはそれは具体的な行動を指示するものかもしれません。ステップ11には「神の意志を知り、それを行なう」とありますが、ステップに取り組むことで私たちは神から direction を受け取って、それを行なっていくようになるのです。ですが、それはもっと先のステップに進んだときの話ですから、ここではこれだけの説明にとどめておきます。

信仰を持つべき確かな理由

かつては生きていることに空しさを感じて、弱り果て迷っていた彼らだった。なぜ自分たちの生き方がそれほどむずかしくなっていたのか、彼らはそのおおもとの理由を示してくれる。酒の問題はさておき、生きることになぜそんなに満足できなかったのかを語ってくれる。どうやって変化が訪れたのかも。11)

この「生きることの虚しさ」は、アルコホリズムが原因で思い通りに生きていけなくなり、そのせいで生きることが虚しくなった、という意味とは限りません。前回説明した、自分が神であって、自分のことはすべて自分で決めていくのだという生き方は「生きることの虚しさ」をもたらすのです。

自分のことは自分で決めるという生き方は、カーナビの音声ガイドを無視して車を走らせることに似ています。その人はこう考えているのでしょう。「カーナビより自分のほうが道に詳しい」と。そういう場所もあるのでしょうが、だからとてその人が日本中、世界中の道を詳しく知っているわけではありません(なのに知っていると思えてしまうのが誇大性というものです)。常にカーナビに頼らずに進んでいれば、当然道に迷い、どちらに進んで良いかすらも分からなくなって、途方に暮れてしまうでしょう。そんな困難な生き方をわざわざ選ばなくてもいいのに・・・。

これは、酒の問題があろうとなかろうと、自分の人生に満足できていなかったのではないか? という問いかけでもあります。

僕の場合には、その質問にイエスと答えざるを得ません。たとえ、若いときにアルコホリズムにならず、大学を中退することもなく、人生が順調だったとしても、その人生に満足できなかったことには自信があります。成功することや、何かを成し遂げることを望んでいながら、いざそれが実現しても、それに満足するのはいっときのことで、いつもすぐに虚しさが忍び寄ってきたからです。自分のやっていることの価値が分からないので、人の評判ばかり気になってしまうのです。なぜそうなのか、理由ははっきりしています。自分より偉大な存在を拒否して、自分の力だけを頼って生きてきたからです。

何万人もの人たちが、いま神がここにいるという思い(the consciousness of the Presence of God)こそが、人生でいちばん大切なことだと言う。人は信仰を持つべきだという確かな理由だと。11)

the consciousness of the Presence of God は、神の存在を意識すること(より宗教的な言葉を使うならば、神が臨在するという意識)です。私たちは神を見つけ、その存在を意識しながら生きていきます。

信仰が人間に何を与えてくれるのか、まとめてみましょう。

    • 「人生に目的と方向性を与える」(p.72)
    • 「安定と、幸福と、人の手助けができる」ようになる(p.73)
    • 「新しい力と平和と幸せへの方向感覚」が与えられる(p.74)

こうしたものを欲しいと思うかどうかは私たち次第です。

日本のAAのミーティングで、かつて飲んでいたころの話をする人は多いのですが、かつて不可知論者だったころの話をする人は少ないのは残念です。以前の僕のように、不可知論者のまま、年単位で酒をやめ続けているAAメンバーも少なくないのでありましょう。ミーティングで自分の人生に対する不満を分かち合うと共感が得られるのは悪いことではないと思いますが、どうやってその不満を解決するのかが分かち合われないのでは傷の舐め合い と言われてしまっても仕方ありません――12ステップの考え方では、その不満は自分では解決できないわけですが(これを蛇足という)

つまるところ、この74ページの真ん中の長い段落(「ここに何万人もの男女がいる」で始まる段落)は、霊的体験や霊的目覚めを得るとどうなるかを語っていると言えます。

根拠は提示された

さてこの段落は、何万人もの男女がそう証言している、という主旨になっています(ビッグブックの初版が出たときは100人でしたが、第二版が出たときにAA共同体の人数の増加を反映して数字が改められました)。この証言がアル・スミスが言うところの「実績」にあたります。

さて前回は、第四章の二番目のパートは「神を信じるべき理由についての追加説明」だとお伝えしました。そして72ページでは、不可知論者に対して、ものごとを見かけだけで判断せず、十分な根拠があればどんな理論でも受け入れる、というのがあなたの姿勢でありましょう、と確認していました。つまり「あなたは論理的に考える人ですよね」と念を押していました。

そして、ここに十分な根拠が提示されました。それは数万人の男女による証言です。彼らは、神の存在を意識することで、つまり信仰を持つことで、人生の目的や方向性などが得られたと言っています。素粒子を直接見ることはできませんが、しかしそれが存在するという十分な証拠があることから、私たちは素粒子の存在というを受け入れています。論理的に考えるとはそういうことです。同じように、神を直接見ることはできませんが、ここに十分な証拠があるわけですから、神の存在というを受け入れても良いのではないでしょうか。少なくとも、何らかの力が存在していて、それが人間の心に働きかけていると考えることに、論理の破綻はありません。根拠は示されました。あとは論理的に考えるかどうかです。

さて、71ページから74ページまでを二回に分けて説明してきましたが、この4ページを使って「神を信じるべき理由」が一つ挙げられました。さらにその先75ページからは、別の「神を信じるべき理由」が示されます。では次回。

今回のまとめ
  • 信仰を持っている人たちも人間的欠点を抱えているのは当然のこと。
  • 霊的に生きている人たちが、信仰から人生の意味や目的、安定や幸福や有用性を得ていることに目を向けるべき。
  • 12ステップはは宗教ではないので、神へのアプローチの方法や、神の概念は、実に多様である。
  • しかし皆に共通しているのは、全員が神に接し、その存在を信じるようになったこと。
  • 論理的に考える人であれば、神が存在するという仮定を受け入れることはできるはずだ。

  1. BB, p.72.[][]
  2. AA, Alcoholics Anonymous: The Story of How Many Thousands of Men and Women Have Recovered from Alcoholism, AAWS, 2001, p.49.[]
  3. BB, pp.72-73.[]
  4. もちろん、聖書には知的な教えばかりでなく、聖霊の働きによって起きた奇跡が多く語られている。そうした奇跡は自然法則を超えたものであるだけに、科学的な説明はつけようがない。しかし、その部分の記述が合理的でないからとて、教えそのものが非合理的・非論理的と決めつけてしまうのは明らかな偏見である。[]
  5. BB, p.73.[][][]
  6. BB, p.67.[]
  7. AA, p.50.[]
  8. ハードカバー版にのみ日本人のストーリー12編が収録されている。[]
  9. BB, pp.73-74.[]
  10. Glenn Chesnut, Names & Events in the A.A. Big Book: From the members of the AA History Lovers, Hindsfoot Foundation (hindsfoot.org), 2014, p.6[]
  11. BB, p.74.[][][]
  12. p.90は Director。[]

2024-05-16

Posted by ragi