Q&A (1) AAは福音派なのか?
Q: AAは福音派なのか?
A: イエスかノーで答えるならば、答はノーです。
福音派というのは、キリスト教のプロテスタントの教派 を分類するときに使われる用語です。AAは宗教ではないので、福音派かどうか、という質問はナンセンスです。
おそらく、こうした質問の意図は、AA発祥の母体となったオックスフォード・グループが福音派なのか、そしてAAは福音派の思想を受け継いでいるのかどうか、ということなのでしょう。それに対する答もノーです。
ただし、実際のところは、そんなに単純な話ではありません。その質問に答えるには、福音派とは何かという話をしなければならないからです。
キリスト教の成立から東西分裂へ
キリスト教とは、ナザレのイエス が西暦30年頃にパレスティナのガリラヤ 地方で宣教を始めたことを始まりとする宗教です。ユダヤ教 を母体として、その聖書を旧約聖書 として受け継ぎました。イエスの死後に、その教えが新約聖書 として記されました。
弟子たちはローマ帝国 の版図にイエスの教えを伝えたため、やがてローマ皇帝はキリスト教をローマ帝国の国教 と定め、広大な帝国の統治に利用しました。4世紀の終わりにローマ帝国が東西二つの帝国に分裂すると、キリスト教も西の首都ローマ と、東の首都コンスタンティノープル という二つの中心地を持つようになりました。その後に、ゲルマン民族 の侵入によって、西ローマ帝国は早々と滅亡してしまい、そこにゲルマン諸国が誕生しました。
こうして別の国に分かれたことで、東西の教会は次第に没交渉になり、教義 に違いが生じていきました(東方教会 と西方教会 )。500年ほど経った11世紀には、東西の教会が相互に破門し合う事態(大シスマ)に発展しました。1) さらに、第四回十字軍 がコンスタンティノープルを攻撃して西方教会の教義を押しつけようとしたことや、コンスタンティノープルの陥落 の際に西側が援軍を派遣しなかったことなどから、東西の分裂は確定的なものになりました。
東方教会は、正教会 (Orthodox Church)と名乗るようになりました。オーソドックスとは正統という意味です。西方教会は、カトリック教会 (Catholic Church)と名乗るようになりました。カトリックとは普遍という意味です。
中世の教会による支配、近世の宗教改革
ローマ帝国の時代には、総主教 や教皇 の任命権は皇帝が握っていました。つまり、教会は皇帝の支配を受けていました。しかし東西分裂後には、ローマのカトリック教会は世俗の権力を手に入れていき、やがて国王たちからの独立を勝ち得ました(叙任権闘争 )。以後、中世を通じて国王たち(王権)とローマ教皇 (教皇権)はどちらが優越するかの対立を続けました。つまり国王たちに対抗できるほど教会が強大な権力を持つようになっていたということです。さらに、教会(教皇や司祭層)は教義を通じて民衆の精神世界を支配することができました。しかし中世の後半になると、十字軍 の失敗や、諸国王の反発によって、教皇の支配力は次第に弱まっていきました。
16世紀になると、ドイツのマルチン・ルター (1483-1546)が宗教の改革運動を起こしました(宗教改革 )。ルターは教皇の発行した免罪符 に反対して抗議書(Protestatio)を発表して抗議しました。このことから、この一派はプロテスタントと呼ばれるようになりました。
プロテスタント による宗教改革には、聖書のみ ・信仰義認 ・万人祭司 という三つの原理がありました。カトリックは、聖書と聖伝を真理としていました。聖書は前述のようにイエスの教えを記した書であり、聖伝 は聖書以外に弟子たちから伝えられたもの(使徒伝承)です。どちらもその解釈の権限は教会にありました。(聖伝を重視するという意味で伝承主義と呼ばれます)。
ルターは、聖書のみに立ち返るべきであり、しかも聖書を字義通りに解釈することで教会の恣意的な解釈を排するべきだと主張しました(カトリックでは字義通りではない解釈も行われ、そのことが教会支配層の特権維持に使われていると考えられた)。そのために、ラテン語 の聖書をドイツ語に翻訳し、さらにそれまでラテン語のみで行われていた典礼 をドイツ語で行うようにしました。
信仰義認とは、カトリックでは教会の行う秘蹟 によって信徒か救済されるとしているのに対し、信徒は内面の信仰のみで救われると主張しました。万人祭司とは、世俗の権力を持ち特権階級化していた司祭制度を批判し、信徒であれば誰でも祭司たりうるという主張です。
三つの原理は、どれも教会や司祭の宗教的な特権性を否定し、個人の内面的な救済を重視したものでした。ルター派はドイツを中心に広まり、カトリック教会から排斥されたことで、別個の教派として確立しました(ルーテル教会 )。その後、プロテスタントは多くの教派を作り出しましたが、その全体を統括するような組織は持っていません。
