12ステップのスタディ (19) ACムーブメントの崩壊と再建

前回は1980年代のACと共依存のグループについてと、治療施設が大幅に増加して共依存やACの治療プログラムを提供し始めたことを説明しました。今回はそれに続く1990年代についてです。

トニー・Aの本

The Laundry List
The Laundry List: The ACoA Experience

ACoAムーブメントのオリジネーター であるトニー・Aは、1981年にフロリダに引っ越して以来、地元でACoAのグループを開いている以外にはムーブメントとも、カリフォルニアのACA共同体とも関わりを持ちませんでした。そんな彼が、1991年に The Landry List: The ACoA Experience(ランドリー・リスト―ACoAという経験)という本を出版しました。1)

この本は、1970年代後半のACoAムーブメントの始まりや、そのプログラム内容をシンプルに解説してくれており、ACoAムーブメントを理解するのに大変役に立つ本です。しかし、出版されたのはムーブメントが始まってから12年以上経過してからです。彼は出版が遅くなった理由について、ACoAのプログラムが発展を遂げるのにそれだけ時間がかかったからだと述べています。そして、ACに関する外部のプロフェッショナルの論述をいくつか引用しています。例えば、クラウディア・ブラック の、

    • 話すな
    • 信頼するな
    • 感じるな

であったり、シャロン・ウェグシャイダー=クルーズ(Sharon Weg­scheider-Cruse, 1938-)の「ヒーロー」「迷子」「スケープゴート」「マスコット」というACの四つの役割などです。彼は、1978年にムーブメントが始まった当時、その中にいる人たちはそうしたことを何も理解できていなかったと述べて、自分たちではそのような概念を作り出せなかったことを率直に認めています。2)

それはACoAムーブメントのプログラムの発展が、外部のプロフェッショナルに依存していたことを示します。ムーブメントは自分たちでプログラムを発展させることができないまま、黄金の1980年代を過ごしてしまいました。そうなった理由の一部は、オリジネーターとしての責任を投げ出してしまったトニー自身にもあるのでしょうが、施設の治療プログラムのアフターケアとして使われることで、どんどんグループやメンバーが増えている状況で危機感を持てというほうが無理なのでしょう。この時期は、AAですら施設から送られてくる人たちから大きな影響を被っている時期でした。3) 4)

外部要因外的要因によって共同体が順調に発展しているとき、プログラムの深化は起きず、むしろ外部からのプログラムの流入が生じる

とは言え、第17回で説明したように、過去の感情を共有して再体験するミーティングのやり方は彼らが試行錯誤して作り上げた独自の手法と言えると思います。

トニーの12ステップ

ところで、1984年にはカリフォルニアのACA共同体が自分たちの12ステップを作り、1987年にはロン・Hらが初のAC向けの12ステップ文献『ACのための12のステップ』を出版しました。いずれもAAの12ステップをそのままAC向けに変えただけのものであり、ACのためにはAAとは違った12ステップが必要だという考えはありませんでした前回

しかし、トニー・Aはこの The Laundry ListACoA向けの新しい12ステップを発表しました。その内容は、AAの12ステップとは大幅に違ったものになっています。その内容と、彼がなぜそのようなステップが必要だと考えたのかを探ってみましょう。

彼が発表した12ステップは:

トニーの12ステップThe ACoA 12 Steps Of Recovery
  1. We admitted that we were powerless over the effects of living with alcoholism and that our lives had become unmanageable.
  2. We came to believe that a power greater than ourselves could bring us clarity.
  3. We made a decision to practice self-love and to trust in a Higher Power of our understanding.
  4. We made a searching and blameless inventory of our parents because, in essence, we had become them.
  5. We admitted to our Higher Power, to ourselves and to another human being the exact nature of our childhood abandonment.
  6. We were entirely ready to begin the healing process with the aid of our Higher Power.
  7. We humbly asked our Higher Power to help us with our healing process.
  8. We became willing to open ourselves to receive the unconditional love of our Higher Power.
  9. We became willing to accept our own unconditional love by understanding that our Higher Power loves us unconditionally.
  10. We continued to take personal inventory and to love and approve of ourselves.
  11. We sought through prayer and meditation to improve our conscious contact with our Higher Power, praying only for knowledge of its will for us and the power to carry it out.
  12. We have had a spiritual awakening as a result of taking these steps, and we continue to love ourselves and to practice these principles in all our affairs.5)

ACoAの回復の12のステップ

  1. 私たちはアルコホリズムと一緒に暮らした影響に対して無力であり、思いどおりに生きていけなくなったことを認めた。
  2. 私たちは自分を超えた大きな力が私たちに明晰性をもたらしてくれると信じるようになった。
  3. 私たちは自己愛を実践することと自分なりに理解したハイヤー・パワーを信頼する決心をした。
  4. 私たちは徹底して非難せずに自分の両親の棚卸しをした、なぜなら突き詰めると自分自身も親たちと同じになったからである。
  5. 私たちはハイヤー・パワーに対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の子ども時代の見捨てられの正確な本質を認めた。
  6. 私たちはハイヤー・パワーの助けを得ながらの癒やしの作業を始める準備が完全にできた。
  7. 私たちは癒やしの作業を手助けして下さいと謙虚に神に求めた。
  8. 私たちはハイヤー・パワーの無条件の愛を受け取れるように自分自身を開く意欲をもった。
  9. 私たちはハイヤー・パワーに無条件で愛されていることを理解することで、自分自身の無条件の愛を受け入れる意欲を持った。
  10. 私たちは自分自身の棚卸しと、自分を愛し、認めることを続けた。
  11. 私たちは祈りと黙想を通してハイヤー・パワーとの意識的な触れ合いを深め、その意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。
  12. 私たちはこれらのステップに取り組んだ結果、私たちは霊的に目覚め、自分を愛することと私たちのすべてのことにこの原理を実行することを続けた。(拙訳)

AAの12ステップから大胆に改変されていることが分ります。ステップ4・5では自分自身の棚卸しはせず、ステップ6・7では性格上の欠点に取り組まず、ステップ8・9では埋め合わせをしません。そして、ステップ12ではメッセージを運ぶこともしません。

