アルコホーリクス・アノニマス、その始まりと成長

ビル・W ―― 1958年4月28日、ニューヨーク市アルコホリズム医学会での発表1)

14年前、私はニューヨーク州医学会の年次総会で論文を読み上げました「アルコホーリクス・アノニマスの基本コンセプト」参照)。それは私たちアルコホーリクス・アノニマスにとって歴史的な出来事でした。アメリカの主要な医師会が私たちの共同体に好意的な関心を寄せてくださったのは、それが初めてでした。当時の医師たちはさらに私たちに関心を寄せ、諸手を挙げて私たちを迎え入れ、ジャーナルに私たちのAAの説明を掲載してくださいました。その1944年の論文のコピーは全世界に一万部以上ばら撒かれ、あらゆる場所の医師にAAの価値を納得させました。そうした先見の明のある、惜しみない行動が、無数のアルコホーリクとその家族にとってどれほどの意味を持ったかは、まさに神のみぞ知ることです。

同じように寛大な気持ちで私を今夜ここに呼んでくださったニューヨーク市アルコホリズム医学会の皆さんに心から感謝します。あわせまして、私たちのメンバーである国内外の約7,000のグループにいる回復したアルコホーリクからの永遠の感謝とご挨拶を申し上げます。
 * 2010年にはグループ数は115,770以上、メンバー数は200万人を超えた。

おそらく、AAの手法とその結果を理解する良い方法は、その始まりを少し見てみることです――その時、医学と宗教が私たちと親切なパートナーシップを結んでくださいました。そのパートナーシップが、その後の私たちの成功の礎となったのです。

誰かがアルコホーリクス・アノニマスを発明したわけではありません。AAは医学と宗教からきた原理と考え方を統合(synthesis)したものです。私たちアルコホーリクはそれらの形を私たちの共同体特有の用途に合わせ、効果的に働くように整え直しただけです。私たちが貢献したことは、回復という鎖におけるミッシングリンク [の発見]であり、それは現在も意義深く、また将来を約束するものです。

AAの最初の起源について知る人はほとんどいません。それはおよそ30年前にある精神科医の診察室でのことでした。精神医学の偉大な先駆者であるカール・ユング博士が、一人のアルコホーリクに話をしました。起きたことは、おおよそこんなことだったようです:

その患者は有名なアメリカの実業家で、典型的なアルコホーリクの道筋を辿っていました。合衆国中の可能性のありそうな医師、精神科医をすべて巡り、最後の手段としてユング博士のところへ行きました。カール・ユング医師は彼を1年間治療し、その患者――ここではR氏と呼びましょう2)――は、自分の飲酒への強迫衝動の下に隠れされた原因が見つかり、それが取り除かれたのだから[もう大丈夫だ]と自信を持ちました。それにかかわらず、ユング博士の治療から離れてしばらくすると、彼はまた酩酊してしまったのです。

彼は真っ暗な絶望の中で、ユング博士にところに戻りました。そしてことの真相を尋ねて、聞かされたのです。おおむねユング博士はこう言ったようです。「君がここに来てしばらくしてから、ずっと私は君が回復可能なレアケースの一人に違いないと、信じ続けてきたのだ。だが今は率直に認めなければならない。神経症が君のようにひどくなったケースでは、どんな優れた精神医学をもってしても回復したケースは私の知る限り一つもない。君に施すことのできる医学的方法は尽きた。それがいまの君の置かれた状況だ」

R氏の絶望はますます深くなりました。彼は尋ねました。「例外はないのですか、本当に私は一巻の終わりなのですか?」

医師は答えました。「そうだね、若干の例外はある。だが滅多にないことだ。ときどき、あちこちの場所で、アルコホーリクがいわゆる決定的な霊的体験を経験している。それはいままでの情緒が大きく変わって、新しくなるといったことのようだ。ずっと持っていた人生への考えや情緒や態度が突然取り除かれて、それに代わる新しい考えと、生きていく動機が支配し始める。事実、私は君の情緒が変わるように努力してきたのだが。私の用いた方法は様々なタイプの神経症患者でうまくいっているが、君のようになってしまったアルコホーリクには一度もうまくいったことがないのだ」

