付録B2「初期の6ステップ」

12のステップが書き起こされたのは、1938年12月でした。それ以前は、ステップの数は六つであり、口伝えで手渡されてきました。今回は、この6ステップについての情報です。Hindsfoot Foundation に収録されている、Early Six-step Versions of the Steps を拙訳にてご紹介します。原文対訳はWikiに載せてあります。

初期の6ステップの様々なバージョン

ビッグブックが書かれる以前のAAは、やや漠然とした言葉で述べられた六つのステップを使って活動していた。下に示したのは、ビル・Wが何年も経った1953年4月になってから、おそらくエド・ダウリング神父Ed Dowlinのために書いた6ステップの短いかたちである。この文書についての知識は、そのコピーを所有しているニュージャージー州スパータ(sparta)のバイク野郎ゲーリー・G(Biker Gary G.)からもたらされた。下は、ニューヨークのAAアーカイブに収録されているオリジナルのコピーを写真に撮ったものである。。それによると:

エドへ、

  1. 絶望的であることを認める
  2. 自分自身に正直になる
  3. もう一人の人に正直になる
  4. 埋め合わせをする
  5. 見返りを求めずに他の人を助ける
  6. 自分なりに理解できる神に祈る

1953年4月 ビル・W
オリジナルのAAのステップ

Original AA Steps

AAの文献に登場する6ステップ

AAの出版物に掲載された6ステップには四つのバージョンがある。AAHistoryLovers1)のメッセージ2286番と2351番で情報を提供してくれたアーサー・S(Arthur S.)とメル・B(Mel B.)に感謝する。

『AA成年に達する』での記述

アルコホーリクス・アノニマス成年に達する』のpp.244~245にて、ビル・Wはこう書いている:

 アルコホーリクス・アノニマスの十二のステップが書かれたのは、スピリチュアル(霊的)なことからはおよそかけ離れた気分になっていた夜だった。私は心を痛め疲れきっていた。クリントン通り一八二番地の自宅のベッドに横たわり、鉛筆を握って、ひざの上にメモ帳を拡げていた。仕事に集中できず、没頭などとても無理な状態だった。けれども私が抱えていたのはどうしてもしなければならないことだった。ゆっくりとだが精神のピントらしさものが合ってきた。
 一九三四年の秋、エビーが私を訪ねてきて以来、私たちは「口伝えのプログラム」と呼ぶものを徐々に発展させていた。基本観念の大部分は、オックスフォード・グループウィリアム・ジェームズシルクワース博士に由来していた。少なからぬバリエーションを別にすれば、そのプログラムは、六つのステップから成るかなり首尾一貫した方法に要約できた。

一、われわれは打ちのめされたこと、アルコールに対して無力であることを認めた。
二、自分の短所または罪の棚卸表をつくった。
三、もうひとりの人間に、自分の短所を内密に打ち明け、分かち合った。
四、飲んで傷つけたすべての人に埋め合わせをした。
五、金銭や名声の報酬を期待することなく他のアルコホーリクを手助けする試みをした。
六、これらの教えを実践する力を与えてくださいと、自分で理解している神に祈った。

 以上が、一九三八年の秋まで、私たちが新しく来た人に伝えていたことの骨子だった。それ以外のオックスフォード・グループの思想や受けとめ方は、その他の神学論争に巻き込まれる恐れのあるものとともに、はっきりと退けた。重要な点について、東部と中西部との見解の相違がまだかなりあった。中西部の仲間はまだ積極的にオックスフォード・グループのメンバーとして活動しており、一方、ニューヨークの私たちはすでに一年前から脱退していた。アクロンとその周辺では、彼らはまだオックスフォード・グループの「絶対」について語っていた。絶対正直、絶対清廉、絶対無私、絶対愛。ニューヨークの人々にとってこの薬は濃すぎるように思え、このような表現はすでにやめていた。2)

アール・Tによる記述

英語版ビッグブック(第三版p.292、第四版p.263)で、アール・トリート(Earl Treat、シカゴで最初のAAグループを作った)が1937年に教えられたというアクロン版の6ステップを述べている。