12ステップの経験のある人は、普通はステップをここまで大胆に改変しようとは思いません。しかし、トニーはすでに20年以上もAA・アラノン・ACoAでステップの経験があったにも関わらず、あえてその改変を行いました。彼がなぜこれほどまでの改変を行ったのか興味が湧きましたが、彼は著書では新しいステップを書いた動機について触れていません。

困っていると、あるOAメンバーがトニーが1991年2月に行った講演の録音の存在を教えてくれました。この講演がACAの大会で行われたと勘違いしている人もいますが、別の団体が1991年2月24日から4日間にわたって行ったカンファレンスの二日目に朝7時半からのオプションプログラムとして行われたものです。演題は Why 12 new steps for ACoAs(なぜACoAのための新しい12ステップなのか)でした。(トランスクリプトと翻訳をwikiに載せました)。

その中には、彼がACoA向けに新しい12ステップを作った動機がよく分る一節があります:

I’ve been told that the Adult Children of Alcoholics movement, I was not in it for many years, I remained in anonymity, so I was not going to groups much. But I had heard, that it’s been said that the ACoA movement has been stuck in blame, blaming parents. That you can go to some meetings and they are blaming their parents, and three years later you go back and the same people are blaming the same parents. So that’s an area where we’ve been stuck.6)


このアダルトチルドレン・オブ・アルコホーリックのムーブメントについて言えば、私はここ何年にわたってそれには参加していませんでしたし、無名の一人として、あちこちのグループに行ったわけでもありません。しかし、このACoAムーブメントが親を非難することに終始していると言われていることは聞こえてきました。あるミーティングに行くと、そこにいる人たちは彼らの両親を非難しています。3年後にまた行ってみると、同じ人たちが同じように両親を非難しています。〔会場の笑い〕つまり、私たちが行き詰まっているのはその部分なのです。(拙訳)

トニーはミーティングに参加しているACたちに変化が起きていないことを指摘しています。ACはAAの12ステップをそのまま転用したステップには取り組めないし、取り組めたとしても効果が出ていない、というのがトニーの主張です。7)

例えば、AAはステップ2では健康な心(=正気)に戻してもらえることを信じますが、そもそもACは育った家の中に一度も正気が存在したことがないのですから、「戻して」もらうべきところはない、とトニーは言います。また、ACにとって「自分なりに理解した神」とはアルコホーリクとパラ・アルコホーリックである両親のことであり、そのような「神」に対してステップ3で自分の人生を預ける決心などできるわけもない、というのです。そして上の引用部は、多くのACは自分の欠点を見ることができないことを述べています。自分の欠点を見ることができなければ、ステップ6・7も、8・9も、その先のステップも意味を失います。

彼は、ニューヨークでジェネレーションズ・グループにいた1978年か79年頃に、メンバーの求めに応じて新しい12ステップを書いたものの、その12ステップは人気が無く、広がらなかったと述べています。その時に書いたステップの一部はこの新しい12ステップに採用されました。

スモールステップ

スモールステップ
from 親子DE発達凸凹86

彼が新しい12ステップを作ったのは、アダルトチルドレンの回復が「自分はパラ・アルコホーリックではない(親と同じにはなっていない)」という強固な否認によって阻まれている、と考えたからです。そこで彼は(その言葉は使っていませんが)スモールステップと呼ばれる手法を採用しました。これは教育などの分野で使われる手法で、目標が高すぎて取り組めないのならば、目標を小さく分割して、取り組みやすくするというものです。小さな子供には大人向けの階段は高すぎて上れません。だから、小学校の低学年向けの校舎の階段は低く作られています。それと同じです。

トニーの新しい12ステップでは、自分自身の棚卸しをするのではなく、両親の棚卸しをすることを通じて、自分が親と同じになったということをACに気づかせる仕組みになっています。つまりトニーのステップは全体がステップ1に相当するとともに、AAと同じタイプの12ステップへの準備をACにさせるためのものだと言えます。事実、トニーはこの12ステップに取り組んだ後で、AAと同じタイプの12ステップに取り組むことを否定してはいません。

否認を乗り越えるトニーの12ステップは、両親の棚卸しをすることを通じて「私は親たちのようにはなっていない」というACの強固な否認を克服することを目的としている

このトニーの12ステップに対して、ACA共同体の側がどう反応したかは分りません(記録が無い)。しかし、ACoAムーブメントの中には、トニーの本をテキストとして使い、彼の12ステップに取り組むグループが出現しました。何と言っても、このテキストはACoAムーブメントとしては最初の12ステップのテキストだったからです。

現在のACA共同体はクローズド文書ポリシーを採用していて、ミーティングでは共同体の承認文献だけを使うのが基本になっていますが、唯一トニーのこの本は例外で(ACA共同体以外の出版社から発行されているにも関わらず)ミーティングで使うことが認められています。8) 海外のACAグループのサイトを見ると、ACA共同体の12ステップとトニーの12ステップの両方を掲げているグループが目立ちます。そのようなグループではおおむね両方の12ステップに取り組むことを勧めているようです(つまり、ACA共同体は実質的に24ステップグループになっている?)

おそらくはトニーの本の出版が契機になったのでしょう。ACA共同体の側も12ステップの文献が必要だという意見が高まり、1992年には文献作成のためにハンドブック委員会(Handbook Committee)が設置されました。1992年にトニーのインタビューが行われたのも、80年代のカリフォルニアで活動したメンバーのストーリーが書かれたのも、この委員会の文献作成の努力の一環なのでしょう。そして、その努力は、14年後の2006年にビッグレッドブックの発行というかたちで結実することになります。

ところで、トニーの本はACoAムーブメント全体を対象としています。この本を読んで新しいACoAグループを作った人たちに対して彼は、

    • アラノンに加盟する(つまりアラノンACになる)
    • ACA共同体に加盟する
    • どちらにも加盟しない(いわゆるACoA

という三つの選択肢を提案しています。そして、地域のミーティングリストにはアラノン・ACAどちらにも加盟していないミーティングも掲載されるのが通例なので、どこにも加盟しなくても特に不都合は無いと多くのグループは言っている、と述べています。9) それは実際にその通りだったのでしょう。彼がこの本を書いていた1988~90年は、まさにACoAムーブメントの黄金期がまだ続いていたのです。

インナーチャイルド

Little boy cutting up inner tube, El Indio, Texas by Russell Lee
by Russell Lee, from rawpixel, CC0 1.0

あなたがACの文化に接していれば、必ず自分の中の子供(child within)インナーチャイルド(inner child)という概念に接することになるでしょう。もともと12ステップの中にはなかったインナーチャイルドという概念が、いつごろこのムーブメントのなかに入ってきたのでしょうか?

