12ステップのスタディ (16) アラノンAC

ACと共依存の12ステップグループについて説明する前に、アラノンについて説明しなければなりません。

AAでは alcoholic をアルコホーリクと訳しているため、それに準じてこのブログでもアルコホーリクを使っていますが、AA以外で使われる言葉に alcoholic が含まれている場合はアルコホーリクと「ッ」を挿入します。

アラノンのプログラム

アラノンについては前の連載で簡単に説明しましたBBS#10。正式な名称はアラノン家族グループAl-Anon Family Groupsといい、基本的にはアルコホーリクの家族のためのグループです。家族には、アルコホーリク本人に対して、親・配偶者・きょうだい・子供などいろいろな関係があり得ますが、アラノンの公表しているメンバー調査は、配偶者やパートナーの立場の人が最も多いことを示しています。またメンバーの約8割が大卒以上という高学歴集団であることもアラノンの特徴の一つです。1)

AAはその始まりからアルコホーリク本人とその家族が一緒に活動してきましたが、本人と家族ではニーズの違いがあることが次第に明らかになり、それぞれの目的に集中するために、1951年にロイス・WLois Wison, 1891-1988, ビル・Wの妻)らの主導で、それまでAA内に存在した家族グループがAAから分離・独立して成立しました。

How Al-Anon Works
How Al-Anon Works

アラノンのプログラムを説明するテキスト How Al-Anon Works2) のなかで家族の病理を表すために使われているのが react(反応する)という言葉です。アルコールは誇張された自信をアルコホーリクに与え、まるですべての答えを知っている小さな神のように振る舞わせます。しかし、実際のアルコホーリクの行動は不合理そのものですから、家族はそれをやめさせ、アルコホーリクにより現実的な見方をさせようと試みます。しかしそれは無駄に終わります。それでも家族はその試みをやめようとはせず、あれやこれやと手段を変えて同じことを試み続けます。このようにして、アルコホーリクの行動(action)に対して家族が反応(reaction)することで、アルコホリズムという病気に家族全体が巻き込まれていくのです。3) それを「私たちまた病みうるのだ(We, too, can become ill)」という言葉で表現しています。

では、家族の側に具体的にどのような症状が生じるかは Understanding Ourselves and Alcoholism というパンフレットにシンプルな説明があります。4) それには、

Understanding Ourselves and Alcoholism
Understanding Ourselves and Alcoholism
    • アルコホーリクが飲んでいるのかいないのか、どうやったら酒をやめさせられるかばかり考えてしまう強迫観念
    • アルコホーリクが起こしたトラブルを家の外に知られないように隠したり、代わりにトラブルを解決しようとして自分が嘘をつくなどの行為の元にある不安
    • アルコホーリクが嘘をついたり家族を利用したことに対して、それを罰し、代償を負わせようとする怒り
    • アルコホーリクが短期間でも酒をやめれば問題がすっかり解決したと信じ込みたくなる否認
    • アルコホリズムの原因が自分にあるのではないか、それを解決できないのは自分の力不足ではないかと考える罪悪感

などが挙げられています。これらは、アルコホーリクの行動に対する家族の反応なのであり、そのような不健全な反応は、家族自身を苦しめるばかりでなく、アルコホーリクの回復の訳にも立ちません。いや、役に立たないどころかむしろ有害で、例えば酒をやめさせようと酒を捨てる行動は、本人の怒りを招き、一緒に問題を解決しようとする協力関係を壊してしまいます。

このような説明からは、家族メンバーはお互いに影響を与え合っているという考えや、ある行動が悪い結果をもたらし、その結果が引き起こした行動が別の悪い結果をもたらすという悪循環が起きているという考え、家族と外部との間に壁が作られていくという考えが見て取れます。

そして、アルコホーリクが飲んでいる時に身に付けた自己中心性が酒をやめても残り続けるようにBBS#93、家族が身に付けてしまった不健全な反応はアルコホーリクが酒をやめた後も(あるいはアルコホーリクと離別した後も)家族に残り続けます。したがって、本人も家族も同じように、残った問題に取り組み続けなければならない、という考えるのです。

何もかも取り仕切りたがる役者ところで、AAでは酒をやめた後もアルコホーリクに残り続ける精神病理を「自己中心性」や「性格上の欠点」と呼んでいますが、それを端的に表したのがビッグブックの「ショー全体を取り仕切りたがる役者」という言葉ですBBS#93, #94。それはコントロールできないものをコントロールしようとする姿勢だと言えます。一方アラノンは、「アルコホーリクの行動に対する私たちの(不適切な)反応」という表現をしていますが、その内容は上で説明したように、コントロールできないものをコントロールしようとする姿勢です。このように本人と家族の精神病理には共通点がある、という認識が、後にコ・アルコホリズムやパラ・アルコホリズムという概念、さらにはアダルトチルドレン(AC)という概念を生むことになります。