 私がシカゴに戻らなければならなくなる前の日は、ドクター・ボブは午後が休みだった。彼は私を自分の診察室に招き、三~四時間かけて当時の6つのステップを案内してくれた。その6つのステップのプログラムというのは次のようなものである。

1.徹底した自我の縮小
2.ハイヤーパワーへの依存とその導き
3.生き方の棚卸し
4.告白
5.償い
6.他のアルコホーリクへの継続的な働きかけ

 ドクター・ボブは、このステップの全部を案内してくれた。生き方の棚卸しでは、彼は私の欠点、あるいは性格上の特徴として、利己主義、高慢、嫉妬、軽率さ、不寛容、短気、皮肉さ、恨みなどがあると指摘してくれた。私たちはこれらをじっくりと点検し、最後に彼は、これらの性格上の欠点を取り除きたいと思うかと私に尋ねた。私は「はい」と答え、二人して机の前にひざまずき、これらの欠点が取り除かれるようめいめいで祈った。・・・その後で、ドクター・ボブは私を償いのステップに導いてくれた。私は傷つけたすべての人のリストを作り、償いをゆっくりと行っていく方法を考えていった。3)

Grapevine 1953年7月号

『グレープバイン』誌の1953年7月号に掲載された記事 “A Fragment of History: Origin of the Twelve Steps”(歴史の断片:12ステップの起源)The Language of the Heart のp.200に収録)でビル・Wがこう書いた:

“During the next three years after Dr Bob’s recovery our growing groups at Akron, New York and Cleveland evolved the so-called word-of-mouth program of our pioneering time. As we commenced to form a society separate from the Oxford Group, we began to state our principles something like this:

We admitted that we were powerless over alcohol. We got honest with ourselves. We got honest with another person, in confidence. We made amends for harms done others. We worked with other alcoholics without demand for prestige or money. We prayed to God to help us to do these things as best we could.

Though these principles were advocated according to the whim or liking of each of us, and though in Akron and Cleveland they still stuck by the Oxford Group absolutes of honesty, purity, unselfishness and love, this was the gist of our message to incoming alcoholics up to 1939, when our present Twelve Steps were put to paper.”4)


「ドクター・ボブが回復してからの3年間の草分けの時期、成長中だったアクロン、ニューヨーク、クリーブランドのグループではいわゆる口伝のプログラムができあがってきた。私たちがオックスフォード・グループから分離して自分たちの団体を作り始めたころには、自分たちの原理をおおよそこのように述べていた:

1.アルコールに対して無力であることを認めた。
2.自分に正直になった。
3.もう一人の人に内密に正直になった。
4.傷つけた人たちに埋め合わせをした。
5.見返りや評判や金銭を求めずに他のアルコホーリクを手助けした。
6.これらのことに最善を尽くせるように神の助けを願い求めた。

 このような原理を、私たち一人ひとりが、それぞれの思いつきや好みに合わせて主張していたわけだし、アクロンとクリーブランドはまだオックスフォード・グループの正直・純潔・無私・愛という絶対性に忠実ではあったものの、これが1939年に私たちの現在の12のステップが出版される以前にやってきたアルコホーリクに対して私たちが伝えていたメッセージの主旨だった」(拙訳)

ビル・Wの講演から

6ステップのもう一つのバージョンは、Three Talks to Medical Societies by Bill W., Co-Founder of Alcoholics Anonymous というパンフレットのp.8(これはビルが1958年4月にニューヨーク市医学会のアルコホリズム部会で行った講演)にある。エビー・Tがビルの家を訪れたことを描写して、ビルはこう書いている:

“Next Ebby enumerated the principles he had learned from the Oxford Group. In substance here they are as my friend applied them to himself in 1934:

  1. Ebby admitted that he was powerless to manage his own life.
  2. He became honest with himself as never before; made an ‘examination of conscience.’
  3. He made a rigorous confession of his personal defects and thus quit living alone with his problems.
  4. He surveyed his distorted relations with other people, visiting them to make what amends he could.
  5. He resolved to devote himself to helping others in need, without the usual demands for personal prestige or material gain.
  6. By meditation, he sought God’s direction for his life and the help to practice these principles of conduct at all times.”5)