12ステップ文献における最も古いインナーチャイルドへの言及は、1984年にマーティ・Sが書いたアイデンティティ文書「ACAプログラム―どう効くのか」の中に登場します。10) そこでは、インナーチャイルドは、ACの否認という防御壁の影に隠れているバルネラブルな存在だとしています。つまり、ACは自ら否認を乗り越えることでそのインナーチャイルドを解放しなければならない、というのです。

このバルネラブル(vulnerable)という言葉を現在のビッグレッドブックは「傷つきやすい」と訳しているので意味不明になってしまっていますが、バルネラブルやバルネラビリティ(vulner­ability)は、もともとAAのなかに存在しながら、日本のAAや他の12ステップグループに伝わっていない重要な概念の一つです。

この言葉は一般的な日本語では「脆弱性ぜいじゃくせい」と訳されていますが、回復の文化の中では「弱さ」とは少し意味合いの異なる「もろさ」と訳すのが良いように思います。アーネスト・カーツは著書『アルコホーリクス・アノニマスの歴史』の中でAAの「お互いに脆さを公然と認めあう正直さの共有」が回復に有用であると指摘しています。11)

酔っ払いに「大丈夫ですか?」と尋ねれば、「大丈夫、大丈夫」という答えが必ず返ってきます。回復前のアル中も「大丈夫、手助けは要りません。私は一人で酒をやめていけます」と主張します。しかし回復したアルコホーリクは、何年酒をやめ続けていようとも、一杯飲んでしまったら、酒に負けて、崩れて、すっかりダメになってしまう自分の脆さを率直に認めることができます。

アダルトチルドレンも同じで、なにかあると、それに負けて、崩れて、すっかりダメになってしまう脆さを抱えているにも関わらず、その脆さを認めることができず、「私は大丈夫」「大丈夫でなければならない」という圧政を自分の中に敷いているのです。自分が普通の人とは違う、脆さとダメさを抱えた人間であることを認めることがなかなかできずにいるのです。

しかし、このバルネラビリティ(脆さ)は決して悪い意味では使われていません。その脆さ、ダメさがあるからこそ、私たちには助けが必要なのであり、その助けは仲間たちから、そしてなによりもハイヤー・パワー(神)から与えられるのです。

つまりインナーチャイルドとは、否認によって隠された自分の脆さと、神の助けの必要性をACに気づかせるための回復の道具なのです。言い方を変えれば「決して大丈夫ではない自分」の象徴です。

Hawaiian Kahuna
Hawaiian Kahuna, from Wikimedia Commons, PD

トニー・Aは1991年の講演で、彼がカフナ というハワイの呪術師の教えからインナーチャイルドの概念を得たと語っています。12) また、この連載を読んできた方は、OAの創始者のスザンヌ・Sのスポンサーが「内なる子供」という概念を使っていたことも思い出していただけるでしょう第7回・それはACという概念が作られるよりも前でした)カール・ユングの幼児元型(puer aeternus)や、ニューソート の思想家エメット・フォックスEmmet Fox, 1886-1951)のワンダーチャイルド(Wonder Child)という先行概念が示しているように、一人ひとりの中に「小さな子供」がいるという考えは、世界の様々な宗教に見られる概念です。

トニーは、神が無条件で自分を愛してくれるように、自分も内なる子供を無条件で愛さねばならないと言っています。それはつまり、自分の脆さ、ダメさを愛するということでもあります。自分から脆い部分、ダメな部分がなくなれば自分を愛せる、というのではなく、まさにその脆さやダメさを愛さねばならないのです。

多くのACが自分の自己評価(self-esteem)の低さに悩んでいますが、それは自分に高すぎる理想を押しつけ、自分の脆さやダメさを自分で非難してしまうからです。欠点が無くなるにこしたことはありませんが、欠点はすぐには無くならないので、今のダメな自分を愛するほかありません。

僕の最初のスポンサーはほとんど働いていませんでした。半年働いては傷病手当をもらい、その期間が切れると失業保険を受給し、その期間が終わるとまた半年働いて傷病手当の受給要件を満たし・・・という繰り返しで、「俺も本当はまともに働きたいんだが、それができなくてな」と言っていました。身体は頑強でしたが、メンタルは弱く、仕事が続かない人でした(AAのことをやってるときは元気だったけど)。チ○コが小さい悩みをミーティングで打ち明け、保健師さんが見学に来たときにもその話ばかりするものだから、保健所で「○ンコ小さい小父さん」とまで呼ばれていましたが、彼がそのように自分の脆さと向き合っているうちは、彼の精神も生活も安定していました。

インナーチャイルドインナーチャイルドとは、否認によって隠された自分の脆さと、神の助けの必要性をACに意識させるための回復の道具である

崩壊

前回、1970年代にアルコホリズムと薬物嗜癖の治療のために公的な助成が行われるようになり、それと相前後して治療が保険会社の給付の対象になったことで、病院や施設での治療プログラムが急増していったことを説明しました。80年代になると、利益主義と過当競争の結果として、その競争に敗れて満床率を維持できなくなった施設が、性の問題や摂食障害、さらには共依存やACの治療プログラムを始めることで、新たなクライアントを確保し始めました。それが、ACや共依存の分野の12ステップグループの急速な成長を後押ししました。