この患者は食い下がりました。「ですが、私は信心深いのです。信仰を捨てていません」 これに対しては、ユング博士はこう答えました。「ありきたりな宗教的信仰では足りないのだ。私の話しているのは、言ってみれば、全面的転換の体験、回心(conversion)の体験だ。私が君に勧められるのは、どこでも君が選んだ宗教的な雰囲気の中に身を置いて、自分が絶望[的立場]に置かれていることを受け入れ、何であれ君がいると信じる神に君自身をかけてみることだ。君に突然回心の全面的転換の体験がやってくるかもしれない。やってみるしかない――それが君の唯一の出口なのだから」このように、偉大で、かつ謙虚な医師は言いました。

後のAAメンバーにとって、これはテンピンストライク[大当たり]でした。科学はR氏が実際上絶望的だと宣言しました。ユング博士の言葉は彼をとても深いところから打ちのめし、エゴの収縮をもたらしました。この最奥さいおうでの収縮(deflation at depth)は、こんにちのAAの基礎的な原理でもあります。私たちにとって、それが最初に起きたのは、ユング博士の診察室だったのです。

この患者、R氏は宗教的なつながりと環境を得るために当時のオックスフォード・グループを選びました。ひどく打ちのめされ、自分ではほとんどどうすることもできないなかで、彼はそのグループで活動を始めました。そして彼自身驚いたことに、そしてとても喜ばしいことに、彼は飲酒への強迫観念から解放されたのです。

アメリカに戻ったR氏は、私の古い学友である慢性アルコホーリクと出会いました。この友人は、その名前をエビーと言いますが、州立の精神病院に収容されるところでした。これが、もう一つの重要な構成要素がAAに加わった統合の瞬間でした。アルコホーリクであるR氏が、同じくアルコホーリクであり同じ苦しみを味わっているエビーに、話を始めました。これによって、同じだという奥深い認識(identification at depth)が生まれました。これが二番目の主要な原理です。R氏は、この同じだという認識を橋として、医学的見地から判断しても、精神医学的に見ても、ほとんどのアルコホーリクは絶望的であるというユング博士の意見を伝えました。それから彼はエビーをオックスフォード・グループに連れて行くと、わが友人はそこですぐに酒をやめたのです

私の友人であるエビーは、私の悲惨な状況をよく知っていました。私は典型的な経過を辿っていました。1934年の夏には、私の主治医であるウィリアム・D・シルクワースが治療を断念し、私は絶望的であると宣告しました。彼はやむなく、私が最大限の意思の力を持ってしても抗えない、教育しても、治療をしても阻止できない、神経症的な強迫的欲求の犠牲者になっていると教えてくれました。さらに、おそらくはアレルギー性の身体的異常の犠牲者でもあると付け加えました。その身体的な機能不全がもたらす脳へのダメージが、死あるいは狂気に至ることを事実上運命づけるのです。ここにおいて、「科学」の神が――それはその時の私にとって唯一の神でしたが――私を収縮させました。それによって私は、そのすぐ後にアルコホーリクである友人エビーがもたらしてくれたメッセージを受け取る準備ができたのです。

彼は1934年11月のある日に我が家を訪問しました。そしてキッチンテーブルを挟んで酔っ払っている私と向き合いました。結構だ、酒は要らないと彼は言いました。驚いて、私は何が起きたのかと彼に尋ねました。彼はまっすぐ私を見て言いました「信仰を持ったんだ」。それは痛烈な一撃でした。私の受けた科学的訓練に対する侮辱でした。なるべく失礼のないように私は尋ねました。「どこの宗派なんだ?」

すると彼は、R氏から聞かされた話を語ってくれました。カール・ユング博士による、アルコホリズムがいかに絶望的[な病気]であるかについて。シルクワース博士の宣告に加えて、これはまさに最悪のニュースでした。私は打ちのめされました。次に彼は、オックスフォード・グループから学んだ原理を列挙してくれました。彼はあの善良な人びとが時に攻撃的すぎると考えていたものの、その基本的な教えのほとんどには何の誤りも見いだせませんでした。なんであれ、その教えが彼の酒を止めさせたのですから。