共通性の認識アラノンの疾病概念は、アルコホーリク本人とその家族の精神病理には共通点があるという認識をもたらした

アラノンは133ヵ国に広がり、5) 24,000グループが活動しています。そのうち14,000グループがアメリカとカナダにあります。6) 日本では1979年7月に東京で最初の日本語グループが始まり、現在は全国で40グループあまりが活動しています。7)

アラティーン

アラティーンは1957年に始まったことになっていますが、10代の若者たちによるアラノンミーティングはその前の年にカリフォルニア州パサデナ で始まりました。17才のロバート(Robert)は、父親がAAに、母親がアラノンに参加するようになっていました。彼は母親に連れられて何度かアラノンのミーティングに行きましたが、そこには他のティーンエイジャー も来ていました。彼らと自分の問題について話し合いたいと思ったものの、きっと大人たちには自分たちの話は理解して貰えないと思った彼は、ティーンエイジャー向けのアラノングループを作り、それをアラティーン(Alateen)と名付けました。

翌年アラノンがアラティーンをグループの一類型として認めると、1年間でアメリカ各地に45グループが作られました。1981年にはアラティーンのグループ数は2,300に達しました。8)

日本では1980年に東京でアラティーングループが始まりましたが、国内でのアラティーンの活動は20世紀のうちに終息してしまったようで、21世紀に入ってからは活動が見られません。

10代のためのアラノン1956年にアラティーンが始まり、急速に数を増やしていった

アルコホーリクとその家族に対する理解の変化

AAが登場する以前、社会がアルコホーリクに対して持っていたイメージは、家族から見放され、無職であるか仕事に就いても続かず、身体的・精神的・道徳的に退廃し、ドヤ街にいる、というものでした。しかし、それはアルコホリズムの最終段階にいる少数の人たちだけを観察した結果であり、AAが多くの回復者を生み出し、またアルコール医療が広がるにつれて、そのようなイメージは否定されていきました。大多数のアルコホーリクは配偶者と共に暮らし、安定して仕事を続けており、少なくともこの病気の初期・中期においては、アルコホーリクたちはその隣人たちと変わらない生活を続けていることが明らかになりました。9)

また治療者たちは、アルコールの多飲は深層にある情緒的問題が表面に現れたに過ぎない(すなわち二次的な問題)と見なす傾向がありましたが、これも同様にアルコホリズムは一次疾患(primary disease)であるという認識が広がっていきました。10)

つまり、アルコホーリクたちは、アルコホーリクになる以前は、それ以外の一般の人と変わらない生活をしており、またアルコホリズムは別の何らかの問題の結果ではない、ということを意味します。これはアルコホリズムが病気として理解されたということでもあります。例えば、インフルエンザ に罹った人は、それに罹る前は普通の暮らしをしてたわけですし、特殊な事情を抱えた人だけがインフルエンザに罹るわけでもありません。アルコホリズムもそれと同じなのです。

同じように、アラノンの登場が、アルコホーリクの家族(主に妻たち)への理解を変えていったことも見逃せません。20世紀半ばの治療者たちは、アルコホーリクの妻の存在に注意を向けないか、あるいは治療にとって邪魔な存在と見なすか、そうでなければ妻の存在が夫のアルコホリズムの原因であると考えていました。不安定で依存的なパーソナリティを持った妻たちが、夫をアルコホリズムにし、さらに断酒も阻んでいると捉えていました。それを端的に表した言葉が「もしも彼女と結婚すれば、私だってきっと飲み過ぎるようになる」というものでした。(妻の人格障害論)

アラノンによって、研究者たちにアルコホーリクの妻たちを大量に観察する機会がもたらされました。その結果、妻たちの振る舞いは、夫のアルコホリズムがもたらしたストレスへの反応であるという考え方が広がっていきました。(ストレス反応論)11) 12)

このようにして、健康な一家をアルコホリズムという一次疾患が蝕み、家族全員が病んでいくという全体像が描き出されました。これが、1950年代から60年代にかけて治療者たちのあいだで起きた変化でした。