しかし、アディクション治療産業の繁栄と、そこで働く人たちへの高額な報酬は、保険会社からも一般社会からも疑問の目で見られるようになっていきました。もちろん、倫理基準を作ったり、研修を行うことで業界の倫理を維持しようとする動きもありましたが、それらはもっぱら臨床的倫理(クライアントの秘密厳守や性的関係の禁止など)に限られ、経営的倫理に対しては沈黙していました。倫理的に問題のある広告、経営的動機にもとづいた不適切な入所や必要以上に長い入所期間、不適切な再入所。どれも、より多くの利潤を上げるために採られた手段でした。良識ある人たちは、そのような経営倫理の欠如はこの業界を「詐欺師やいかさま師」の温床にしてしまい、やがては業界全体が信頼を失うと警告しました。

元はアルコールや薬物の問題を扱っていた施設が、経営的な問題から性の問題や摂食障害や共依存やACの問題を扱うようになった結果、アルコールや薬物の経験しか持たないスタッフが、十分な研修や現場での習熟の機会もないまま摂食障害や共依存やACの「治療」に携わりました。13)

また、この分野で働くプロフェッショナルたちは、元はAAが内部向けに使っていた病気の概念を、一般向けの広報の中に盛り込みました。それはアルコホリズム(あるいはアディクション)という病気が「進行性で死に至る」もので、「失ったコントロールは取り戻せず」、「自然治癒はあり得ない」という主張です。もともとAAはそれらがアルコールの問題を抱えるすべての人に当てはまるとは主張していないのですが、治療プログラムの広報や啓発においてはアルコールや薬物に問題ある人のすべてに当てはまるかのように表現されました。一部にしか当てはまらないものを全体に当てはめようとすれば、当然それは事実ではなくなり、公然たる批判を浴びるようになっていきました。それまではそうした議論はアディクションの専門家たちの間に限られていた(つまり社会の片隅で行われていた)ものが、倫理を欠いた広報のおかげで、そのような議論が一般紙で繰り広げれることになり、業界の信用は急速に失墜しました。14)

わきみちこれは現在の日本の依存症の啓発活動についても言えることで、個人的な経験や自助グループでの言説をそのまま無批判に啓発活動のなかに盛り込んでしまうことで、真実ではない主張を行っているとか、背景に経済的動機があるという批判を浴びるようになりかねない、と心配しています(というかすでになっているのでは?)。

1980年代の終わりから、アディクションの入院・入所治療日数の決定は、治療施設側ではなく管理ケア会社managed care companies)健康維持機構 が担うようになりました。つまり、施設側はクライアントの入所日数を決める権限を奪われ、外部の機構が保険の給付日数(=入所日数)を決定するようになりました。しかも、その標準日数が慣例的に28日間であったものが、1990年前後には21日に、14日に、そしてわずか数日間へと急速に短縮されていきました。さらには、入所型の治療プログラムが給付対象から外され、外来型のプログラムへのみが対象になりました。

それに追随して多くの施設がプログラムを入所治療から外来治療へと切り替えましたが、外来治療は入所治療よりも少ない利益しか生み出さず経営を困難にしました。それまで成功していた施設は地理的に広い範囲からクライアントを集めていたため、外来のみとなって距離の近い顧客しか集められなくなったことや、外来は入所よりも治療の継続率が低かったことも収益性を悪くしました。多くの施設が閉鎖され、病院の場合にはアディクション専門病棟が一般精神科病棟に統合されていきました。15)

また、保険会社は共依存やACの治療への保険給付を打ち切ったので、そうした治療プログラムや施設もほぼ皆無になりました。これは、共依存という概念が広く拡大されたことで、誰もが持っている問題ならばそれは病気として治療すべき対象ではないと、保険会社が結論づけたからです。16)

ホワイトは『列伝』のなかで、施設や病院のアディクション病棟がどれほど減少したのかは数を示していません。しかし、この時期に最大の規模を誇っていたパークサイド(Parkside)というアディクション治療の全国チェーンが、1991年から93年にかけて大規模なレイオフや施設の売却を繰り返し、最終的に1996年に会社が解散したことを詳細にレポートしています。17)

この崩壊の時期を生き延びたのは、有名なヘイゼルデンHazeldenやベティ・フォードBetty Ford Centerなどの富裕層向けの施設だけで、それらですら待機リストがゼロになりました。例外は、公的助成に頼っていた施設で、こちらは麻薬戦争 政策の結果として事業費の補助が維持されたものの、待機リストは非常に長くなる傾向がありました(麻薬戦争は批判の対象ではあるが、この政策のおかげで一部の薬物依存治療施設が生き延び、アディクションの治療文化が維持されたという一面もある)18) 他の福祉サービス事業と合併し、その一部門として生き残る道を選んだ施設もありました。それでも多くの病棟や施設が閉鎖され、多くのカウンセラーが失職しました。15) その影響は12ステップグループ側にも及びました。

第2回のAAのメンバー数のグラフは1990年以前は急な勢いで増加していたものの、1990年代に入るとピタリと増加が止まり、減少した年すらありました。施設の治療プログラムのアフターケアとして人が送り込まれて来ることに慣れてしまったAAは、自らメッセージを運び新しいメンバーを獲得する技量を取り戻さねばなりませんでした。それが、ビッグブック・ムーブメントや「基本に帰れ」というAA内の運動を生み出しました。19) アラノンも90年代前半にはグループ数の減少を経験しました。

しかし、最も大きな影響を受けたのはACoAおよびACoDのムーブメントでした。彼らは他の12ステップ共同体よりも施設やプロフェッショナルへの依存度が高く、それらが消失したことの影響をもろに受けました。

この時期のACグループの様子を記述した文献は見当たりません。分っているのは単にグループが消えてしまったということだけです。ACA共同体のサービス機構も事実上機能停止に至りました。その理由は資金不足です。サービス機構に献金を送ってくるグループやメンバーがいなくなれば、サービス機構は活動することができなくなります。個人で長距離の電話代や郵送の切手代を負担して、なんとかコミュニケーションと実務を継続しようとした人たちもいたようですが、それも長くは続きませんでした。

この時期に、ACoAのグループのなかにアラノンに加盟する動きがあったことが分っています。それがどの程度の規模だったのか分りませんが、ACoAムーブメントにとってもACA共同体にとっても痛手になったものと思われます。20)