1934年に私の友人が彼自身のために行った内容は、実質的には次のようなものでした。

    1. エビーは彼自身の人生を自分で扱う力が無いことを認めた。
    2. 彼はかつてないほど自分に正直になって、「良心の調査」を行った。
    3. 彼は自分の欠点を正確に告白し、その上でそうした問題とともに一人で生きるのをやめた。
    4. 彼は他の人たちとの歪んだ関係を調べ、その人たちを訪ねてできる埋め合わせを行った。
    5. 彼は個人的名声や物質的利益を求めずに困っている人を助けることに自分を捧げる決心をした。
    6. 黙想によって、彼の人生に対する神の指示と、常にこうした行動原理を実践できるように神の助けを求めた。

これは私にはずいぶん純真な考えのように思えました。であるものの、友人は彼の身に何が起きたかという率直な話だけをしていました。彼によれば、これらのシンプルな教えを実践することで、不思議と彼の飲酒が止まったというのです。恐れと孤独感が消え去り、少なからぬ心の平和を受け取ったというのです。厳しい訓練も要らなければ、たいへんな決心をしたわけでもなく、彼がその教えに従いだしたときに、こうした変化が起き始めました。彼がアルコールから解放されたことは、副産物のようでした。まだ酒を止めて数ヶ月でしたが、彼は基本的な答えを持っていると感じていました。そして賢く議論を避け、いとまを告げて帰っていきました。この出来事が、やがてアルコホーリクス・アノニマスができあがる発火点でした。一人のアルコホーリクがもう一人のアルコホーリクに話をしたのです。それによって、私には[彼と]同じだという深い認識が生まれ、回復の原理が私の手の届くところにもたらされました。

最初、友人の話は私に複雑な感情をもたらしました。私は引き寄せられたり、反発を感じたりを繰り返しました。私の孤独な飲酒はそれから何週間か続きましたが、彼の訪問を忘れることはできませんでした。私の頭の中をいくつかのテーマが流れていました。第一に、彼が解放されている様子は、不思議であり、非常に説得力がありました。第二に、彼は有能な医師によって絶望的であると宣告されていました。第三に、こうした古くからある教えが、彼から伝えられたときに、大きな力で私の心を打ちました。第四に、私はどのような神の概念も受け入れることはできないし、この先もそうだろう。回心は私にとってはナンセンスなものでしかありませんでした。何度も私は考えを他のことに逸らそうとしましたが、できませんでした。理解と、苦しみと、単純な真実の束を使って、一人のアルコホーリクが私の心を彼に釘付けにしました。私は逃れることができませんでした。

ある朝、ジンを飲んだ後、このような認識が沸いてきました。「お前は何者だ?」と私は自分に問いました。「良くなりたいと思わないのか? 物乞いが好き嫌いを言えるか?[選んでいる余裕はない]。もし医者がお前の苦しみの元凶がガンだと言ったとしたら、ポンズ・エクストラクト[コールドクリーム]に頼ったりしないだろう。大急ぎで医者に、そのいまいましいガン細胞を殺してくれと懇願するだろう。もし医者にはガンが止めらなくて、宗教的回心なら治せると思ったら、プライドなんかかなぐり捨てるだろう。必要だというなら、他の犠牲者たちと一緒に人目の多い広場に立って「アーメン」と叫ぶことだってするだろう」 私は思案しました。「お前と、ガンの犠牲者と、何の違いがある?」 ガン患者の病んだ体が崩れていくように、私の人格も崩れていくだろう。お前の強迫観念は、お前を狂気か葬儀屋に引き渡してしまうだろう。友人のあの処方を試すか、試さないかだ」

もちろん、私は試しました。1934年の12月にニューヨークのタウンズ病院に入院しました。以前からの友人であるシルクワース博士が、首を振っていました。やがて鎮静剤とアルコールの効果が切れてくると、私はひどい鬱に見舞われました。友人のエビーがひょっこりやってきました。彼に会えてうれしかったのですが、私はかなり縮み上がりました。伝道が始まるのではと恐れたのですが、彼はそんな話は一切しませんでした。少し世間話をした後で、私のほうから彼のシンプルに整えられた回復の手段についてもう一度教えてくれと頼みました。彼はまったくプレッシャーをかけずに、静かに落ち着いて教えてくれました。そして彼は帰っていきました。