認識の変化健康な一家をアルコホリズムが蝕み、家族全員が病んでいくという全体像への理解が広まった

ただこの時点では、家族メンバーの中で「アルコホーリクとその配偶者」という夫婦関係にしか着目していませんでした。アダルトチャイルド(AC)という概念が登場するには、さらにいくつかの条件が整う必要がありました。

家族システム論

このブログは対象を12ステップグループという「当事者側」のみに絞っているのですが、ACと共依存の概念の発生には当時の治療者側の変化が影響していますので、もう少しプロフェッショナル側の話を続けます。

家族システム論(family system theory)がアディクション治療に導入されたのは1970年代でした。13) システム論 は、システムを構成する要素間での相互作用に着目した理論で、工学・生物学・経済学など幅広い学問で使われています。それを家族を一つのシステムと見立てて対人支援に応用したのが家族システム論で、現在では主に家族療法 を行う人たちが使っています。

家族システム論のいくつかの考え方――家族が一つの閉じたシステムを構成しているとか、家族メンバー間で原因と結果が円環的に循環しているという考え方は、すでにアラノンで知られており、特に目新しいものではありませんでした。ですから、家族システム論が12ステップの文化圏に最もインパクトを与えたのは世代を超えて影響が及ぶという考え方でした。家族システム論では、例えば、祖父母世代が持っていた不安は親世代にへと受け渡され、それが子供世代へと世代を超えて受け継がれていくと教えます。それが、夫のアルコホリズムとそれに対する妻の反応が、子の世代にも受け継がれる、という考えを生む素地となりました。14)

家族システム論の影響家族システム論は、親世代の問題が子世代に受け継がれるという考え方を提供した

コ・アルコホーリク/パラ・アルコホーリク/アダルトチャイルド

こうしたいくつかの概念が組み合わさって、1970年代初めに、コ・アルコホーリック(co-alcoholic)パラ・アルコホーリック(para-alcoholic)という概念が作られ、使われるようになりました。

コ・アルコホーリック、パラ・アルコホーリックという言葉を、誰が、いつ、どこで使い出したのかは正確には分りません。コ・アルコホーリックという言葉が最初に自助文献(self-help literature)15)に現れたときには、単にアルコホーリクの周囲にいて苦痛を受ける人(家族)を指す言葉だったものが、やがて治療者たちにもその用語が使われるようになったときにはアルコホーリクと対になる病理を抱える家族という意味を含むようになっていました。16)  パラ・アルコホーリックもほぼ同じ意味で使われます。

ここで、コco-という接頭語は with や together という意味ですから、17) コ・アルコホーリックは「アルコホーリクと一緒に暮らす人(つまり家族)」を意味します。それだけでなく co- には to the same degree(同程度)という意味もありますから、アルコホーリクと同程度に病んでいる人という意味も持ちます。

また、パラpara-という接頭語は beside(傍らに)という意味ですから、18) パラ・アルコホーリックも「アルコホーリクの家族」を意味する言葉です。そして para- には resembling(類似している・共通点がある)という意味もあるので、アルコホーリクに類似した人、疑似アルコホーリックという意味も持ちます。19)

コ・アルコホーリックおよびパラ・アルコホーリックは人を示す言葉で、その人の持つ病理を示す場合にはコ・アルコホリズム(co-alcoholism)パラ・アルコホリズム(para-alcoholism)という言葉になります。どちらも、アラノンや家族システム論の影響を受けて、アルコホーリクと共通した病理を持つようになった家族メンバーを意味する言葉として使われました。

アルコホリズムがアルコール依存(alcohol dependency)という名称に変わったのに伴い、コ・アルコホリズムという言葉も1980年代にコ・デペンデンシー(co-dependency)という言葉へと変化し、それが日本語で共依存と訳されました。その変化の過程で、アルコール以外の依存症の人の家族も含むようになりました(cf. 共依存症者)。そしてこの言葉はアディクションの治療者だけでなく他分野の人たち(社会学者など)にも使われるようになりました。当然のことながら、その過程で共依存という言葉は多様な意味を持つようになりました。現在、共依存という言葉が「アルコホーリクと一緒に暮らしたことで同じ病理を抱えるようになった家族の状態」という元来の意味で使われることはほぼなくなっています。(CoDAやACAでの共依存という言葉の使われ方については、各項で述べます)。

一方で、パラ・アルコホリズム(パラ・アルコホーリック)という言葉は、12ステップグループの中だけで生き残り、当初と同じ疑似アルコホーリックという意味で使われ続けています。

疑似アルコホーリックコ・アルコホーリックおよびパラ・アルコホーリックは、アルコホーリクと一緒に暮らしたことで、アルコホーリクと共通した病理を持つようになった家族メンバー(子世代も含む)を指す
The Forgotten Children
The Forgotten Children