宗教改革と同時期に、イギリスではヘンリー8世 (1491-1547)が離婚問題を巡ってカトリック教会と対立し、カトリックから独立したイングランド国教会 (Church of England)を作りました。最初はカトリックの教義をそのまま受け継いでいましたが、やがてプロテスタントの影響を受けて、カトリックとプロテスタントの中間的な存在となりました。この系統に属する教派は聖公会 (Anglican Church)と呼ばれています。
このようにして、西方教会は、大きく分けてカトリック教会・プロテスタント諸派・聖公会という三つの系統を持つようになりました。(聖公会もプロテスタントに分類される場合がある)。
福音主義
聖書のみに立ち返るという考え方を福音主義 (Evangelicalism)と呼びます。ドイツ語では evangelisch(エヴァンゲリッシュ)という形容詞が用いられますが、英語でも evangelical(エバンジェリカル)という形容詞として使われます。プロテスタントを指す言葉であるとともに、教派に属していなくても個人の信仰を指す言葉としても使われます。
さらに、evangelcai には、個人的な回心の必要性や、福音伝道 を重視するという意味も含まれます。
オックスフォード・グループが evangelical movement であると記載されていることがありますが、それはプロテスタントの系統の、聖書のみに立ち返る考え方を持ち、個人的な回心や福音伝道を重視する運動である、という意味です。
紛らわしいのは、プロテスタントの中に福音派 (Evangelical)という分類があることです。こちらもエバンジェリカルなのです。
福音派
ルターの主張の通りに聖書を字義通りに解釈すると、都合の悪いことがでてきました。チャールズ・ダーウィン (1809-1882)の進化論 と聖書の天地創造 は相容れませんし、バベルの塔 を歴史的事実とするのも難があります。そのような神話的な要素を、事実ではなく宗教的に有益な寓話 だと解釈する立場が登場しました。これを自由主義神学 と呼びます(単にリベラルとも呼ばれる)。
無宗教化した日本人からみれば「別にそれでいいんじゃないの」と思うのですが、宗教改革の立場から見れば、聖書を字句通り解釈しないのは、教会による恣意的な解釈の余地を残し、個人の信仰解釈の自由を冒す危険な考え方だということになります。福音派は、自由主義神学に反対し、聖書を字義通り解釈する立場を取ります(聖書の無誤性 )。
もう一つ、これまで見てきたように、キリスト教は二千年を経るうちに、多くの宗派(教派)に分かれてしまい、教派間の争いも多く起きてきました。そこで、キリスト教は教派を超えて結束すべきであるという考え方がプロテスタントの中から生まれてきました。これをエキュメニカル派 と呼びます。エキュメニカル運動は、プロテスタント・聖公会・カトリック・正教会のすべてに広がっていますが、その進展は一進一退といったところです。エキュメニカル運動の担い手には自由主義神学派が多かったために、福音派は反エキュメニカルとなりました。
アメリカの福音派
前大統領ドナルド・トランプ (1946-)がアメリカ国内の福音派から圧倒的な支持を得て当選したことで、アメリカの福音派 が注目されるようになりました。アメリカの福音派は、20世紀にビリー・グラハム (1918-2018)という福音伝道師が、ラジオやテレビを使って伝道を行ったことで、大いに広まりました。グラハム師の属する南部バプテスト教会 の地盤はバイブルベルト と呼ばれ、自らの宗教信条を政治に反映させようとする宗教右派 が多い地域です。
宗教右派は、妊娠中絶 や同性婚 を認めず、公教育で進化論だけでなく天地創造も真実だと教えるように主張しています。これらはどれもリベラル な政治思想を持った人たちには受け入れがたいものです。そして、アメリカの宗教右派と福音派はほぼ同一視されています(かなり重なっているが、政治的に穏健な福音派も存在する)。
そんなわけで、アメリカの宗教右派は、リベラルな政治思想を持つ人たちからは対抗勢力として嫌われています。プロテスタントの中で自由主義神学の立場を取る人たちとも考え方が相容れず、カトリックとも対立関係にあります。日本の福音派の人たちにとってみても、アメリカの宗教右派と同一視されることには困惑するでしょう(宗教信条は同じでも、政治的姿勢が異なるから)。
ちなみに、グラハム師は福音派の中では自由主義神学寄りであり、より保守的な人たちからは新福音派 と呼ばれています。
オックスフォード・グループの立場
プロテスタントの中で、右に福音派、左に自由主義神学・エキュメニカル派を配するならば、左右の間の中道的存在をメインライン・プロテスタント (プロテスタント主流派)と呼びます。ここにはルター派 や聖公会などが含まれます。