このようにして、外部のプロフェッショナルたちに依存し、全国的な横のネットワークを構築できなかったACoAムーブメントおよびACoDムーブメントは、1990年代なかばに終結してしまったのでした。その後ACA共同体が再建されたことでACムーブメントは再起を果たすのですが、この暗黒の1990年代については多くは語られません。クラウディア・ブラックもビッグレッドブックの序文の中で、

初期の頃から、私はミーティングの苦問と衰退、そして現在のACAの再起を見てきました。21)

と曖昧に書いているのみです。将来この時期に関する資料が見つかれば、加筆するつもりです。

ACoA/ACoDムーブメントの終焉外部のプロフェッショナルたちに依存していたACoA/ACoDムーブメントは、アディクション治療産業の崩壊に巻き込まれて1990年代半ばに終焉を迎えた。

日本での展開

同じ時期に、日本では何が起きていたのでしょうか?

すでに1983年にはアラノンACが日本でも始まり、2000年には全国で40グループを越えていました。ただし、これはアラノンですからアダルトチルドレン・オブ・アルコホーリック(ACoA)の人が対象です。アメリカでは80年代からACoD(機能不全家庭出身のAC)の概念が広がっていましたから、当然日本でもACoDのグループを作る動きが始まりました。

ACODA

ACODA(アダルト・チルドレン・オブ・ディスファンクショナル・ファミリーズ・アノニマス)は、日本で最初に始まったACoDのための12ステップグループです。2005年に15周年を迎えていますので、創設は1990年ということになりますが、実際にはそれ以前(80年代終わり)からグループの活動は行われていたようです。

ACODAは『ミーティングハンドブック』という小冊子を作ってミーティングで使っていますが、その中に「問題」と「解決」の文章があります。「問題」の文章はトニー・Aの書いたランドリーリストと共通で、ただし13番と14番は取り除かれています(前回のACoDの項参照)。そして末尾に、

Newcomer’s Packet, 1st ed., Adult Children of Alcoholics, San Diego から引用)

とあります。この文章からして、カリフォルニアにACA共同体が設立されて、そのオフィスがミーティングで使う文献を発送するようになる前(おそらくは80年代前半)に入手したものと思われます。それがどのようにして翻訳され、ACODAで使われるようになったのか詳細は不明ですが、ともあれACoAムーブメントで使われていた文献を参考にしたということは確実です。

「解決」の文章には上述の追記がありません。20年ほど前にACODAにメールを出して、「解決」も Newcomer’s Packet から翻訳したのか、それとも他から得たのかと質問してみたのですが、「当時のことを知っている人がすでにいないので分らない」という返事でした。とは言え「問題」と「解決」を別のソースから持ってきて組み合わせたとは考えづらいので、第17回でトニーの書いた「解決」を復元するに当っては、このACODAの解決と、次に説明する日本のACAの「解決」を参照しました。

ACA(アダルト・チルドレン・アノニマス)

『ACのための12のステップ』このACODAは2000年ごろには日本全国に50グループという規模に成長しましたが、そこから分離してできたのが日本のACA(アダルト・チルドレン・アノニマス)です。その成立の過程については『ACAの歴史』という小冊子に説明があります。それによると分離は『ACのための12のステップ』の出版と関係しています。

ACODAは12ステップグループとして始まったものの、当然自分たちの12ステップのテキストを持っておらず、ステップの実践については手探りの状態が続いていました。彼らはアメリカのACの共同体が12ステップのテキストを作っていないか調べましたが、当時はどこも12ステップの文献を作れていませんでした。

しかし、93年にあるメンバーがアメリカに旅行した際に、ロサンゼルスの空港でロン・Hたちの The 12 Steps for Adult Children を見つけ、それを翻訳して内々にミーティングで使うようになりました。それが大変好評だったので、より多くの人に使ってもらえるようにしようと原著者に問い合わせたところ、共同体内部での利用に限定することを条件に、印税無しで日本語訳の作成を許諾してくれました。そうして94年10月に『ACのための12のステップ』が作成され、ACODAの人たちに愛用されるようになりました。

96年になり、本の在庫が少なくなってきたので、増刷について問い合わせたところ、それならば正式に契約して印税も払ってくれという条件に変わりました。それに応じるかどうかで意見が分かれ、本の出版と利用を続けたい人たちが別団体を作って原著者らと契約し、その本をメインテキストとして使う共同体として1997年12月に設立されたのがアダルト・チルドレン・アノニマスです。そして翌98年に『ACのための12のステップ』が出版されました。

日本でもプロフェッショナルによる影響が

この『歴史』には書かれていませんが、本の出版についての意見の不一致だけで共同体の分裂が生じたわけではありません。ACの当事者は有名な精神科医やカウンセラー(あるいはその弟子筋)の治療を受けていることが多く、誰の治療を受けているかで共同体内部に派閥が生じ、それが解消できない意見対立の原因になっていたことは、当時を知る誰もが否定しない事実です。

そもそも当時の日本のアラノンACは参加者をACoAだけに限定せずにACoDも受け入れるポリシーを採っていたのにも関わらず22)、ACoDのためのグループ設立が促進されたのは、プロフェッショナルたちが自分たちにとって都合の良い当事者グループを欲したからでもあります。

このように、アメリカでも日本でもACの当事者グループはプロフェッショナル側の都合に振りまわされてきました。それはACが権威との関係に脆弱性を抱えており、しかもその脆弱性が意識されていないからだと考えられます。だとするならば、当事者側としてはプロフェッショナルとは距離を取り、回復の理念を外部から無批判に採用するのではなく、苦労してでも自分たちで回復の原理を確立していく必要があるはずです。ビッグレッドブックは、ACAグループが12のステップと12の伝統に基づいて運営され、外部から導入した治療セッションの場にならないように釘を刺しています。23) また治療者の側も、ACの持っている脆弱性を十分に意識し、当事者共同体のなかでのトラブルに対して「即効性のある解決」を提供するのではなく、それが長い時間をかけて解消されていくのを辛抱強く見守るだけの忍耐強さが必要だと思われます。