次にエビーは、彼がオックスフォード・グループで学んだ原理を順番に挙げた。1934年に私の友人が彼自身のために行った内容は、実質的には次のようなものだった。

  1. エビーは彼自身の人生を自分で扱う力が無いことを認めた。
  2. 彼はかつてないほど自分に正直になって、「良心の調査」を行った。
  3. 彼は自分の欠点を正確に告白し、その上でそうした問題とともに一人で生きるのをやめた。
  4. 彼は他の人たちとの歪んだ関係を調べ、その人たちを訪ねてできる埋め合わせを行った。
  5. 彼は個人的名声や物質的利益を求めずに困っている人を助けることに自分を捧げる決心をした。
  6. 黙想によって、彼の人生に対する神の指示と、常にこうした行動原理を実践できるように神の助けを求めた。(拙訳)

付記

ここから先は、ひいらぎによる追記です。

フィッツ・Mによる記述

フィッツ・Mの体験記「南部の友」には、彼がタウンズ病院に入院中に他のアルコホーリクから初期のプログラムを教えられる場面がありますが、その内容を要約すると、以下のようになります:6)

    1. 自分が絶望的だと認める
    2. 自分より偉大な力を信じる
    3. 自分の問題を他人に話す
    4. たとえ相手に問題があるとしても、かつて自分が傷つけたことを正す
    5. 自分のことより他人の幸せを考える
    6. 私をあなたの望みのままにしてくださいと祈る

ドクター・ボブ

ドクター・ボブは、初期のメンバーたちは、そうとは自覚せずに12ステップを実践していたと述べています。7) であるならば、これらの6ステップと後の12ステップの間に、本質的な違いはないと言えるでしょう。

ジョー・マキュー

ジョー・マキューは、『ビッグブックのスポンサーシップ』で、ビル・Wが6ステップを12ステップに発展させた理由について述べています:

しかし彼[ビル・W]は、オックスフォード・グループのステップはアルコホーリク用にさらに発展させる必要があると考え始めていた。オックスフォード・グループの教義によって多くの人々が人生を変えてきたが、アルコホーリクにはもっと大きな変化が必要であると感じたのである。
 ビルは、オックスフォード・グループの教義には「アルコホーリクがすっと通り抜けてしまう抜け穴」があると周囲にもらしていたという。彼の胸のうちにはそのことがあった。しかし、いよいよ12のステップを書き始めたときには、オックスフォード・グループの教義に何を付け加えるべきか、また何を取り去るべきかについて、ピルの考えは定まっていなかったようである。8)


  1. AA History Loversは、かつてYahoo! Groupsに存在したオンライングループ(会員型の電子掲示板)で、2013年時点で2,600人以上が登録していた。AA歴史書の著者やGSOのアーカイビストのほとんどが参加しており、AAの歴史に関するオンラインの情報源としては最も信頼できると評価されていた。目的の一つとして、AA草創期の人々が存命しているうちに、彼らの話や質問への答を記録しておくことを挙げていた。Yahoo Groups!のサービス終了によってグループは閉じられたが、2012年までの投稿は Hindsfoot Foundation のページで閲覧することができる ― Glenn F. Chesnut, The History of the AA History LoversSelected Papers of William L. White (williamwhitepapers.com), 2013[]
  2. AACA, pp.244-245[]
  3. AA, 『アルコホーリクス・アノニマス 英語版 6人のストーリー』, AA日本ゼネラルサービス, 2006, pp.29~30[]
  4. AA Grapevine, The Language of the Heart: Bill W.’s Grapevine Writings, AA Grapevine Inc., 1988, p.200[]
  5. AA, Three Talks to Medical Societies by Bill W., Co-Founder of Alcoholics Anonymous, AAWS, p.8 — 「アルコホーリクス・アノニマス、その始まりと成長」[]
  6. AA, 『アルコホーリクス・アノニマス 回復の物語 Vol.4』, AA日本ゼネラルサービス, 2010, pp.20-23[]
  7. DBGO, p.144[]
  8. ジョー・マキュー(依存症からの回復研究会訳)『ビッグブックのスポンサーシップ』, 依存症からの回復研究会, 2007, p.128[]

2024-03-25

Posted by ragi