オックスフォード・グループの指導者だったフランク・ブックマンは、ルター派の牧師でした。また、アメリカにおけるオックスフォード・グループのリーダーで、AAと大いに関係を持ったサム・シューメーカー(Sam Shoemaker, 1893-1963)は、米国聖公会 の牧師でした。
オックスフォード・グループではほとんど神学的な議論は行われていなかったそうですが、こうしたリーダーたちに率いられて、その考え方はメインライン・プロテスタントの考えを反映していました。
結論
大変長い説明になりましたが、「AAは福音派なのか」あるいは「AAは福音派の流れを汲むものか」という質問に対する答はノーということになります。現在のAAは非宗教的・非宗派的ですが、その霊的な源流を辿っていくと、ルター派や聖公会というプロテスタント主流派にたどり着く、というわけです。ただし、ビル・Wはオックスフォード・グループから受け継いだものは「別に新しいものではなく、あなたの行く教会で同じものが得られるだろう」と述べて、それが特定の教派に固有のものであることを否定しています。また、AAとして成立するにあたって、ビル・Wらはカトリック教会との関係をとても大事にしました(cf. 「オックスフォード・グループとの分離」、ビル・Wに問う (7)・(23)・(24))。――ただし、個人の回心体験や書籍による伝達に重きを置き、特権階級の成立を嫌うところなどは多分に福音主義的であるとは言えるでしょう。
「AAは福音派である」「12ステップは福音派が元になっている」と考える人たちがいることは知っていますが、その人たちが何を根拠にそう考えているのかまでは僕は知りません。そもそも福音派とは何かという理解を持っておらず、アメリカの宗教右派を指して福音派と呼んでいるに過ぎないように思われます。
おまけ(ボーン・アゲイン)
ボーン・アゲイン(born again・新生)という言葉は、福音主義で使われる言葉です。これは宗教的な経験をすることで、精霊の力によって精神的に生まれ変わることを指します。これは、(カトリックの)教会の行う秘蹟による救済ではなく、個人が信仰によって救済される信仰義認にもとづいた表現です。
AAのビッグブックでも、霊的な目覚めによって新しく生まれ変わることが述べられています(BB, p.91)2)。ところが、このボーン・アゲインという言葉は、エキュメニカル派では使われなくなっているそうです。AAが「生まれ変わる」という言葉を使い続けていることが、福音派だと見なされてしまう一因なのかも知れません。
日本では明治期にキリスト教伝道の一環として、禁酒運動 が組織されました。安藤太郎(1846-1924)という大酒家の外交官が、赴任先のハワイでメソジスト 教会の美山貫一 牧師(1847-1936)と出会い、アメリカの禁酒運動を知って、帰国後に東京禁酒会・日本禁酒同盟会を設立しました。その活動は第二次世界大戦によって壊滅的打撃を受けましたが、戦後に日本禁酒同盟 として再開されました(現在も活動を続けています)。
日本禁酒同盟の中で酒害相談を始めた救世軍 の山室武甫 (1902-1982)によって、1953年に「断酒友の会」という断酒会ができました。山室は英国留学の経験があったため、アメリカのイェール大学 が行っていた Summer School of Alcohol Studies に派遣されました。このサマースクール・オブ・アルコール・スタディは、ジェリネク(E. Morton Jellinek, 1890-1963)らが中心となって行っていた専門家向けの研修で、20世紀中盤のアメリカのアルコール医療に大きな影響を与えましたが、AAと密接な関係を持って運営されていました(従って「山室はAAを受講してきた」と表現された)。山室は、AAの12のステップを日本の実情に合うように改変して使用し、断酒友の会は「AA日本本部」を名乗っていました。3)
禁酒同盟は断酒友の会の運営に協力を惜しまなかったものの、そもそも禁酒運動と断酒会では目的が異なります。それによる意見の対立が深まり、4年後に禁酒同盟から独立した断酒組織として「東京断酒新生会」が誕生しました。4) 5) 松村春繁(1905-1970)によって、高知県断酒新生会が作られたのは1958年のことです(1963年に日本断酒会連合が結成され、これが後に全日本断酒連盟となった)。6) これらの新生という言葉には、キリスト教伝道によって誕生した禁酒同盟から伝えられたボーン・アゲインという意味が込められていた、という話を断酒会の方から聞いたことがあります。今回このエントリを書くに当たって、いくつか文献を当りましたが、それを裏付ける記述は見つけられませんでした(なのであくまで伝聞情報として)。その後、断酒会が全国に広がる課程で、新生という言葉の持つ宗教的な意味合いは失われていったのだと思われます。
最後に、現在はAAも断酒会も、非宗教的な団体であることを申し添えておきます(念のため)。
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