葛藤のなかで横たわっていた私は、それまで経験したことのない真っ黒な絶望に落ち込みました。瞬間的に私の高慢な頑固さが砕け散り、私は叫んでいました。「友人のエビーが持っているものを受け取るためだったら、私は何でもする、何でもするから」 実際のところ何かを期待していたわけではありませんが、私は必死で訴えました。「もし神が存在するのなら、姿を見せてくれ!」 結果は瞬時に現れ、それは説明できないほど電撃的なものでした。その場所が白い光で目がくらむほど明るく照らされました。私は恍惚となり、山の頂に立っているように感じました。大きな風が私を包み込み、貫いていきました。私にとってそれは空気ではなく、スピリットでした。燃え上がるように大きな考えが湧いてきました。「お前は解放されたのだ」 すると恍惚感は静まっていきました。私はベッドにいたままでしたが、その「存在」によって満たされた新しい意識の世界に自分がいることに気がつきました。宇宙と一体になり、私の上に大きな平和が訪れました。「これが宣教師たちの言う神、偉大なる実在なのだろう」と思いました。だがすぐに理性と呼ばれるものが戻ってきて、私が受けた現代的な教育が優位になりました。私は自分が狂ったに違いないと思い、ひどく怯えました。

シルクワース博士、もし医療に聖人がいるのなら彼ですが、彼が私のところにやってきて、私が先ほどの現象を震えながら話すのを聞きました。慎重に幾つかの質問をした後、彼は私が狂ってはいないと断言し、おそらく私は心霊体験(psychic experience)をしたのであり、それが私の問題を解決してくれるだろう言いました。科学の徒として懐疑論者だった彼にしてみれば、これは最大限親切で、明敏な言葉でした。もし彼が「それは幻覚だ」と言っていたとしたら、おそらく私はもう死んでいたでしょう。彼には永遠に感謝しなければなりません。

幸運はさらに続きました。エビーが『宗教的経験の諸相』という題のついた本を持ってきたので、私はそれを貪るように読みました。心理学者のウィリアム・ジェームズによって書かれたこの本は、回心の体験が客観的実在性を持ちうることを示唆しています。回心の体験は、人の動機を変え、半自動的に以前のその人には不可能だったあり方と行いを可能にするのです。ここで重要なのは、明白な回心の体験の大部分は、人生の主要な領域において完全な敗北を経た人に起きているということでした。確かにこの本はそうした経験が多様であることを示しているものの、それが明るいものであれ、暗いものであれ、あるいは大変動であれ、穏やかものであれ、あるいは神学的なものであれ、理知的なものであれ、そうした回心には共通の特徴がありました。それはそうした経験は敗北した人々を完全に変えてしまうことです。現代心理学の父であるウィリアム・ジェームズがそう宣言しました。その靴は私にぴったり合ったので、それ以来、私はその靴を履くように努めています。

酔っ払いにとっては、最奥での収縮――あるいはそれ以上の何か――が答えであることは明らかでした。それは極めて明白であるように思えました。私はエンジニアとしての教育を受けましたから、この権威ある心理学者からの情報は極めて重要でした。精神についての著名な科学者がユング医師の言ったことのすべてを裏付けてくれ、彼の主張を広範囲に立証する本を書いてくれたのです。ですから、ウィリアム・ジェームズは、私や他の多くの人たちがその後ずっと立っている基盤を固めてくれたのでした。私は1934年以来酒を飲んでいません。

私は純然たる信念で武装し、それを私の性格である権力志向パワードライブで強化して、アルコホーリク全員を治すために飛び立ちました。それは双発のジェットエンジンで、困難など私には何の意味もありませんでした。それがうぬぼれた計画だなんて、まったく思いもしませんでした。私は6ヶ月間突撃を続け、家はアルコホーリクで溢れかえりました。何十人も相手に大演説をぶっても、何の成果も得られませんでした。(残念なことに、キッチンテーブルで話をしてくれた友人エビーは、私が思っていたより病気が深く、こうした他のアルコホーリクには関心を持ってくれませんでした。その事実が、彼の後の再発の原因になったのかもしれません。ですが、彼も最終的には回復しています)。ですが、私がアルコホーリクに働きかけることは、私自身の断酒(ソブラエティ)に大きな効果があることを発見しました。とはいうものの、私の候補生たちは誰も酒をやめていませんでした。どうしてでしょうか?