プロフェッショナルとは距離を取る12ステップグループは治療者たちとは距離を取り、プロの使っている治療手法を無批判に導入せず、回復の原理は自分たちの手で確立していかなければならない

前回述べたようにACoAとACoDのムーブメントには違いもあるものの、日本のACODAとACAという二つの共同体は、ともにトニーの「問題」と「解決」を受け継ぎロン・Hたちのテキストを通じて抑圧された感情の問題(ビッグレッドブックのいうところのトラウマ・PTSD)に向き合う理念を継承している点で、世界的なACA共同体(ACoA)に引けを取らない存在になっています。

精神分析から受けた影響

共依存の倫理この連載ではホワイトの『米国アディクション列伝』を大いに頼りにしてきました。しかし彼はこの分厚い本のなかで共依存とACについてはわずか2ページしか割いていません。そこで頼ったのは倫理学者小西真理子の『共依存の倫理』(2017)でした。同書からは主に共依存概念の成立の歴史を学びましたが、それ以降の内容を読んでいて「なるほど」と思ったことがあったので、そのトピックを紹介しておきます。

AC関係の本を読んでいると、しばしば真の自己(true self)偽りの自己(false self)という言葉が登場します。そして、真の自己を象徴するものが自分の中にいるインナーチャイルドであり、偽りの自己とは現在の共依存的な自分のことです。

この真の自己と偽りの自己という概念は、もともと12ステップの中にはありませんでしたし、12ステップと相性が良いわけでもありません。ACoAのムーブメントの最初からこれらの概念が使われていたわけではありません。しかし、現在のACA共同体のビッグレッドブックには真の自己という表現が頻出しますし、インナーチャイルドが真の自己であることも明確にしています。

僕はいつごろ、どこからこうした概念が導入されたのかまったく知識がありませんでしたが、『共依存の倫理』では1980年代に精神分析理論の影響を受けたことによるとして、その説明に一章を使っています。まず、共依存概念成立前の先行概念としてとして、カレン・ホーナイ (1885-1952)が神経症のタイプの一つとしてあげた「自己消去タイプ」(他者と病的依存関係に陥いるタイプ)の特徴の一つである「自己喪失(loose oneself)」を挙げています。また、エーリヒ・フロム (1900-1980)が彼独特の言葉で表現したサディズムとマゾヒズムが役割を交換しながら続く共棲関係も、共依存を論じる文献のなかで引用されてきたと指摘しています。

内なる子どもを癒すこのようなホーナイやフロムという新フロイト派 からの引用を踏まえ、精神科医のチャールズ・L・ウィットフィールドCharles L. Whitfieldが、1990年の著書 Co-Dependence: Healing the Human Condition の冒頭で「共依存は自己喪失の病である(Co-depedence is a disease of lost selfhood)」と書きました。現在の自分が自己喪失した偽りの自己であるならば、取り戻すべき真の自己が存在するはずです。ウィットフィールドは1987年の著書 Healing the Child Within: Discovery and Recovery for Adult Children of Dysfunctional Families(斎藤学監訳『内なる子どもを癒す―アダルトチルドレンの発見と回復』(1997))で、真の自己を「内なる子供(インナーチャイルド)」と表現しました。さらに、この内なる子供は、単に弱い存在ではなく、回復のための力を持った存在だとしました。24)

このウィットフィールドの二冊は多くの共依存やACについての文献で参照され、広範に影響を与えました。ですから、真の自己という考え方は、戦争を機にアメリカに移り住んだ新フロイト派の影響を受けて共依存概念の中に取り込まれ、さらにそれがアダルトチルドレンの概念にも影響を与えたのだと考えられます。

傷ついたインナーチャイルドが愛される必要性や、インナーチャイルドがACの回復の力の源泉であるという考え方を当事者がACのグループに持ち込んできている、という現実があるにしても、ここで論じたいのは、それらがACの共同体のプログラムにどれほど影響を与えたかです。

前述の通り、1984年のACAのアイデンティティ文書では、インナーチャイルドはACの脆弱性の象徴であり、ACに神の助けの必要性を気づかせるための装置となっています。また、そこにはインナーチャイルドが回復の力の源泉だという考えはありません。これは、12ステップグループにおいては、救いはハイヤー・パワーからもたらされるものですから当然です。

1987年のロン・Hたちの『ACのための12のステップ』では、傷ついたインナーチャイルドが現在の大人の自分の行動に影響を与えており、インナーチャイルドを愛して養育することが大人の自分の責任とされています。25)

さらに、1991年のトニー・Aの The Laundry List では、自分のなかに閉じ込められた内なる子供(child within)は回復に抵抗しており、私たちはその子を無条件で愛して養育しなければならないとしています。そして癒しはハイヤー・パワーからもたらされることをトニーは強調しています。26)

このように見てみると、少なくとも12ステップ共同体の重要なテキストにおいては、インナーチャイルドは回復の力の源泉ではなく、また現実の自分よりも善なる存在というわけではありません。むしろ、脆さを抱えたインナーチャイルドを自分が無条件で愛することで、神の無条件の愛が自分を通じてインナーチャイルドに注がれ(本当の親=神による)養育が行われるのだ、とトニーは述べています。

善い存在としてのインナーチャイルドあるいは回復力の源泉としてのインナーチャイルド、という外部の人たちが用いる考え方は、12ステップと矛盾するものである以上、ACの共同体においては棄却されざるを得ません。インナーチャイルドが理想の自分だという捉え方は12ステップとは相性が悪いのです。ビッグレッドブックでもインナーチャイルドが真の自分だとしているのみで、過剰な理想化を避けています。

真の自己という概念精神分析の影響を受けて、真の自己・偽りの自己という概念がACの共同体のなかに取り込まれ、インナーチャイルドが真の自己として扱われているが、インナーチャイルドの理想化は行われていない。
わきみちユングの幼児元型(puer aeternus, 永遠の少年)は、無力な幼児であるとともに無垢で神聖な存在だとされています。ユング派のマリー=ルイズ・フォン・フランツ (1915-1998)は、このタイプの元型の影響を多く受ける人は、思春期を過ぎてもまだ自分の可能性が開花する時がいつか訪れると信じ続ける(=誇大妄想的である)ことを指摘しています。27) インナーチャイルドを理想化し崇拝するタイプのACは、アル中とも共通する自己愛性パーソナリティ障害的な人格を持っていると言えるのではないでしょうか。