そして、この同じ時期にチルドレン・オブ・アルコホーリック(children of alcoholics, CoAという概念も作られ、使われるようになりました(cf. アルコホーリックの子)。これは、1969年にトロントのソーシャルワーカー、マーガレット・コーク(R. Margaret Cork)がその著書 The Forgotten Children: A Study of Children with Alcoholics Parents で、アルコホーリクを親に持つ子供たちは感情の傷を負うことを指摘したことによります。20)

そして、成人したCoAたちをアダルトチルドレン・オブ・アルコホーリック(adult children of alcoholics, ACoAと呼びました。家族システム論の影響を受けて、アルコホーリクである親と、パラ・アルコホーリックであるもう一方の親の両方から影響を受けつつ育った人たちです。これがアダルトチルドレン(AC)概念の誕生です。

アダルトチルドレン概念の誕生アルコホーリクの親のもとで育つ子らは感情の傷を負うという考えが示され、CoAやACoAという概念が作られた

アラノンAC

アダルトチルドレン(AC)の人たちが助けを求めたのはアラノンでした。いつごろからACの人たちがアラノンで活動を始めたのかはわかりませんが、アラノンの機関誌 The Forum の1972年12月号にアダルトチルドレン向けの文献の作成を要望する投稿が掲載され、それを受けて翌73年のアラノン全体会議でパンフレットの作成が承認され、理事会側も材料が揃っているのですぐに作業が始められると答えています。21) このことからすでに1972年の段階で一定数のACoAがアラノンに参加していたことがわかります。この冊子は、6年後の1979年に Al-Anon Family Groups — Adult Children of Alcoholics として出版されました。22)

1974年には最初のACのグループがアラノンに登録されました。23) ただし、上述のアラティーンのようなアラノングループの新しいカテゴリが作られたのではありません。アラノンではグループ名に親(parents)とか男性(mens)とか女性(womens)という属性を含めることで、そのグループがどんな人たちを対象にしているかを明示する習慣があります。24) ACを対象としたアラノングループは Adult Children of Alcoholics や Sons and Daughters of Alcoholics などをグループ名に含めることでそれを示し、その一群のグループをアラノンAC(Al-Anon adult children)と呼ぶようになりました。その後、アラノンACのグループは順調に増加し、12年後の1986年には1,100グループに達しました。25)

ACの人たちが、自分たちのアラノングループを作る必要性を感じたのは、当時のアラノンはアルコホーリクの配偶者たちで構成されており、アルコホーリクの家庭で育った経験を分かち合うことは歓迎されなかったという事情によります。従来のアラノンメンバーの中には、アダルトチルドレンの存在を受け入れることが難しい人がおり、またACの側もアラノンの慣習を受け入れるに抵抗があったせいで、1980年前後の数年間はアラノン共同体内で葛藤が生じました。しかし、ACであるメンバーの数が増加し、アラノンのサービス機構に参加して発言力を増していった結果として、理解が広まり、アラノンの書籍だけを使うことを条件として、最終的にアラノンは1984年の全体会議でアダルトチルドレンの幅広い参加を歓迎する公式声明を議決しました。26)

アラノンACの人たちの分かち合いはアルコホーリクの家庭で育ったことに焦点を当てた特色あるものであり、彼らは自分がACoAであることを明言する傾向があります。また、(アラティーン向けの文献が用意されているように)アダルトチルドレン向けの一連の文献が用意されています。であるものの、アラノンACはあくまでアラノンの一部であり、回復のプログラムとしてはアラノンの12のステップをそのまま使っています。アラノンは「誰のアルコホリズムの影響を受けたか」による違いは認めているものの、それによって回復の道程が異なったものになるとは考えていません。アラノンはACグループの数を外部には公表していませんが、アラノン全体の概ね1割程度がACのグループという状況が続いているようです。

日本では1980年代のアラティーンの活動と並行して1983年にアラノンACの活動が始ました。27) 00年代前半には全国で40以上のアラノンACグループが存在し、それは日本のアラノン全体の1/4を占めました。しかし、2010年代にアラノンが全国のアラノングループの整理統合を進めたなかで、アラノンACグループも通常のアラノングループに統合されたようで、ACをグループ名に持つアラノングループは現在日本国内には存在していません。そんなこともあって、日本ではアラノンACの存在を知る人は少ないのが現状です(AAメンバーですらアラティーンやアラノンACのことを知りません)。しかし、世界的に見ればアラノンACグループは元気に活動しており、AC関係の12ステップグループの保守本流を形成しています。ACの12ステップグループについて語る時には決して無視できない存在です。