ゆっくりと私のやり方の欠点が明らかになってきました。私はまるで宗教狂いになったかのように、誰もが自分のような「霊的体験」をしなければならない、という考えに取り憑かれていました。そうした転換(transforming)の体験は実に多様であると[ウィリアム・]ジェームズが言っていたことを忘れていました。私の仲間であるアルコホーリクたちは、私の「ホットフラッシュ」の話を聞くやいなや、あっけにとられるか、私をからかいだすのでした。当然のことながら、そのせいで、私が彼らとの間に作り上げなければならない同じだという効果的な認識(identification)はおおいに損なわれてしまいました。私は福音伝道者になっていました。私は明らかにアプローチを変える必要がありました。私には6分でやってきたものが、他の人には6ヶ月かかるのです。言葉も目標も、もっと慎重に選ばなくてはならない、という教訓を得ました。

その時――1935年春のことです――、私が最奥での収縮についてすっかり忘れていることをシルクワース博士が指摘してくれました。私は単なる伝道師になっていました。彼は私にこう言いました。「他のことをする前に、まずは残酷な医学的事実を彼らに浴びせるべきだ。君は、ウィリアム・ジェームズが最奥でのエゴの収縮について述べたことを忘れてしまったのか? 彼らに医学的な事実をひたすら突きつけるんだ。君の「ホットフラッシュ」の説明は省いたほうがいい。存分に君の症状を話して、彼らが君と同じだという深い認識(identification at depth)を持てるようにしなさい。それがあって初めて、君の候補生達は、君が教えようとしている道徳的な教えを試してみようという気になれるだろう」 これは[AAが行った]統合への最も重要な貢献でした。それはまたしても医師の手によってもたらされたのです。

すぐに、強調するものを「罪」から病気へと――致命的な病気――アルコホリズムへと切り替えました。効果を上げるために、アルコホリズムは癌より致命的な病気であり、それは精神の強迫観念と、身体の過敏性の増大の組み合わせであるという、数人の医師の話を引用しました。この二つが双子の人食い鬼――狂気と死――なのです。この状況がいかに絶望的であるかについてはユング博士の意見を大いに頼りにしました。そしてこの破壊的な一撃を、手の届く限りのアルコホーリク全員にぶつけたのです。現代人にとって科学は全能であり、事実上の神だと言えます。それゆえ、その科学が酔っ払いに死刑判決を下したなら、そして私たちがその恐ろしい評決をアルコホーリクに伝達したなら、つまり一人の犠牲者がもう一人の犠牲者に語ったならば、それは聞き手[の希望]を完全に打ち砕くでしょう。それによって、アルコホーリクは神学者の言う神のほうへと向きを変えることができるようになります。他に行き場がないからです。この仕組みにどれだけの真実があるにせよ、確かに実用的なメリットがありました。全体の雰囲気が変わり、事態は好転を始めました。

数ヶ月後、私はアクロンの外科医ロバート・S博士を紹介されました。彼は重度のアルコホーリクでした。その時の私は説教を一切しませんでした。自分の経験と、アルコホリズムについて私の知っていることを話しました。私たちがお互いを理解し、必要としたことで、初めて真の相互関係が得られました。これによって私の説教をするやり方はお終いとなりました。お互いを必要とするというこの考えが、医学・宗教・私たちの経験を組み合わせた統合物としてのアルコホーリクス・アノニマスに、最後に付け加えられた構成要素なのです。

ドクター・ボブ」は大変厳しいケースでしたが、ほぼ即座に酒をやめ、1950年に亡くなる日まで酒を飲みませんでした。それからすぐに彼と私はアクロン市立病院で見つけた多くのアルコホーリクへの取り組みを始めました。ほとんどすぐに一人が回復し、さらにもう一人が回復しました。こうして最初のAAグループが形づくられました。1935年の秋に私がニューヨークに戻るときには、回復に必要なすべての要素が揃っていましたから、この市でもすぐにもう一つのグループができあがりました。