ACA共同体の再建と全体の包摂

1990年代前半に起きたアディクション治療産業の崩壊の影響を受けて、アメリカのACムーブメントが終わってしまったことは上で説明しました。ただし、激減したとしてもACのグループが皆無になったわけではありません。

ACA共同体(Adult Children of Alcoholics)の再建がどのように行われたかを記述した文献は見当たりません。おそらく歴史として語られるにはまだ時間が十分に経過していないのでしょう。各分野を代表する7人のリーダーたちの協働によって再建が行われた、という情報はあるものの、この7人がどんな人物なのか、具体的に何をしたのかという情報はありません。

再建の方針を一言で表現するならば、包摂(inclusion)です。1980年代を振り返ってみれば、地域性およびプロフェッショナルとの関係によってACのムーブメント全体が分断され、細分化されて、合同することができませんでした。にもかかわらず、施設の治療プログラムのアフターケアとして多くのクライアントが送り込まれることでグループは増え続け、危機は覆い隠されていました。やがて施設に冬の時代がやって来ると、その影響をACのグループはもろに喰らってしまいました。

そこで彼らは何よりも合同すること(分裂せずに一つであること=一体性を優先させる必要を感じたのでしょう。現在のACA共同体がカリフォルニアのACA共同体を引き継いでいると主張しながらも、カリフォルニアでの設立の歴史を完全に封印し、ムーブメント全体のオリジネーターであるトニー・Aを共同体の創始者として扱うようにしたのも、各共同体の残存グループの合同のためだったと考えれば理解できます。カリフォルニアでの設立の功績者を称えてしまえば、対立していた人たちとの合同を難しくしてしまうのですから、誰の功績も讃えず、ムーブメントを離れてしまったトニーにその役割を振ることしたのでありましょう。(トニーは都合良く利用された、とも言えます)。

Book Icon is from vecteezy.com.

もう一つは、ACoAムーブメントだけでなく、ACoDも包摂しようとしたことです。その方針についてはビッグレッドブックの一章を割いて念入りに説明されています。28) 同時に、共同体の名称も Adult Children of Alcoholics / Dysfunctional Families へと変更されました。正式な名称は従前のままですが、ウェブサイトや書籍に新しい団体名が表示されることで、ACoDを包摂している姿勢が明確になりました。またACAの12ステップ(前回)のステップ1に「その他の家族の機能不全(other family dysfunction)」が加えられました。

この合同と包摂の方針は、結果から見れば十分成功したと言えます。アラノンに合流したり、あえて独立を選んだグループもあったものの、それらを除く多くのグループがこの新ACA共同体に合流し、再建されることで、アダルトチルドレンの分野を代表する世界的な共同体に発展しました。

ACAフェローシップテキスト(ビッグレッドブック)2006年には ACA Fellowship Text (通称ビッグレッドブックが発刊されました(日本語版は2022年)。これは、12のステップやインナーチャイルドワーク、12の伝統やサービスなどの説明を含み、ACAプログラムを包括的に説明しようとした結果600ページを超える大部となりました。その内容は、彼らがカリフォルニアで作られたアイデンティティ文書群を引き継いだ結果として、基本的にACoAムーブメントの文化を受け継いだものになっています(自分たちは「親と同じになってしまった」のであり、インナーチャイルドは養育の対象であって回復の力の源泉ではない)

ビッグレッドブックの一つの大きな特徴は、「自分自身の愛なる親になる」という解決の理念にもとづいてインナーチャイルドワークを取り込んでいることです(第8章)。インナーチャイルドという概念についてはアイデンティティ文書にも見られましたが、インナーチャイルドを対象とした実践が12ステップ共同体のテキストに登場したのはこれが初めてです。そこではインナーチャイルドワークが12ステップとACAの解決だと位置づけられています(すなわちインナーチャイルドワークは12ステップとは別物)。これを取り込んだのも包摂の方針によるものと考えられるのですが、彼らはそれが12ステップと矛盾したものにならないように大変に気を使っている様子が見受けられます。つまり、自分自身を育てるという自らの主体的行動が解決をもたらすの、自らの育て直しによってハイヤー・パワーとの繋がりが取り戻され、真の親(神)による救いがもたらされるという基本を維持しています。

新生ACAは全世界のミーティング数が2006年には推定1,000に、2018年には2,000に達したとしています。29) 彼らは崩壊前の規模を回復しました。日本では2010年前後から活動が始まり、現在40グループほどが存在します。日本のACAとの混同を避けるために国内ではACoAという略称を使っています。

再建と包摂現在のACA共同体は、90年代の崩壊の後に他の共同体も包摂して再建されたもの

最近のトピックと振り返り

第16回から4回にわたってACと共依存の共同体の歴史を説明してきました。世界的にはアラノンACと新生ACAが代表的な存在となっています。日本ではアラノンACは不活発になってしまったものの、1990年代に始まったACODA(日本の)ACAが存在しており、またACoA(日本におけるACAの呼称)もグループ数を増やしている、という状況です。

さて、トニー・Aは1990年代初頭に著書を出版し、講演やインタビューを受けた後は、特に目立った活動をすることもなく過ごし、2007年に亡くなりました。自分がACAの創始者に祭り上げられたことに対して、特に同意も反論も発表しませんでした。しかし、トニーとACA共同体との関係は決して良好ではなかったようです。

ACAではトニーの著書をグループで使うことも認められており、実際使っているグループはかなり多いようです。しかし、この本がACAの外部の出版社から出されていることは、なにかと不都合でした。特に紙の本が絶版になり、電子版でしか入手できなくなったことは実利用としてはかなり不便です。そのこともあって、ACAの内部からトニーの本をACAで出版してほしいという要望が出され、権利処理のために弁護士がトニーの遺族(未亡人)と接触しようとしました。しかし未亡人は接触を拒み、本の出版を許諾することはあり得ないと明言しました。結局ACAはトニーの本の版権取得を諦め、その意図を汲んだ新しい本を自分たちで作ることを決定しました。 30)