すべてのAC共同体の祖アラノンの中で1970年代前半よりACの人たちの活動が始まり、アラノンACとして成立し、急速にグループ数を増やしていった

次回は、1970年代後半にこのアラノンACからの分流を作り出したAAメンバー、トニー・Aを取り上げます。


  1. Al-Anon, Surveys for Members (al-anon.org), Al-Anon Family Group Headquarters.[]
  2. HAW. アラノンのメインテキストは時代的変遷があるので、現在の基本テキストに拠ることにした。[]
  3. HAW, ch. 6.[]
  4. Al-Anon, Understanding Ourselves and Alcoholism, Al-Anon Family Group Headquarters. ― このパンフレットの内容は HAW にも収録されている。[]
  5. Al-Anon, International (al-anon.org), Al-Anon Family Group Headquarters.[]
  6. 2014年のデータ — Christine Timko, et. al., “Al-Anon Family Groups: Newcomers and Members”, Journal of studies on alcohol and drugs. 2013 Nov; 74(6): 965–976, from National Library of Medicine (nih.org).[]
  7. アラノン・ジャパン「アラノンの歴史」(al-anon.or.jp), アラノン・ジャパン.[]
  8. Al-Anon, How Alateen Started (al-anon.org), Al-Anon Family Group Headquarters, from Al-Anon, Many Voices, One Journey, 2011, Al-Anon Family Group Headquarters, pp. 74-75.[]
  9. ウィリアム・L・ホワイト(鈴木美保子他訳)『米国アディクション列伝 アメリカにおけるアディクション治療と回復の歴史』, ジャパンマック, 2007, p. 223.[]
  10. ホワイト, 第21章.[]
  11. ホワイト, p. 224.[]
  12. 小西真理子『共依存の倫理―必要とされることを渇望する人びと』, 晃洋書房, 2017, pp. 22-27.[]
  13. 小西, pp. 28-29,34.[]
  14. 次回説明するACoAムーブメントを作り出したトニー・Aは、その著書の中で家族システム論の影響を受けたことを認めている — Tony A., et. al, The Laundry List: The ACoA Experience, 1990, Health Communications, ch. 2, Change And Growth.[]
  15. 自助文献(self-help literature, Self-help book)は、個人的な問題を自力で解決するための自己教育書籍である。これまで述べてきたような自助グループの隆盛を背景に1960年代より増加した。自助グループが相互援助に力点を置いているのに対し、自助文献は自分の考え方や行動は努力でコントロールできると説いて、個人的な取り組みを勧めている。日本では自己啓発本と呼ばれる。[]
  16. 小西, pp. 32-33.[]
  17. Merriam-Webster, Merriam-Webster Dictionary (m-w.com), 2024.[]
  18. Merriam-Webster, Merriam-Webster Dictionary (m-w.com), 2024.[]
  19. co-alcoholic と para-alcoholism について述べている文献は、Jael Greenleaf, Co-alcoholic, Para-alcoholic: Who’s who and What’s the Difference?, 1981, Presented at the National Council on Alcoholism Forum, New Orleans, Louisiana April 12. を典拠として挙げているものが多いが、残念ながら入手できていない。[]
  20. ホワイト, p.308 — その出典が R. Margaret Cork, The Forgotten Children: A Study of Children with Alcoholic Parents, Alcoholism and Drug Addiction Research Foundation, 1969である。Internet Archive で読むことができる。コークは著書のなかでtraumaやinjureという言葉を使っていない。[]
  21. Al-Anon, Al-Anon Conference Summary 1973, Al-Anon Family Group Headquaters.[]
  22. White, L. W., et. al., Al-Anon, Alateen, and Professional Studies of Alcoholism and the Family: A Chronology, Chestnut Health Systems, 2011.[]
  23. Al-Anon, Al-Anon Timeline (al-anon.org), Al-Anon Family Group Headquarters.[]
  24. もちろん12の伝統によって、例えば男性対象のグループに女性が参加を希望した場合にはそれを拒むことはできないが、通常はそのグループの意向が尊重される。[]
  25. ホワイト, p.309.[]
  26. Sharon B., A Place for Adult Children of Alcoholics (al-anon.org), from The Forum, 2018 February.[]
  27. アラノン・ジャパン・GSO『光に向かうステップを踏み続けて―アラノンAC25周年』, アラノン・ジャパン・GSO, 2009.[]

2025-01-26

Posted by ragi