ではあるのですが、その後の2、3年はアクロンとニューヨークのグループの成長はひどくゆっくりとしたものでした。挑んだ事例は何百とありましたが、成果が得られたのはわずかでした。それでも1937年の終わりには40人が酒をやめており、自分たちのやり方に確信を持ち始めました。私たちは、アルコホーリクから次のアルコホーリクへと運ばれ、最終的には連鎖的に非常に多くの回復者を生み出しうる処方を自分たちが持っていることに気づいたのです。そこで、「この福音をアメリカや世界中にいる何百万人ものアルコホーリクに広めるにはどうしたらよいか」という疑問が浮かびました。基本的な答えの一つは、私たちのやり方を詳しく説明した文献だと思われました。もう一つ必要だったのは、非常に多くの事例を私たちに結びつけてくれるような、広範囲にわたる宣伝でした。

1939年の春には、私たちの集まりは『アルコホーリクス・アノニマス』という本を出版しました。この本で私たちのやり方を丁寧に説明しました。エビーが私に伝えてくれた口伝くでんのプログラムは拡大され、いま私たちが「回復のためのAAの12のステップ」と呼ぶものになりました。12ステップがこの本の背骨でした。AAの方法の効果を実例で示すために、この本には28人の事例を含めました。彼らの体験記によって、遠く離れた読者がまったく自分と同じだと気づいてくれる(identify)ことを期待しましたが,実際そのとおりになりました。私たちはオックスフォード・グループから脱退したため、この本の書名『アルコホーリクス・アノニマス』をそのまま共同体の名前として採用しました。この本の登場が歴史的な転換点となりました。それ以来20年で、この基本テキストの発行部数は約40万部ちかくになりました。
 * 2010年には発行部数は3,000万部を越えた。

次に必要なのは宣伝でした。著名な編集者であり作家でもあるフルトン・アワズラーFulton Ourslerが、1939年に『リバティ』誌に私たちについての記事を掲載してくれました。翌年には、ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアがAAのために晩餐会を開いてくれたことが広く知られました。さらに翌年の1941年には、『サタデー・イブニング・ポスト 』紙が特集記事を載せてくれました。その記事だけで何千人もの人がやってきました。私たちは規模が大きくなっただけでなく、有効性も増しました。回復率が大幅に上昇しました。AAに真剣に取り組んだ人のかなりの割合はすぐに酒がやめられ、その他の人たちも最終的には酒をやめました。残りの人たちも、AAに留まっている限り、確かに改善が見られました。私たちの高い回復率はその後も保たれており、それは『アルコホーリクス・アノニマス』の初版に体験記を載せた人たちについても言えます。彼らの75%は最終的に断酒を成し遂げており、死あるいは狂気に至ったのは25%に過ぎません。現在も存命の人たちの断酒期間は平均して20年になります。

AAの初期から今まで、たいへん多くのアルコホーリクが私たちのところにやってきて、そして去って行きました――おそらく今日では5人中3人がそうでしょう。しかし幸いにも、彼らの大多数はやがて戻ってくることが分かりました。ひどく精神病質であったり、脳にダメージがあったりしなければですが。死をもたらしうる病気に取り憑かれていることを、他のアルコホーリクの口から一度聞かされると、その後の飲酒が彼らを行き詰まらせるのです。結局彼らはAAに戻って来ざるを得ません。そうするか、死ぬしかないのですから。これは時には最初の接触から何年か後になります。ですから、AAにおける最終的な回復率は、当初考えられたよりすっと高いのです。

近年のもう一つの展開が、より多くの満足の源となっています。初期の頃の私たちは、最も重症の人たちしか扱うことができませんでした。アルコールがその犠牲者をほとんど破滅させるまで何もできませんでした。しかし最近では、患者がその深みへとはまっていくのを待つ必要は必ずしもありません。こんにちでは、アルコホーリクが「どん底」に落ちる前に、彼らがどこに向かっているかを理解させることができます。その結果として、現在のAAのメンバーの半分ははるかに軽症の事例で占められるようになりました。多くの場合、犠牲者の家族、仕事、健康状態は比較的損なわれていません。まだあまり苦しんだ経験の無い潜在的[アルコホーリク]と言える事例も私たちの所へ来るようになりました。国内外で、私たちの集まり(Society)は人種、宗教、環境のあらゆる障壁を乗り越えて前進を遂げています。