もう一点、団体の正式な名称は Adult Children of Alcoholics のままですが、それを表記通り Adult Children of Alcoholics / Dysfunctional Families に変更する手続きが進められています。略称もACAからACA/DFに変更になる見込みです。

Loving Parent Guidebook これらのことは、ACA共同体が現在も成熟を続け活発に活動していることを示しているのでしょう。2021年には「解決は自分自身の愛ある親になること」という解決の理念にもとづいた Loving Parent Guidebook が出版されました。これは自分自身を育て直す親の役割をするためのガイドブックです。その内容はインナーチャイルドワークの発展であって12ステップとは別物であるものの、回復の理念を自分たちで作り上げていこうという気概を感じさせます。

他の分野と違い、共依存とACの分野は、それらの概念の誕生の直後にプロフェッショナルたちの取り組みが拡大し、治療者たちが当事者グループを自分たちに都合良く扱った結果、また当事者グループの側もプロフェッショナルに依存した結果、ムーブメントは不幸な結末を迎えました。しかしその残骸を集めて再建された共同体は、ようやく成長への道を歩き出している、と言えるでしょう。

僕は1980年代のアメリカのACムーブメントは経験していませんが、1990年代の日本のACブームには触れていました。当時の熱狂に比べると、現在の共依存やACの分野はずっと静かな状況です。だが、この分野が成熟するためにはその静けさが必要なのでしょう。ACには興奮に嗜癖する(ランドリーリストの8番)という特性があるゆえにそう思うわけで、このままこの分野が社会の過剰な注目を浴びることなく着実に成熟への道を進んでほしいと願っています。

トニー・Aは、12の伝統やアノニミティに対しては否定的でした。彼はアノニミティは家族の秘密を封じる効果があり、ACの回復を阻害すると考えていました。31) 僕は、トニーが12の伝統を否定したのは、彼がACoAムーブメントがサービス機構などの組織をまったく持たない草の根的な運動として広がっていくことを期待したからではないかと考えています。そんな彼がACA共同体の創始者として扱われているのは、本人にとっては不本意だったに違いありません。しかし僕はこの一連のエントリを書きながら気がついたことがあります。それは、トニーが結果的には自分の望んだ回復よりも、共同体の発展を優先させることになったのは、神の計画によって彼というピースがあるべき場所にはまるようになっていたからではないかということです。

各共同体の歴史の振り返りはこれで終わり、次回のQ&Aの次は、いよいよステップ1の説明に入っていきます。


  1. Tony A., et. al, The Laundry List: The ACoA Experience, 1990, Health Communications — 1991年発売としたのはcopyright表記からの情報。Amazon.comの書誌情報では1990年発行とあり、91年2月の講演ではすでに新しい12ステップを発表済みとしているので、1990年中に発売されたのかもしれない。[]
  2. LL, ch. 4, Our Common Behavior: Another Look At The Laundry List.[]
  3. CTM, pp. 9-12.[]
  4. そうした人々が施設の治療プログラムの話ばかりして、AAのステップの話が聞かれなくなり、「AAがAAでなくなってしまった」という批判があった — ウィリアム・L・ホワイト(鈴木美保子他訳)『米国アディクション列伝 アメリカにおけるアディクション治療と回復の歴史』, ジャパンマック, 2007, p.292.[]
  5. LL, The ACoA 12 Steps Of Recovery.[]
  6. Tony A., Why 12 new steps for ACoAs followed by a group discussion led by Tony Allen., talk in 7th Annual National Convention of Children of Alcoholics, on Feb. 25th, 1991.[]
  7. アラノンACではそのような主張は行われないのに対し、そこから分離してできたACoAムーブメントがそうした状況に陥ったというのがトニーには悩ましいことであっただろう。[]
  8. ACABRB, p. xxxix.[]
  9. LL, ch. 11.[]
  10. ACABRB, pp. 91-95.[]
  11. アーネスト・カーツ(葛西賢太他訳)『アルコホーリクス・アノニマスの歴史――酒を手ばなした人びとをむすぶ』, 明石書店, 2020, pp. 114-115.[]
  12. W12NS.[]
  13. ホワイト, pp. 295-296.[]
  14. ホワイト, pp. 296-298.[]
  15. ホワイト, pp. 298-300.[][]
  16. ホワイト, p.309.[]
  17. ホワイト, pp. 334-340.[]
  18. ホワイト, pp. 298-299,325-340.[]
  19. CTM, pp. 9-18.[]
  20. この時期のアラノンやACA共同体の記述について出典を載せることはできない。というのも共同体内部向けの文書を参照したからである。そのような内部向けの情報が入手できたとしても利用せず、外部向けに公開されている情報だけを使って書くことを基本にしているのだが、さすがにこの時期についてはその方針を曲げざるを得なかった。[]
  21. ACABRB, p. xx.[]
  22. アラノン・ジャパンGSO ACコミティ『傷は癒されて恵みとなった―アダルト・チルドレンの回復、そして成長』, アラノン・ジャパン, 2000, pp. 30-31.[]
  23. ACABRB, p.574.[]
  24. チャールズ・L・ウィットフィールド(斎藤学監訳)『内なる子どもを癒す―アダルトチルドレンの発見と回復』, 誠信書房, 1997, pp. 14-21.[]
  25. AC12, pp. 42, 47-48.[]
  26. LL, ch. 7, Prayer.[]
  27. M・L・フォン・フランツ(松代洋一他訳)『永遠の少年: 『星の王子さま』の深層』, 紀伊國屋書店, 1982.[]
  28. ACABRB, 第三章.[]
  29. ACABRB, p.xiii — 2018年の数字は英語版から.[]
  30. WSO Literature Committee, “Tony A Steps—Report And Advisory”ComLine Blog (adultchildren.org), ACA WSO, 2022.[]
  31. ACA, Early History of ACA, ACA WSO, 2015.[]

2024-08-1212ステップのスタディ,日々雑記

Posted by ragi