しかしながら、アルコホーリクス・アノニマスは、アルコホリズムの問題全体のほんの表面をかすっただけだということも謙虚に内省せねばなりません。私たちは、この合衆国に全体で450万人いるというアルコホーリクの、かろうじて5%をしらふにしたにすぎません。

その理由は次のとおりです。私たちは精神病質であったり、あまりにも脳にダメージを受けていたりするアルコホーリクには対処できません。また、多くのアルコホーリクは私たちのやり方を好まず、もっと優しい他のやり方を探します。何百万人もの人たちが、彼らの困難はすべて自分の置かれた環境によるものであり、それゆえに他の誰かの責任であるという合理化にしがみついています。アルコホーリクや潜在的なアルコホーリクに、彼らがしばしば致命的で進行性の疾患の犠牲者であることを認めさせるのは、たいへん困難なことです。医師、聖職者、家族、友人という立場を問わず、私たち全員が直面している大きな問題です。ですが、希望を持てるだけの多くの理由があります。最大の理由の一つは、医師の皆さんがすでに取り組んでらっしゃること、そしていまも行われているであろうことにあります。おそらく皆さんはこう問うてらっしゃるでしょう。「どうやったらもっと効果的な手助けができるのか?」と。

私たちAAは何らかの権威のあるものは提供できませんが、いくつか有用な提案はできると思っています。家庭医(family physician)のことを考えてみましょう。数年前までは、酔っ払いはほとんど厄介者でした。医師や病院はひどい二日酔いを治療することはできました。それは家族に多少の慰めを与えることはできたでしょうが、それ以上のことはほとんどできませんでした。

いまや状況は変わりました。この国のほとんどの都市や村落にAAグループがあります。しかし、たいていアルコホーリクはAAを試してみようとしません。ここに家庭医の踏み込める領域があります。家庭医は本当のトラブルが迫ってきたときに、いつも呼ばれる存在です。彼は患者をしらふにし、家族を落ち着かせた後で、アルコホーリクが罹っている病気について率直に話すことができます。カール・ユング医師がR氏にしたこと、またシルクワース博士が私にしたのと同じことを、かかりつけ医も患者にできるのです。気が進まないアルコホーリクに対して、進行性でしばしば致死性の病気にかかっていること、自分では良くなれず、多くの手助けを得る必要があることを分かるように説明するのです。こんにちではアルコホーリクの情緒的な、あるいは代謝的な欠陥については詳細が分かるようになりましたから、初期の医師たちに比べれば、かかりつけ医の皆さんははるかに説得力のある裏付けをもった説明ができるでしょう。

今日では多くのメディカル・スクール[医科大学院]でアルコホリズムというテーマが教えられていることを知り、とてもありがたいです。いずれにせよ、アルコホリズムについての事実は簡単に入手できます。National Council on Alcoholism[全国アルコホリズム協議会]や Yale School of Alcoholic Studies[イェール・スクール・オブ・アルコール・スタディ]に加えて、数多くの州にあるリハビリテーション施設や臨床的取り組みを行なう組織は、喜んで役に立つ知識を提供してくれる情報源です。それによって武装すれば、家庭医は――私たちAAメンバーが言うように――私たちの共同体を見に行く意欲を持てるぐらいに、飲んだくれを「柔らかく」することができます。もしその人がAAを拒否するようなら、クリニックや精神科医や、あるいは理解ある牧師に紹介することもできるでしょう。この段階で大事なことは、彼が自分の病気を認識し、それに対して何かの行動を起こしてくれることです。
*1962年からは Rutgers School of Alcohol Studies3) となった。

家庭医の仕事が注意深く行われるなら、結果がすぐに出ることが多いでしょう。最初の試みがうまくいかなくても、忍耐強い継続的なアプローチが結果をもたらす可能性はずっと高くなります。こうしたシンプルな手続きは、家庭医から多くの時間を奪ったりしませんし、患者の財布にとっても負担にはならないでしょう。家庭医がこうした協調的な努力をすれば、どこでも計り知れない結果が得られるはずです。実際、家庭医のこうした仕事はすでに大きな業績を上げています。ですから、私は彼らに対するAAの特別な感謝の気持ちを記録に残しておきたいのです。

さて、私たちは専門家のところへ行きます。通常は精神科医です。アルコホーリクを専門としていても、そうでなくても、たいへん多くの精神科医がアルコホーリクにAAを紹介して下さっているのは嬉しいことです。いまや彼らのアルコホーリクに対する理解は素晴らしいです。彼らの忍耐力と、私たちアルコホーリクやAAに対する寛容さはすでに記念碑的価値があります。

例えば、1949年にはアメリカ精神医学会で、年次総会の前のセクションでAAについての論文を読む機会に恵まれました「アルコホーリクス・アノニマスの共同体」参照)。そこにいた医師たちは情緒障害――アルコホリズムも間違いなくその一つです――が専門でしたが、彼らのその行為は謙虚さと寛大さの素晴らしい実例であるように思われました。その一つの論文が世界中に大きな影響を与え続けています。私たちAAはそのことに十分感謝したことは一度も無かったのではないでしょうか。私たちAAの一部において、しらふになるために医療的な援助がほとんど必要とされないことを理由に、医療を、特に精神医学をけなす風潮がありました。私たちは精神医学と宗教の失敗を指摘し、胸を叩きながら、「私たちを見てみろ。私たちにはできる。だが彼らにはできないではないか」と叫びがちでした。ですから、このような態度が消えつつあることを報告できるのは、大いに安堵するところです。思慮深いAAメンバーは、私たちの団体が最初にできあがるのを精神科医や医師たちが手伝ってくれたこと、それ以来援助して下さっていることを常に認識しています。

また、精神科医や生化学者の発見は、私たちアルコホーリクに大きな影響を与えることも理解しています。実際に、こんにちでは、これらの発見は単に影響を与えるに留まりません。皆さんの会長を初めとする学会内外の先駆者たちは、長い間注目すべき成果を上げてきましたが、彼らの患者の多くはまったくAAなしで良い回復を成し遂げています。ここで注意すべきことは、AAの外部で採用されている回復の手法のいくつかは、AAの原理や実践とはまったく矛盾しているということです。にもかかわらず、私たちAAは、こうした努力がますます成功していることを称賛すべきです。

また私たちは、AAが私たちをしらふにした後に、私たちの多くが苦しんだ神経症的なオーバハング(overhang)を、精神医学がしばしば解放できることを知っています。精神科医が、そうでなかったらAAに近づくことさえないであろう無数のアルコホーリクを私たちのところへ送ってきたことを、そして多くのクリニックが同様のことをして下さったことを知っています。私たちは、自分たちの資源を共同利用することで、分離あるいは近視眼的な批判や競争では達成できないことを一緒に実行できることを理解しています。

ですから私はここで、すべての医学的同志に対して、誓約したいと思うのです。今後、AAは常に協力する用意ができていること、AAは医学の領域に踏み込まないこと、私たちの中で教育やリハビリテーションや研究の分野で偉大な活動に魅力を感じるメンバーは、こうした約束を踏まえつつそれらにますます協力することを。

恐ろしいのは、アルコホリズムという脅威の拡大であり、私たちの恐ろしい敵であるジョン・バーリコン[ウィスキーなどの蒸留酒を擬人化した言葉]を打ち負かすあるいは減少させるためには、まさに社会のすべての資源を用いることが望まれます。アルコールの病の巧妙さと力は人類の歴史のすべてのページに示されていますが、今世紀ほどそれが激しくかつ破壊的になったことはなかったでしょう。

AAの私たちは、私たちの理解と知識が集約され、応用されたとき、私たちの医学の友人たちを最前列に見つけることを知っています。まさに皆さんの多くが今日すでに立っている場所です

そのような良心的で協力的な行動の準備が完全にできたとき、それはアルコホリズムとそのすべての暗く凶悪な結果に苦しむ無数の人たちにとって、きっと素晴らしい明日になり得るでしょうし、なるのでありましょう。


  1. Bill W., Alcoholics Anonymous – beginnings and growth, Presented to the New York City Medical Society on Alcoholism April 28, 1958. []
  2. ローランド・ハザード、ビッグブックの第二章(pp.39-42)に「あるアメリカの実業家」として登場する。 []
  3. 現在の Rutgers Center of Alcohol & Substance Use Studies []

2021-08-07

Posted by ragi